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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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377/384

酒蔵街を抜ける偽りの翼――迫田ツインズ、空港ノイズ密輸線を断て

伊丹の空には、いつも翼の影が落ちる。


白壁の酒蔵。

古い町家。

石畳の路地。


歴史の匂いを残す町の上を、巨大な旅客機が低く横切っていく。機体が雲を切り、ジェットエンジンの轟音が屋根瓦を震わせる。


清酒の歴史を受け継ぐ町。

空の玄関口を抱える町。

古い時間と新しい時間が、狭い市域の中で肩を並べている。


伊丹は、派手に自分を主張する町ではない。


だが歩けば分かる。


酒蔵街には、商いと文化を積み重ねてきた誇りがある。城跡の周囲には、今も町の起点だった記憶が残る。少し移動すれば、住宅街の向こうを旅客機が滑るように降下してくる。


歴史も、暮らしも、空港もある。


黒鷹は、そのすべてを密輸のために利用しようとしていた。


狙われたのは、無人航空機の航法制御へ転用可能な超小型チップだった。


チップは、高級清酒の瓶底へ埋め込まれている。


外から見れば、海外の取引先へ贈られる日本酒の詰め合わせ。丁寧な包装、木箱、銘柄を記した紙札。税関で箱を開けても、ただの高級酒にしか見えない。


だが、瓶底の内側には軍事転用可能な部品が隠されていた。


チップは単体では作動しない。


黒鷹は伊丹市内の三地点に、解除コードを送る認証装置を設けていた。


酒蔵街の受け渡し地点。

城跡周辺の中継地点。

空港側の回収拠点。


航空機が低空を通過する数秒間、周辺は轟音と電波の揺らぎに包まれる。黒鷹はその瞬間だけ、三つの装置から短い認証信号を送る。


ジェット音が、違法通信を隠す蓋になる。


すべての認証を終えた酒箱は空港側の車両へ積まれ、そのまま別の物流網へ入る。荷物だけ押収しても、黒鷹の認証担当は逃げる。受け渡し役だけ捕まえても、回収網は残る。


三地点を、ほぼ同時に押さえなければならない。


玲奈は、分室の作戦会議で地図を広げた。


「正担当は、迫田ツインズ」


澪香と澄香が並んで座っている。


瓜二つの美人姉妹。


幼さを前面に出した双子ではない。二人とも端正で、落ち着きがあり、都会的で洗練された雰囲気を持つ。


一人でも視線を集める。

同じ美貌が二つ並べば、見る者の記憶そのものが揺らぐ。


「黒鷹は監視カメラと顔認証を使っています」


玲奈は三地点へ印をつける。


「二人を、同一人物として認識させます」


澪香が静かに言った。


「酒蔵街で見せる」


澄香が続ける。


「城跡で、もう一度見せる」


「空港側では、再び澪香が現れる。黒鷹には、一人の女性が三地点を異常な速さで移動しているように見える」


副担当に指名されたあかりが、真面目に手を挙げる。


「私は、どこで同じ顔になればいいですか?」


彩香が即座に答えた。


「あんたはならんでええ。そもそも顔が違う」


「そうでした」


「気づくの遅いわ!」


あかりの役目は、空港側の逃走路を塞ぐことだった。


身体能力ならNSTでも屈指。逃走者が車を捨て、細い路地や河川敷へ入っても、あかりなら追いつける。


彩香は念を押す。


「ええか。今回は待機が大事や。勝手に飛び出したらあかん」


「はい」


「知り合いを見かけても、立ち話すな」


「はい」


「特に、この町にはさつきが住んどる」


あかりは首を傾げる。


「お会いしたら、挨拶だけはした方がよいですよね?」


「挨拶はしてもええ。けど、そこで終われ」


「分かりました」


彩香はあかりの顔を見た。


まっすぐな目。

嘘のない返事。


それなのに、不安しかなかった。


「ほんまに分かっとるんやろな……」


作戦は午後から始まった。


酒蔵街には、穏やかな陽が差していた。


白壁の建物。

黒い板塀。

軒先へ落ちる影。


澪香は、海外企業の代理人を装って受け渡し場所へ現れた。


黒鷹の男が、贈答用の酒箱を差し出す。


「中身は確認しない方がいい」


澪香は男の目を見る。


「私は、依頼された物を運ぶだけです」


その冷静な横顔を、路地の角に仕掛けられた監視カメラが捉えていた。


澪香は酒箱を受け取り、ゆっくり歩き出す。


黒鷹の監視担当は、一人の女性が荷物を持って酒蔵街を離れたと判断した。


路地の死角には、澄香が待っている。


上着。

鞄。

酒箱。


二人は短い時間で持ち物を交換する。


「城跡へ」


「空港側へ」


それだけで通じる。


澄香は澪香と同じ歩幅で城跡方向へ向かう。澪香は裏道へ入り、別の車両で空港側へ移動する。


数分後。


城跡周辺の監視カメラが、酒箱を持つ澄香を捉えた。


顔認証は、酒蔵街にいた女性と同一人物だと表示する。


黒鷹の監視員が画面へ顔を寄せた。


「もう城跡へ着いたのか?」


「移動時間が合わない」


「裏道を使ったんだろ」


だが、その直後。


空港側のカメラへ、澪香が現れた。


同じ顔。

同じ髪型。

同じ上着。


監視室が騒然とする。


「待て。女は城跡にいる」


「こっちにもいるぞ」


「映像を戻せ!」


二画面へ、同じ美貌が同時に映っている。


黒鷹の人間は、機械の故障を疑った。

次に、映像の改ざんを疑った。


双子の存在を疑うまでに、時間がかかった。


その遅れが、迫田ツインズの武器だった。


一方。


空港側の封鎖地点へ向かっていたあかりは、駅近くの商業施設前で聞き覚えのある声に呼び止められた。


「あかりちゃん、どうしたん?」


振り返る。


三好さつきが立っていた。


清楚な黒髪。

仕事中より柔らかな私服姿。


隣には、若い男性がいる。


あかりは反射的に姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。


「こんにちは。今日はお休みですか?」


「そうやねん。買い物してから、ご飯食べに行こうと思って」


さつきは隣の男性を紹介した。


あかりも名乗り、礼儀正しく挨拶する。


その瞬間、あかりは気づいた。


以前、さつきと一緒にいた男性とは違う。


髪型が変わった程度ではない。

眼鏡を外したのでもない。


どう見ても、別人だった。


あかりは固まった。


聞いてはいけない。

顔へ出してもいけない。

そもそも任務中だ。


頭の中で三つの警告が鳴る。


さつきが心配そうに尋ねる。


「あかりちゃん、どうしたん? 顔が固いで」


「いえ。何も気にしていません」


「何を?」


「前回と違う、などとは思っていません」


隣の男性が、わずかに眉を動かした。


さつきも首を傾げる。


「前回?」


あかりはすぐに頭を下げた。


「失礼しました。こちらの話です」


本来なら、そこで切り上げるべきだった。


だが、あかりは真面目で律儀だった。


先輩ヒロインであるさつきが、自分へ笑顔で話しかけている。それを「急いでいますので」と軽くあしらうことができない。


さつきは一人暮らしの話を始めた。


近所の店。

最近買った家具。

大学の課題。

仕事で使う衣装。

伊丹で見つけたカフェ。


あかりは、一つずつ丁寧に返す。


「そうなんですね」


「それは良かったです」


「勉強になります」


「この町は暮らしやすそうですね」


無線から彩香の声が飛んだ。


「あかり、配置につけ」


「はい。少々お待ちください」


「何を待っとんねん!」


「さつきさんがお話し中です」


「話を終わらせろ!」


あかりは困った顔で、イヤホンへ小声で答える。


「先輩が楽しそうに話しておられるので、途中で切るのは失礼です」


無線が沈黙した。


彩香が大きく息を吸う音だけが聞こえた。


「もうええ」


「はい?」


「あかりは捨てる」


玲奈がすぐに確認する。


「作戦要員から外す、という意味ですね」


「そうです。あいつを待っとったら、黒鷹が酒箱抱えて外国まで行ってまう」


玲奈は迫田ツインズへ指示を切り替える。


「計画を変更します。空港側の逃走路も二人で処理してください」


澪香が答える。


「了解」


澄香が続ける。


「二人で足りる」


その時、旅客機が伊丹の空へ低く進入した。


巨大な影が町を覆う。


ジェットエンジンの轟音が、酒蔵の白壁と住宅街の窓を震わせた。


黒鷹が動く。


城跡周辺の認証担当が、通信装置を起動する。


澄香は石段を上がり、男の背後へ迫る。


男が振り返る。


「お前は空港側にいたはずだ!」


「そう見えましたか」


男は簡易スタン装置を抜いた。


澄香は半歩だけ下がる。

電極が空を切る。


手首を外側へ流す。

男の重心が前へ崩れる。


澄香は背後へ回り、腕を取った。


男の膝が石畳へ落ちる。


通信装置のランプが点滅する。


澄香は端末を奪い、認証信号を停止させた。


「城跡側、封鎖」


一方、空港側では回収車両が酒箱を積んで走り出していた。


本来なら、あかりが止める。


だが、あかりはまだ、さつきからカフェの限定メニューについて説明を受けていた。


澪香が車両を追う。


回収車両は幹線道路へ抜けようとする。


澪香は正面から止めない。


路地へ先回りし、運転手が避けたくなる位置へ立つ。


男は、澪香の姿を認めて急ハンドルを切った。


「なぜ先にいる!」


車両が狭い道へ入る。


澪香は無線で短く言った。


「西へ追い込んだ」


澄香が返す。


「十五秒」


認証装置を停止させた澄香は、裏通りを駆けた。


白壁の間を抜ける。

低い塀を越える。

町家の角を曲がる。


二人の間に、長い説明はいらない。


澪香が相手を動かす。

澄香が、その先へ立つ。


回収車両が角を曲がった。


前方に、澄香。


運転手は息を呑んだ。


後方から追っていた女が、いつの間にか前方へいる。


急ブレーキ。


タイヤが路面を擦る。


車両が止まる。


責任者が酒箱を抱えて飛び出した。


前方には澄香。

後方には澪香。


同じ端正な顔。

同じ落ち着いた眼差し。


男は二人を見比べる。


「どちらが本物だ」


澪香が答える。


「両方」


澄香が続ける。


「一人だと思った時点で、あなたの負け」


男が澪香へ突進する。


澪香は腕を受けず、横へ流す。


男の意識が澪香へ向いた瞬間、澄香が酒箱を奪った。


男が振り返る。


澪香が足元を崩す。

澄香が腕を取る。


二人の動きは、鏡のようだった。


一人が引けば、もう一人が押す。

片方が視線を奪えば、もう片方が懐へ入る。


男は、最後までどちらを警戒すべきか判断できなかった。


石畳へ押さえ込まれる。


航空機の轟音が遠ざかる。


認証の時間は過ぎた。


酒瓶に埋め込まれたチップは解除されず、空港側の密輸線は沈黙した。


県警部隊が到着する。


受け渡し役。

認証担当。

回収車両。

酒瓶に隠された超小型チップ。


すべてが押収された。


玲奈が静かに告げる。


「任務完了」


迫田ツインズだけで、作戦は完遂された。


その頃。


さつきはようやく腕時計を見た。


「あ、ごめん。長いこと引き止めてもうたな」


あかりは丁寧に頭を下げる。


「いえ。貴重なお話をありがとうございました」


さつきと男性を見送った後、あかりは彩香へ連絡する。


「彩香さん、今から配置につきます」


返ってきた声は、乾いていた。


「もう知らん」


通信が切れる。


あかりは端末を見つめた。


「かなり怒っておられますね」


気づくのが遅すぎた。


ヒロ室西日本分室へ戻ると、空気が張りつめていた。


任務自体は成功している。


だが、本来三人で負うべき作戦を、迫田ツインズだけで完遂した。玲奈は報告書を確認し、澪香と澄香は淡々と経過を説明する。


その横で、彩香が腕を組んで待っていた。


あかりが入室すると、彩香は顎で正面を示す。


「そこ立て」


「はい」


あかりは直立した。


彩香の説教が始まる。


任務中に私的な会話へ引き込まれないこと。

先輩への礼儀より、仲間の安全を優先すること。

相手を軽くあしらえないなら、任務中であることを伝えて立ち去ること。


「挨拶すなとは言うてへん!」


「はい」


「けど、なんで家具の話からカフェの限定メニューまで聞いとんねん!」


「さつきさんが詳しく説明してくださったので」


「聞くな!」


「途中で話を切るのは失礼かと」


「任務を切っとる方が失礼や!」


「申し訳ありません」


彩香は怒鳴る。

あかりは謝る。


同じやり取りが何度も続く。


最初は激しかった彩香の声も、やがて少しずつ力を失っていった。


怒り疲れていた。


怒っても、あかりは反抗しない。

言い訳もしない。

すべて真面目に受け止める。


だから余計に、怒りの行き場がない。


「もう……ほんまに、あんたは……」


彩香は額を押さえた。


「何でそんなに真面目やのに、真面目な方向を間違えるんや……」


呆れが怒りを追い越し始めていた。


あかりは深く頭を下げる。


「次回から気をつけます」


「次回は絶対、話を切れ」


「はい」


「先輩でも切れ」


「はい」


「さつきでも切れ」


あかりは一瞬迷った。


「努力します」


「そこは言い切れ!」


彩香は机へ手をつき、大きく息を吐いた。


もはや怒鳴る体力も残っていない。


分室には、任務後特有の硬い空気が残っていた。


迫田ツインズは任務を成功させた。

あかりは失敗した。


誰もが事実として分かっている。


あかり自身も、それを理解していた。


だから、最後に気になったことだけを報告しようとした。


長い説教で緊張していた。

何度も「彩香さん」と呼びかけていた。


そのせいで、主語が入れ替わった。


「それと、彩香さん」


彩香は疲れ切った顔で答える。


「今度は何や……」


あかりは真面目に言った。


「彩香さんの彼氏、前と違う人でした」


部屋の時間が止まった。


澪香と澄香が同時に顔を上げる。


玲奈の指が、報告書の上で止まる。


彩香は数秒、言葉を失った。


怒る力さえ残っていなかったはずの顔に、最後の火がともる。


「ウチの彼氏やないわぁ~、ボケェ~!」


絶叫が分室全体を震わせた。


あかりはすぐに頭を下げる。


「申し訳ありません。さつきさんの彼氏です。主語を間違えました」


「間違える主語が致命的すぎるわ!」


その瞬間、澪香が吹き出した。


続いて澄香も顔を伏せる。


二人はしばらく耐えようとした。


だが無理だった。


普段は落ち着き、敵の監視網すら完璧に欺く迫田ツインズが、同時に声を上げて笑い始める。


「彩香さんの彼氏……」


「前と違う人……」


「復唱すな!」


彩香が叫ぶ。


だが、もう先ほどまでの刺々しさはない。


怒り疲れている。

呆れている。

そして自分でも、この状況が馬鹿馬鹿しくなっている。


「もうええ……」


彩香は椅子へ崩れるように座った。


「黒鷹より、あんたの報告の方が心臓に悪いわ……」


あかりは申し訳なさそうに立っている。


「今後、主語にも気をつけます」


「任務にも気をつけろ……」


「はい」


迫田ツインズの笑いはまだ止まらない。


張りつめていた分室の空気が、少しずつほどけていく。


任務成功の安堵。

あかりへの苛立ち。

迫田ツインズだけに負担をかけた重さ。


それらが、笑いの中へ溶けていった。


玲奈は報告書へ目を落としていた。


いつもの鉄仮面。

いつもの無表情。


だが、彩香が「ウチの彼氏やないわぁ」と叫んだ瞬間から、その口元は僅かに緩んでいる。


彩香は疲れた目で玲奈を見る。


「玲奈さん……笑ってますよね」


「笑っていません」


「もう否定する気力もないですわ……」


澪香が笑いながら言う。


「笑っていた」


澄香も続ける。


「明確に」


あかりも真面目に頷く。


「私にも分かりました」


彩香は天井を仰いだ。


「なんで任務の時より、こういう時の方が全員の連携ええねん……」


声にも、もう勢いはなかった。


怒り疲れと、深い呆れ。


それでも、分室の空気は先ほどより明るい。


あかりは任務では失敗した。


現場へ入れず、迫田ツインズへ自分の担当まで背負わせた。弁解の余地はない。


だが、ピリついていた西日本分室の空気を、一言で笑いへ変えた。


誰も狙ってできることではない。


あかり自身も、もちろん狙ってはいなかった。


玲奈は報告書の最後へ、静かに一行を書き加えた。


作戦目標、達成。

副担当、現場貢献なし。


そこで一度、ペンが止まる。


玲奈は少し考えた後、その下へ小さく書いた。


任務後の士気回復には、一定の貢献あり。


彩香が気づく。


「玲奈さん、今なんか余計なこと書きませんでした?」


「事実を記録しただけです」


「何て?」


「機密です」


「絶対あかりを褒めるようなこと書いたでしょ!」


あかりが驚いて玲奈を見る。


「私、何か成功しましたか?」


彩香は疲れた顔で答えた。


「知らん……もう知らん……」


迫田ツインズが再び笑い出す。


伊丹の夜空を、一機の旅客機が横切っていく。


酒蔵街には静かな灯りがともる。

空港からは、次の便が飛び立つ。


黒鷹は、轟音へ犯罪を隠そうとした。


だが、同じ美貌を持つ二つの影が、その密輸線を断ち切った。


迫田ツインズは任務を成功させた。


あかりは任務に失敗した。


それでも一日の最後に、西日本分室へ必要だったものを持ち帰った。


笑いだった。


もちろん、本人だけは最後まで、自分が何を成功させたのか分かっていなかった。

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