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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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376/383

発車ベルが鳴る前に――播磨支線・黒鷹リレーコード最終便

古い電車には、二種類ある。


役目を終え、錆びながら眠る車両。

もう一つは、古さを背負ったまま、今日も線路を走る車両。


播磨の海沿いを走る準大手私鉄には、後者が多かった。


新しくはない。

派手でもない。


車体には長い歳月の色が染み込み、窓枠や座席には無数の通勤客や学生を運んできた痕跡が残る。発車時にはモーターが低く唸り、線路の継ぎ目を拾うたび、床から鈍い振動が伝わってくる。


だが、止まらない。


高砂から姫路へ。

さらに、市南部の主要駅から西へ分かれる短い支線へ。


住宅地と工場の境目を縫い、海風にさらされた小駅へ一つずつ停まりながら、網干方面の終着駅を目指す。


黒鷹は、その古さへ目をつけた。


目立たない。

疑われない。

毎日同じ時間に走り、何百人もの人間を自然に運ぶ。


黒鷹にとって、列車は乗り物ではなかった。


一本の通信回線だった。


沿線の複数駅に、小型の暗号中継器が仕掛けられていた。駅の電気設備や保守用機器へ偽装され、外から見ただけでは判別できない。


運び役が専用端末を持って列車へ乗る。


列車が駅へ停まるたび、端末は中継器から暗号の断片を受信する。


一つ目。

二つ目。

三つ目。


終着駅へ着く頃には、断片が一つのデータへ復元される。


狙われていたのは、播磨臨海部の工場から盗み出された新型素材の製造技術だった。完成データは終着駅から海側の受信拠点へ送られ、そのまま黒鷹の工作船へ渡る。


最初の駅で運び役を捕らえれば、残りの中継器は発見できない。


最後まで泳がせれば、送信される。


必要なのは、終着駅へ着く直前まで相手を走らせ、すべての結び目を確認したうえで、最後の一秒だけを奪うことだった。


岡本玲奈は、分室の会議机へ沿線図を広げた。


「対象は高砂方面の駅から乗車します。端末は支線区間を含む各駅で、七つの暗号断片を受信する見込みです」


彩香が腕を組む。


「途中で捕まえたら、残りの中継器が眠ったままになる。せやけど、終点まで行かせたら送信される」


玲奈は頷いた。


「送信が始まる直前に確保します」


正担当に指名されたあかりは、沿線図を真剣な顔で見つめていた。


ただし、上下が逆だった。


麻衣がそっと地図を回す。


「あかりさん、こちらが北です」


「あ、ありがとうございます」


彩香は額を押さえた。


「あかり。今回、あんたは走るまで待機や」


「はい」


「怪しい動きしても、勝手に捕まえたらあかん」


「はい」


「工具鞄が光っても待て」


「はい」


「いきなり走り出しても、麻衣の指示を聞け」


あかりは少し困った。


「走り出したら、逃げるんじゃないですか?」


「せやから、その判断を麻衣に任せるんや!」


麻衣が穏やかに笑う。


「私が『今です』と言うまで待ちましょう」


「分かりました」


彩香は二人を見比べた。


「なんで特殊任務の説明が、遠足で勝手に走り回る子への注意みたいになっとんねん」


玲奈は表情を変えない。


「適切な説明だと思います」


「玲奈さんまで認めんといてください」


任務当日。


午後の播磨沿岸には、薄い雲が広がっていた。


工場の煙突。

川を渡る鉄橋。

海側から吹く風。


対象の男は、高砂方面の小さな駅から現れた。


作業着姿。

黒い安全靴。

使い込まれた工具鞄。


どこにでもいる工場作業員に見える。


だが、麻衣は男の鞄を見ていた。


工具を入れた鞄にしては、持ち方が静かすぎる。重い工具が入っていれば、歩くたびに中身がわずかに揺れる。だが男の鞄からは、金属同士が触れる音がしなかった。


麻衣が小声で言った。


「対象、確認しました」


あかりがホームの柱の陰から男を見る。


「すごく怪しいですね」


「見すぎです」


「でも、怪しいです」


「あかりさんの方が、柱の陰から顔半分だけ出していて怪しいです」


あかりは慌てて顔を引っ込めた。


対象が列車へ乗る。


あかりと麻衣も、一つ離れた扉から同じ車両へ入った。


発車ベルが鳴る。


古い車両が低く唸り、ゆっくりと動き始めた。


対象は扉脇に立ち、工具鞄を足元へ置いた。


一駅目。


列車が停車する。


扉が開いた瞬間、工具鞄の底で小さなランプが点滅した。


麻衣は直接見ない。


窓ガラスに映る対象の手元を確認する。


「一つ目を受信しました」


あかりは対象を見つめる。


男の手が、鞄の持ち手へ触れる。


あかりも立ち上がりかける。


麻衣が袖を引いた。


「まだです」


「今、鞄を触りました」


「持っている鞄なので、触ることはあります」


「なるほど」


あかりは素直に座った。


二駅目。


黒い帽子を被った男が乗ってきた。


対象のすぐ近くに立つ。


あかりは再び腰を浮かせた。


「仲間です」


「違います」


「近くに立ちました」


「空いているつり革が、そこしかありませんでした」


「でも、黒い帽子です」


「帽子の色で逮捕しないでください」


黒い帽子の男は、次の駅で降りた。


対象とは一度も言葉を交わさなかった。


あかりは小さく息を吐く。


「危なかったです」


麻衣も頷く。


「一般の乗客の方が、ですね」


列車は工場地帯を抜け、姫路市南部へ近づいていく。


主要駅で支線へ入る。


乗客が入れ替わり、車内には学生や買い物帰りの人が増えた。


そこで、聞き覚えのある声が響いた。


「うわっ、あかりやん!」


あかりの肩が跳ねた。


明るいツインテールを揺らしながら近づいてきたのは、赤嶺美月だった。


大学の友人らしい若い女性が三人、一緒にいる。


完全な私服。

完全な休日。


NSTの任務など、知るはずもない。


美月は嬉しそうにあかりの前へ立った。


「こんなとこで何してんの? 四日市からだいぶ離れとるやん!」


あかりは反射的に立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「こんにちは。今日は大学のお友達と一緒ですか?」


「そうやで。せっかくやから紹介するわ」


麻衣が小さく呼ぶ。


「あかりさん」


だが、あかりは美月の友人たちへ向き直っていた。


美月は自慢げに紹介する。


「この子、四日市の子で、真っすぐでホンマにエエ子やねん。ちょっと抜けてるけど、身体能力はめちゃくちゃ高いで。しょっちゅう怖いオバハンに叱られてるけど、ウチ好きなタイプやねん」


あかりは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


別車両で待機していた彩香の眉が動く。


「あのアホツインテール……誰が怖いオバハンや」


玲奈の冷静な声が返る。


「彩香、無線に入っています」


「わざと入れてます」


美月の友人が笑顔を向ける。


「美月から時々話を聞いてるよ。本当に真面目そう」


「はい。まだまだ未熟ですが、頑張っています」


「戦隊ヒロイン同士って、普段から仲いいの?」


「任務やイベントでご一緒することがありまして――」


麻衣が再び袖を引く。


「あかりさん、対象を」


「あっ」


あかりは工具鞄の男へ目を戻した。


対象は、次の暗号断片を受信していた。


美月の友人が尋ねる。


「怖いオバハンって、本当にいるの?」


あかりの表情が固まる。


答えてはいけない気がした。

だが、否定するのも嘘になる気がした。


美月が代わりに答える。


「おるおる。姫路の人でな、めっちゃ怖いねん。すぐ眉間にしわ寄せて、声でかくして追いかけてくるんやで」


彩香の拳が震える。


「誰が追いかけ回すオバハンや……」


麻衣は無線越しに囁いた。


「彩香さん、落ち着いてください」


「まだ落ち着いとる。今はまだ、な」


美月は古びた車内を見回した。


窓枠。

つり革。

少し擦れた座席。


「それにしても、この電車、なんでこんなにボロいねん」


車内の空気が止まった。


沿線住民らしい中年男性が、新聞から目を上げる。


大学の友人が慌てる。


「レトロって言った方がいいよ」


「レトロいうても限度あるやろ。うちの近所を走ってる電車も古いの来る時あるで。でも、ここまで全身から『長年現役で頑張ってます』いう圧が出てる車両、なかなか来えへんわ」


「味があるじゃん」


「味はある。せやけど煮込みすぎや」


別車両で彩香の顔から表情が消えた。


「怖いオバハン呼ばわりしたうえに、地元の電車まで煮込みすぎ扱いしよった……」


玲奈が静かに言う。


「任務に集中して」


「集中してます。集中しながら、一生忘れへんよう記憶に刻んでます」


「器用ですね」


「そこ褒めるところちゃいます!」


美月は窓枠を軽く触った。


「これ、走ってる途中で部品落ちたりせえへんの?」


彩香が耐えきれず、無線へ怒鳴った。


「落ちへんわ! 何十年、この沿線走っとると思っとんねん!」


あかりのイヤホンに大音量が響く。


「うわっ」


思わず耳を押さえる。


美月が首を傾げた。


「どうしたん?」


「いえ。ちょっと、怖い声が聞こえました」


美月は友人たちへ得意げに言う。


「ほらな。怖いオバハンやろ?」


無線の向こうから、言葉にならない彩香のうなり声が聞こえた。


その瞬間、対象が席を立った。


麻衣の目が変わる。


「あかりさん。対象が降ります」


あかりはようやく任務へ戻った。


「すみません。用事がありますので、失礼します」


美月と友人たちへ丁寧に頭を下げる。


美月は手を振った。


「またな! 怖いオバハンに怒られんよう頑張りや!」


あかりと麻衣がホームへ降りる。


扉が閉まる。


列車が動き出した直後、彩香の低い声が無線に流れた。


「もう怒っとるわ」


ホームには、作業着姿の男が何人もいた。


対象は帽子を外し、人の流れへ紛れる。


その時、別の作業員が改札へ向かって走り出した。


あかりの体が反応する。


「逃げました!」


勢いよく駆け出す。


麻衣が叫ぶ。


「そちらではありません!」


「でも走っています!」


「接続列車に遅れそうな一般の方です!」


あかりは急停止した。


靴底がホームを擦り、体がわずかに前へ流れる。


一般客まで数メートル。


あかりは深く頭を下げた。


「申し訳ありません!」


一般客は何が起きたか分からず、戸惑った顔で改札へ走っていった。


その数秒の間に、本物の対象は工具鞄を別の男へ渡した。


青い上着。

自転車用の手袋。


麻衣は見逃さない。


「新しい運び役は青い上着。駅前へ向かいます」


あかりの顔から迷いが消えた。


「取り返します」


失敗した後のあかりは速かった。


階段を一段飛ばしで駆け下りる。

改札脇を抜ける。

駅前広場へ出る。


青い上着の男は自転車へ跨がり、沿線道路を西へ走り出した。


あかりは徒歩で追う。


男が振り返る。


徒歩の女など、すぐ引き離せると思った。


だが、あかりは離れない。


白いロングブーツが舗装路を蹴る。

水路沿いの細道へ入る。

低い柵を片手で越える。

駐車場の角を切る。


麻衣は携帯端末の地図を見ながら、別ルートを走る。


「あかりさん、次の交差点を右です」


「右!」


あかりが最初の角を勢いよく曲がる。


目の前は行き止まりだった。


「あかりさん、一つ先の交差点です!」


「先に言ってください!」


「今言いました!」


あかりは一秒だけ壁を見た。


「戻ります!」


走ってきた道を反転する。


普通なら、その間に距離を広げられる。


だが、あかりは低い塀へ足をかけ、隣の通路へ抜けようとした。


麻衣が叫ぶ。


「そこは私有地です!」


あかりは空中で体をひねり、塀の手前へ戻った。


「危なかったです!」


「本当に今日は、そればかりですね!」


それでも、あかりは追いつく。


自転車の男が再び振り返る。


さっきより、あかりの姿が大きくなっていた。


「何なんだ、あいつ……」


男は速度を上げる。


あかりも加速する。


「待ちなさい!」


麻衣が言う。


「まだ捕まえないでください!」


「声だけです!」


「声の圧が強すぎます!」


男は追われていると確信し、予定より一駅早く駅構内へ逃げ込んだ。


端末が予備の中継器へ接続される。


麻衣の受信機に、新たな反応が出た。


「予備中継器が起動しました」


あかりが息を乱さず尋ねる。


「見つかっていなかったものですか?」


「はい。対象が焦ったおかげです」


あかりの表情が明るくなる。


「では、失敗を取り返せました」


麻衣は少し考えた。


「結果としては」


「よかったです」


「ただし、一般の乗客を追いかけた件は普通に失敗です」


「はい。反省します」


素直だった。


運び役は自転車を捨て、発車直前の列車へ飛び乗る。


あかりもホームへ駆け上がる。


発車ベルが鳴る。


扉が閉まり始めた。


あかりなら、飛び込める。


だが車内には一般客がいる。無理に入れば、誰かを巻き込む可能性がある。


あかりは踏みとどまった。


その判断を、麻衣は見ていた。


「こちらです!」


麻衣は駅員と連携し、後方の扉を数秒だけ開けてもらっていた。


あかりが乗り込む。


扉が閉じる。


列車が動き出した。


玲奈の声が無線へ入る。


「全中継器の位置を確認しました。確保へ移行します」


あかりの目が変わった。


「もう捕まえていいんですね?」


「いいです」


「了解です!」


運び役は隣の車両へ移る。


学生や買い物客がいる。


あかりは飛びかからない。


男の逃げ道だけを残し、一定の距離を保つ。


麻衣が先回りして、乗客へ穏やかに声をかけた。


「車両点検があります。皆さん、こちらの車両へお願いします」


説明は短い。

声は柔らかい。


だが、不思議と逆らいにくい。


乗客が隣の車両へ移る。


男は人の減った車内で、工具鞄から簡易スタン装置を抜いた。


あかりは身構える。


しかし、ここでは戦わない。


次の駅で開く扉を背にし、わざと出口を空ける。


男は、あかりが進路を塞ぎ損ねたと思った。


列車が停車する。


扉が開く。


男はホームへ飛び出した。


麻衣の狙いどおりだった。


「あかりさん、今です」


あかりが走る。


男はホームの清掃用台車を倒した。


あかりは速度を落とさず、片手を台車の端へつく。体を横へ流し、障害物の上を越える。


男は階段を下りる。


あかりは手すりへ手をかけ、数段を飛ばして踊り場へ着地した。


「化け物か!」


男が叫ぶ。


あかりは真っすぐ答える。


「戦隊ヒロインです!」


後ろから追う麻衣が言った。


「今は説明しなくていいです!」


男は駅前へ出る。


端末の画面に、送信準備を示す数字が現れた。


六十秒。


線路沿いの細道を西へ走る。


前方には彩香と県警。


男は急停止した。


彩香が腕を組んでいる。


美月に「怖いオバハン」と呼ばれ、地元の電車を「ボロ」と笑われた直後だけに、普段より数段怖い顔をしていた。


「どこ行く気や」


男は反転する。


反対側には玲奈。


路地には麻衣。


残された道は、あかりが走ってくる正面だけだった。


男はスタン装置を振るう。


あかりは上体をわずかにずらす。

電極が頬の横を通る。


手首を弾く。

懐へ踏み込む。

男の勢いを横へ流す。


次の瞬間、男は地面へ押さえ込まれていた。


あかりの動きに無駄はない。


細かな作戦では何度も間違える。


だが、最後の一瞬で相手を止める力だけは、誰にも負けなかった。


端末が転がる。


麻衣が拾い上げ、画面を見る。


「送信開始まで、十二秒」


玲奈が遮断装置を作動させる。


端末の数字が止まった。


県警部隊が沿線各駅へ展開する。


保守設備に偽装された中継器。

協力していた作業員。

海側の受信拠点。


すべてが同時に押さえられた。


玲奈が静かに告げる。


「任務完了」


古い列車は、黒鷹の暗号を終着駅まで運ばなかった。


分室へ戻った後。


任務は終わっていたが、彩香の怒りはまだ始発駅を出たばかりだった。


あかりが報告書を書こうと椅子へ座った瞬間、彩香が机の前へ立った。


「立て」


あかりはすぐ立った。


「はい」


彩香は一歩近づく。


「今後、任務中にアホツインテールを見かけても無視せえ」


「はい」


「声かけられても無視」


「はい」


「大学の友達を紹介されても無視」


「はい」


「褒められても会話に加わるな」


あかりは困った顔をする。


「でも、褒めていただいたら、お礼を言わないと失礼です」


「任務中や!」


「はい」


彩香はさらに顔を近づけた。


「それから、誰が怖いオバハンや」


あかりは黙った。


彩香が眉を寄せる。


「誰が怖い?」


あかりは視線を左右へ動かす。


「その……」


「否定せえ」


「今の彩香さんを見ていると、何も言えません」


「そこは嘘でも否定せえ!」


麻衣が横から言った。


「彩香さん、その距離で詰め寄ると、美月さんの説明を自分で証明しています」


彩香が振り返る。


「麻衣まで誰の味方や!」


「客観的な状況整理です」


「整理せんでええ!」


彩香は一度あかりから離れた。


だが怒りは収まらない。


机の上の沿線図を指で叩く。


「それにしても、あのアホツインテール、もう堪忍ならん。怖いオバハンだけならまだしも、何がボロ車両や! 何が煮込みすぎた味や!」


麻衣が尋ねる。


「美月さんを、どうするつもりですか?」


彩香は拳を握る。


「あいつを旧型車両の前面にくくりつけて――」


「駄目です」


「まだ最後まで言うてへん!」


「最初の七割でもう駄目です」


「七割も言うてへんわ!」


あかりが真面目に補足する。


「走行中の車両前面は危険です」


「分かっとる!」


「では、停車中ならいいんですか?」


「よくないわ!」


彩香は考え直した。


「ほな、車掌帽かぶせて、飾磨から網干まで各駅停車で十往復させたる。各駅に着くたびに、『ボロちゃいます。長年、播磨の暮らしを支えてきた誇り高きベテラン車両です』って車内放送させたるわ!」


あかりと麻衣が顔を見合わせる。


二人はほぼ同時に尋ねた。


「それって意味ありますか?」


彩香は即答した。


「ないわボケェ!」


あかりは少し考える。


「でも、美月さんならアナウンスは上手そうです」


麻衣も頷く。


「途中から沿線の名物紹介を始めるでしょうね」


彩香の表情が引きつる。


「始めるな!」


あかりが美月の声を真似る。


「『皆さん、右手に見えますのが、昭和から頑張っとるベテラン車両――』」


「乗ってる車両から同じ車両を紹介すな!」


麻衣が続ける。


「番組タイトルは『アホツインテールと行く、播磨支線・働く古参車両の旅』ですね」


「罰を旅番組に昇格させるな!」


あかりは真面目に言った。


「彩香さんも出演した方がいいと思います」


「なんでや!」


「地元代表として、車両への愛を語れます」


彩香は少しだけ満更でもない顔になった。


「まあ、それは必要かもしれんけど……」


麻衣が聞く。


「番組での役割は?」


あかりは素直に答えた。


「怖いオバハン役です」


部屋が静まった。


あかりは、自分が何を言ったのか数秒遅れて理解した。


彩香がゆっくりと振り返る。


「あかり」


「はい」


「今日の任務、よう頑張ったな」


「ありがとうございます」


「最後の一言で全部台無しや」


「申し訳ありません」


麻衣は口元を押さえていた。


彩香が睨む。


「笑っとるやろ」


「笑っていません」


「声震えとるぞ!」


「車両の振動を思い出しただけです」


「分室は止まっとるわ!」


少し離れた席で、玲奈は報告書へ目を落としていた。


いつもの鉄仮面。

いつもの無表情。


だが、彩香が「分室は止まっとるわ」と叫んだ瞬間、その口元がほんの僅かに緩んだ。


麻衣がすぐ気づく。


「玲奈さん、今笑いましたね」


玲奈は即答した。


「笑っていません」


あかりも頷く。


「笑っていました」


彩香が玲奈を見る。


「玲奈さんまで!」


「任務報告を続けて」


玲奈は何事もなかったようにページをめくった。


彩香は頭を抱える。


「なんで任務中より、こういう時だけ全員の観察力が上がんねん!」


窓の外では、夜の播磨を列車が走っていた。


新しくはない。

速くもない。


モーターは低く唸り、車体は線路の継ぎ目で小さく揺れる。


それでも列車は進む。


古いからこそ、知っている道がある。

長く走ったからこそ、運べる暮らしがある。


黒鷹は、その古さを隠れ蓑にした。


だが、列車は黒鷹のために走っているのではない。


朝には学生を運ぶ。

夕方には仕事を終えた人を家へ帰す。

雨の日も、海風の強い日も、次の駅へ向かう。


終着駅へ届かなかった黒い切符。


何度も小さく間違えながら、最後には必ず追いついたあかり。


その進路を読み、何度でも正しい線へ戻した麻衣。


二人がつないだ連携は、古い線路のように派手ではなかった。


だが、簡単には途切れない。


発車ベルが鳴る前に、黒鷹の最終便は止められた。

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