硝子の令嬢、沈黙の晩餐会 ― グラス・レセプション
宮崎県都城市出身。
南九州の温暖な気候の中で育った迫田澄香と迫田澪香は、西日本特別諜報班NSTの中でも異彩を放つ存在である。
長い黒髪、整った顔立ち、上品な立ち居振る舞い。そして何より、一目では見分けがつかないほどよく似た双子の美貌。
だが、その華やかな外見に惑わされる者ほど、二人の本当の恐ろしさを知らない。
空前絶後。
戦隊ヒロイン史上でも極めて珍しい、双子による実戦運用。
姉の澄香は冷静沈着な分析力を武器とし、妹の澪香は柔軟な判断力と社交性で相手の懐へ入り込む。
互いが互いを知り尽くしているからこそ可能な連携は、もはや言葉すら必要としない。
視線ひとつ。
わずかな仕草ひとつ。
それだけで作戦が成立する。
黒鷹一味が恐れるのは、彩香の豪快な突破力でも、美音の圧倒的な身体能力でもない。
気付いた時には隣にいる。
気付いた時には情報を抜かれている。
気付いた時には逃げ道を塞がれている。
そんな迫田ツインズの静かな恐怖だった。
高級ホテル。
政治家のパーティー。
企業のレセプション。
美術館。
チャリティーイベント。
普通の捜査員では近付けない華やかな世界こそ、二人の戦場である。
美しい笑顔の裏で情報を集め、優雅な会話の裏で標的を追い詰める。
そして任務が終われば、何事もなかったかのように人混みへ消えていく。
華やかであることは武器になる。
美しいことも武器になる。
そのことを誰よりも理解しているのが、迫田澄香と迫田澪香だった。
西日本特別諜報班NST。
その中で最も静かに、最も深く敵地へ入り込む二人。
それが――
都城が生んだ空前絶後の双子ヒロイン、迫田ツインズである。
神戸の夜は、硝子の中に嘘を閉じ込める。
旧居留地の石造りの街並みには、港町の品格がある。重厚な近代建築、磨かれた歩道、ショーウィンドウに映る街灯。坂を上れば北野。異人館の影が夜景を背負い、海からの風が古い洋館の窓を震わせる。
神戸市の旧居留地から北野周辺。
そこは、兵庫の中でも特別な場所だった。
港町の洗練、異国情緒、財界の匂い、歴史の重み。
表向きは美しい。だが、美しすぎる場所には、影が似合う。
その夜、旧居留地から少し坂を上がった高級迎賓館で、非公開のチャリティ晩餐会が開かれていた。
招待客は限られている。
県内有力企業の経営者、外資系投資家、医療法人の理事、文化財団の役員、県政関係者、そして表向きには名の知れた善意の人々。
若者支援。
災害復興。
地域文化の継承。
テーブルに並ぶ言葉は清潔だった。
だが、その裏に黒鷹の匂いがあった。
西日本特別諜報班NSTに入った情報は、晩餐会を利用した裏資金ルートの再構築だった。直接、現金は動かない。金が動いたように見せる。寄付名簿、海外財団の招待状、チャリティオークションの落札番号、席次表。そのすべてが暗号になっていた。
玲奈は資料を閉じた。
「派手な会場ほど、静かに汚れる」
彩香が腕を組む。
「普通の捜査員は入れませんね。作法、会話、語学、見た目。全部揃ってへんと浮きます」
玲奈は短く言った。
「澪香でいく」
宮崎県都城市出身。
迫田ツインズの一人、迫田澪香。
華やかな容姿、整った所作、落ち着いた声、海外留学経験。澪香は、海外財団から派遣された若手スタッフ兼通訳補助として迎賓館へ潜入した。
黒のドレスは控えめだった。
だが、彼女が立つだけで空気が変わる。
派手ではない。
しかし、目を引く。
美しいだけではなく、知的で、隙がない。
受付で招待状を確認し、海外投資家へ英語で案内し、来賓には柔らかな日本語で対応する。ワインの銘柄を尋ねられても詰まらない。席次の変更にも乱れない。通訳補助として会話に入り、必要以上には話さず、必要な情報だけを拾う。
「Good evening. Thank you for joining us tonight」
完璧だった。
財団側の担当者は、早くも感心していた。
「迫田さん、本当に臨時の方ですか? すごく助かっています」
澪香はにっこり微笑む。
「ありがとうございます。皆様のお邪魔にならないよう、努めます」
その微笑みの裏で、澪香は聞いていた。
三番テーブル。
青い封筒。
落札番号七一。
淡路経由。
次は北側の階段。
何気ない会話の中に、黒鷹の影が混じっている。
澪香はグラスを並べ替えるふりをして、無線に囁いた。
「三番テーブル、県政関係者と海外財団役員が接触。落札番号七一が合図の可能性があります」
玲奈の声が返る。
「続けろ。深追いはするな」
彩香も低く言う。
「危ない思うたら、すぐ合図出せ」
「了解です」
迎賓館のホールには、シャンデリアの光が落ちていた。ピアノの音が流れ、グラスが鳴り、上質な笑い声が重なる。表向きには、善意と社交の夜だった。
そこへ、予定外の光が入った。
正面玄関の外に中継車が止まる。
スタッフが機材を運ぶ。
カメラが回る。
長身で、長い黒髪の清楚な女性が、明るい声でレポートを始めた。
三好さつきだった。
「今夜は、神戸の歴史ある迎賓館で開かれている非公開チャリティ晩餐会、その一部をこっそりお見せします~」
彩香は監視画面を見て、額に手を当てた。
「また来たんか、さつき……」
さつきは何も知らない。
黒鷹のことも、澪香の潜入も、裏資金の暗号も知らない。
ただ、神戸放送の情報番組レポーターとして、許可された範囲で華やかな晩餐会の雰囲気を伝えているだけだった。
しかし、その明るい登場が、黒鷹側の計画を狂わせた。
黒鷹は、報道陣が完全に引いた後、迎賓館の裏階段から青い封筒を運び出す予定だった。ところが、さつきの取材は妙に丁寧だった。
玄関ホール。
階段前。
シャンデリアの下。
ワインセラーへ続く廊下。
チャリティオークションの展示コーナー。
カメラが、黒鷹の導線を次々に塞いでいく。
工作員たちは焦った。
予定が狂う。
封筒を動かせない。
関係者の接触も遅れる。
彩香が苦々しく言う。
「邪魔やのに、また役に立っとる」
玲奈は静かに答えた。
「混乱を使え」
その混乱の中、澪香はさらに奥へ入った。
控室に、青い封筒がある。
海外財団名義の招待者リストに見せかけた資金移動記録。
そこまで読んだ。
だが、黒鷹も馬鹿ではない。
澪香が控室に入った瞬間、背後で扉が閉じた。
「財団スタッフにしては、見すぎだな」
男の声。
澪香は振り返る。
黒鷹の監視役だった。
もう一人、影がある。
出口側にも男が立っている。
二対一。
澪香は表情を崩さなかった。
「迷われたお客様がいらっしゃったと聞き、確認に参りました」
男は笑わない。
「綺麗な嘘だ」
距離が詰まる。
澪香は逃げない。
騒がない。
晩餐会の裏で悲鳴を上げれば、証拠は消える。客も巻き込まれる。
だから彼女は、テーブルの上のグラスを一つだけ動かした。
音は小さい。
カチン。
それは、迫田ツインズが決めていた緊急合図だった。
別室の澄香が即座に反応する。
「澪香、危険です」
玲奈の声が鋭くなる。
「彩香、あかり」
彩香はもう動いていた。
「了解」
あかりも拳を握る。
「行きます」
二人は正面からは入らない。厨房導線を抜け、配膳スタッフの動きに紛れ、裏廊下へ入る。会場では、まだピアノが流れている。さつきのレポートも続いている。
「こちら、チャリティオークションに出品される品々です。どれも神戸らしい上品さがありますね~」
その明るい声の裏で、彩香とあかりが影の中を走る。
派手だった。
だが、隠密だった。
あかりは真正面から扉を開けない。配膳台を押すスタッフのふりで廊下を進み、扉の前で一瞬だけ止まる。
彩香が目で合図する。
一、二。
三で入った。
扉が開く。
男が反応するより早く、あかりが踏み込んだ。
「澪香さんから離れてください」
声は低い。
だが、体は弾丸だった。
黒鷹の男が腕を伸ばす。あかりはその腕を払わない。正面から受け、肩で押し込み、壁際へ沈める。派手に見えるほどの勢いなのに、物音は最低限だった。椅子一つ倒さない。
もう一人が出口へ走る。
そこに彩香がいた。
「あんたはこっちや」
播州の烈火。
怒ると怖い女が、今は冷静だった。
男が刃物を抜こうとする。彩香はその手首を取り、体を半回転させる。男の膝が崩れ、床へ落ちた。衝撃は鈍い。だが、隣のホールには届かない。
あかりが一人目を押さえ、彩香が二人目を制圧する。
派手に動いた。
けれど、誰にも見せなかった。
それがNSTの戦いだった。
澪香は青い封筒を取り、乱れた髪を軽く直す。
「ありがとうございます」
彩香は短く返す。
「無事で何よりや」
あかりは小さく笑った。
「澪香さん、全然怖がってませんでしたね」
澪香はにっこり微笑む。
「怖かったですよ」
その声は、どこまでも上品だった。
一方、会場では何も起きていない。
さつきは、シャンデリアの下で締めのコメントに入っていた。
「普段は見ることのできない非公開のチャリティ晩餐会。その一部を、今夜は特別にお届けしました。神戸の夜に、温かな善意の輪が広がっています」
彩香は無線で呟く。
「善意の輪の裏で黒鷹が床に転がっとるけどな」
玲奈が静かに言う。
「余計なこと言うな」
証拠は揃った。
青い封筒。
落札番号。
寄付名簿。
海外財団の偽装書類。
元県知事側へ流れる資金の痕跡。
澄香は出口側を押さえ、麻衣は来客導線を自然に変え、美咲は会場スタッフに紛れて不審な客を遠ざけた。玲奈は県警本部へ証拠を送る。
晩餐会は続く。
乾杯があり、スピーチがあり、オークションがあり、拍手が起きる。
客たちは何も知らない。
財団関係者も、表向きには気づかない。
シャンデリアは変わらず輝き、グラスは静かに鳴り、料理は予定通り運ばれた。
非公開チャリティ晩餐会は、何事もなかったように終了した。
黒鷹の資金網だけが、音もなく切断されていた。
任務後、財団側の責任者が澪香へ歩み寄った。
「迫田さん、今夜は本当に助かりました。通訳も進行補助も完璧でした」
澪香は微笑む。
「ありがとうございます」
責任者は本気だった。
「正式に、うちの財団で働きませんか? あなたのような方なら、すぐにでも歓迎します」
澪香は少しだけ目を細めた。
答えは言わない。
ただ、にっこりと微笑むだけだった。
分室へ戻る車内で、彩香がため息をついた。
「迫田ツインズ、潜入先でスカウトされすぎやろ」
あかりが笑う。
「でも、今日の澪香さん、本当に財団スタッフにしか見えませんでした」
麻衣も頷く。
「綺麗で、落ち着いてて、すごかったです」
美咲が静かに言う。
「怖いくらい自然でした」
澪香は澄香と目を合わせる。
双子は同じタイミングで、同じように微笑んだ。
「任務ですから」
玲奈は短く言った。
「ようやった」
その一言で、澪香の表情が少しだけ柔らかくなる。
旧居留地の硝子窓には、神戸の夜景が映っていた。
北野の坂には、静かな風が流れていた。
誰も知らない。
誰も騒がない。
誰も称えない。
それでいい。
硝子の令嬢は、沈黙の晩餐会で笑っていた。
その微笑みの裏で、黒鷹の心臓に冷たい刃を届かせながら。




