消えた鐘の音、偽りの巡礼者 ― モンク・シャドウライン
書寫山には、街とは違う時間が流れている。
兵庫県姫路市の北西。山の上に広がる古刹の一帯は、観光地でありながら、どこか俗世から切り離された場所だった。深い杉木立。苔むした石段。風に揺れる木々。重厚な堂宇。遠くから響く鐘の音。
姫路城が白く華やかな表の顔なら、書寫山は静かに息づく奥の顔だった。
参道を歩く者は、自然と声を落とす。
そこには、ただの観光地ではない、長い祈りの積層があった。
だが、その静けさに黒鷹が入り込んでいた。
県警から西日本分室へ届いた情報は、不自然なものだった。
巡礼客に紛れた工作員が、書寫山のどこかに小型通信装置を設置しようとしている。鐘の音、読経、観光客のざわめきに紛れさせ、短い暗号信号を兵庫県内の黒鷹残党へ飛ばす計画だった。
玲奈は資料を見て、すぐに言った。
「普通に探しても見つからん」
彩香も険しい顔で頷く。
「山の中、観光客、巡礼客、寺の施設。隠す場所はいくらでもあります」
そこで玲奈が依頼したのが、神門結衣だった。
出雲の静謐。
出雲市出身、現在は広島市在住。実家は出雲大社近くの土産物屋であり、巫女ではない。だが、静かで、余計なことを言わず、場に溶け込むような存在感を持つ。さらに、透視に近い特殊能力を持っていた。
玲奈は電話で協力を頼む。
「結衣、姫路で手を貸してほしい」
結衣は少しだけ間を置き、静かに答えた。
「分かりました。静かな場所なら、見えると思います」
本来、透視といえばもう一人いる。
常陸太田市の農民兼ゆるい魔法少女、山口唯奈。
玲奈は念のため、唯奈にも連絡を入れていた。だが返ってきた返事は、ほとんど暗号だった。
「いやぁ玲奈さんよぉ、行ぎでぇのは山々なんだけんども、今ぁ畑がえれぇこどんなってっから姫路さ行ぐのは無理だっぺよ。朝から畝見で、昼に苗見で、夕方に水回り見ねぇと、うぢの野菜がへそ曲げっからよぉ。黒鷹だか黒豆だか知らねぇけんど、今この時期に畑空けたら、あとで土に怒られっぺ。ほんに悪りぃなぁ」
玲奈は電話を切った。
彩香が聞く。
「何て?」
玲奈は無表情で答えた。
「畑が忙しい」
あかりが首を傾げる。
「今の長い話、全部それですか?」
「たぶんな」
結果的には、それでよかった。
今回の書寫山には、アクの強い唯奈よりも、静かに景色へ溶け込む結衣の方が向いていた。
任務当日。
結衣は巡礼客に扮して山へ入った。
若林あおいはサポートとして、高所と遠隔監視で全体を見張る。
玲奈と彩香は山麓側から指揮を執り、麻衣、美咲、あかりも参道付近に散った。
結衣は石段をゆっくり上がる。
足音は小さい。
視線は静か。
誰の記憶にも残らないような自然さで、巡礼客の中に溶ける。
杉木立の間を抜ける風。
遠くの鐘。
観光客の話し声。
鳥の声。
結衣はふと立ち止まった。
「……見えます」
玲奈の声が無線に入る。
「場所は?」
「鐘楼の近くではありません。少し外れた石垣の影。木箱があります」
あおいが確認する。
「石垣裏に不自然な人物二名。巡礼客に見せていますが、動きが硬いです」
彩香が低く言う。
「当たりやな」
任務は順調だった。
結衣の透視は冴えていた。
あおいの支援も正確。
美咲は参道の人流を読み、麻衣は観光客を自然に誘導し、あかりは下側の退路を押さえる。
このままなら、静かに終わる。
そう思った瞬間だった。
「うわぁ、ここめっちゃ雰囲気あるやん!」
明るすぎる声が、山の静けさを切り裂いた。
赤嶺美月だった。
明るいツインテール。
小柄。
声が通る。
そして悪気がない。
その隣には、巻き髪の真央。
「美月さん、ここパワースポットだがね。せっかくだで、ちゃんとお願いごとしやぁ」
ドギツイ尾張弁だった。
美月が目を輝かせる。
「ほんま? ほなお願い三つくらいしたろ!」
真央がすかさず返す。
「三つで足りるん? 美月さんなら十個くらい欲張ると思っとったわ」
「何でやねん!」
彩香はモニター越しに額を押さえた。
「アホツインテールだけでなく、今回は巻き髪まで居る……」
玲奈は静かに言う。
「気づかれるな」
彩香は呻いた。
「無理難題ですわ」
美月と真央は、何も知らずに書寫山を楽しんでいた。
「ここ写真撮ろ!」
「鐘の音ええなぁ!」
「美月さん、あっちのお堂も見やぁ。歴史ありそうだがね」
「真央、詳しいん?」
「全然知らん。でも雰囲気で言っとる」
「適当やな!」
この二人が歩くだけで、周囲の空気が揺れる。
観光客が振り向く。
若者が写真を撮る。
年配の参拝客まで、何となく微笑む。
だが、黒鷹には最悪だった。
工作員は、石垣の陰の木箱へ通信装置を仕込む予定だった。
しかし、美月と真央が近くで騒ぐ。
人が寄ってくる。
動けない。
そして、真央の悪気のないコミュ力が事件を壊し始めた。
真央は木箱を持つ男に近づいた。
「お兄さん、それ何持っとるん? えらい地味な箱だがね」
男の肩がわずかに揺れる。
結衣が即座に反応する。
「動揺しました」
あおいも告げる。
「対象、右手が木箱へ。警戒しています」
男は顔を背ける。
「関係ない」
真央はまったく引かない。
「関係ないことないがね。そんなとこで木箱抱えとったら、誰でも気になるが。お土産? 仏具? それとも弁当?」
美月も横から覗き込む。
「弁当やったら見せてや。腹減ってきた」
男は焦る。
「見るな」
真央が眉を上げる。
「なんで見たらあかんの? 余計怪しいでかんわ」
彩香は無線で呻く。
「巻き髪、強い……」
あかりが小声で言う。
「普通に尋問みたいになってますね」
「せやけど、本人にその気がないんが怖いんや」
男が逃げようとした。
その瞬間、結衣が静かに進路を塞ぐ。
「そちらへは行けません」
声は柔らかい。
だが逃げ道は完全に切られていた。
あおいが上から指示を飛ばす。
「二人目、東側へ移動」
美咲が参道側を塞ぐ。
麻衣が参拝客を自然に遠ざける。
あかりが下側から上がってきた工作員を止める。
「止まってください!」
黒鷹の工作員は一気に崩れた。
木箱からは小型通信装置が発見された。鐘の音に合わせて短い暗号信号を飛ばす仕組み。発信先は、兵庫県内に潜伏する黒鷹残党の連絡網だった。
任務完了。
ただし、締まりは最悪だった。
美月はまだ分かっていない。
「何やったん? あのお兄さん、急に走ったで」
真央も首を傾げる。
「あれ絶対怪しかったがね。うち、ちょっと聞いただけなのに逃げるんだもんで、変だと思ったんだわ」
彩香は返す言葉がなかった。
真央の悪気のない尾張弁コミュ力が、不審者を炙り出した。
美月の騒がしさが、黒鷹を焦らせた。
結衣の透視が確証を取り、あおいの監視が逃走路を塞いだ。
任務としては完勝。
だが、勝ち方がぐてんぐてんだった。
分室へ戻った後も、空気は妙だった。
彩香は腕を組んで唸る。
「……成功やな」
あかりが頷く。
「成功ですね」
麻衣も言う。
「通信装置は見つかりました」
美咲も静かに続ける。
「工作員も確保しました」
彩香は眉間を押さえた。
「せやけど、何やろな。この負けた感じ」
玲奈も否定しない。
「結果は出た」
「玲奈さん、それ一番歯切れ悪いやつです」
結衣は静かにお茶を飲んでいた。
「任務は終わりました」
あおいも淡々と答える。
「合理的には成功です」
彩香は机に突っ伏した。
「合理的には、やろ? 感情的には負けとるんや。アホツインテールと巻き髪に助けられたみたいになっとるんや」
あかりが笑いを堪える。
「でも真央さん、すごかったですよね。『それ何持っとるん?』って普通に聞いてました」
彩香が顔を上げる。
「すごいんやない。危ないんや。あれはコミュ力やない。無自覚強制事情聴取や」
麻衣が吹き出しそうになる。
美咲も口元を押さえる。
あかりがさらに言う。
「美月さんも、今回は結果的に役立ちましたね」
彩香の目が死んだ。
「それを言うな」
「でも事実です」
「言うな言うとるやろ」
「美月さんと真央さんの連携、意外とすごいですね」
彩香は天井を見上げた。
「もう嫌や……アホツインテール単体でも厄介やのに、巻き髪が付いたら災害や。しかも今回は災害が消火活動したみたいになっとる」
あかりは腹を抱えて笑い出した。
「災害が消火活動って何ですか!」
彩香は真顔で言う。
「知らん。今のうちも分からん」
分室が珍しく爆笑に包まれた。
玲奈は窓の外を見るふりをした。
だが、その口元はわずかに緩んでいた。
書寫山には、再び静かな鐘の音が戻った。
その音の裏で、黒鷹の連絡網は断たれた。
勝った。
確かに勝った。
だが、なぜか誰も胸を張れない。
出雲の静謐・神門結衣は、静かに任務を終えた。
あおいの支援も完璧だった。
NSTも的確に動いた。
それなのに最後に残ったのは、真央のドギツイ尾張弁と、美月の騒がしいツインテールが黒鷹を追い詰めたという、どうにも締まらない事実だった。
影の特命は、時にこういう日もある。
静かな鐘の音に包まれながら、NSTはまた一つ、ぐてんぐてんの勝利を積み上げた。




