光速のリングに黒鷹は潜む ――播磨科学公園都市、百億分の一を盗む研究データ
光は嘘をつかない。
人間の目では見えないものでも、光を当てれば輪郭を現す。
金属の内部。
結晶の並び。
目に見えないほど小さな欠陥。
表面をどれだけ綺麗に取り繕っても、その奥にあるものまで完全には隠せない。
人間も同じなら、捜査はもっと簡単だった。
兵庫県西部。
播磨の丘陵を縫うように伸びる道路の先に、突然、風景が変わる場所がある。
播磨科学公園都市。
山。
森。
広い空。
静かな道路。
神戸のような港の華やかさもなければ、姫路のような城下町の賑わいもない。
だが、その静かな丘陵には大学、研究所、企業の開発拠点が集まり、世界中から科学者や技術者がやってくる。
人間の目では見ることのできない世界を見るために。
原子。
分子。
結晶。
電子。
半導体。
新素材。
電池。
触媒。
医薬品。
百億分の一メートルにも満たない世界の違いが、十年後の産業を変える。
その中心に、巨大な円環状施設が横たわっていた。
架空の研究機関――
播磨先端光科学研究センター。
上空から見れば、山中へ巨大なリングを置いたような姿。
内部では電子が凄まじいエネルギーで加速され、そこから生まれる強力な放射光が、何本ものビームラインへ導かれている。
長大な実験ホール。
真空配管。
検出器。
制御装置。
精密架台。
モニター。
大量のケーブル。
そこを行き交う白衣姿の研究者たち。
一般人が入れば、目の前で何が行われているのか理解するだけで一日が終わる。
だが、彼らにとっては日常だった。
昨日より小さなものを見る。
昨日より正確に測る。
昨日分からなかったことを、今日は一つだけ理解する。
派手ではない。
だが世界を変える仕事だった。
そして。
世界を変える研究には、値段がつく。
黒鷹はそこへ目をつけた。
ヒロ室西日本分室。
テーブルの上には、専門資料が積み上がっていた。
一冊。
二冊。
三冊。
さらにもう一冊。
西川彩香は一番上の資料を開いた。
数式。
模式図。
専門用語。
英文。
グラフ。
三ページめくった。
閉じた。
「……玲奈さん」
岡本玲奈は顔を上げた。
「はい」
「これ、日本語で書いてあります?」
「大半は」
「何一つ頭入ってこないんですけど」
玲奈は表情を変えなかった。
「今回は専門性の高い潜入です」
「専門性高いいうレベルちゃうでしょう」
彩香が表紙を見る。
「『放射光を用いた結晶構造解析概論』って何やねん……」
山本あかりが横から覗き込む。
「漢字多いに」
「感想そこ?」
玲奈がモニターを切り替えた。
表示されたのは、新型パワー半導体材料の模式図だった。
「ある大手電子材料メーカーと研究センターが、共同研究を進めています」
高耐熱。
高耐圧。
高効率。
次世代の電気自動車、鉄道、産業機械、電力設備。
実用化されれば用途は広い。
だが重要なのは完成品だけではなかった。
どの材料を使ったか。
どう製造したか。
どの条件では失敗したか。
どの温度で性能が落ちたか。
何を変えれば改善したか。
研究とは、成功した一枚のデータではない。
そこへ至るまで積み上げた無数の失敗も含めて研究だった。
「黒鷹は、その全過程を狙っています」
玲奈が言った。
彩香の目が細くなる。
「答えだけ盗むんやなく、途中式まで全部持っていく、と」
「ええ」
センター内部には内通者がいた。
主任研究員。
四十代後半。
実績のある研究者。
だが研究費と地位をめぐる焦りから、数年前に黒鷹系のコンサルタントへ接触。
最初は資金。
次は企業紹介。
そして。
研究データ。
一度渡した人間に、二度目を断る自由はほとんど残されていなかった。
「今回は内部で証拠を取ります」
玲奈が言う。
潜入者は二人。
白浜麻衣。
春日美咲。
美咲は測定データ解析と実験管理補助。
麻衣は試料調製とビームライン実験支援。
彩香は二人を見る。
「研修、何日でした?」
「短期間です」
玲奈。
「それは知ってます」
彩香は麻衣を見る。
「間に合った?」
「必要なところは」
美咲も頷く。
「一通り覚えました」
彩香は額を押さえた。
「最近な」
二人を見る。
「その二人の『覚えました』が一番怖いねん」
麻衣。
「どうしてですか?」
「ほんまに覚えて帰ってくるからや!」
潜入初日。
その懸念は的中した。
別の意味で。
白衣姿の美咲は、研究施設へ驚くほど自然に馴染んだ。
「まずこの端末で試料番号と測定条件を紐づけてください」
研究員が説明する。
「はい」
「ここがビーム強度。こっちが検出器設定。取得後はこのフォルダへ――」
「分かりました」
「分からなかったら、何回でも聞いていいからね」
「ありがとうございます」
三時間後。
美咲は普通に作業していた。
翌日。
同じ研究員が画面の前で首を傾げていた。
「……おかしいな」
美咲が横に立つ。
「どうしました?」
「この一群だけ、ピーク位置が僅かにずれるんだ」
「試料は同じですか?」
「同じロット」
美咲は画面を見る。
数字。
グラフ。
条件表。
数分間、何も言わない。
研究員も放っておいた。
やがて。
美咲の指が一点を示した。
「この測定だけ、温度条件の記録が違いませんか?」
「え?」
拡大。
研究員の顔が変わった。
「……ほんとだ」
前後と比べれば僅かな違いだった。
だが僅かだからこそ見過ごしやすい。
入力ミスとしては不自然。
後から変更された可能性。
研究員は美咲を見る。
「春日さん」
「はい」
「大学院生だっけ?」
「違います」
「修士?」
「違います」
「博士?」
「もっと違います」
数秒。
「……何者?」
美咲は困ったように笑った。
遠隔監視していた彩香が呟く。
「こっちが聞きたいわ」
玲奈。
『自然に馴染んでいます』
「馴染みすぎなんです!」
それだけではなかった。
美咲は数日以内に、正規測定データへ混ぜ込まれた小さな偽データを見つけた。
持ち出したデータ量を誤魔化すため、内通者が測定履歴そのものをいじっている。
研究責任者は感心を通り越していた。
「春日さん」
「はい」
「卒業後の進路、決めてる?」
通信越しに彩香が呟く。
『来た』
「まだ完全には」
「研究職に興味ある?」
『来た来た……』
「うち、受けてみない?」
彩香が机へ額をつけた。
『また美咲の就職先増えたぁ……』
美咲は聞こえないふりをして笑った。
麻衣は別の形で馴染んでいた。
小さな試料片。
試料ホルダー。
細かな治具。
顕微鏡。
僅かな位置ずれでも測定結果が変わる。
担当研究員が最初だけ丁寧に教えた。
「ここ、無理に押さえないで。角度見ながら」
「はい」
麻衣の指は動かないほどゆっくり動く。
固定。
確認。
微調整。
終了。
研究員が見る。
「白浜さん」
「はい」
「本当に初めて?」
「はい」
「手、全然震えないね」
麻衣は試料を見たまま答えた。
「みかんの選果より小さいですね」
研究員が止まる。
「……比較対象、みかん?」
「実家なので」
「なるほど……?」
研究者として納得していい理由ではなかった。
だが作業は正確だった。
数日後。
「あの試料、白浜さんにやってもらえる?」
本職から普通に頼まれる。
無線。
彩香。
『麻衣』
「はい」
『本職より本職みたいにならんといて』
「ちゃんと潜入してます」
『成功しすぎやねん!』
任務そのものも順調だった。
美咲がアクセスログを洗う。
麻衣が実験室内の人の流れを見る。
主任研究員は決まった曜日。
決まった時間。
自分の研究とは関係のない端末へアクセスしている。
その直後。
外部企業の技術コンサルタントを名乗る男が来る。
男は黒鷹の工作員だった。
受け渡し予定。
三日後。
施設閉館後。
暗号化媒体へデータを落とす。
黒鷹の男へ渡す。
外で県警が押さえる。
現物。
内通者。
受取人。
全部取れる。
彩香は監視室の椅子へ座った。
「今回は綺麗に終われそうですね」
麻衣。
『そういうこと言わない方がいいですよ』
「何で?」
美咲。
『最近、それを言うと何か起きるので』
彩香。
「誰のせいや思てんねん」
その日の午後。
研究センター正面。
白いロケ車が入ってきた。
彩香は監視モニターを見る。
三好さつき。
「……神戸放送か」
そこまではいい。
地域情報番組。
研究施設紹介。
珍しくもない。
しかし。
車からもう一人降りる。
明るい色のツインテール。
彩香の顔が固まった。
「なんでアホツインテールがおるねん」
玲奈。
『今回のゲストのようです』
「一番相応しくないやろ?」
玲奈は返答しない。
彩香。
「経済学部やぞ?」
迫田澪香。
『経済学も立派な学問です』
「そういう意味ちゃうねん!」
番組タイトルは、
『兵庫から世界へ! 未来を変える最先端科学』
レポーター・三好さつき。
ゲスト・赤嶺美月。
経済学部学生。
自他ともに認める文系。
研究員が巨大リングの模式図を前に説明していた。
「こちらでは電子を非常に高いエネルギーまで加速しまして――」
美月。
「はい」
「そこから得られる非常に強い放射光を利用します」
「はい」
「例えば結晶中の原子配列を――」
「はい」
研究員が一旦止まる。
「……大丈夫ですか?」
美月は真顔だった。
「今のところ単語は全部日本語です」
さつきが吹き出した。
「理解は?」
「これからや」
研究員まで笑う。
別の展示へ。
「電子はほぼ光速に近い速度で――」
美月の目が大きくなる。
「新快速より速いん?」
研究員。
「……はい。かなり」
さつき。
「何で比較対象が新快速なん?」
美月。
「ほな阪神高速より?」
「道路と比べるな!」
研究員は忍耐強く続けた。
「電子から得られる非常に明るい光を――」
美月。
「電気代高そうですね」
さつきが額を押さえる。
「美月ちゃん、最先端科学の感想が全部家計簿なんよ」
監視室。
彩香はモニターを指さした。
「ほら見い! 一番相応しくない!」
玲奈。
『楽しそうですね』
「楽しそうなんが問題なんです!」
美月は悪くない。
さつきも悪くない。
研究員も悪くない。
全員が真面目に番組を作っている。
だから余計に始末が悪い。
やがて一行は実験エリアの見学区画へ。
さつきが足を止めた。
「あれ?」
その視線の先。
白衣。
小柄。
黒髪。
試料を扱う麻衣。
「あ、麻衣ちゃん!」
麻衣の指が止まった。
美月も振り返る。
「ほんまや!」
監視室。
彩香。
「見つかった……」
二人が来る。
美月。
「麻衣、何してんの?」
「実験」
「また?」
麻衣が顔を上げる。
「またって何?」
「この前、橋の点検しとったやん。今度は科学者?」
「今日はそういう感じ」
美月は白衣姿を眺める。
「白衣姿、似合ってるやん」
「ありがとう」
その少し先。
端末に向かう美咲。
「あっ、美咲までおる!」
美咲はゆっくり振り向いた。
「……こんにちは」
「二人して何してんの? 病院の次は研究所でコスプレ?」
「違います」
さつきがすかさず突っ込む。
「研究所なんやから白衣普通やろ」
美月は麻衣の手元を覗く。
「これ何してんの?」
無線。
彩香。
『麻衣、あんまり説明せんでええ!』
麻衣には聞こえている。
しかし知り合いへ露骨に説明を拒めば、それはそれで不自然だった。
「簡単に言うと」
美月。
「うん」
「ものすごく明るい光を当てて、この材料の中がどうなってるか見る」
「中?」
「普通に見ても分からないくらい小さい並び方」
「へえ」
「それで、何で強いとか、何で壊れやすいとか調べる」
美月の顔が急に明るくなった。
「麻衣の説明、めっちゃ分かりやすい!」
麻衣。
「そう?」
「さっきから電子とか光速とか言われて、途中から何聞いとるんか分からんかった」
説明していた研究員が肩を落とす。
「一生懸命説明したんですけどね……」
さつき。
「先生、落ち込まんといてください」
美月は感心したまま麻衣を見る。
「麻衣、科学者向いてるんちゃう?」
無線。
彩香。
『勧誘すんな!』
美月は今度は美咲のモニターを覗く。
「美咲は?」
「数字を見ています」
「それだけ?」
「かなりたくさん」
美月は画面を見る。
数字。
グラフ。
また数字。
三秒。
「麻衣の方行こ」
美咲。
「どうぞ」
監視室。
彩香。
「逃げた!」
玲奈の口元が僅かに動いた。
だが。
笑っていられたのはNSTだけだった。
別の実験区画。
一人の男が遠くからその様子を見ていた。
内通者の主任研究員。
数日前に入った二人の若い研究スタッフ。
短期間で本職顔負けの動き。
その二人へ。
テレビカメラ。
有名な戦隊ヒロイン。
地方局レポーター。
親しげに声をかける。
偶然。
そう考えるには、不安が大きすぎた。
主任研究員は端末を取り出した。
短い通信。
――潜入の可能性。
――予定変更。
――現在のデータを回収。
――即時撤収。
最初に異変を察知したのは美咲だった。
モニター。
アクセスログ。
転送量。
予定にないプロセス。
「……」
指が止まる。
『彩香さん』
「何?」
『対象データが動いています』
同時。
麻衣。
『主任研究員が実験棟を出ました』
玲奈の声。
『前倒しですね』
彩香の目が変わった。
「あのアホツインテール……」
それだけ言った。
次の瞬間には現場指揮官だった。
「全員、作戦開始」
巨大な研究リング。
長大な実験ホール。
無数のビームライン。
真空装置。
精密機器。
警告灯。
制御端末。
そこを黒鷹の工作員が走る。
暗号媒体を持つ。
狙いは第四実験区画。
最後の復号処理。
それさえ済めば、施設外へ持ち出せる。
白衣姿の麻衣が追う。
紀州の舞姫。
普段なら戦場にならない場所。
だが今夜だけは、精密科学の城が巨大な迷宮になる。
前方。
工作員。
振り返る。
「何だ!」
麻衣は止まらない。
男が拳を振る。
半歩。
外す。
麻衣の肩が僅かに沈む。
腕を取る。
男の力をそのまま横へ流す。
ただし機器側へは行かせない。
何億円するか分からない装置の反対側。
広い床へ。
男が崩れる。
二人目。
実験架台の間。
狭い。
大柄な男には不利。
麻衣には十分。
男が掴みに来る。
麻衣は身体を入れ替える。
腕。
肘。
足。
最小限。
大きな音すら立てない。
紀州の舞姫。
舞うために広い舞台は要らない。
人一人通れる空間があればいい。
男が叫ぶ。
「研究員じゃないのか!」
麻衣は腕を取ったまま答えた。
「今日は研究員」
床へ。
制圧。
だが暗号媒体を持つ責任者は先へ。
別区画。
美咲は端末を追っている。
彩香。
『どこ?』
「第四区画」
『見えてる?』
「いいえ」
「ほな何で分かるん?」
美咲は画面を切り替える。
「盗んだデータは、現状では外部端末で開けません」
玲奈。
『復号鍵ですね』
「はい。第四区画の端末からしか最終処理できない」
美咲は施設図を見る。
「麻衣」
『はい』
「次の分岐、右」
『了解』
「その先の階段を下りて。正面より早い」
『了解』
頭脳で追う美咲。
足で追う麻衣。
黒鷹は巨大施設の中を逃げているつもりだった。
だが。
進路はもう読まれている。
第四区画。
責任者が端末へ媒体を挿す。
処理。
進捗。
あと少し。
背後。
「そこまで」
男が振り向いた。
麻衣。
「何なんだ、お前は!」
「それ、返して」
男は媒体を抜く。
走る。
施設外。
駐車場。
黒いセダン。
ドア。
エンジン。
麻衣。
『車で逃げる!』
彩香。
「美咲!」
『はい』
「車!」
数十秒後。
一台の軽自動車が動く。
前。
若葉マーク。
後ろ。
若葉マーク。
彩香がモニター越しに叫ぶ。
『また付けとんの!?』
美咲。
「初心者ですから」
『今そこ重要ちゃう!』
「周囲への注意喚起は必要です」
『もう好きにして!』
黒鷹のセダン。
研究センターから出る。
美咲の軽。
追う。
派手な高速追跡ではない。
美咲は無茶をしない。
車間距離。
ウインカー。
交差点。
左右確認。
必要なところは確実に追う。
黒鷹の運転手がバックミラーを見る。
小さな軽。
若葉マーク。
それが離れない。
「何なんだ、あれは!」
美咲。
「左へ向かいました」
玲奈。
『県警部隊を前方へ回します』
「了解」
彩香。
『美咲、無理したらアカンで!』
「分かっています」
セダンが交差点。
急に右。
美咲も減速。
右確認。
後方確認。
彩香。
『今そこまで律儀に確認せんでも――』
「必要です」
『はいはい!』
前方。
県警車両。
黒鷹が気づく。
ブレーキ。
方向転換。
もう一台。
挟まれた。
セダン停止。
責任者がドアを開ける。
媒体を持って走る。
道路脇。
研究施設側へ戻ろうとする。
だが。
その先。
麻衣。
どうやって先へ来たのか。
そんな顔で男が止まった。
麻衣。
「もう終わり」
「どけ!」
最後の抵抗。
拳。
麻衣は横へ。
手首。
身体を返す。
男の重心が一瞬浮く。
次の瞬間。
床。
紀州の舞姫、一閃。
暗号媒体が手を離れる。
麻衣が拾う。
直後。
兵庫県警。
捜査員。
そして玲奈。
黒鷹の工作員。
内通研究員。
全員確保。
盗まれた研究データ。
暗号媒体。
内部アクセスログ。
資金授受記録。
一式を押収。
施設への損害。
ゼロ。
データ流出。
阻止。
玲奈が媒体を確認する。
「任務完了です」
夜の播磨科学公園都市。
巨大なリングは、何事もなかったように静かだった。
その中では。
電子が走る。
人間には想像もつかない速さで。
同じ頃。
神戸放送のロケも普通に終了していた。
美月は最後まで研究員を質問攻めにしていた。
「なあ先生、結局なんで電子から光出るん?」
「それはですね――」
「簡単にお願いします」
「できるだけ簡単にすると――」
「麻衣ぐらい分かりやすく」
研究員が遠い目をする。
さつきが笑った。
「先生、今日一日で鍛えられましたね」
美月は結局。
黒鷹の存在など一切知らず。
「あー勉強なった!」
と満足して帰った。
数日後。
ヒロ室西日本分室。
任務報告書。
コーヒー。
菓子。
そして。
彩香のボヤキ。
「あのアホツインテール、ええ加減にせぇよ」
あかりが振り向く。
「また美月さん?」
「またも何もあいつしかおらん!」
麻衣はお茶を飲みながら言った。
「別に悪いことしてませんよ」
「分かっとる!」
美咲。
「番組も正式な取材でした」
「それも分かっとる!」
澪香。
「研究者の説明もちゃんと聞いていました」
彩香。
「聞いとったけど理解してへんかったやろ!」
澄香が笑う。
「新快速と電子を比較してたね」
あかり。
「阪神高速とも比べとったやに」
彩香が両手で額を押さえた。
「何で光速の説明に新快速と阪神高速が出てくんねん……」
麻衣。
「美月さんらしいです」
「そこが腹立つねん!」
あかり。
「でも最後は勉強になったって言うとったに」
「楽しそうやったんがまた腹立つ!」
麻衣。
「それは別にいいでしょう」
「分かっとるわ!」
分かっている。
だから余計にボヤくしかない。
美月は何も悪くない。
さつきも何も悪くない。
それでも二人が現れた瞬間に、黒鷹が予定を三日前倒しした。
彩香は立ち上がった。
「もう堪忍ならん」
麻衣。
「どうするんです?」
彩香は腕を組んだ。
考える。
全員がなんとなく待つ。
そして。
「今度あのアホツインテール捕まえてな」
あかり。
「うん」
「放射光リング一周させて」
美咲。
「はい」
「飛んどる光子、一個ずつ数えさせたる」
沈黙。
澄香。
「……光子を?」
「そうや」
澪香。
「見えないよね」
「知っとる!」
美咲。
「数えるのは現実的ではないと思います」
「知っとる!」
麻衣は真顔。
「それって意味ありますか?」
彩香は即答した。
「そんなもんあるわけないやろ!」
一瞬。
静かになる。
次の瞬間。
あかりが吹き出した。
「意味ないんや!」
「あるわけないやろ!」
麻衣。
「じゃあ、何のために?」
「罰や!」
美咲。
「成立しない罰です」
「細かいこと言うな!」
あかりは笑いながら机へ伏せる。
「美月さん絶対『光子どこおんねん!』って途中で怒るやに」
澪香。
「十分後には飽きそう」
澄香。
「売店探すんじゃない?」
あかり。
「ほんでスイーツ買うに」
彩香。
「スイーツも禁止や!」
麻衣。
「何で追加されたんですか」
「何となくや!」
また笑いが起きる。
少し離れた机。
玲奈は報告書を読んでいる。
だが。
口元だけ。
僅かに緩んだ。
彩香が見逃さない。
「玲奈さん」
「はい」
「今、笑いました?」
「いいえ」
「絶対笑った!」
「気のせいです」
麻衣。
「笑ってました」
玲奈が麻衣を見る。
「麻衣」
「はい」
「そういえば、研究センターから連絡が来ています」
彩香の顔が変わった。
「……嫌な予感する」
玲奈は紙を見る。
「麻衣と美咲に、今後も研究補助として協力してもらえないかと」
彩香。
「ほらぁ!」
美咲は少し嬉しそう。
「ありがたいですね」
「喜ばんで!」
玲奈。
「特に美咲には、卒業後の採用について正式に話をしたいそうです」
彩香は美咲を見る。
ものすごく真剣。
「美咲」
「はい」
「抜けられたら困るで」
美咲が笑う。
「まだ何も決めていません」
「その言い方が怖いねん!」
麻衣が手を挙げる。
「私にも来ました」
彩香。
「麻衣まで!?」
「試料準備が上手いから、また来てほしいって」
「何で短期潜入で二人とも就職先できかけんねん!」
あかり。
「優秀やからやに」
「知っとるわ!」
美咲。
「彩香さん、私たちが評価されたの嬉しくないんですか?」
「嬉しいわ!」
「じゃあ」
「でも抜けられるんは困るんや!」
麻衣。
「複雑ですね」
「誰のせいや!」
あかりが笑う。
「彩香さん、前は橋梁会社にもみんな取られそうになってたに」
「思い出させんな!」
澪香。
「証券会社にも美咲を取られかけたよね」
「それもや!」
澄香。
「病院でも結構馴染んでたし」
「もうええ! 美咲はどこ行っても就職決まりそうや!」
美咲が少し考える。
「それは安心ですね」
「安心すんな!」
麻衣が笑った。
あかりも。
迫田ツインズも。
美咲まで。
笑い声が分室に広がる。
玲奈はその光景を見る。
数日前。
同じ二人が巨大な研究施設へ潜り込んだ。
美咲は数字の海から嘘を拾った。
麻衣は百億分の一の世界を覗く研究者たちの中へ溶け込み、やがて巨大な実験ホールを駆けた。
黒鷹は科学を金に換えようとした。
だが。
科学者が何年も積み重ねた時間まで。
持っていかせるわけにはいかなかった。
播磨科学公園都市。
静かな山間。
巨大なリングの中を、今日も電子が走る。
人間の目では追うことすらできない速さ。
そこから生まれた光が、目に見えない世界を照らす。
研究者たちは今日も測る。
考える。
失敗する。
もう一度試す。
誰かが影でその研究を守ったことなど知らない。
知らなくていい。
未来を作る人間は。
未来を作ることだけ考えていればいい。
そして。
その未来を守った者たちは。
「あのアホツインテールに光子数えさせたる!」
「見えませんよ」
「知っとる!」
「数えられません」
「それも知っとる!」
「意味は?」
「ない!」
「じゃあやめたら?」
「罰や言うとるやろ!」
「あ、研究所の売店に限定スイーツあるらしいに」
「あかり! 話ややこしくすんな!」
「美月さん喜びそう」
「教えんな!」
「今度みんなで行きます?」
「任務以外で行くんかい!」
騒がしい。
くだらない。
楽しそうだった。
玲奈の口元が、また僅かに緩む。
それを見つけた彩香がすぐに声を上げる。
「ほら! 玲奈さんまた笑った!」
「気のせいです」
「絶対笑った!」
今度は玲奈も。
否定しながら。
ほんの少しだけ笑っていた。




