玄武の柱、消えた地磁気ログ ― ジオパーク・シャドウストーン
石は、黙っている。
人間のように弁解しない。
人間のように嘘を飾らない。
ただ、そこにある。
兵庫県豊岡市、玄武洞公園。
円山川の流れを背に、黒々とした玄武岩の柱がそびえている。六角形の柱状節理が幾重にも重なり、まるで自然が造った巨大な神殿のようだった。岩肌は冷たく、影は深い。見上げる者は、そこに地球の時間を感じる。
人の一生よりはるかに長い時間。
国が興り、滅び、町が変わり、人が忘れても、石は残る。
玄武洞から山陰海岸ジオパークへ目を向ければ、日本海側の荒々しい海岸線、断崖、洞門、岩場、砂浜が続く。但馬の山河と日本海の風が作り上げた、兵庫県北部の大きな宝だった。
そこは観光地であり、学びの場であり、地球の記憶そのものだった。
だが、黒鷹一味は、その記憶さえ利用しようとしていた。
NSTに入った情報は、奇妙なものだった。
玄武洞公園周辺で行われる地質調査イベントに紛れ、地磁気観測ログを改ざんしようとする者がいる。
目的は、県北部から山陰方面へ抜ける地下構造の再解析。旧軍由来の隠し施設か、黒鷹残党が使える地下連絡ルートか。真相はまだ分からない。だが、地形、磁気、岩石、観測ログを組み合わせれば、黒鷹は新たな逃走路と拠点を探し出せる可能性があった。
玲奈は資料を閉じた。
「石に嘘をつかせる気か」
彩香が眉を寄せる。
「地磁気ログの改ざんですか。地味やけど、通されたら厄介ですね」
「ああ。地図を作られる」
「誰を入れます?」
玲奈は少し考えた。
透視。
物の奥にある異物を見抜く力。
最初に候補に挙がったのは、山口唯奈だった。微妙な魔法少女。能力は癖が強いが、見えないものを見るという点では候補になる。
玲奈は一応、唯奈に連絡を入れた。
返ってきた声は、いつものように濃かった。
「いやぁ玲奈さんよぉ、行ぎてぇのは山々なんだけんどもよぉ、今ちょうど畑が手ぇ離せねぇ時期でなぁ。苗も見ねぇといかんし、じいちゃんが腰やっちまって、こっちもてんてこ舞いだっぺよ。玄武洞? 石? そりゃ見てぇけんど、今そっち行ったら畑がどえらいことになっちまうべ。こっちもなぁ、土が呼んでんだよぉ」
通信室に沈黙が落ちた。
あかりが首をかしげる。
「今の、何割くらい分かりました?」
彩香は目を細めた。
「半分やな」
玲奈は冷静に要約した。
「畑が忙しいから来られへん、や」
あかりは驚く。
「今の長さで、それだけですか?」
「それだけや」
「茨城弁、圧縮率すごいですね」
彩香がぼそりと言う。
「逆や。膨張しとる」
唯奈は無理だった。
そこで玲奈が声をかけたのが、神門結衣だった。
出雲の静謐。
神門結衣。
出雲市出身、広島在住。実家は出雲大社近くの土産物屋。巫女ではない。だが、静かな場所に立つと、人の気配や物の奥にある異物を、ぼんやりと読むことができる。透視と言い切るには曖昧だが、玄武洞のような石の沈黙の中では、その曖昧さが武器になる。
玲奈は結衣に言った。
「石の中を見る仕事や」
結衣は静かに聞き返した。
「石の中、ですか」
「正確には、石に紛れた嘘を見る」
結衣は少しだけ考え、頷いた。
「分かりました。静かな場所なら、たぶん見えます」
そして結衣は、出雲から豊岡へ向かった。
玄武洞公園では、地質調査イベントが始まっていた。研究者、学生、観光客、地元スタッフが入り混じる。玄武岩、柱状節理、地磁気、山陰海岸ジオパークの解説。観光と学術が同じ場所で静かに重なっている。
結衣は地質調査ボランティアとして潜入した。
作業用ベスト。
帽子。
マスク。
手袋。
資料を抱え、岩石サンプルの整理を手伝う。
派手さはない。
だが、場に溶けるのが早い。
春日美咲は観光スタッフとして潜入した。案内所でパンフレットを配り、観光客の流れを整え、足元の悪い場所へ不用意に近づかないよう自然に誘導する。奈良公園の鹿のように大人しく従順な美咲は、ここでも違和感なくスタッフに見えた。
若林あおいはヘリコプターで上空から監視に入る。円山川沿いの道路、駐車場、山陰海岸方面へ抜けるルート。不審車両があれば、すぐに追える位置だった。
黒鷹の工作員は、調査スタッフを装っていた。
彼らは岩石サンプルケースを運びながら、地磁気観測ログを改ざんする小型端末を設置しようとしている。端末は測定器に見える。ケースの底に隠されていれば、普通のスタッフには分からない。
だが、結衣は岩壁の前で足を止めた。
黒い玄武岩の柱。
冷たい影。
静かな空気。
結衣は、岩を見ているようで、サンプルケースを見ていた。
無線を入れる。
「玲奈さん」
「何や」
「石の箱の中に、石じゃないものがあります」
彩香が聞き返す。
「透視か?」
結衣は淡々と答える。
「はっきり見えるわけじゃありません。でも、重さのない黒い四角があります。石の気配じゃないです」
玲奈は短く言った。
「当たりやな」
美咲からも報告が入る。
「作業員の一人、観光客から質問されても答えられていません。地質調査のスタッフにしては不自然です」
あおいの声が続く。
「円山川沿いに不審車両一台。駐車場で待機中。逃走用の可能性あり」
玲奈は静かに指示を出す。
「まだ押さえるな。動かしてから取る」
その時だった。
予定外の声が、玄武洞公園に響いた。
「今日は、兵庫県北部が誇る大自然の宝庫、山陰海岸ジオパークの魅力をお伝えします!」
三好さつきだった。
神戸放送の情報番組で、ジオパーク特集の取材に来ていたのである。長い黒髪、清楚な雰囲気、長身で画面映えする姿。カメラの前で、さつきは明るく微笑んでいた。
「こちら玄武洞公園では、地球の歴史を感じられる迫力ある岩の景観が広がっています!」
監視側の彩香が頭を抱える。
「また来たんか、さつき……今度は石か」
あかりが小声で言う。
「さつきさん、ほんとにどこにでも来ますね」
「来るなとは言えんのが腹立つ」
さつきの取材班は、地質調査ボランティアにもインタビューを始めた。
そして、マスク姿の結衣に近づいた。
さつきは結衣に気づかない。
以前会ったことはあるが、帽子とマスク、作業用ベスト、資料を抱えた姿は完全に地質調査ボランティアだった。
結衣は、もちろんさつきに気づいていた。
だが、結衣は何も言わない。
静かに立ったまま、マイクを向けられる。
さつきが笑顔で尋ねた。
「地質調査ボランティアとして参加されているんですね。玄武洞の魅力は、どんなところでしょうか?」
結衣は少し間を置いた。
「石が、黙っているところです」
さつきが目を瞬かせる。
「石が……黙っている?」
「はい。人間より正直です」
さつきは感心したように頷いた。
「深いですね。では、調査で特に気をつけていることは?」
結衣はぶっきらぼうに答える。
「嘘の石を見つけることです」
「嘘の石、ですか?」
「石のふりをしたものがあります」
さつきは、研究者肌の本職ボランティアだと思い込んだ。
「なるほど。自然の中にある違和感を見つける、ということですね」
結衣は短く言う。
「そうです」
実際には、核心を言っていた。
だが、さつきは美しい比喩として受け取っていた。
彩香は無線の向こうでうめく。
「結衣、ぶっきらぼうすぎるやろ。けど、さつきが勝手にええ話にしとる」
あかりが笑いをこらえる。
「完全に本職の人だと思ってますね」
玲奈は静かに言った。
「それでええ」
さつきの取材は、黒鷹の計画を大きく狂わせた。
黒鷹は本来、観光客の少ないタイミングでサンプルケースを調査区域の奥へ運び、地磁気ログ改ざん端末を設置する予定だった。だが、取材カメラが地質調査の現場に入り、導線を塞いだ。
さらに、さつきは無邪気に調査スタッフへ質問して回った。
「こちらのサンプルは、どのような岩石なんですか?」
黒鷹工作員は答えられない。
「ええと……火山の……岩です」
さつきは笑顔のまま続ける。
「柱状節理との関係は?」
男の目が泳ぐ。
「関係は……深いです」
「地磁気の調査というのは、具体的にはどのようなことを?」
男の顔色が変わった。
さつきは気づかない。
だが、カメラは向いている。
黒鷹は動けない。
美咲が報告する。
「対象、焦っています。サンプルケースを持ったまま円山川側へ移動します」
あおいの声が上空から届く。
「不審車両が動きました。河川沿いの駐車場へ向かっています」
玲奈は短く命じた。
「結衣、箱を押さえろ。美咲、観光客を離せ。あおい、車両を追え」
結衣は静かに動いた。
玄武洞の黒い石柱を背に、サンプルケースを持った工作員へ近づく。マスク越しの声は低く、淡々としていた。
「それ、石じゃありません」
男は立ち止まった。
「何のことですか」
「箱の底に、黒い四角があります」
「測定器です」
「違います。石のふりをした機械です」
男の表情が崩れた。
逃げようとした瞬間、美咲が観光客を自然に別方向へ誘導する。
「こちら、足元が滑りやすくなっています。少し離れてご覧ください」
人の流れが切れる。
結衣はケースに手を伸ばした。
「置いてください」
男が振り払おうとする。
だが、その先にはNSTの協力員がいた。
同時に、あおいのヘリが上空から逃走車両を追尾する。
「車両、円山川沿いを北へ。県警へ位置共有します」
玲奈の指示で県警が動く。
逃走を図った車両は、河川沿いの道で押さえられた。
玄武洞公園では、さつきの取材がまだ続いている。
彼女は最後まで何も知らない。
「玄武洞の迫力ある景観と、地球の歴史を感じられるジオパークの魅力。皆さんもぜひ、現地で体感してみてください!」
明るい声が響く。
その裏で、黒鷹の地磁気ログ改ざん計画は完全に潰えていた。
押収された端末の中には、地磁気観測ログを改ざんするプログラムと、県北部の地下構造を推定する解析データが入っていた。黒鷹は、それを使って新たな逃走路と隠れ拠点を見つけるつもりだった。
任務後、玲奈は端末を見ながら言った。
「石に嘘をつかせる気やったんやな」
結衣は玄武洞の岩壁を見上げる。
「石は黙っています。でも、嘘はつきません」
美咲が静かに頷いた。
「嘘をついていたのは、人の方でした」
彩香はため息をつく。
「それにしても、さつきは今回も邪魔して、結果的に助けて、何も知らんまま帰っていったな」
あかりが笑う。
「結衣さんのインタビュー、すごく専門家っぽかったです」
「“石が黙ってる”で専門家扱いされるんやから、テレビって怖いわ」
玲奈は書類を見るふりをした。
だが、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
黒い玄武岩の柱は、今日も静かに立っている。
円山川は穏やかに流れ、観光客は石の迫力に息を呑む。
誰も知らない。
その石の影で、黒鷹の地磁気ログ改ざん計画が消えたことを。
玄武洞は黙っている。
だが、NSTはその沈黙の中に潜む嘘を見逃さなかった。




