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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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395/409

海峡千メートル、黒鷹に逃げ場なし ――明石海峡大橋、空中保守路に仕掛けられた黒い中継器

海峡を渡る風には、隠し事がない。


大阪湾から流れ込む潮の匂いも。


瀬戸内へ向かう船の汽笛も。


雲の切れ間から射し込む光も。


すべてをそのまま、鋼鉄の橋へ叩きつける。


兵庫県神戸市垂水区と淡路島。


二つの陸地の間に横たわる明石海峡を、一気に跨ぐ巨大な吊橋。


明石海峡大橋。


神戸側から見上げれば、巨大な主塔が空を突く。


淡路島側から振り返れば、海峡の上へ真っ直ぐ伸びる道路の先に神戸の街が浮かぶ。


青い海。


白い橋。


行き交う大型貨物船。


そのスケールは、写真では伝わらない。


道路として巨大なのではない。


建造物として巨大なのだ。


夕暮れになると景色はさらに変わる。


赤く染まった空を背景に、主塔とケーブルが黒い線を描く。


夜。


灯りがともれば橋全体が海峡の上へ浮かび上がる。


観光客がカメラを向ける。


家族連れが歓声を上げる。


恋人同士が海を見る。


何万台もの車が、何事もない顔でその上を走っていく。


兵庫が誇る巨大ランドマーク。


だが。


道路を走る者には決して見えないもう一つの顔がある。


橋桁の内側。


主塔内部。


保守点検用の狭い通路。


機械室。


鋼材と鋼材の隙間。


身体を横にしなければ進めない点検床。


海面を遥か下に見る高所作業区画。


そこは、美しい観光名所ではなかった。


風と鉄だけの世界だった。


橋を守る技術者たちが、毎日、人知れず入っている。


ボルトを見る。


溶接部を見る。


腐食を見る。


計測機器を見る。


誰にも気づかれない小さな異常を見つける。


巨大な橋は巨大だから安全なのではない。


誰かが小さな異常を見逃さないから、安全なのである。


黒鷹は。


その見えない世界へ入り込んだ。


ヒロ室西日本分室。


大型モニターに明石海峡大橋の構造図が映っていた。


岡本玲奈はレーザーポインターを動かした。


「異常な通信電波が最初に検出されたのは、この周辺です」


西川彩香は腕を組んだまま、表示された位置を睨んだ。


「橋の中?」


「正確には保守設備区画です」


「通信設備やなく?」


「ええ」


玲奈が画面を切り替える。


小型の黒い箱。


一見すれば設備監視用端末にしか見えない。


「黒鷹が設置した違法通信中継器と見ています」


彩香の眉が寄った。


「こんなもん橋に置いて、何するんです?」


「国外との暗号通信。資金移動指示。協力者間のデータ交換」


玲奈は淡々と続けた。


「通常のビルへ設置すれば通信履歴や入退館記録から追跡される可能性があります。ですが橋梁保守区画なら、人の出入りそのものが限定されています」


彩香が鼻で笑った。


「誰も簡単には入られへん場所なら安全や、と」


「黒鷹はそう判断したのでしょう」


「人の橋を勝手に秘密基地みたいに使いよって」


彩香の声が低くなる。


既に県警は、橋梁保守会社の外部協力員一名が黒鷹側へ取り込まれているところまで掴んでいた。


だが中継器の正確な位置は不明。


さらに一定期間ごとに、黒鷹の人間が暗号化記憶媒体を交換している。


狙うならそこだった。


現物。


回収役。


通信記録。


三つを同時に押さえる。


「普通の捜査員が大人数で入ったら目立ちます」


玲奈が言った。


「ですから今回は、橋梁特殊点検会社の応援スタッフとして潜入してもらいます」


彩香がメンバー表を見る。


白浜麻衣。


山本あかり。


河合美音。


迫田澪香。


迫田澄香。


春日美咲。


そして彩香。


「多いですね」


「巨大な施設ですから」


彩香は麻衣の名前で指を止めた。


「麻衣は向いてそうやな」


「私もそう思います」


小柄。


身軽。


狭所へ強い。


そして何より、足場の悪い場所で身体の軸がぶれない。


紀州の舞姫。


高所作業員という職業は、麻衣のために用意されたような潜入先だった。


問題は――。


彩香の指が、あかりの名前へ移る。


「こっちは高いところ大丈夫なん?」


玲奈。


「本人は大丈夫だと言っています」


「本人の“大丈夫”ほど怖いもんないんですけど」


当日。


彩香は別の意味で心配することになる。


海面遥か上。


安全帯。


ヘルメット。


作業服。


命綱。


強風。


初めて保守通路へ出たあかりは――。


「うわぁ……!」


柵へ近づきすぎない範囲で海峡を見渡した。


「めっちゃきれいやに!」


澪香が隣で呆れる。


「怖くないの?」


「何が?」


澄香が下を見る。


「海」


「海は海やに」


「かなり下だよ」


「見たら分かるに」


無線。


『あかり』


彩香だった。


「はい」


『観光に来たんちゃうで』


「任務もしとるやに」


『声が完全に展望台の客やねん!』


反対に麻衣は、景色を楽しむ余裕すら見せず、黙々と作業手順を頭へ入れていた。


ベテラン作業員の後ろ。


狭い点検床。


一歩。


もう一歩。


無駄がない。


梯子を下りる。


身体を横へ。


鋼材と補助設備の間を抜ける。


安全器具を付け替える。


その全てが初日とは思えない。


前を歩いていたベテランが振り返った。


「白浜さん」


「はい」


「前どこの橋やってた?」


「初めてです」


男は立ち止まった。


「何が?」


「こういう仕事」


「いやいや」


笑う。


「ほんまは?」


「本当に初めてです」


男はしばらく麻衣を見た。


「嘘やろ」


麻衣は困ったように首を傾げただけだった。


午後。


さらに難しい区画。


身体を低くしなければ通れない足場。


麻衣は安全索を確実に掛け替えながら、するすると進んだ。


速い。


だが雑ではない。


現場主任が後ろから感心した。


「白浜さん」


「はい」


「うち来えへん?」


麻衣が止まる。


「……何がですか?」


「うちの会社」


「?」


「転職」


麻衣は本気で困った。


「実家、和歌山なんですけど」


「寮あるで」


「そういう問題じゃ……」


無線から彩香。


『麻衣』


「はい」


『スカウトされとる場合ちゃうで』


「私から頼んでません」


『分かっとる!』


そして、麻衣だけでは済まなかった。


あかりは資材搬送で目立った。


「これどこ運ぶん?」


「それ重いで。二人で――」


あかりは普通に持ち上げた。


「こっち?」


「……姉ちゃん、力あるな」


「まだ持てるやに」


「うち来えへん?」


彩香。


『またか!』


美音は保守用移動設備の操作説明を一度で理解した。


「河合さん、前に似た仕事しとった?」


「機械は好きなので」


「うち来る?」


彩香。


『何でやねん!』


迫田ツインズは計測担当。


澪香が数値を確認。


澄香が記録。


途中で担当を入れ替えても速度も精度もほとんど変わらない。


作業員が感心した。


「双子って便利やなあ」


澄香。


「便利って……」


澪香。


「家電みたいに言われたね」


美咲は安全書類と入退出管理。


本来なら地味な役割。


だが地味な仕事ほど、美咲は強かった。


作業予定。


人員。


装備。


点検場所。


微妙な食い違いを片端から整理していく。


そして彩香。


安全管理責任者。


「そこ、安全索確認してから」


「工具の落下防止、もう一回」


「次の区画、勝手に入らんと必ず声かけて」


主任が感心する。


「西川さん、現場監督やってた?」


「まあ……人に指示出すんは慣れてます」


「うち来えへん?」


彩香が固まった。


「ウチまで?」


無線。


玲奈。


『適性があるのでしょう』


「誰も転職せえへんから!」


潜入捜査なのか合同就職説明会なのか。


彩香には分からなくなりかけていた。


だが。


仕事ぶりを認められたことは、捜査には大きな意味を持った。


信用される。


警戒されない。


そして。


人は、信用した相手の前では余計なことまで話す。


「そういや最近、変なんよな」


休憩中。


一人の作業員が美咲へ言った。


「何がですか?」


「夜間作業の申請番号。見たことない形式のが混じっとった」


別の作業員。


「設備更新した覚えないのに箱一個増えとる場所もあるで」


美音が位置を確認する。


設備台帳にない。


迫田ツインズが過去の点検記録を照合する。


該当区画だけ、外部協力員の出入りが妙に多い。


麻衣が実際に通路へ入り、離れた位置から現物を確認。


小型筐体。


見た目は既存設備と同じ色。


だが固定方法が違う。


通信アンテナらしきものも巧妙に隠されている。


無線。


『見つけた』


玲奈。


『確認できますか』


「黒い箱。一つ。設備番号なし」


彩香。


『触らんといて。回収役まで泳がす』


「了解」


黒鷹側の交換予定は二日後。


夜間保守時間。


県警は橋の両側へ配置。


出入口も押さえる。


NSTは橋内部。


逃げようがない。


彩香は図面を見ながら思った。


今度こそ。


今度こそ予定通り終わる。


そして、その二日後。


神戸放送のロケ車が入ってきた。


彩香はモニターを見た。


三秒。


「……何でおんねん」


玲奈。


『神戸放送ですね』


「見たら分かります」


レポーターが車から降りる。


三好さつき。


彩香は椅子へ深く座り込んだ。


「嫌な予感しかせえへん」


澪香。


『普通の取材じゃないですか?』


「普通の取材が一番怖いねん」


今回の企画。


『巨大橋を守る、知られざるプロフェッショナルたち』


普段テレビへ映らない特殊点検員を紹介する。


それ自体はいい企画だった。


何も悪くない。


悪いのはタイミング。


そして、さつきの人間関係だった。


ディレクターが主任に声をかける。


「若い女性スタッフさん、いましたよね?」


主任。


「ああ、白浜さん?」


彩香。


「アカン」


「めっちゃ仕事できる子ですよ」


「アカンて!」


ディレクター。


「ぜひインタビューを」


無線。


『麻衣、逃げて』


麻衣。


『どこへ?』


『何でもええから!』


主任が大声。


「白浜さーん! テレビ出えへん?」


麻衣は空を見た。


逃げ道はなかった。


数分後。


カメラ。


マイク。


ヘルメット姿の麻衣。


そして。


さつき。


「あれ?」


麻衣。


「……」


さつきが一歩寄る。


「麻衣ちゃん!」


監視室。


彩香が両手で顔を覆った。


「終わった……」


「何してるの?」


麻衣。


「橋の点検」


「え?」


「橋、見てる」


「アルバイト?」


「……まあ、そんな感じ」


さつきの目が輝く。


「すごいやん!」


そこからが長かった。


「高いとこ怖ないん?」


「大丈夫」


「さっきめっちゃ細いとこ歩いてたよな!」


「うん」


「前からやってるん?」


「今日が初めて」


「ええっ!?」


現場主任が横から入る。


「白浜さん、初めて言うてますけど誰も信じてへんのですわ」


「やっぱり!」


さつきは大喜び。


「麻衣ちゃん何でもできるなあ!」


「そうでもない」


「いやいや。みかん農家で、戦隊ヒロインやって、今日は橋梁点検って肩書き増えすぎやろ!」


彩香。


『さつき、そこまで掘らんでええ!』


当然聞こえない。


「高所作業の魅力って何?」


麻衣は少し考えた。


「……景色?」


彩香。


『あかりみたいなこと言わんといて!』


数百メートル離れた保守区画。


一人の男がその撮影を見ていた。


黒鷹の回収役だった。


若い女。


今日が初めて。


なのに作業員が認めるほど熟練している。


テレビカメラ。


予定にない撮影。


男の疑念が膨らむ。


携帯端末を操作。


短い通信。


――予定変更。


――回収を前倒しする。


――即時撤収。


黒鷹が動いた。


最初に気づいたのは美音だった。


予定にない保守用移動設備が動く。


「彩香さん」


『何?』


「中央側。予定外の移動」


同時に迫田ツインズ。


澄香。


『未登録の機器ケースが移動してる』


澪香。


『作業予定にない人員も二人』


美咲。


『記録と一致しません』


玲奈。


『黒鷹が動きました』


彩香の表情が変わった。


さつきへのボヤキ。


スカウト話。


全部消える。


立ち上がる。


「全員、作戦変更」


麻衣。


『インタビュー終わった』


「現場戻って」


あかり。


『待ってましたやに』


「観光気分は終わりや!」


美音。


『対象、中央方向』


「先回りできる?」


『できます』


「迫田ツインズ、センサー追って」


『了解』


「美咲、一般作業員の動線切って」


『了解』


最後に。


彩香が静かに言った。


「ほな――始めよか」


鋼鉄の巨大迷宮で。


狩りが始まった。


黒鷹の男はケースを抱え、保守通路を急ぐ。


狭い。


風が鳴る。


靴音が金属床へ響く。


背後。


何も聞こえない。


振り返る。


誰もいない。


前へ。


梯子。


一段下。


さらに進む。


そして顔を上げた。


麻衣がいた。


「止まって」


男が息を呑む。


「お前……」


「それ、置いて」


「どけ!」


拳。


麻衣は半歩。


それだけで外す。


狭い通路。


大柄な男は腕を振り回せない。


麻衣には必要ない。


手首。


肘。


肩。


相手の勢いを横へ流す。


鋼材へぶつけない。


柵の外へも行かせない。


安全な方向だけへ崩す。


男の膝が床へつく。


もう一人。


工具を手に突っ込む。


横薙ぎ。


麻衣は身体を沈めた。


風を切る音。


その下を抜ける。


背後。


脚を払う。


腕を取る。


男が倒れる。


紀州の舞姫。


足場の広さなど関係ない。


広ければ大きく舞う。


狭ければ小さく舞う。


必要なのは、自分が動ける幅を知ることだけ。


風。


鉄。


海。


全てが麻衣の舞台になった。


だが責任者はケースを持って逃げている。


美音の声。


『中央側へ移動』


彩香。


「美音」


『はい』


「前へ出て」


『了解』


美音は別区画の保守移動設備へ乗った。


機械音。


走行速度。


対象との距離。


構造図。


頭の中で全てを組み合わせる。


遠州の勇者は、追わない。


先へ行く。


迫田ツインズはセンサーを見る。


澪香。


「対象、右へ」


澄香。


「次、二手に分かれる」


美咲。


『左側を閉じます』


「一般作業員は?」


『全員退避済み』


安全扉。


ロック。


逃走路が一つ消えた。


黒鷹の責任者は知らなかった。


自分は逃げているのではない。


追い込まれている。


下層点検床。


海が見えた。


風が強い。


その中央に。


あかり。


「来たに」


男が叫ぶ。


「どけ!」


あかりは笑った。


「嫌やに」


突進。


あかりも前へ。


激突。


男の身体が止まる。


あかりは一歩。


さらに一歩。


押し返す。


別の工作員が横から来る。


あかりは安全柵方向へ追い込まず、身体を返した。


橋中央。


逃げられる方向を限定する。


「高いところで暴れたら危ないやに!」


「お前が一番突っ込んでるだろ!」


「私は止めとる方やに!」


肩から入る。


工作員が後退。


四日市の突貫娘。


高所でも。


海の上でも。


やることは変わらない。


突破口がなければ、自分で作る。


そこへ上段から麻衣。


「右」


「はい!」


あかりが正面。


麻衣が側面。


一人があかりを避ける。


麻衣。


腕を流す。


あかりの方へ戻す。


「おかえりやに!」


男が絶望的な顔をした。


二人を制圧。


責任者だけが先へ。


美音。


『主塔側へ誘導できました』


澪香。


『出口はあと二つ』


澄香。


『一つは私たちが閉じる』


美咲。


『もう一つはこちらで』


責任者は走る。


主塔内部へ。


広い保守区画。


ようやく逃げられると思った。


だが。


中央。


一人の女。


西川彩香。


風鳴り。


鋼鉄の影。


巨大ケーブル。


その向こうに海峡。


彩香は腕を組んでいた。


「遅かったな」


男が止まる。


「誰だ」


彩香は腕を解く。


「兵庫の橋で好き勝手しとる奴に、名乗る義理ある?」


男は右を見る。


美音。


左。


迫田ツインズ。


後ろ。


麻衣。


あかり。


さらに美咲。


完全に囲まれていた。


「……くそっ」


男が彩香へ突っ込む。


一番突破しやすいと思ったのかもしれない。


間違いだった。


拳。


彩香は外す。


腕を取る。


男が振りほどく。


彩香は下がらない。


「通信の中継器置く場所」


二撃目。


かわす。


「他になかったんか?」


男が蹴る。


彩香は身体をずらす。


懐へ。


「よりによって」


肩。


腕。


「兵庫の橋まで犯罪道具にしやがって!」


播州の烈火。


一度燃えれば速い。


だが以前のように、ただ熱いだけではない。


麻衣が追い込み。


あかりが押し。


美音が進路を読み。


迫田ツインズが出口を塞ぎ。


美咲が全体を繋いだ。


全員が作った一点へ。


彩香が火を落とす。


男がケースを抱え直す。


「どけ!」


「嫌や」


拳。


彩香が受け流す。


「ここな」


男の腕を取る。


「毎日どんだけ人が通っとる思てんねん!」


身体を返す。


ケースが宙へ。


澄香。


受け取る。


「確保!」


男が怒鳴る。


最後の抵抗。


彩香の腕を振り払う。


もう一度。


真正面。


彩香は一歩踏み込んだ。


「海峡千メートルあってもな――」


拳を外す。


腕を捻る。


男の重心が崩れる。


「逃げ場ないんや!」


床へ。


完全制圧。


男の腕が動かなくなる。


一瞬。


風の音だけが残った。


玲奈。


『全対象の確保を確認』


橋外では、待機していた兵庫県警が黒鷹協力者を一斉確保。


偽装された通信中継器。


暗号化媒体。


通信履歴。


資金移動指示。


国内協力者一覧。


すべてが押収された。


明石海峡大橋には損傷なし。


一般交通への影響なし。


観光施設も通常運営。


観光客は海を見ていた。


車は走っていた。


貨物船は橋の下を通った。


誰も知らない。


巨大橋の内側で。


数十分前まで追跡戦が繰り広げられていたことなど。


そして三好さつきも。


「普段は見えないところで、橋の安全を守る皆さんがいるんですね!」


笑顔でカメラへ向かっていた。


その後ろ。


かなり遠い保守区画では。


黒鷹が県警車両へ連行されていた。


数日後。


ヒロ室西日本分室。


テレビ。


例の神戸放送。


『今日は明石海峡大橋を支える、知られざるお仕事をご紹介します!』


画面。


安全装備姿の麻衣。


彩香は開始三十秒で頭を抱えた。


「もうアカン」


あかりがどら焼きを食べながら訊く。


「何が?」


「全部や」


テレビ。


さつき。


『麻衣ちゃん、何してるの? 橋の点検のアルバイト? 凄いね!』


麻衣。


『……そんな感じ』


彩香。


「何回見てもアカン!」


美音が笑う。


「視聴者には好評だったそうですよ」


「それが余計腹立つねん!」


『今日が初めてなん?』


『うん』


主任。


『初めて言うてますけど、誰も信じてへんのですよ』


彩香がテレビを指さす。


「主任さん! そこで証言せんでええ!」


麻衣。


「主任さん悪くないです」


「分かっとる!」


澪香。


「麻衣、本当に上手だったから」


澄香。


「本気で採用したがってたよね」


彩香の目が光る。


「そう! それ!」


全員。


「?」


彩香は指を折り始めた。


「麻衣、スカウト」


一本。


「あかり、スカウト」


二本。


「美音、スカウト」


三本。


「美咲、“記録管理で来えへんか”」


四本。


「迫田ツインズも“計測部門でどうや”」


五本。


「最後、ウチまで現場監督で誘われた!」


あかり。


「全員人気者やったやに」


「喜ぶとこちゃう!」


美咲が穏やかに言う。


「でも、それだけ自然に潜入できていたということでは?」


「成功しすぎやねん!」


玲奈は書類から目を上げた。


「自然に溶け込むことが潜入任務の基本です」


「玲奈さんまで!」


美音。


「黒鷹が動いたきっかけは、さつきさんの取材でしたけど」


彩香が止まる。


「それ言わんといて」


澄香。


「予定より早く確保できました」


「結果論!」


麻衣。


「通信媒体も無事でした」


「それも分かっとる!」


あかり。


「景色もめっちゃよかったに」


彩香が振り返る。


「お前は何でまだ観光感想言うてんねん!」


「ほんまにきれいやったんやに」


「そこ否定してへん!」


麻衣が小さく笑った。


美音も。


迫田ツインズも。


美咲も。


彩香のボヤキは止まらない。


「そもそもやな」


「はいはい」


「何でさつきさん、広い明石海峡大橋でピンポイントに麻衣見つけんねん」


麻衣。


「主任さんが呼んだから」


「ほな何で主任さんは麻衣呼ぶねん」


「仕事してたから」


「何でそんな目立つほど仕事すんねん!」


麻衣が真顔で答えた。


「潜入だから」


彩香。


「……」


一同。


「……」


あかりが笑った。


「負けたやに」


「負けてへん!」


美音。


「次に橋梁会社から仕事頼まれたらどうします?」


「断る!」


麻衣。


「主任さん、連絡先くれたけど」


「何でもろてんねん!」


あかり。


「私ももろたに」


「お前も!?」


澪香。


「私たちも」


澄香。


「一応」


彩香。


「全員か!」


美咲が静かに手を上げた。


「私もです」


「美咲まで!」


分室が笑いに包まれた。


テレビの中。


夕暮れ。


明石海峡大橋。


海面が橙色に輝いている。


巨大な橋の上を、車が絶え間なく流れていく。


さつきのナレーション。


『私たちが安心して橋を渡れるのは、見えない場所で橋を守り続けている人たちがいるからなんですね』


その瞬間だけ。


西日本分室が静かになった。


彩香はテレビを見る。


少しだけ口元を緩めた。


「……まあ」


麻衣。


「?」


「そこは、ええこと言うてる」


あかり。


「珍しく褒めたやに」


「“珍しく”はいらん!」


また笑いが起きる。


玲奈は少し離れた席から、その光景を見ていた。


数日前。


同じ女たちは。


海峡の遥か上にいた。


足元には鉄。


その下には海。


強風。


鋼材。


逃げ場のない巨大な空間。


そこで。


紀州の舞姫が舞った。


四日市の突貫娘が道を破った。


遠州の勇者が敵の先を読んだ。


迫田ツインズが左右を塞いだ。


美咲が全員の動きを一つへ繋いだ。


最後に。


播州の烈火が燃えた。


今日は。


潜入先で何人スカウトされたかで揉めている。


それでよかった。


明石海峡大橋では今日も、無数の車が海峡を渡る。


誰も知らない。


橋の奥に、黒鷹の通信中継器が隠されていたことを。


誰も知らない。


白浜麻衣が鋼鉄の通路を駆け。


山本あかりが海を見て「きれいやに」と笑い。


河合美音が敵の先へ回り。


迫田ツインズと春日美咲が逃げ道を消し。


西川彩香が最後の一人を叩き伏せたことを。


知らなくていい。


橋は。


橋であればいい。


人と人を結び。


島と街を結び。


何事もなく、今日も海峡の上に立っていればいい。


影で何があったかなど。


誰も知らなくていい。


それが。


西日本特別諜報班NSTの仕事だった。


そして影から戻れば。


「せやから次、橋の仕事来ても絶対受けへんで!」


「主任さん、また来てって言ってた」


「麻衣!」


「私も行きたいやに」


「あかり!」


「景色きれいだったし」


「美音まで!」


明るい声。


笑い声。


彩香のボヤキ。


玲奈の僅かな微笑み。


今日もヒロ室西日本分室は。


海峡を吹き抜ける風とは正反対に。


どうしようもなく騒がしかった。

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