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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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369/384

銀の湯けむり、黒い帳簿――宍粟・偽装温泉ファンド

黒鷹は、港から消えた。


だが、死んだわけではない。


神戸港の表ルートを失い、六甲ベイオペレーションという古い殻を捨てた黒鷹は、より静かな場所へ潜った。鉄と潮の匂いがする港ではなく、森と湯けむりの町へ。荷役の伝票ではなく、地域再生の企画書へ。密輸の黒い金ではなく、善意の投資金へ。


次に浮かび上がったのは、兵庫県宍粟市だった。


山が深い。

川が走る。

温泉がある。

廃校があり、道の駅があり、森林体験を売り物にした観光企画がある。


派手な都市ではない。

大きな港もない。

だが、黒鷹が潜るにはちょうどよかった。


表向きは、温泉宿再生ファンド。


老朽化した温泉施設を改修し、廃校を合宿所に変え、森林ツアーと地元食材を組み合わせた観光事業を立ち上げる。地域に人を呼び、雇用を生み、山間部の未来をつくる。


聞こえはよかった。


だからこそ、玲奈は嫌な匂いを嗅ぎ取った。


投資額の割に、改修工事の実態が薄い。宿泊者数と食材の仕入れ量が合わない。温泉施設にぶら下がる法人が多すぎる。しかも、そのうちの一社に、六甲ベイオペレーション清算直前の資金移動先とつながる痕跡があった。


黒鷹は港から山へ移った。

物流から資金洗浄へ。

密輸から地域再生へ。


悪い顔をして近づくのではない。

いい話の顔をして入り込む。


玲奈は、今回の任務に麻衣を主担当として指名した。


会議室にいた彩香が、思わず聞き返す。


「玲奈さん、麻衣を主で行かせるんですか」


玲奈は静かに頷いた。


「今の麻衣なら、現場を預けられる」


彩香は黙った。


麻衣は、もう守られるだけの妹分ではなかった。紀伊ハンターとして現場を重ね、人に溶け込む力、相手の表情から違和感を拾う力、場の空気を壊さず核心へ近づく力を身につけていた。


玲奈は、その成長を見ていた。


「彩香は副につけ」


「私が副ですか」


「そう。口を出しすぎないこと」


彩香の眉がぴくりと動く。


「それ、私に一番難しい指示ですよ」


「だから指示している」


玲奈の声は淡々としていた。


「麻衣の成長のため。それと、あなた自身のため」


彩香は玲奈を見る。


玲奈は感情を出さないまま言った。


「いずれ、あなたには私の地位を継いでもらいたいと思っている」


その言葉は、短かった。

だが、重かった。


彩香は息を呑む。


玲奈は続ける。


「自分で動くのは簡単。全部背負うのも簡単。けれど、指揮官に必要なのはそれじゃない。誰に任せるか。どこで待つか。どこで止めるか。どこで背中を押すか。それを覚えて」


黒鷹との戦いで、玲奈は一人で背負う危うさを思い知った。


だからこそ、今度は彩香へ少しずつ伝え始めていた。


命令すること。

任せること。

奪わないこと。

そして、部下が自分で勝つ瞬間を見届けること。


彩香にとって、それは戦うより難しかった。


任務は、静かに始まった。


麻衣は観光客を装い、宍粟市内の温泉宿、道の駅、廃校を改修した地域交流施設を回った。派手なことはしない。地元の土産物店で店員と話し、温泉宿の女将に世間話をし、林業関係者から何気なく聞き出す。


彩香は少し離れて見ていた。


口を出したくなる。


「麻衣、そこはもっと突っ込んで聞いた方が……」


言いかけて、彩香は黙る。


玲奈の言葉が頭をよぎる。


任せろ。


麻衣は、意外なほど落ち着いていた。


宿の帳簿を直接覗くわけではない。だが、送迎バスの運行回数、朝食の仕入れ量、売店商品の減り方、浴場改修に使われた資材の種類を丁寧に見ていく。


そして、小さく言う。


「宿泊客が多い言うてる割に、朝食の仕入れが少なすぎますね」


彩香は目を細めた。


「そこ見るんか」


「泊まり客がほんまに多いなら、卵と味噌と米はもっと動くはずです」


彩香は何も言えなくなる。


派手ではない。

だが、鋭い。


さらに麻衣は、廃校を改修した地域交流施設で不自然な通信設備を見つける。表向きはワーケーション用の高速通信環境。だが、山間部の小施設にしては機材が過剰で、配線の一部が地下倉庫へ伸びていた。


資金洗浄だけではない。

黒鷹は、宍粟の山中に小規模な通信中継拠点を作ろうとしていた。


麻衣は冷静に報告する。


「温泉ファンドは表の看板です。裏は資金洗浄と通信拠点。山の中なら目立たんと思うたんでしょうね」


彩香は、しばらく黙った。


口やかましく、ストイックで、現場に厳しい彩香ですら、今回の麻衣には文句がつけられなかった。


「……やるやん」


彩香がぼそっと言う。


麻衣は微笑んだ。


「彩香さんにそう言われると、ちょっと怖いです」


「褒めとるんや」


「怒られる前触れかと思いました」


「私を何やと思っとるんや」


「怖い先輩です」


「否定しにくいやろ、それ」


任務は順調だった。


黒鷹側の表の窓口である温泉再生会社の社長も、麻衣の調査に気づいていない。偽装ファンドの帳簿データへ近づき、地下通信設備の場所も特定した。あとは、資金移動の現場を押さえればいい。


このまま静かに終わる。


彩香ですら、そう思った。


その時、最悪の二人が現れた。


三好さつきと赤嶺美月だった。


二人はCS放送の情報番組のレポーターとして宍粟を訪れていた。企画名は「知られざる兵庫の癒やし旅」。温泉、自然、地元グルメ、廃校カフェ、森のアクティビティを紹介する、いかにも平和な旅番組だった。


さつきは、兵庫県内では知名度九十パーセントとも言われる人気レポーターである。街を歩けば声をかけられる。店に入れば店主が喜ぶ。観光地へ行けば、いつの間にか人だかりができる。


そして美月は、戦隊ヒロインとして微妙な人気者だった。


全国区ではない。

だが妙に目立つ。

声が大きい。

ツインテールが揺れる。

河内弁で押しが強い。

本人は、自分を戦隊ヒロイン界の中心人物だと思っている。


この二人が動くと、人がついてくる。


麻衣と彩香にとっては、はっきり言って邪魔だった。


遠くから二人を見つけた瞬間、彩香は低く呻く。


「何でおんねん」


麻衣は苦笑した。


「番組ロケみたいですね」


「今すぐ帰ってほしい」


「無理やと思います」


「なら山に帰ってほしい」


「美月さんは山の生き物やないです」


さつきは悪気なく温泉再生会社の社長へ近づき、笑顔でマイクを向けた。


「地域再生にかける思いを教えてください」


その瞬間、社長の表情が一瞬だけ固まる。


麻衣は見逃さない。


だが同時に、美月が大声で割り込んだ。


「うわあ、ここめっちゃええ雰囲気やん! 河内にはない癒やしや!」


観光客が笑う。

カメラが回る。

社長は笑顔を作り、逃げるように奥へ引っ込む。


麻衣たちが追おうとした時、美月がなぜか手を振った。


「あっ、麻衣やん! 何してんの!」


最悪だった。


潜入中の麻衣が、一気に目立つ。


黒鷹側の運び役は異変に気づき、予定より早く帳簿データ入りの端末を持ち出して逃げる。


あと一歩だった。


美月のせいで取り逃がした。


彩香の顔が怒りで赤くなる。


「あのアホツインテール……今度ばっかりは許さん」


彩香は本気で美月へ向かおうとする。


麻衣が止めた。


「彩香さん、今は美月さんに怒ってる場合やないです」


「怒る場合や! あいつ、何回邪魔したら気が済むんや!」


「でも、追う方が先です」


麻衣の声は落ち着いていた。


彩香は踏みとどまる。


副として支える。

麻衣を主担当として立てる。


玲奈の言葉が頭をよぎる。


彩香は奥歯を噛んだ。


「……分かった。指示して」


麻衣は頷く。


「社長は逃げてません。逃げたのは端末を持った運び役です。あの人、観光客に紛れて道の駅側へ抜けるはずです」


「根拠は」


「靴が山道用やなくて、運転用でした。車で来てます。それに、さっきから右手でポケットの鍵を確認してました」


彩香は一瞬だけ目を見開く。


「よう見てるな」


「彩香さんに鍛えられましたから」


麻衣と彩香は追跡を始める。


運び役は道の駅の裏手からワゴン車へ乗り込む。山間部の細い道路へ逃げ込もうとする。


彩香が運転する車で追う。

麻衣は助手席で道を読む。


「この先、橋があります。右へ逃げたら林道。左なら温泉街へ戻ります」


「どっちや」


「右です。人目を避けたいはずです」


麻衣の読みは当たった。


ワゴン車は林道へ入る。


狭い道。

急カーブ。

片側は斜面。

もう片側は川。


派手な追跡戦になった。


彩香は舌打ちしながらハンドルを切る。


「麻衣、しっかり掴まっとき!」


「はい!」


逃走車は倒木ぎりぎりを抜け、山道を荒く走る。彩香は無理にぶつけない。距離を保ち、逃げ道を読ませ、相手の焦りを待つ。


玲奈から教わった“追い詰めすぎない”判断だった。


その時、前方に妙な人だかりが見えた。


美月だった。


ロケの流れで、なぜか地元の人たちと一緒に道の駅裏の広場で即席の観光PRダンスをしている。しかも、撮影スタッフの車と観光客の車が中途半端に道を塞いでいた。


彩香が叫ぶ。


「何してんねん、あいつ!」


だが、それが結果的に逃走車の進路を塞いだ。


運び役は慌ててブレーキを踏み、車体が横滑りする。逃げ場を失ったところへ、彩香が車を斜めに入れて退路を塞ぐ。


麻衣が素早く飛び出す。


運び役は端末を持って逃げようとするが、麻衣はすでに先回りしていた。道の駅裏の木製デッキの段差を利用し、相手の進路を止める。


彩香が後ろから腕を押さえる。


確保。


観光客は何が起きたのか分からず、なぜか拍手した。

美月も目を丸くする。


「え、うち今、何か大活躍した?」


彩香は歯ぎしりする。


「腹立つけど……した」


美月は胸を張る。


「やっぱりうち、戦隊ヒロイン界の中心人物やな!」


「調子乗るな!」


さつきはカメラを回したまま、困ったように笑っていた。


「これは……放送できませんね」


任務は完了した。


端末からは、偽装温泉ファンドの帳簿データ、黒鷹の資金洗浄ルート、廃校地下の通信設備に関する記録が見つかる。温泉再生会社の社長も事情聴取を受け、黒鷹の山間部ルートは潰された。


麻衣は、主担当として冷静に任務をまとめた。


彩香も認めざるを得なかった。


「麻衣、ようやった」


麻衣は少し照れたように笑う。


「ありがとうございます」


だが、彩香の怒りは収まらなかった。


分室へ戻った後も、彩香はずっとわめいていた。


「あのアホツインテール……ホンマええ加減にせえよ。宍粟の原木しいたけで頭ポカポカしたるわ」


麻衣は冷静に突っ込む。


「それって意味あるんですか?」


彩香は即答した。


「知らんわ! ボケェ!」


麻衣はさらに首を傾げる。


「しいたけ、たぶん割れますよ」


「割れたら鍋に入れたるわ!」


「それ、美月さんへの罰やなくて晩ごはんですやん」


「知らんわ! ボケェ!」


そのやり取りを聞いていた玲奈は、いつもの鉄仮面のままだった。


だが、口元がほんの少しだけ緩む。


彩香はそれに気づいた。


「玲奈さん、今笑いました?」


玲奈は即答する。


「笑っていません」


麻衣は小さく笑う。


「今のは笑ってましたね」


玲奈は表情を戻す。


「任務報告を続けて」


彩香はまだぶつぶつ言っている。


「あのアホツインテール……原木しいたけ十本でも足りへん……」


麻衣は落ち着いた声でまとめた。


「でも、今回分かったことがあります。黒鷹は、悪い顔して近づいてくるんやなくて、ええ話の顔して入り込んでくるんですね」


玲奈は静かに頷いた。


「だから厄介なの」


宍粟の温泉ファンドは潰れた。

だが、黒鷹の地下ルートがすべて消えたわけではない。


港から山へ。

物流から資金洗浄へ。

会社から地域再生へ。


黒鷹は姿を変えながら、まだ地下で息をしている。


そしてNSTもまた、少しずつ変わり始めていた。


玲奈は背負うだけの指揮官ではなくなろうとしていた。

彩香は次代の指揮官として、人を動かすことを学び始めた。

麻衣はもう、守られるだけの妹分ではなかった。


宍粟の山に立ちのぼる湯けむりの向こうで、黒い帳簿の一枚が燃え尽きる。


だが、その灰はまだ地下へ落ちていく。


黒鷹は消えない。


ただ、次の顔を探している。

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