霧の18番、消えたスコアカード ――六甲・黒鷹クラブハウス会談を暴け
神戸は、異国から流れ着いた文化を、自分の血へ変えることに慣れた町だった。
洋服。
洋菓子。
ジャズ。
映画。
そして、ゴルフ。
明治の終わり、英国人貿易商アーサー・ヘスケス・グルームは、六甲山上の荒れた土地へ仲間とともにゴルフコースを造った。
最初は四ホール。
山肌を覆う笹を刈り、石を拾い、起伏の激しい土地を人の手で整えた。やがてコースは九ホールとなり、日本で最初のゴルフ倶楽部が生まれた。
海の向こうから持ち込まれた小さな白球は、港町の背後にそびえる山で、日本のスポーツ文化の一つになった。
百年以上が過ぎた今も、六甲山上にはゴルフの古い時間が残っている。
深い森。
狭いフェアウェイ。
山肌に沿った打ち上げと打ち下ろし。
谷へ向かって傾くラフ。
突然、コースを白く塗り潰す濃霧。
自然を力で押さえ込んだコースではない。
山の機嫌を読み、風と地形へ頭を下げながら、一打一打を積み重ねる場所だった。
黒鷹は、その由緒を利用した。
歴史ある場所ほど、人は安心する。
ゴルフをしている男たちは、ただの財界人に見える。名門コースのクラブハウスへ高級車で乗りつけ、上等なウェアを着て、談笑しながら十八ホールを回る。
誰も、そのスコアカードに血の匂いが染みついているとは思わない。
黒鷹のフロント企業「六甲ネクサス開発」。
表向きは、経営難のゴルフ場や保養施設を買収し、観光資源として再生する投資会社だった。
だが裏では、会員権売買、土地取引、改修工事費を利用して黒鷹の資金を洗浄していた。
五百万円の会員権を、五千万円で売買する。
使途不明金は、コース改修費へ化ける。
政治家へ渡す金は、法人会員権の購入費として帳簿へ記される。
さらに同社は、兵庫県内で計画されている複数の公共事業へ食い込んでいた。
山間部道路の整備。
県有施設の再開発。
観光拠点の改修。
防災設備の大量発注。
別々の企業が競争入札へ参加しているように見える。
しかし企業を一枚ずつ剥がしていけば、同じ金脈へつながっていた。
その先にいるのは、県政界の大物だった。
かつて県民の強い反発を受け、リコールによって失職した知事。その人物と深い関係を持ち、現在も県議団へ強い影響力を及ぼしている大物県会議員。
黒鷹は、その県会議員を政治側の窓口として利用している疑いがあった。
入札の予定価格。
参加企業の一覧。
県幹部の人事。
監査の日程。
情報は県庁から漏れ、フロント企業へ渡り、最後には黒鷹の利益へ変わる。
だが、証拠がなかった。
電話を使わない。
電子メールを送らない。
料亭にも集まらない。
男たちはゴルフ場で話す。
一日かけて同じ組で歩いても、誰も怪しまない。
クラブを選ぶふりをして、入札案件を確認する。
風向きを読むふりをして、送金額を伝える。
スコアを記録するふりをして、企業番号と口座を残す。
数字はすべて暗号だった。
一番ホールの「5」は、五番目のフロント企業。
二番ホールの「4」は、四億円。
三番ホールに記されたバンカーの印は、金を一度海外へ移す指示。
ゴルフのスコアに見せかけた、黒い帳簿だった。
その日の朝。
六甲山には薄い霧が漂っていた。
クラブハウスの一室で、岡本玲奈は美咲と麻衣へ最後の指示を伝えた。
「目的は三つです」
玲奈はテーブルへ二組の顔写真を並べた。
「フロント企業の会話を記録する。暗号スコアカードを確保する。そして、政治側の窓口となっている県会議員の氏名を特定する」
美咲は第一組。
黒鷹の兵庫地区幹部、六甲ネクサス開発の専務、公共工事を請け負う建設会社社長を担当する。
麻衣は第二組。
六甲ネクサス開発の会長、財務担当役員、会員権仲介会社の代表へ付く。
二人の服装は、ゴルフ場のキャディーそのものだった。
目立たない帽子。
動きやすい制服。
プレーヤーのクラブを運ぶための装備。
キャディーは、誰よりもプレーヤーの近くにいる。
だが、誰よりも存在を忘れられやすい。
「核心へ届くまで、こちらから動かないでください」
玲奈が言った。
「黒鷹がキャディーを背景だと思っている間だけ、作戦は成立します」
美咲が頷く。
「背景のまま、全部聞きます」
麻衣も穏やかに答えた。
「相手に話している意識を持たせません」
西川彩香は別室の監視卓で、二人の通信を受ける。
「今回は戦闘なしで終わらせたいな」
「最初からその予定です」
玲奈が答える。
「予定どおり終わったら、ですけどね」
彩香の言葉に、理由のない不安が混じっていた。
第一組がスタートする。
黒鷹幹部は、美咲を一度見ただけだった。
「残りは?」
「百五十二ヤードです。右側は谷になります」
美咲は必要なことしか言わない。
男が七番アイアンを選ぶ。
建設会社社長が笑う。
「右へ落とすと、例の山間道路みたいに戻ってこないな」
専務が声を低くする。
「あの案件なら問題ない。予定価格は押さえてある」
黒鷹幹部が周囲を見る。
美咲はプレーヤーのボールだけを見ていた。
関心がないように見せる。
「先生のところへは?」
建設会社社長が尋ねる。
「次の茶店で確認する。県議団は先生がまとめる」
美咲は無線の送信ボタンを、グローブ越しに短く押した。
「第一組。山間道路事業の予定価格を事前に把握。県議会関係者を『先生』と呼んでいます」
数ホール後方。
第二組では、麻衣が六甲ネクサス開発の会長へパターを渡していた。
「このコースの会員権は、やはり高価なのでしょうか」
何気ない質問だった。
財務担当役員が得意げに答える。
「値段は買う人間次第だ。五百万のものでも、相手が必要なら五千万になる」
麻衣は小さく目を見開く。
何も知らない者の反応。
「そんなに違うものなんですね」
「名義と理由を用意すれば、金はいくらでも動かせる」
会長が役員へ視線を送る。
役員は口を閉じた。
麻衣はそれ以上聞かなかった。
「ゴルフの世界は奥が深いですね」
相手を追わない。
だから相手は、もう一度油断する。
次のティーグラウンドへ歩きながら、会長が言う。
「例の先生の分も、会員権購入費で処理しろ」
「前の知事との関係が表へ出ませんか」
「今さらだ。県議団から圧力をかければ、監査も動けない」
麻衣の表情は変わらなかった。
「第二組。会員権を利用した資金洗浄を認める発言。失職した知事と県議団に関する言及あり」
監視卓で、彩香が腕を組む。
「順調すぎるな」
「まだです」
玲奈の声は冷たい。
「名前が出るまでは、ただの影です」
ホールを重ねるごとに、影は濃くなった。
公共事業の入札番号。
架空の改修工事。
フロント企業三社。
北摂方面を経由する送金ルート。
暗号カードを受け渡すロッカー番号。
美咲と麻衣は別々の組に付きながら、無線の短い言葉だけで情報をつないでいく。
「第一組、『北摂ライン』を確認」
「第二組でも同じ言葉が出ました。海外送金へつながる中継会社だと思われます」
「専務が十八番終了後に先生の件を確認すると発言」
「会長も最終ホールで名前を伝える予定です」
任務は完璧だった。
完璧すぎて、不気味だった。
十五番ホール。
六甲ネクサス開発の会長が、カップからボールを拾い上げながら言った。
「あの知事がいなくなってから、県庁が動きにくい」
財務担当役員がスコアカードへ数字を書く。
「知事はいなくなっても、先生は残っている。県議団をまとめられるのは、あの人だけです」
「次の選挙までに恩を売る。黒鷹側にも、そう伝えろ」
麻衣はパターを受け取った。
指先は動かなかった。
呼吸も乱れない。
だが、胸の奥で核心が近づいているのを感じていた。
第一組でも、同じ人物の話が出る。
「十八番の後で、先生の名前を最終確認する」
黒鷹幹部が言った。
「姓はカードへ書くな。口頭だけだ」
美咲は山の風へ目を向けた。
あと三ホール。
あと数十分。
その人物の名が出れば、県政界と黒鷹を結ぶ線が、一本の証拠になる。
霧はまだ薄い。
視界は良好だった。
その時。
遠くのホールから、女の大声が響いた。
「うわっ、めっちゃ飛んだ!」
直後、男の悲鳴が聞こえる。
「美月さん! そっちは隣のホールです!」
監視卓の彩香が固まった。
「嘘やろ……」
玲奈が顔を上げる。
「誰ですか」
「厄災です」
彩香は頭を抱えた。
「赤嶺美月です」
この日、美月はCS放送の特別番組で、人生初の本格的なコースへ挑戦していた。
撮影スタッフ。
カメラマン。
音声担当。
指導役のプロ。
美月は朝から、いつも以上に機嫌が良かった。
一番ホールのティーショットは、大きく右へ曲がった。
二打目は芝を削っただけ。
三打目は木に当たり、打った場所の近くまで戻ってきた。
バンカーでは、ボールより先に大量の砂を運び出した。
グリーンでは、一打目が弱すぎ、二打目が強すぎ、三打目で元の位置近くまで戻った。
それでも美月は笑っていた。
「今の、前より飛んだやろ!」
指導役が冷静に答える。
「横へです」
「飛距離は出たやん!」
「隣のホールへ入っています」
「細かいこと言うな。楽しかったらええねん!」
彩香が呻く。
「よりによって、あのアホツインテール、今日がコースデビューなんか……」
第二組に付いている麻衣が、無線で尋ねる。
「そこですか?」
「そこや。ある程度うまかったら、ボールも本人もフェアウェイの周辺におる。初心者はどこへ飛ばすか分からへん」
「確かにそうですが」
「黒鷹より行動が読めへん。六甲山へ放たれた自然災害や」
玲奈が制止する。
「任務に集中して」
「集中してます。任務上最大の不確定要素を分析しとるんです」
彩香の分析は、すぐに正しいと証明された。
美月が次のティーショットを打つ。
クラブがボールを捉えた。
大きく左へ曲がった。
林へ入る。
木の幹へ当たる。
斜面を跳ねながら転がる。
そして、美咲が担当する黒鷹の組のラフへ止まった。
「ウチのボール、あっち行ったで!」
スタッフが止める。
「隣の組がプレー中です! 待ってください!」
「取って戻るだけや!」
美月はクラブを片手に走り出した。
ツインテールが六甲の風に跳ねる。
ラフを駆け下り、木々の間を抜ける。
最初に美咲を見つけた。
「美咲やん!」
美咲の目が、一瞬だけ閉じかけた。
美月はさらに麻衣を見つける。
「麻衣までおるやん! 何してん?」
黒鷹の男たちが振り返る。
美月は何も知らない。
何も気づかない。
「二人そろってキャディーのアルバイトか? 六甲山の上まで来て大変やなあ!」
美咲は低い声で言った。
「美月さん。プレー中です。元のホールへ戻ってください」
「ウチ、今日がコースデビューやねん!」
「そうですか」
「スコアは散々やで。もう何打打ったか、途中から分からへん。でも、めっちゃ楽しい!」
麻衣が穏やかな声で追い返そうとする。
「後ろの組も来ます。早く戻った方がいいですよ」
「なあ、今度みんなでコンペやろうや」
美月は止まらなかった。
「戦隊ヒロインチャレンジカップ。ええ名前やろ?」
「今は仕事中です」
「優勝賞品は、どうせ麗奈ちゃんクリアファイルやろけどな」
監視卓で、玲奈の指が止まった。
彩香が呟く。
「麗奈ちゃんクリアファイルって何やねん」
美月は楽しそうに続ける。
「ヒロ室はケチいうか、貧乏すぎるねん。普通、ゴルフコンペやったら旅行券とか家電とか出すやろ。それがクリアファイル一枚。しかも昔のイベントで余ったやつ」
玲奈が無線へ入る。
「そのようなコンペも景品も存在しません」
「玲奈さん、そこを訂正する場合ちゃいます!」
彩香が叫ぶ。
美月は黒鷹幹部へ愛想よく頭を下げた。
「すみません。ウチの仲間がアルバイトしてたんで、つい話し込んでもうて」
黒鷹幹部の目が変わった。
「仲間?」
その一言で、すべてが終わった。
男は美咲を見る。
次に、少し離れた場所の麻衣を見る。
それまで背景にすぎなかった二人が、突然、戦隊ヒロインの関係者として輪郭を持った。
黒鷹幹部は笑わない。
六甲ネクサス開発の専務が、スコアカードを閉じた。
会長は視線だけで財務担当へ警告した。
美月は何も気づかず、自分のボールを拾った。
「ほな戻るわ。今度ほんまにコンペやろうな!」
返事を待たずに走り去る。
数メートル先で足を滑らせ、両腕を大きく広げて耐えた。
「危なっ! ゴルフ場って走りにくいな!」
彩香の低い声が無線へ流れた。
「走る場所ちゃうわ……」
美月が去った後、コースへ沈黙が落ちた。
黒鷹の男たちは天気の話しかしない。
「霧が出そうだ」
「風向きが変わった」
「今日のグリーンは速い」
企業名は出ない。
金額も出ない。
政治家の話は、一切消えた。
美咲は自然な声で尋ねた。
「先ほどのお話に出ていた先生も、こちらでプレーされるのですか?」
黒鷹幹部が美咲の目を見る。
冷たい視線だった。
「何の話だ?」
第二組で、麻衣も探りを入れる。
「会員権の名義変更について、クラブ側へ確認されますか?」
財務担当役員は即答した。
「仕事の話ではない」
終わっていた。
扉は閉じた。
核心となる大物県会議員の名は、男たちの喉の奥へ戻された。
それでも、美咲と麻衣は任務を捨てなかった。
残された情報を取る。
スコアカードへ記された数字を、小型カメラで記録する。
クラブを手渡す際に、カードの署名欄を確認する。
麻衣はタオルを落としたふりをして、封筒へ記された番号を読み取る。
美咲は男たちが小声で交わしたロッカー番号を聞き逃さない。
十八番ホール。
霧が濃くなり始める。
フェアウェイの先が白くかすむ。
黒鷹幹部は最後まで政治家の名を口にしなかった。
ホールアウト後、署名されたスコアカードは封筒へ入れられ、クラブハウスの会員用ロッカーへ運ばれる。
県警とNSTは、回収役が現れる直前に動いた。
スコアカードを確保。
受け渡し役も押さえる。
暗号を解析すれば、フロント企業、資金額、公共事業の番号が明らかになる。
任務は成功だった。
ただし、完全ではない。
ヒロ室西日本分室へ戻った後、玲奈は報告書を閉じた。
「任務達成率は、約七割です」
彩香が腕を組む。
「黒鷹の資金洗浄方法、フロント企業三社、入札情報の不正入手、クラブハウスを使った受け渡し。十分な成果や」
「政治側の窓口は特定できていません」
玲奈は冷静に付け加えた。
美咲は机へ置かれた証拠写真を見つめている。
普段なら、得られた成果を冷静に受け止める。
だが、この日は違った。
「あと数分でした」
短い言葉に、不満がにじんでいた。
「黒鷹幹部は、十八番の後で名前を確認すると言っていました。美月さんが来なければ、聞き出せた可能性が高いです」
麻衣も珍しく、穏やかな表情を崩している。
「会長は失職した知事との関係まで話していました。姓を口にする直前だったんです」
二人は核心を遠くから見ていたのではない。
手を伸ばせば届くところまで来ていた。
自分たちの観察力と会話の誘導で、黒鷹の警戒を崩していた。
それを一瞬で元へ戻したのが、美月だった。
美月に悪意はない。
むしろ、まったくない。
だからこそ腹が立つ。
彩香は、モニターへ映るCS番組の映像を見た。
美月がバンカーにいる。
クラブを大きく振る。
砂が豪快に飛ぶ。
ボールは数センチしか動かない。
美月は満足そうにカメラへ振り返る。
「今の、砂はめっちゃきれいに飛んだやろ!」
彩香のこめかみが動いた。
「あのアホツインテール、もう堪忍ならん。バンカーに埋めたる」
いつもなら、麻衣が止める。
しかし、この日は止めなかった。
「今度また任務を邪魔したら、池へ沈めましょうか」
彩香が麻衣を見る。
「麻衣までどうしたん?」
「頭まで沈めると危ないので、ツインテールだけ水面へ出しておきます」
「妙に具体的やな!」
美咲も腕を組んだ。
「グリーンの旗を持たせて、一日中ピンの代わりに立たせる方がよいかもしれません」
「美咲も乗ってきた!」
麻衣は真顔で頷く。
「美月さんなら遠くからでも見つけられます」
美咲が付け加える。
「ツインテールの揺れで風向きも判断できます」
彩香は一瞬考えた。
「確かにキャディーには便利――って、何を真面目に検討しとんねん!」
麻衣の声は静かだが、怒りは消えていない。
「その前に、コース内のロストボールをすべて拾ってもらいます」
「美月さん自身が大量になくしています」
美咲も淡々と続ける。
「まず自分のボールから探していただきましょう」
彩香は机を叩いた。
「ほな首から『任務妨害・二打罰』いう札を下げて、バンカーに半分埋めたる!」
美咲と麻衣が同時に尋ねた。
「それって意味ありますか?」
彩香は即答した。
「ないわボケェ!」
玲奈の口元が、わずかに緩んだ。
普段なら見逃す程度の変化だった。
だが、今日の美咲と麻衣は観察力が研ぎ澄まされている。
麻衣が玲奈を見る。
「玲奈さん、今笑いましたね」
「笑っていません」
美咲も視線を向ける。
「普段より明確に緩みました」
「任務報告を続けてください」
彩香はモニターを指差す。
「次にアホツインテールがゴルフ場へ来る日は、コースを全部封鎖したる」
麻衣が言う。
「美月さんもプレーできなくなります」
「それが目的や!」
「番組収録はどうするんですか」
美咲が尋ねる。
「パターゴルフで十分や!」
麻衣は首を横へ振った。
「美月さんなら、パターでも隣のコースへ打ち込む可能性があります」
彩香は天井を仰いだ。
「もうクラブ持たせるな……」
その時、番組はラウンド終了後のインタビューへ切り替わった。
スタッフが美月へマイクを向ける。
「初めての本格コースはいかがでしたか?」
美月は帽子を脱ぎ、額の汗を拭った。
スコアは散々だった。
空振り。
OB。
バンカーからの脱出失敗。
池。
三桁を大幅に超える打数。
それでも、美月は満面の笑みだった。
「ゴルフ、めっちゃ楽しい! スコアは酷かったけど、また絶対やるで!」
画面下へ、最終スコアが表示される。
分室が静かになった。
彩香は数字をしばらく見つめた。
「……これ、最後まで数えた番組スタッフが一番偉いやろ」
麻衣の険しかった表情が、ほんの少しだけ和らぐ。
「途中で集計を放棄しなかった点は評価できます」
美咲も苦笑した。
「楽しんだことだけは、間違いないようですね」
彩香は椅子へ深く座った。
「こっちは県政界の闇を取り逃がしてんのに、本人は新しい趣味を見つけて大満足かいな……」
玲奈が小さく言った。
「ともあれ、美月はゴルフを楽しんだようです」
彩香が玲奈を見る。
「きれいにまとめんといてください」
「事実です」
「その事実が一番腹立つんです!」
美咲と麻衣が、同時にため息をつく。
だが、二人の口元にも、わずかな笑いが戻っていた。
六甲山の十八番ホールは、深い霧に包まれていた。
日本のゴルフが始まった山。
百年以上前、人々は荒れた山肌を切り開き、一つずつホールを造った。
今、その歴史あるコースを利用し、黒鷹は金と政治を動かそうとした。
美咲と麻衣は、キャディーという目立たない立場から、黒鷹の秘密の七割を暴いた。
残りの三割。
失職した知事と黒鷹を結ぶ大物県会議員の名は、霧の向こうへ消えた。
その霧を呼び込んだ本人は、自分が何を壊したのか知らない。
自分のスコアさえ途中で分からなくなりながら、白いボールを追い、林とバンカーと隣のホールを走り回った。
そして一日の終わりに、満面の笑みで言った。
ゴルフは、めっちゃ楽しい。
黒鷹にとって最大の脅威は、NSTの諜報能力ではなかった。
初心者用クラブを握り、どこへ飛ぶか分からない一打を放つ、陽気なツインテールだった。




