双子の影が谷を裂く――川西・黒鷹地下通信網、沈黙す
黒鷹は、もう会社ではなかった。
港湾会社の看板を捨てた。
温泉ファンドの帳簿を捨てた。
廃工場の鉄くずに紛れた部品を捨てた。
給食センターの冷蔵車に隠した伝票を捨てた。
NSTが一つ潰すたびに、黒鷹は一枚ずつ皮を脱いだ。
そして、最後に残り始めたのは、名前ではなかった。
法人でもない。
倉庫でもない。
金でもない。
網だった。
県内のあちこちに散った残党。
細い通信線。
偽装法人。
監視カメラ。
移動式の中継機。
警察無線をかすめ取る違法装置。
黒鷹は、もう一つの大きな巣を構えるのではなく、兵庫の地中に細い根を張ろうとしていた。
次の結び目は、兵庫県川西市だった。
大阪に近いベッドタウン。
山手の住宅街。
坂道。
猪名川の流れ。
多田の古い歴史。
源氏ゆかりの土地に残る、どこか静かな空気。
派手な町ではない。
だが、川西には奥行きがある。
駅前の生活感から少し離れると、空気が変わる。
住宅街の明るさの隣に、山の陰がある。
整った坂道の下に、古い谷筋が眠っている。
黒鷹は、その影の方へ潜った。
表向きは、防災通信補強事業だった。
山手住宅地の災害時通信。
高齢者見守りシステム。
地域防犯ネットワーク。
防災無線の保守点検。
言葉だけなら、どれも善良だった。
だが、岡本玲奈が掴んだ通信ログは、善良ではなかった。
防災用の中継機が、警察無線の動きを拾っている。
監視カメラの保守会社が、黒鷹残党の隠し法人とつながっている。
多田周辺の古い倉庫と地下設備を経由して、県内の黒鷹系統をつなぐ違法通信網が組まれつつある。
物流を失っても、黒鷹は通信を取り戻そうとしていた。
通信を握れば、動ける。
警察の出方を読める。
NSTの車両位置を掴める。
散った残党を、もう一度束ねられる。
玲奈は、今回の主担当に迫田ツインズを指名した。
澪香。
澄香。
瓜二つの美人双子。
同じ顔。
同じ背筋。
同じ歩幅。
同じタイミングで動く視線。
一人なら目立つ。
二人なら、現実感が揺らぐ。
玲奈は、その“見分けがつきにくい”ことを武器にした。
副担当には、河合美音。
美音は通信機器、電源系統、車両、逃走ルートの読みが強い。港湾、船舶、大型二輪にも通じている。黒鷹が移動式ノードを使うなら、美音はその音と匂いで追える。
作戦前、玲奈は短く告げた。
「今回は、二人で一つの目になる任務です」
澪香が頷く。
「片方が見せる」
澄香が続ける。
「片方が消える」
美音は工具ケースを閉じた。
「私は中継機と逃走経路を見ます。通信を切ったら、相手は必ず物理的に逃げる。そこを押さえます」
彩香は腕を組んだまま、少しだけ顔を険しくする。
「黒鷹、最近は荒いですよ。逃げるだけやなくて、攻撃してきます」
玲奈は頷いた。
「分かっています。だから、正面から押さえ込まない。動かして捕る」
迫田ツインズは互いに一度だけ目を合わせた。
言葉はいらなかった。
川西市の山手住宅街は、昼でも静かだった。
坂道に沿って住宅が並び、植え込みの緑が風に揺れている。どこかの家から洗濯物の匂いが漂い、遠くで犬が鳴く。穏やかすぎるほど穏やかだった。
その穏やかさの中で、防災通信設備の点検業者を装った黒鷹の工作員が動いていた。
表向きは通信確認。
実際には、監視カメラと違法中継機の接続テスト。
迫田ツインズは、別々の役を演じた。
澪香は、周辺住民に聞き込みをする穏やかな調査員。
澄香は、保守会社の下請けスタッフに近づく確認係。
二人は同じ顔をしている。
それだけで、黒鷹側の認識に小さなひびが入る。
工作員は、澪香を坂道の下で見た。
五分後、坂の上で澄香とすれ違う。
同じ顔。
しかし、立ち位置が違う。
服装の上着が違う。
目線の向きが違う。
「さっきの女か?」
工作員がそう思った時点で、もう遅い。
澪香は見せる。
澄香は消える。
澪香が話しかけた相手から、澄香が別ルートで裏を取る。
澄香が通り過ぎた場所へ、澪香が何気なく戻ってくる。
一人を撒いたと思えば、同じ顔のもう一人が前にいる。
迫田ツインズは、谷に二つの影を落とすように、黒鷹の逃げ道を狭めていった。
美音は少し離れた場所で、電波計を見ていた。
表示がわずかに跳ねる。
「これ、港湾用の古い機材を改造してる……尼崎のリサイクル線で出た部品と同じ癖がある」
玲奈が無線で問う。
「黒鷹本体につながる?」
「可能性は高いです。ただの防災設備やないです。警察無線の動きを拾うための盗聴中継。しかも、移動式の予備ノードがあります」
彩香の顔が険しくなる。
「移動式?」
「固定ノードが見つかった時、持ち出すためです。逃走用の通信心臓部ですね」
黒鷹は凶悪化していた。
以前のように、書類や金だけを隠して逃げる組織ではない。
発見された時の反撃準備まで整えていた。
小型ドローン。
簡易スタン装置。
通信妨害機。
偽装ナンバー付きの軽バン。
そして、移動式ノードを抱えて自動二輪で逃げる工作員。
玲奈は判断する。
「固定ノードを押さえます。迫田ツインズは工作員の誘導。美音は移動ノードの追跡」
「了解」
美音の声は短かった。
その時、予定外の騒音が住宅街へ入ってきた。
赤嶺美月と山田真央だった。
二人はCS番組のロケで川西市を訪れていた。
番組名は、
「戦隊ヒロインの山手おしゃれ休日」。
川西の山手住宅街を散策し、おしゃれなカフェや雑貨店、防災公園、自然の見える坂道を巡るという、ゆるく華やかな旅企画だった。
明るいツインテールの美月。
派手な巻き髪の真央。
静かな住宅街にその二人が現れた瞬間、空気が変わった。
美月は坂道を見上げて叫ぶ。
「うわ、ここめっちゃ上品やん! 東大阪とはまたちゃう強さがあるで!」
真央は電柱の配線を見て、眉を寄せる。
「このケーブル処理、ちょっと雑だがね。うちならもっと綺麗に束ねるわ」
ロケスタッフがついてくる。
近所の人が足を止める。
カフェの前に人が集まる。
さっきまで水を打ったように静かだった山手の道が、一気にざわめく。
遠くからそれを見た彩香は、顔をしかめた。
「アホツインテールに巻き髪。厄災や。ひとりで鬱陶しいのに二人も居る」
玲奈は静かに言う。
「番組ロケやね」
「分かってます。分かってますけど、なんで毎回うちらの任務現場に来るんや」
美音が電波計を見ながら呟く。
「黒鷹の近くに寄る習性でもあるんですかね」
彩香が睨む。
「やめて。納得しかけるから」
だが、その厄災は今回も風向きを変えた。
住宅街は静かだった。
だからこそ、急に増えた人の流れとカメラは目立つ。
黒鷹の工作員たちは焦り始める。
夜に中継機の一部を移設する予定だった。
だが、ロケ隊が近くまで来たことで、カメラに映り込む危険が出る。
防災設備の点検という名目も、美月と真央に妙な質問をされたら崩れる。
工作員の一人が、判断を誤った。
「今、動かす」
その瞬間、迫田ツインズの目が変わった。
澪香が工作員の正面に出る。
「点検は、まだ終わっていませんね」
工作員が足を止める。
その背後に、澄香が立っていた。
「持ち出す予定のない機材があります」
同じ顔が、前と後ろにいる。
工作員の目が泳ぐ。
「お前、さっき向こうに……」
澪香は静かに言う。
「見間違いです」
澄香が続ける。
「たぶん」
工作員が走った。
だが、逃走はもう始まる前に読まれていた。
住宅街の坂道。
古い石段。
小さな公園。
山手へ抜ける細い道。
迫田ツインズは左右に分かれる。
澪香が追う。
澄香が消える。
澪香が視線を引く。
澄香が先に回る。
声は短い。
「右」
「上」
「止める」
「受ける」
それだけで、二人は刃物のように動いた。
工作員は小さな公園の脇で追い詰められた。
懐から簡易スタン装置を抜く。
澪香が一歩引いた。
怖がったのではない。
誘ったのだ。
工作員の手が前へ出る。
その瞬間、横から澄香が入る。手首を押さえ、装置の向きを外す。
澪香が膝裏を崩す。
澄香が腕を固める。
同じ顔の二人が、違う角度から一人の男を地面へ沈める。
動きに無駄がない。
派手な叫びもない。
ただ、冷たく、速く、正確だった。
「確保」
「ひとり目」
だが、もう一人が動いていた。
移動式中継機を抱えた工作員が、自動二輪へ飛び乗る。
エンジンが唸る。
山手の道へ抜ける。
黒鷹の通信ノードを持ち逃げするつもりだった。
美音がヘルメットを被る。
「逃がさない」
美音は大型二輪ではなく、取り回しのいい中型バイクに跨った。狭い住宅街、坂道、カーブ。速さだけではない。川西の山手を読むには、軽さと切り返しがいる。
エンジン音が低く鳴る。
美音は、黒鷹のバイクを追った。
坂道。
カーブ。
住宅街の外れ。
猪名川方面へ下る道。
黒鷹の工作員は後ろを見て加速する。
しかし、美音は焦らなかった。
「川西の山手で無理に飛ばしたら、次のカーブで膨らむ」
その読み通り、逃走車は次のカーブで外へ膨らんだ。
美音は内側を綺麗に抜ける。
車体を倒しすぎない。
路面を信じすぎない。
相手の癖だけを見る。
前に出ない。
横につく。
「止まりなさい!」
工作員は無視する。
美音は、次の交差点で相手が減速する一瞬を待った。
バイクを斜め前へ入れる。
逃走ラインを削る。
接触させず、心理だけを詰める。
黒鷹の工作員が焦る。
その先、下り坂の出口には玲奈と彩香がいた。
迫田ツインズから送られた位置情報を受け、すでに退路を塞いでいた。
工作員は、逃げ場を失う。
バイクが止まる。
美音は素早く降り、相手の腕を押さえた。
腕の中には、小型の移動式中継機があった。
「移動ノード、確保」
玲奈が静かに頷く。
「任務完了」
押収された中継機には、県内各地の黒鷹残党をつなぐ通信ログが残っていた。
川西の多田周辺は、その結び目の一つだった。
黒鷹は組織を失ったのではない。
網になろうとしていた。
固定の本部ではなく、県内に散った小さな結節点。
一つを切っても、別の場所でつながる。
通信、物流、資金、偽装法人。
すべてが細い線で絡み合い、地下へ沈む。
だが、NSTはその一つを切った。
任務後、分室では彩香がいつものように怒っていた。
「何が戦隊ヒロインの山手おしゃれ休日や。こっちは地下通信網を追ってんねん。おしゃれ休日どころか、電波と坂道と工作員やぞ。どこがおしゃれや。最後なんか中継機とスタン装置やぞ」
迫田ツインズは、表情を変えずに聞いている。
彩香は止まらない。
「今度、ウチとアホツインテールで『不仲戦隊ヒロイン・地獄の川西坂道三日間耐久旅』でもやったろか?」
澪香が即座に言う。
「初日で解散」
澄香が続ける。
「たぶん坂の途中で喧嘩」
彩香が叫ぶ。
「そこは番組として成立させろや!」
澪香は首を傾げる。
「成立しない方が自然」
澄香も頷く。
「不仲だから」
「冷静に分析すな!」
美音がぽつりと言う。
「でも視聴率は初回だけ高そうですね。怖いもの見たさで」
彩香はさらに怒る。
「初回だけとか言うな! せめて三日間持たせろ!」
澪香が言う。
「三時間なら可能」
澄香が訂正する。
「三十分かも」
「短くすな!」
美音が少し考えてから言う。
「番組名を変えたらどうですか。『西川彩香、坂道で美月にキレ続ける三十分』」
彩香は机を叩きそうな勢いで振り返る。
「それ、ただの私の醜態晒しやないか!」
澪香が頷く。
「でも内容は正確」
澄香も続ける。
「看板に偽りなし」
「そこ正確にすな!」
美音がさらに追い打ちをかける。
「サブタイトルは『巻き髪もいるよ』で」
彩香は頭を抱えた。
「増やすな! 巻き髪まで添えるな! なんで地獄に追加要素入れるんや!」
そのやり取りを聞いていた玲奈は、報告書に目を落としていた。
いつもの鉄仮面。
無表情。
沈着。
だが、彩香が「巻き髪まで添えるな」と本気で嘆いた瞬間、玲奈の口元がほんの僅かに緩んだ。
美音が気づく。
「玲奈さん、今笑いました?」
玲奈は即答する。
「笑っていません」
迫田ツインズが同時に言う。
「笑った」
「確認済み」
彩香が顔をしかめる。
「玲奈さんまで、何笑ってるんですか。こっちは本気で怒ってるんです」
玲奈は表情を戻し、静かに言う。
「任務報告を続けて」
笑いはすぐに消えた。
だが、分室の空気は少しだけ柔らかくなっていた。
今回、迫田ツインズは瓜二つであることを武器にした。
二人で一人を惑わせ、二人で逃げ道を消した。
澪香が見せ、澄香が消える。
澄香が塞ぎ、澪香が沈める。
美人双子という印象は、この任務で戦術になった。
美音は副として、通信と二輪追跡の両面から任務を完結させた。
電波を拾い、逃げ道を読み、坂道で黒鷹の移動ノードを止めた。
玲奈は押収された通信ログを見る。
そこには、まだ解読されていない符号が残っていた。
「K-03」
「S-11」
「北播磨系統」
黒鷹の網は、まだ広がっている。
玲奈は低く言う。
「黒鷹は、組織ではなく網になった」
迫田ツインズが静かに返す。
「網なら」
「結び目から切れる」
美音は中継機の破損した端子を見つめた。
「次の結び目も、必ず電波を出します。出した瞬間、拾えます」
川西の谷に沈んだ黒い信号は、ひとつ沈黙した。
だが、地下の奥では、まだ別の信号が瞬いている。
NSTは、それを追う。
静かな住宅街の下で、戦いはもう始まっている。




