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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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375/382

水仙の崖に双子の影――淡路島・黒鷹断崖ビーコンを封鎖せよ

黒鷹は、陸を追われて海へ向かった。


川西の地下通信網は沈黙した。

西脇で布地に織り込んだ暗号は解かれた。

高砂の臨海搬出ルートも、あかりと結月に切断された。


だが、黒鷹は死んではいない。


奴らは組織ではなく、網になった。

切られた線を捨て、別の線を引く。

会社を潰されれば任意団体へ。

倉庫を押さえられれば、閉鎖施設へ。

陸路を塞がれれば、海へ逃げる。


次の結び目は、兵庫県洲本市の南東部にあった。


紀淡海峡を見下ろす断崖。

曲がりくねった海岸道路。

冬には斜面を白と黄色に染めた水仙畑。


そこには、閉館した古い観光施設が残されていた。


かつては、急斜面に咲く水仙と、眼下に広がる海を同時に楽しめる名所だった。海と花だけなら、誰が見ても一級品。青い海を背景に水仙が風へ揺れる景色は、淡路島の冬を代表する絶景と呼んで差し支えなかった。


ただし、園内には独自の世界観があった。


昭和の観光施設らしい手作り感。

妙に力の入った看板。

花を見に来たはずなのに、途中から別の意味で目が離せなくなる展示物。


美しい水仙と雄大な海を楽しんでいた観光客が、数分後には「これは誰が、どういう会議を経て設置したのだろう」と首を傾げる。


上品とは言い難い。

洗練からも遠い。


だが、忘れられない。


少し怪しく、かなり濃く、妙に愛嬌がある。

普通の花園では決して得られない記憶を、来園者へ強引に持ち帰らせる場所だった。


閉館し、観光客の声が消えた今も、潮風にさらされた建物や色あせた案内板には、その強烈な存在感の名残があった。


黒鷹は、その静寂へ潜った。


表向きは、閉鎖施設の防犯設備と斜面崩落を監視するための観測事業。


実態は、紀淡海峡を航行する小型工作船と無人艇を誘導する、違法ビーコン基地だった。


旧展望施設には指向性アンテナ。

管理倉庫にはドローン管制装置。

斜面下の旧作業場には海上ビーコン。

地下の配線路には、川西で押収された中継機と同系統の通信設備。


断崖から送信される信号を使い、黒鷹の工作船は海上警備の薄い区域を抜ける。上空では小型ドローンが県警車両や巡視船の動きを監視する。


玲奈は今回の正担当に、迫田ツインズを指名した。


澪香と澄香。


瓜二つの美人双子。

端正な顔立ち。

落ち着いた目。

洗練された立ち姿。


二人並べば、鏡が立っているように見える。


可愛らしい双子という雰囲気ではない。

同じ美貌が二つ並ぶことで、現実の方が間違っているように感じさせる、不思議な迫力があった。


副担当は、あおい。


ヘリコプターによる空中支援を担当し、上空の監視ドローン、断崖を走る工作員、海上の逃走船を同時に追う。


作戦会議で玲奈は航空写真を広げた。


「黒鷹は施設内の監視カメラを掌握しています。普通に侵入すれば、位置を追われます」


澪香が写真を見る。


「なら、見せる」


澄香が続ける。


「間違った位置を」


玲奈は頷いた。


「黒鷹には、侵入者が一人しかいないと思わせます」


あおいが施設内のカメラ位置へ印をつける。


「旋回型が五台。固定型が三台。死角はありますが、移動するたびに変わります。上空からタイミングを伝えます」


彩香は断崖の写真を見て顔を険しくした。


「追い詰めすぎたら、海へ飛び込むかもしれませんよ」


「だから空を押さえます」


玲奈の声には迷いがなかった。


「地上に二つの影。上空に一つの翼。黒鷹には、どこを見ても正しい情報が入らない状況を作ります」


任務当日。


断崖には強い海風が吹いていた。


澪香は、旧正門側から施設へ入った。


錆びた門。

風に揺れる鎖。

文字の薄れた案内板。


かつて観光客が歩いた遊歩道には草が伸びている。水仙が植えられていた斜面の向こうに、紀淡海峡が青黒く広がっていた。


監視カメラが澪香を捉える。


澪香は隠れなかった。


むしろ、監視されていることを知りながら、カメラの正面をゆっくり横切った。長い髪が風に流れ、整った横顔が画面へ鮮明に映る。


黒鷹の監視員は、一人の女性が正面から侵入したと判断する。


澪香は旧展示館へ向かった。


その三分後。


施設裏側の管理道路へ、澄香が現れた。


同じ顔。

同じ体格。

同じ上着。


上空のヘリから、あおいの声が届く。


「カメラ二番、三秒後に海側へ旋回。今です」


澄香が素早く道路を横切る。


次の固定カメラが澄香を捉えた時、監視室の男は画面へ顔を寄せた。


「正面にいた女が、もう裏側にいる?」


図面上では、移動に十分以上かかる距離だった。


澄香は監視カメラへ横顔を見せ、管理倉庫の陰へ消える。


同じ頃、旧展示館の窓際へ澪香が現れた。


片方が見える時、片方は消える。


二人は上着を交換し、髪を結ぶ位置まで合わせていた。歩幅も、振り返る角度も、カメラを見上げる仕草も同じだった。


黒鷹の監視員は、一人の女が施設内を異常な速度で移動しているとしか思えない。


「地下通路があるのか?」


「そんなものは図面にない」


「侵入者は何人だ?」


「映っているのは同じ女だ!」


工作員たちは、存在しない地下通路を探して配置を崩した。


澪香が小声で言う。


「展望台から二人動いた」


澄香が返す。


「管理倉庫が空いた」


あおいが上空から二人の位置を確認する。


「制御室までの通路、今なら抜けられます。澪香さんは展示館の端末。澄香さんは展望台下のビーコンへ」


「了解」


「同時に取る」


三人の動きは、正確だった。


だが、その作戦図へ、計算不能の一点が入り込んだ。


赤嶺美月だった。


明るいツインテールを揺らした美月は、大学の友人たちとプライベートで淡路島を訪れていた。


目的は、閉館した観光施設跡を巡ること。


もちろん、NSTの任務など知らない。


許可された見学区域から古い施設を眺め、美月は目を輝かせた。


「ここや、ここ! 昔テレビ番組でやってたところや!」


友人が尋ねる。


「有名だったの?」


「有名やで。ちっちゃい眼鏡のおっちゃんが、変わった観光地を紹介する企画で来ててな。確か『何とかパラダイス』とかいうて、めっちゃ騒いでたところやったわ」


美月は斜面と古い建物を見渡した。


「うわあ、ほんまにあったんやな。営業してる時に来たかったわ!」


友人が笑う。


「展示が変わってたんでしょ?」


「そら変わってたみたいやけど、それがええねん。海と水仙は本気で綺麗で、そこに意味分からんくらい濃い展示が乗ってくるんやろ? そんな場所、ほかにないで」


美月は色あせた案内板を見つめた。


「普通に綺麗な観光地は、ほかにもある。でも、ここは一回見たら絶対忘れへん。閉まる前に来たかったなあ」


その声には、からかいではなく、素直な惜しさがあった。


遠くから美月を発見した彩香は、怒りで肩を震わせた。


「あのアホツインテール、遊びで来るな。こっちは真剣勝負の任務やで……!」


隣にいた麻衣が、すぐに腕を押さえる。


「彩香さん、落ち着いて」


「落ち着けるか! ロケでも仕事でもない、大学の友達と完全な私生活で来よったぞ!」


「廃墟巡りなら、大学生が来ても不思議ではありません」


「出現率が不思議や言うてんねん!」


彩香は美月のツインテールを睨む。


「あいつのスマホ押収して、休日予定を全部調べたろか!」


「犯罪です」


「大学の時間割だけでも――」


「もっと駄目です」


「ほな、あいつ専用の『NST任務現場接近禁止令』を――」


「法律を勝手に作らないでください」


美月と友人たちは、許可された場所で写真を撮っているだけだった。


しかし、人気戦隊ヒロインが現れたことで、静かな施設跡の空気が変わる。


管理関係者が顔を出す。

見学者が立ち止まる。

美月に気づいた人間が記念撮影を頼む。

友人たちは海と廃墟を背景に動画を撮り始める。


スマートフォンのレンズが増えた。


黒鷹側が焦る。


本来なら日没後、ビーコン制御装置を斜面下の小型船へ運ぶ予定だった。だが、今動けば誰かの動画へ映り込む。待てばNSTの侵入者に設備を発見される。


責任者が判断した。


「制御装置を今すぐ移動する」


玲奈が通信を拾う。


「敵が動きました」


彩香が苦々しく吐き捨てる。


「またアホツインテールが役に立った……」


麻衣が頷く。


「結果としては」


「それ言うな。頭痛なる」


黒鷹の工作員が、旧展示館から飛び出した。


一人は海上ビーコンの制御ケースを抱え、斜面下の管理道路へ走る。もう一人はドローン管制端末を持ち、旧展望施設へ向かった。


迫田ツインズが同時に動いた。


澪香が展示館の出口を塞ぐ。


工作員は澪香を見ると、反対方向へ走る。


その先に澄香が立っていた。


同じ美貌。

同じ冷静な目。

同じ角度で海風になびく髪。


男は息を呑んだ。


「お前、今、後ろにいたはずだ」


澄香が静かに答える。


「見間違いです」


背後から澪香が近づく。


「たぶん」


男は前後を見比べる。


同じ顔が二つ。


どちらを警戒すべきか判断できない。

視線が揺れる。

足が止まる。


双子の美貌は、任務では武器だった。


相手の視線を奪う。

記憶を混乱させる。

判断を一秒遅らせる。


戦いでは、その一秒で十分だった。


工作員が簡易スタン装置を抜く。


澪香が真正面から踏み込む。

男の意識が澪香へ向く。


その瞬間、澄香が横から手首を押さえた。


澪香が装置を弾く。

澄香が腕をねじる。

澪香が膝裏を崩す。


男の体が石畳へ沈む。


「ひとり」


「確保」


制御ケースを抱えた別の工作員は、海側の管理道路を走る。


澪香が後ろから追う。

澄香は斜面上の旧遊歩道へ入った。


あおいのヘリが断崖上空を旋回する。


「逃走者、次の分岐で海側へ曲がります。澪香さん、そのまま追ってください。澄香さん、十一秒で先回りできます」


「了解」


「十一秒で十分」


男は澪香から逃れようと、海側へ曲がった。


古い階段を下りた先に、澄香が現れる。


男は足を止めた。


「またお前か!」


澄香は答えない。


男が反対へ戻る。


そこには澪香。


双子は無理に追わない。


片方が姿を見せる。

相手が方向を変える。

もう片方が、その先に立つ。


敵は自分で逃走経路を選んでいるつもりだった。

だが、実際には二人に選ばされている。


その時、黒鷹の監視ドローン三機が上空へ飛び出した。


あおいが即座に報告する。


「ドローン三機。二機は海上の工作船を誘導。一機はツインズを自動追跡しています」


玲奈が命じる。


「工作船を岸へ寄せないで。ツインズの上空も空けて」


「了解」


あおいはヘリを海側へ大きく旋回させる。


ローター音が断崖へぶつかり、古い施設の窓を震わせた。水仙畑だった斜面の草が、下降気流で海のように波打つ。


黒鷹のドローンがヘリを避けようと高度を変える。


あおいは撃ち落とさない。


ヘリの位置と風圧で、飛べる場所を奪う。


一機目は下降気流に巻かれ、海側へ流される。

二機目は断崖の陰へ逃げ込み、通信を失う。


三機目は迫田ツインズを追い続けていた。


あおいが叫ぶ。


「澪香さん、澄香さん、追跡ドローンが接近!」


澪香が管理道路を走る。

澄香は上側の遊歩道へ出る。


自動追跡カメラは、澪香を目標として認識した。


数秒後、別の位置に同じ顔の澄香が現れる。


追跡システムが揺れる。


澪香。

澄香。


同じ輪郭。

同じ髪型。

同じ衣装。


機械は二人を別人として処理できない。


「あおい、交差する」


「了解。三秒後に上下の道路が重なります!」


迫田ツインズは、上下に分かれた通路を逆方向へ走った。


海側から見れば、二人の姿が一瞬重なる。


次の瞬間、同じ顔が左右へ分かれた。


ドローンのカメラが激しく振れる。

対象を澪香へ戻す。

また澄香へ切り替える。


判断が遅れた。


あおいのヘリが上から被さる。


ローターの気流がドローンを押し下げる。機体はバランスを崩し、かつての水仙畑だった草地へ不時着した。


「監視ドローン、全機無力化」


しかし、制御ケースを持った最後の工作員は、断崖下の旧作業場へ到達していた。


海上から小型工作船が近づいてくる。


あおいはヘリを海側へ回し、強烈なサーチライトを工作船へ向けた。


白い光が、船体を海の上へ浮かび上がらせる。


発見されたと悟った工作船は進路を変え、沖へ逃げ始めた。


「工作船、接岸を断念」


玲奈の声が返る。


「地上を終わらせます」


最後の工作員は、制御ケースを海へ投げ捨てようとした。


澪香が正面から迫る。


澄香は斜面上の階段から管理道路へ飛び降りるように着地した。


海と山。


二方向から、同じ美しい顔が現れる。


男の視線が揺れた。


上空から、あおいのサーチライトが三人を照らす。


工作員はケースを投げようと腕を振る。


澪香がその腕を押さえる。

澄香がケースを受け取る。


男が澪香を振り払おうとする。


澪香は重心を前へ誘う。

澄香が足元を崩す。


男の体が倒れる寸前、二人が同時に腕を取り、衝撃を殺しながら地面へ伏せさせた。


鏡の中と外から同時に襲われたような、逃げ場のない制圧だった。


管理道路の出口には、彩香、麻衣、玲奈、そして県警部隊が到着している。


彩香が低く告げた。


「終わりや。海も空も、もう逃げ道ないで」


工作員を全員確保。


海上誘導ビーコン。

ドローン管制端末。

工作船の航路記録。

県内の黒鷹残党へ送られた通信ログ。


すべてが押収された。


玲奈が静かに言う。


「任務完了」


閉ざされた水仙の楽園で、黒鷹の海上中継線は沈黙した。


任務後。


分室へ戻った彩香は、椅子へ座ることもなく怒鳴っていた。


「あのアホツインテール、もう堪忍ならん!」


麻衣が落ち着いて尋ねる。


「今度は何をするつもりですか?」


彩香は拳を握る。


「あいつを水仙の植木鉢でぐるっと囲んで、昭和の珍妙な展示館の真ん中に立たせたる! 首から『任務現場へ私生活で現れる謎のツインテール生物』いう札を下げて、永久展示したるわ!」


麻衣が冷静に問う。


「それって意味ありますか?」


彩香は即答した。


「ないわボケェ!」


澪香が静かに言う。


「水仙に罪はない」


澄香が続ける。


「展示館にもない」


「分かっとるわ!」


あおいが真剣な顔で考える。


「永久展示にすると、美月さん目当ての観光客が来ると思います」


彩香が振り向く。


「人気施設にすな!」


麻衣が笑いをこらえる。


「美月さんなら、展示されても記念写真に応じそうですね」


澪香が頷く。


「自分からポーズを取る」


澄香も続ける。


「三十分ごとに解説を始める」


あおいが美月の口調を真似た。


「『昔テレビで紹介されたパラダイスに、新名物として加わりましたー!』」


彩香は頭を抱えた。


「適応力高すぎるやろ! 罰が観光振興になっとるやないか!」


麻衣が追い打ちをかける。


「営業している時に来たかったと言っていましたから、本人は喜ぶかもしれません」


「閉館後に本人を展示して復活させるな!」


澪香が言う。


「土産物も作れる」


澄香が続ける。


「ツインテール型の水仙キーホルダー」


「あおい、ヘリでこいつら全員どっか運んで!」


「輸送先はどちらにしますか?」


「真面目に聞くな!」


そのやり取りを聞きながら、玲奈は報告書へ目を落としていた。


いつもの鉄仮面。

いつもの無表情。


だが、彩香が「罰が観光振興になっとる」と叫んだ瞬間、口元がほんの僅かに緩んだ。


麻衣が見逃さない。


「玲奈さん、今笑いましたね」


玲奈は即答する。


「笑っていません」


迫田ツインズが同時に言う。


「笑った」


「確認済み」


あおいも頷く。


「上空からでも確認できる程度でした」


彩香が叫ぶ。


「なんで最後だけ全員の連携が完璧やねん!」


夜の紀淡海峡に、静かな風が吹いていた。


かつて水仙が斜面を彩り、多くの旅人が海を眺め、そして少し不思議な展示に首を傾げた場所。


閉館しても、その価値まで消えたわけではない。


美月が言った通りだった。


普通に美しいだけなら、似た場所はほかにもある。

だが、美しさと妙な濃さを同時に持つ場所は、二度と簡単には作れない。


黒鷹は、忘れられた場所だと思った。


だが、忘れられてはいなかった。


地上には、瓜二つの美しい影。

上空には、あおいの翼。


一人を追えば、もう一人が先にいる。

海へ逃げれば、空が塞ぐ。


水仙の崖で、黒鷹の退路はすべて消えた。


閉ざされた楽園に、双子の影は二つある。

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