冷蔵車は黒い伝票を運ぶ――加古川、かつめしの皿に沈んだ黒鷹の数字
加古川の町は、派手ではない。
だが、弱くもない。
大きな川が町を貫き、駅前には人が流れ、少し歩けば住宅地と工場と学校と食堂が自然につながっている。神戸のように洒落てはいない。姫路のように城を背負っているわけでもない。だが、生活の芯が太い。
朝になれば、子どもたちは学校へ向かう。
昼になれば、食堂ではかつめしの皿が並ぶ。
夕方になれば、河川敷を自転車が走り、買い物袋を提げた人が駅へ流れていく。
そういう町だ。
気取らない。
けれど、腹に残る。
かつめしもそうだった。
白い皿に盛ったご飯の上に、薄く切ったビフカツを乗せ、濃いデミグラス系のたれをかける。洋食の顔をしているのに、どこか庶民的で、妙に力強い。上品ぶらない。だが、一口食べれば記憶に残る。
黒鷹は、その生活の匂いの中へ潜った。
神戸港の表ルートを失い、宍粟の偽装温泉ファンドを潰され、尼崎の廃工場リサイクル偽装線も断たれた黒鷹は、今度はもっと日常に近い場所を選んだ。
食品卸。
給食センター。
高齢者向け配食。
冷蔵車。
怪しまれにくい。
学校へ入れる。
病院へ入れる。
福祉施設へ入れる。
そして、誰も食材の箱を一つ一つ疑わない。
岡本玲奈が掴んだ数字は、小さな違和感から始まった。
発注量の割に、調理量が少ない。
配送車の稼働時間が長すぎる。
給食センターへ向かうはずの冷蔵車が、ルート外の倉庫へ寄っている。
食品卸会社の請求書には、宍粟の偽装温泉ファンドで見た会計処理と同じ癖があった。
黒鷹は、給食という生活インフラを隠れ蓑にしていた。
玲奈は、今回の主担当に麻衣を指名した。
副担当は、迫田ツインズ。澪香と澄香。
彩香が二人に指示を出す。
「今回は麻衣が正や。あんたらは副として、麻衣を支えたって」
迫田ツインズは、同じ角度で頷いた。
「了解」
「麻衣ちゃんを前に出す」
彩香は少し厳しい顔で続ける。
「勝手に前へ出すぎんこと。けど、麻衣が迷ったら助ける。危ないと思ったら止める。分かった?」
「分かった」
「彩香さん、過保護」
「過保護ちゃう。管理や」
麻衣は苦笑した。
「彩香さん、私、そんなに心配ですか?」
彩香は即答する。
「心配やない。任せとる」
言葉は硬い。
だが、麻衣には分かっていた。
彩香は不器用なだけだ。
麻衣は加古川へ入った。
食品卸会社の営業所。
給食センター。
地元食堂。
配送センター。
河川敷沿いの倉庫。
派手な動きはしない。
笑顔で話す。
食べる。
聞く。
見る。
麻衣は、かつめしの有名店で昼食を取るふりをしながら、店の裏口に停まった冷蔵車へ目を向けた。
「この車、食品卸の車ですね」
澪香が小さく頷く。
「でも、この時間に来る予定はない」
澄香が続ける。
「給食センターから戻るルートなら、遠回り」
麻衣は皿の上のかつめしを見つめたまま言う。
「たれの匂いに紛れて、違う荷物を積んでるかもしれませんね」
迫田ツインズが同時に麻衣を見る。
「食べながら推理してる」
「麻衣ちゃん、成長した」
麻衣は少し照れる。
「食べてるだけやありませんよ」
その日の夕方、麻衣と迫田ツインズは調査結果を彩香へ報告した。
発注量と実調理量の差。
冷蔵車の謎の立ち寄り先。
配送センター内の未登録保冷庫。
給食用とは別に用意された小型コンテナ。
さらに、黒鷹が使う暗号化端末と同型のケースが、配送センターへ運び込まれている可能性。
彩香は報告書を読んだまま、しばらく黙っていた。
想定以上だった。
麻衣は、もう守られるだけの存在ではない。
現場を預けられるところまで来ている。
彩香は口を開く。
「……よう取ったな」
麻衣が少し驚く。
「え?」
彩香は慌てて咳払いした。
「いや、その……悪くない。かなり……いや、だいぶ……まあ、ええ感じや」
迫田ツインズが小声で言う。
「褒め方、下手」
「彩香さん、壊れた」
彩香が睨む。
「うるさい」
麻衣は笑いをこらえる。
「ありがとうございます。たぶん褒めてもらったんですよね?」
彩香は目を逸らす。
「知らん。報告が使える言うただけや」
玲奈は横で静かに聞いていた。
口は挟まない。
だが、麻衣を前へ出し、彩香に任せる流れが形になり始めていることを見ていた。
任務は順調だった。
黒鷹側が証拠端末を冷蔵車へ積み込むのは、翌日の夕方。場所は加古川河川敷近くの食品配送センター。そこで押さえれば、偽装契約と資金洗浄の証拠が一気に取れる。
だが、予定は崩れた。
原因は、三好さつき、赤嶺美月、山田真央だった。
三人はCS放送の旅番組で加古川を訪れていた。
番組名は、
「仲良し戦隊ヒロインのご褒美休日旅」。
企画内容は、戦隊ヒロインたちが休日に加古川を訪れ、かつめしの有名店を巡り、地元商店街を歩き、河川敷でのんびりするという、平和そのものの旅番組だった。
さつきは安定の人気レポーター。
美月は明るいツインテールで、とにかく声が大きい。
真央は派手な巻き髪で、しかもドギツイ尾張弁で食レポを始める。
かつめしの皿を前に、真央は目を輝かせた。
「どえりゃあうみゃあがね! このたれ、米にしみとる速度まで計算しとるんだわ。肉もやらこいし、こりゃあ反則だがね!」
美月も負けじと叫ぶ。
「うわ、これめっちゃ美味しいやん! 加古川、もっと全国に見つかるべきやで!」
真央はさらに続ける。
「見つかっとらんのがおかしいんだわ! こんなん毎週食べたら、でら元気出るに決まっとるがね!」
さつきは笑顔でまとめる。
「これぞ加古川の元気飯ですね」
店の外に人が集まる。
通りが止まる。
ロケ車が停まる。
観光客が足を止める。
美月と真央がガヤガヤ歩くだけで、人の流れが変わってしまう。
彩香は遠くからそれを見て、低く吐き捨てた。
「何が仲良し戦隊ヒロインのご褒美休日旅や」
麻衣が窘める。
「そこは別にええやないですか」
「ええことあるか。タイトルから腹立つわ」
「番組名に怒っても仕方ないです」
「仲良しやと? こっちは任務中やぞ」
「それ、番組側は知りませんし」
迫田ツインズも淡々と見る。
「美月さん、目立ちすぎ」
「真央さん、声が強い」
彩香は頭を抱える。
「最悪や。アホツインテールと巻き髪が、また現場を荒らしに来た」
笑い事ではなかった。
ロケ隊の移動で人の流れが変わったため、黒鷹側の運び役が警戒した。予定より早く証拠端末を冷蔵車へ積み込み、配送センターから逃げようとする。
麻衣のプランは崩れた。
だが、麻衣は慌てなかった。
「予定変更です。河川敷側へ出る前に追います」
澪香が頷く。
「逃走車は二台」
澄香が続ける。
「本命は後ろ。前は囮」
彩香が麻衣を見る。
「指示は?」
麻衣は一瞬だけ深く息を吸った。
「迫田さんたちは後方の本命を確認してください。彩香さんは私と配送センターへ。冷蔵車が河川敷へ出たら、人が少なくなります。そこで確保します」
彩香は頷く。
「了解」
それは、麻衣が現場を動かした瞬間だった。
冷蔵車は加古川沿いの道へ逃げ込んだ。
夕方の河川敷は、風が強かった。
草が揺れ、遠くで自転車が走り、川面が鈍い銀色に光っている。
その平和な景色の中を、証拠端末を積んだ冷蔵車が不自然な速度で走った。
麻衣は車体側面の汚れを見る。
「さっき、かつめしの店の裏にいた車です。たれの箱を積んだ時の汚れが残ってます」
彩香が舌打ちする。
「かつめしのたれで足がつくとはな」
「加古川らしいですね」
「感心しとる場合か」
冷蔵車は配送センターへ戻り、裏口から中へ入った。
そこで証拠端末を別の保冷コンテナへ移そうとしていた。
麻衣、迫田ツインズ、彩香が突入する。
配送センター内は、白い蛍光灯が照りつける冷たい空間だった。
金属ラックが並び、台車が走り、保冷ボックスが山のように積まれている。床には薄い水膜があり、冷蔵庫の扉が重い音を立てて閉まる。
黒鷹側の男たちが一斉に動いた。
彩香が先頭に出る。
「邪魔や!」
声と同時に、彩香の足が台車を蹴った。台車は床を滑り、敵の足元へ食い込む。男が体勢を崩した瞬間、彩香は踏み込み、腕をねじり上げて金属ラックへ押しつける。
麻衣は右へ走った。
保冷ボックスの陰を縫い、相手の視線から消える。敵の一人が追ってくる。麻衣は振り向かず、床に落ちた氷片を踏ませる位置へ誘導した。
男の足が滑る。
麻衣はその手首を取り、体を沈め、相手の力を流して転がした。
「彩香さん!」
「見えてる!」
彩香がもう一人の進路を塞ぐ。
迫田ツインズは左右に分かれた。
澪香は左の通路を押さえ、澄香は右の保冷庫前へ回る。二人は無駄な言葉を交わさない。短い声だけで、敵の逃走方向を潰していく。
「右、塞ぐ」
「左、任せて」
「二人目、奥」
「取る」
敵が二人を突破しようとする。
澪香が一歩引き、相手を誘う。
澄香が横から入り、足を払う。
体勢を崩したところへ、澪香が腕を押さえ、床へ沈める。
その動きは派手ではない。
だが、鋭い。
双子の息は、刃物のように合っていた。
配送センターの奥で、黒鷹の男が証拠端末入りの保冷コンテナを抱えて走る。
麻衣が追う。
「止まりなさい!」
男は振り向きざま、コンテナを投げつける。麻衣は身をひねってかわし、横のラックを蹴って一気に距離を詰める。白いブーツが濡れた床を打つ音が、冷蔵庫の唸りに混じった。
彩香が後ろから叫ぶ。
「麻衣、前!」
麻衣の前に、もう一人が飛び出す。
麻衣は止まらない。
姿勢を低くし、相手の腕をかわし、肩をぶつけて進路を割る。勢いを殺さず、証拠端末を持つ男へ手を伸ばす。
迫田ツインズが同時に動いた。
「逃げ道、ない」
「そこで終わり」
男は裏搬出口へ向かう。
そこが最後の逃走経路だった。
だが、その扉の前に、何も知らない美月と真央がいた。
二人はロケの流れで、かつめし弁当の大量試食企画だと勘違いし、配送センターの裏口付近へ来ていた。
美月は弁当箱を抱えて叫ぶ。
「これ、どこ置いたらええんですかー!」
真央も大きな箱を抱え、尾張弁全開で言う。
「ちょっと待っとりゃあ! この箱、でら重いがね! けど、ここ置いたら動線ええで、たぶん!」
二人が置いた弁当箱の山が、裏搬出口を完全に塞いだ。
逃げようとした黒鷹の男は、行き場を失う。
「どけ!」
美月は目を丸くする。
「え、何この人。弁当そんな急いでるん?」
真央は男より箱の伝票を見ていた。
「待ちな。これ、発注数と合っとらんがね。二十箱のはずが三十二箱あるでかんわ。誰だて、こんな雑な数字にしたの」
男が強引に箱を押しのけようとする。
その瞬間、麻衣が追いついた。
麻衣は男の腕を取る。
迫田ツインズが左右から挟む。
彩香が最後に踏み込み、低い声で言った。
「終わりや言うたやろ」
男は床へ押さえ込まれた。
証拠端末は確保。
偽装発注の伝票も確保。
さらに、さつきはカメラを止め忘れていた。
その映像には、食品卸会社の担当者が黒鷹側へ端末を渡す瞬間が、はっきり映っていた。
さつきは青ざめながら言う。
「これは……放送できませんね」
美月はまだ状況を理解していない。
「うちら、また何か役に立った感じ?」
真央は腕を組む。
「役に立ったに決まっとるがね。うちらが弁当置かんかったら、あいつ逃げとったでしょ。つまり、でら功労者だわ」
彩香が額を押さえる。
「腹立つけど、否定できへんのが一番腹立つ」
任務は完了した。
黒鷹の給食センター偽装契約ルートは潰された。
食品卸会社、冷蔵車、未登録保冷庫、偽装発注、給食契約を使った資金洗浄。その全体像が明らかになった。
だが、任務後の彩香の怒りは収まらなかった。
分室に戻ってからも、彩香は腕を組んだまま、不機嫌そのものだった。
「あのアホツインテールと巻き髪、エエ加減にせえよ。何が仲良し戦隊ヒロインのご褒美休日旅や。こっちは任務中やぞ。あいつらが動くたびに人流変わって、ロケ車止まって、弁当箱積み上がって、最後だけ都合よう役に立ちよってからに!」
麻衣は苦笑する。
「でも、最後は逃走経路を塞いでくれましたし」
「そこが余計に腹立つんや!」
迫田ツインズが淡々と言う。
「結果は成功」
「美月さんと真央さん、貢献あり」
彩香は目を吊り上げる。
「貢献言うな! あれは偶然や! 災害がたまたま堤防になっただけや!」
麻衣が小さく笑う。
「すごい例えですね」
彩香は止まらない。
「だいたい何やねん、『仲良し戦隊ヒロインのご褒美休日旅』て。仲良し? ご褒美? 休日? 甘ったるいタイトルしやがって。今度ウチとアホツインテールの二人で『不仲戦隊ヒロイン地獄の3日間』という番組やったろか?」
麻衣がぽつりと呟く。
「視聴率取れなさそう……」
彩香は即座に叫ぶ。
「知るかボケェ!」
迫田ツインズが続ける。
「怖いもの見たさで初回は取れる」
「二回目は不明」
「二回目まで考えるな!」
麻衣がさらに言う。
「三日間って、初日の午前中で喧嘩して番組終わりそうです」
彩香は机を叩く勢いで叫ぶ。
「初日のオープニングで終わるわ!」
「それ、番組として成立してませんね」
「知るかボケェ!」
玲奈は報告書に目を落としていた。
いつもの鉄仮面。
無表情。
冷静。
だが、彩香の叫びを聞いた瞬間、口元がほんの僅かにほころんだ。
麻衣は見逃さない。
「玲奈さん、今ちょっと笑いましたね」
玲奈は即答する。
「笑っていません」
迫田ツインズが同時に言う。
「笑った」
「口元が動いた」
彩香が眉をひそめる。
「玲奈さんまで笑わんといてください。こっちは本気で怒ってるんです」
玲奈は表情を戻し、静かに言う。
「任務報告を続けて」
笑いはすぐに消えた。
だが、分室の空気は少しだけ軽くなっていた。
今回、黒鷹の生活インフラ侵入ルートは潰された。
食品卸会社。
給食センター契約。
配食事業。
冷蔵車。
そのすべてが、黒鷹の資金洗浄と物資輸送に使われかけていた。
玲奈は押収された伝票を見る。
「黒鷹は、非日常から日常へ潜った」
麻衣が静かに頷く。
「だから、見つけにくいんですね」
玲奈は言う。
「ええ。だから、見つける価値がある」
加古川の町は、翌日も普通に動く。
駅前には人が流れ、河川敷には風が吹き、食堂ではかつめしが出される。給食センターでは、いつものように子どもたちの昼食が作られる。
その日常を、黒鷹は利用しようとした。
だが、今回は届かなかった。
麻衣は一つ、現場担当としての信頼を積み上げた。
迫田ツインズは副として、無駄なく麻衣を支えた。
彩香はまだ褒めるのが下手で、怒り方はさらに下手だったが、それでも麻衣たちの働きを認めていた。
玲奈は、その成長を静かに見ていた。
黒鷹はまだ地下にいる。
けれどNSTもまた、地下へ届く目を増やしている。
かつめしの皿に残った黒い数字は、もう隠せない。




