表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
373/384

日本のへそに刺さった黒い針――西脇・播州織ステルスコード

黒鷹は、網になった。


神戸港で殻を脱ぎ、宍粟の湯けむりに帳簿を沈め、尼崎の鉄くずに部品を混ぜ、加古川の冷蔵車に伝票を隠した。川西では、地下通信網に黒い信号を流した。


NSTが一つ潰すたびに、黒鷹は形を変えた。


会社ではない。

組織でもない。

名刺を持った幹部だけを追えば捕まる時代は終わっていた。


残ったのは、線だった。


物流の線。

資金の線。

通信の線。

契約の線。

そして、人間が気づかずに使っている日常の線。


次に浮かび上がったのは、兵庫県西脇市だった。


日本のへそ。


そう呼ばれる町には、派手な都会の顔はない。

だが、中心に立つ町には、中心に立つ町の重みがある。


川が流れ、工場があり、住宅があり、古い機械の音が残っている。

加古川、杉原川、野間川。

水の筋が町をつなぎ、職人の手が布をつくる。


西脇には、播州織がある。


糸を染める。

色を選ぶ。

柄を組む。

織機が音を刻む。

一本の糸が、布になる。


それは静かな産業だった。


だが、黒鷹はその静けさに目をつけた。


播州織の発注データ。

糸の色番号。

格子幅。

ロット番号。

織機の稼働時間。

夜間出荷の記録。


普通の人間が見れば、ただの生地づくりの数字だ。

だが、見方を変えれば暗号表になる。


青糸十七番。

白糸四番。

格子幅六ミリ。

出荷ロットK-03。

夜間稼働S-11。


玲奈がその数字を見た時、川西で押収された通信ログが脳裏に浮かんだ。


K-03。

S-11。

北播磨系統。


黒鷹は、電波だけではなく、布にも命令を織り込んでいた。


岡本玲奈は、分室の会議室で資料を閉じた。


「西脇の播州織データが、黒鷹の暗号通信に使われている可能性があります」


部屋の空気が重くなる。


彩香が腕を組んだ。


「布の柄で連絡ですか。黒鷹も、いよいよ気色悪い方向に進んできましたね」


玲奈は頷く。


「だからこそ、正面から追うと逃げられます。今回の主担当は美咲」


美咲は静かに顔を上げた。


大きな反応はない。

驚きも、気負いも、見せない。


奈良の静寂。


美咲には、そういう気配があった。

声を張り上げない。

感情を前に出さない。

だが、必要な時には一歩も引かない。


数字と規則性を読む力。

空気を乱さず、核心へ近づく力。

美咲の強さは、刃物のように静かだった。


玲奈は続ける。


「麻衣はサポート。美咲が柄と数字を読む。麻衣は人の流れを見て」


麻衣が頷く。


「分かりました。職人さんらの会話、工場の空気、そこを見ます」


美咲は短く言う。


「柄が言葉になっているなら、読めます」


彩香は美咲を見る。


「今回はあんたが正や。静かに決めてこい」


美咲は表情を変えない。


「はい。騒がず終わらせます」


彩香は少しだけ口元を歪めた。


「それが一番怖いわ」


調査は、西脇市内の織物工場から始まった。


昼間の工場には、光が入っていた。

古い窓。

糸巻きの棚。

色見本。

反物の山。

油の匂い。

そして、織機の音。


ガシャン。

ガシャン。

ガシャン。


規則正しい音が、空気を刻んでいる。


美咲は、その音の中に立った。


観光客のように騒がない。

職人の邪魔もしない。

ただ、柄データの表を見て、実際に織られている布を見る。


麻衣はその横で、職人たちと自然に話をした。


「この柄、最近増えてるんですか?」


年配の職人が答える。


「いや、妙な注文やな。色の組み合わせが悪いわけやないけど、用途がよう分からん」


「用途が分からん?」


「服地にするには硬い。小物にするには大柄すぎる。けど、発注は急ぎや」


麻衣は微笑んだまま頷く。


「急ぎの注文、困りますね」


「しかも夜間稼働まで入れろ言うてくる。うちらも変やとは思うとった」


その言葉を、美咲は聞いていた。


美咲は柄データを一枚ずつ照合する。


普通の発注には流れがある。

季節。

取引先。

用途。

納期。

色の傾向。


だが、問題の発注だけは違った。


規則性が二重に走っている。


表には柄。

裏には時間と場所。


美咲は低く言う。


「麻衣さん」


「はい」


「この柄、布ではありません」


麻衣が目を細める。


「どういうことですか?」


「布の形をした命令書です。青糸十七番は十七時。白糸四番は四号倉庫。格子幅六ミリは六分後。K-03は川西で見つかった通信ログと同じ系列です」


麻衣は息を呑む。


「つまり、黒鷹は布の注文に見せかけて、残党に指示を出してるんですね」


美咲は静かに頷いた。


「はい。柄が文章になっています」


その時だった。


工場の外が、急に明るくなったように騒がしくなる。


三好さつきと赤嶺美月だった。


二人はCS番組「播州織で作る戦隊ヒロインおしゃれ変身旅」のロケで西脇に来ていた。


さつきは、長い黒髪の長身の清楚な女性だった。

落ち着いた声で職人に質問し、播州織の魅力を丁寧に引き出す。画面に映ると華があるのに、決して相手の言葉を奪わない。


美月は、その正反対だった。


明るいツインテール。

小柄。

声が大きい。

動きも大きい。

本人は完全に善意だが、存在そのものが現場の空気をかき回す。


彩香は遠くから二人を見つけた瞬間、顔をしかめた。


「またあいつらや。もうあのアホツインテール見るだけで腹立つわ」


麻衣がさすがに窘める。


「彩香さん、それは流石に言い過ぎですよ」


「言い過ぎちゃう。経験則や」


「美月さん、悪気はないですし」


「悪気なく現場を荒らすから厄介なんや」


「でも今日は、さつきさんもいますから」


「さつきはええ。問題はアホツインテールや」


美月は、すでに織物体験の前で目を輝かせていた。


「うわ、これやってみたい! 戦隊ヒロイン衣装の布、自分で織れるんですか?」


職人が笑う。


「そこまではすぐには無理やけど、体験ならできるで」


「やります! うち、こう見えてリズム感ありますから!」


「それは知っとる。声もよう通るしな」


「声の大きさは関係ないですやん!」


美月は織機の前に座る。


騒がしい。

質問が多い。

勝手に感動する。

勝手に悔しがる。

勝手に職人を褒める。


だが、微妙に上手かった。


手元は落ち着かない。

口はずっと動いている。

それでも、織るリズムは悪くない。


職人が少し驚く。


「美月ちゃん、筋はええな」


美月は得意げに胸を張った。


「やっぱりな! うち、戦隊ヒロイン界の中心人物やから、布も織れるんや!」


さつきが穏やかに突っ込む。


「中心人物と織物の関係は、まだ証明されていませんね」


「さつきさん、そこは乗ってくださいよ!」


ロケスタッフが笑う。

見学者が集まる。

職人も集まる。

工場内の視線が、美月の織物体験に吸い寄せられていく。


その変化を、黒鷹側の監視役が嫌った。


予定では、夜になってから暗号柄データの入った制御端末を旧倉庫へ運び、そこから別の残党へ送るはずだった。


だが、テレビカメラが入った。

職人が集まった。

美月が織機の近くまで入り込んだ。

隠し端末が置かれた作業台の周辺に、人が増えた。


黒鷹側は予定を早める。


美咲は、その一瞬を見逃さなかった。


「動きました」


麻衣が小さく問う。


「どの人です?」


「左奥の作業服の男です。さっきまで織機を見ていなかったのに、今は端末だけを見ています。柄ではなく、数字を守っている」


美咲の声は静かだった。


だが、その静けさが、刃のように冷たい。


「麻衣さん、職人さんとロケ隊を自然に外へ流してください。私は端末の移動先を読みます」


「分かりました」


麻衣は、さつきへ近づいた。


「さつきさん、外の自然光で布を広げた方が、もっと綺麗に映ると思います」


さつきは一瞬、麻衣の目を見る。

細かい事情は知らない。

だが、何かが動いていることを察する。


「なるほど。では、外で布を広げて撮りましょう」


さつきが流れを作る。

ロケ隊と見学者の一部が外へ移る。

職人も何人かついていく。


しかし、美月だけはまだ織機に夢中だった。


「もう一回! もう一回やらせてください! 今度もっと綺麗に織れる気がする!」


彩香が遠くで低く唸る。


「アホツインテール、ほんま自由やな」


麻衣が苦笑する。


「でも、あれで黒鷹側が焦りました」


「そこが余計に腹立つんや。邪魔してるのに役に立つな」


黒鷹の男は、端末を持ち出した。


美咲は、その背中を追わない。


追えば気づかれる。

走れば逃げられる。


だから、先に読む。


男が向かうのは、工場裏手の旧倉庫。

そこには、使われていないはずの古い織機が並んでいる。

表向きは休止中。

実際には、暗号柄データを生成する“黒い織機”として使われていた。


夜。


西脇の工場は、昼とは別の顔をしていた。


窓の外は暗い。

織機の音だけが残っている。

蛍光灯が白く光り、反物の影が長く伸びる。

糸巻き棚の間は、迷路のようだった。


美咲は音を聞いていた。


ガシャン。

ガシャン。

ガシャン。


「一台だけ、音が違います」


麻衣が小声で言う。


「分かるんですか?」


「はい。あの織機だけ、柄を織っていません。信号を刻んでいます」


美咲は静かに歩く。


足音を殺す。

呼吸を乱さない。

織機の音に紛れる。


奈良の静寂。

美咲の持ち味が生きる。


叫ばない。

焦らない。

相手より早く走る必要もない。


相手が動く前に、もう読んでいる。


黒鷹の実行部隊が現れる。


男たちは、端末を抱え、旧倉庫の奥へ向かう。

美咲たちに気づくと、すぐに工場内の自動搬送機を動かした。


反物を載せた台車が通路を塞ぐ。

金属音が響く。

暗号端末を持った男が奥へ走る。


彩香が正面から突入する。


「逃がすか!」


敵が二人、彩香の前に立つ。


彩香は止まらない。

台車の縁に足をかけ、反物の山を越えるように踏み込み、一人目の腕を弾く。

二人目が横から迫る。


麻衣が間に入る。


「彩香さん、右!」


「見えてる!」


彩香の肘が入る。

敵が崩れる。


だが、暗号端末を持つ男は逃げる。


美咲は制御盤の前に立った。


「三秒止めます」


彩香が叫ぶ。


「三秒あれば十分や!」


美咲は織機のリズムを読む。

全部を止める必要はない。

止めるのは一台だけ。

暗号柄を生成している、黒い織機。


指先がスイッチに触れる。


次の瞬間、工場から音が消えた。


たった三秒。


だが、その三秒で世界が変わった。


それまで音に紛れて動いていた黒鷹の男たちが、逆に動揺する。

足音が丸裸になる。

息遣いが聞こえる。

端末のケースが金属棚に触れる音まで響く。


美咲は、音の消えた工場で前へ出た。


反物の影から、静かに現れる。


端末を持つ男が振り返る。


「お前、いつの間に……」


美咲は言う。


「音が止まれば、あなたの位置は分かります」


男は端末を投げようとする。


美咲は一歩だけ動いた。


大きく踏み込まない。

派手に蹴らない。

相手の手首の角度を見る。

投げる前に、落とす。


端末が床に滑る。


麻衣がそれを拾う。


彩香が男を押さえ込む。


織機の音が戻る。


ガシャン。

ガシャン。

ガシャン。


だが、黒鷹の暗号はもう織れない。


任務完了。


暗号柄データ。

織機制御ログ。

残党へ送られていた指示符号。

すべてが押収された。


川西の地下通信網と、西脇の播州織ステルスコードはつながっていた。

黒鷹は、電波だけでなく布にも命令を織り込んでいたのだ。


任務後、分室では彩香の怒りが爆発していた。


「あのアホツインテール、エエ加減にせえよ。なんで毎回毎回、現場に現れて、毎回毎回、予定を狂わせて、毎回毎回、最後だけ微妙に役に立つんや! 腹立つわ!」


麻衣が苦笑する。


「今回は、黒鷹側が焦ったきっかけになりましたね」


「そこが腹立つ言うてるんや!」


彩香は机の前で腕を組み、さらに続ける。


「播州織の反物でぐるぐる巻きにして、日本のへその真ん中に飾ったるわ! 『こちらが現場を荒らすアホツインテールです』って札つけて展示したる!」


麻衣が冷静に突っ込む。


「それって意味ありますか?」


彩香は即答した。


「ないわボケェ!」


麻衣は少し考える。


「しかも播州織がもったいないです」


「そこかい!」


「職人さんに失礼ですし」


「アホツインテールを飾る方は失礼ちゃうんか!」


「それは……かなり失礼ですね」


「認めるな!」


美咲が静かに言う。


「展示するなら、動線計画が必要です」


彩香が振り返る。


「美咲、真面目に考えんでええ!」


美咲は淡々と続ける。


「日本のへその真ん中に置くと、観光客の通行を妨げます」


「問題そこちゃう!」


麻衣が笑いをこらえる。


「でも、札の文面はちょっと面白いですね」


「面白がるな!」


美咲がさらに言う。


「『現場を荒らすが、結果的に役に立つこともあるアホツインテール』の方が正確です」


彩香は頭を抱えた。


「長い! 説明が長い! しかも腹立つほど正確や!」


玲奈は報告書に目を落としていた。


いつもの鉄仮面。

無表情。

沈着。


だが、彩香が「腹立つほど正確や」と本気で嘆いた瞬間、玲奈の口元がほんの少し緩んだ。


麻衣は見逃さない。


「玲奈さん、今ちょっと笑いましたね」


玲奈は即答する。


「笑っていません」


美咲が静かに言う。


「口角が二ミリほど動きました」


彩香が叫ぶ。


「測るな!」


玲奈は表情を戻す。


「任務報告を続けて」


笑いはすぐに消えた。


だが、分室の空気は少しだけ柔らかくなっていた。


押収された柄データには、まだ未解読の符号が残っている。


K-03。

S-11。

北播磨系統。

そして、新しい数字。


玲奈は低く言う。


「黒鷹は、組織ではなく網になった。電波だけではない。布、食材、部品、契約。すべてを線にしている」


美咲は静かに答える。


「線なら、切れます」


麻衣が頷く。


「人が織ったものなら、人がほどけます」


西脇の夜は静かだった。


織機の音は止まり、工場には糸の匂いだけが残っている。


日本のへそに刺さった黒い針は、一本抜かれた。


だが、黒鷹の布はまだ織り終わっていない。


NSTは、その次の柄を読む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ