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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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鳴る風鈴、消えた設計図 ― サマー・サウンドコード

城崎温泉の夏は、音で涼を運ぶ。


兵庫県豊岡市。

但馬の山あいに抱かれた名湯・城崎温泉。


大谿川沿いには柳が揺れ、石造りの太鼓橋がかかる。夕暮れになると、浴衣姿の宿泊客が下駄を鳴らしながら外湯を巡る。湯けむり、川面に映る灯り、老舗旅館の格子窓。派手さではなく、積み重ねた時間で人を惹きつける温泉街だった。


その城崎で、夏の風鈴イベントが始まっていた。


旅館の軒先。

川沿いの小径。

外湯へ続く通り。

涼やかな風鈴が、街全体に柔らかな音を散らしていた。


だが、その音に黒鷹の影が混じっていた。


黒鷹は、温泉街の風鈴イベントを隠れ蓑に、特殊な音響素子を仕込んでいた。風鈴の音に紛れた微弱な信号で、近隣施設の警備センサーへ干渉する実験を行う。さらに、老舗旅館に宿泊する建設会社関係者が持ち込んだ公共施設の改修設計図データも狙っていた。


音で警備を狂わせ、設計図を盗む。


静かな温泉街には似つかわしくない、陰湿な任務だった。


玲奈は資料を閉じた。


「美咲向きや」


彩香も頷く。


「人の流れ、音の違和感、旅館の中での潜入。美咲が一番自然です」


今回の主人公は、春日美咲。


奈良公園の鹿のように大人しく、従順で、控えめ。

目立たない。声を荒げない。余計なことを言わない。


だが、その静けさの奥に、最近は確かな芯が出てきていた。


美咲は老舗温泉旅館の仲居見習いとして潜入する。


紺の作務衣。

控えめな笑顔。

丁寧なお辞儀。


旅館に入った瞬間から、美咲は空気に溶け込んだ。


「お荷物、お持ちします」


「外湯めぐりの地図はこちらです」


「夕食は十八時からでございます」


外国人観光客には、最近上達してきた英語で対応する。


「This way, please. The public bath is very popular in the evening. Please enjoy Kinosaki」


発音は完璧ではない。

だが、ゆっくり、丁寧で、相手に届く英語だった。


外国人客は笑顔になる。


「Very kind」


「Good English」


「Thank you, Misaki」


旅館の女将も感心した。


「春日さん、ほんまに臨時なん? よかったら正式に来てくれへん? うち、今すぐでも欲しいわ」


美咲は困ったように頭を下げる。


「ありがとうございます。でも、別の仕事がありますので……」


無線越しに彩香が呟く。


「また勧誘されとる」


玲奈は静かに言った。


「美咲は現場に馴染む。それが強みや」


美咲は旅館の中で、誰よりも静かに観察していた。


風鈴の位置。

鳴る間隔。

風の抜け方。

客の視線。

旅館スタッフの導線。

同じ場所を何度も通る男。


やがて、美咲は一つの違和感を拾う。


「玲奈さん」


「何や」


「一つだけ、風鈴の音が遅れてます」


彩香が聞く。


「遅れる?」


「風で鳴っているんじゃない感じです。他の風鈴より、少しだけ反応が遅いです」


玲奈の声が低くなる。


「当たりかもしれん」


美咲はその風鈴を確認しようと、縁側へ向かった。


その時だった。


温泉街の通りから、妙に明るい声が響いた。


「城崎来たら浴衣やろー!」


赤嶺美月だった。


明るいツインテール。

小柄な体。

浴衣姿。

大学の友人たちと湯巡りを楽しんでいる。


しかも、美月は城崎温泉に詳しかった。


「こっちが外湯やで!」


「この橋のとこ写真撮ったら映えるねん!」


「そこの温泉まんじゅう、めっちゃ美味いで!」


「射的も行こ!」


普通の観光客なら可愛い話で済む。

だが美月は、微妙に人気者だった。


「あ、美月ちゃん?」


「写真いいですか?」


「テレビで見たことある!」


あっという間に人だかりができる。


彩香は監視映像を見て、額を押さえた。


「あのアホツインテール、もう堪忍ならん……」


美咲も困った。


調べたい風鈴の近くに、美月が来る。

別の導線を使おうとすると、美月が友人を連れて回ってくる。

人の流れが変わり、旅館の予定された静けさが崩れる。


だが、困っていたのはNSTだけではなかった。


黒鷹の工作員も焦っていた。


彼らは、風鈴に仕込んだ音響素子を使い、警備センサーに一瞬の空白を作る。その隙に、建設会社関係者の鞄から設計図データを抜くつもりだった。


しかし、美月がいる。


人が集まる。

写真を撮る。

笑い声が増える。

通路が詰まる。


工作員は動けない。


「何だ、あの女は……」


予定が狂う。

受け渡し場所を変える。

だが、美月はまた現れる。


「次、こっち行こ!」


彩香は苦々しく言った。


「邪魔やのに、結果的に邪魔しとる相手が黒鷹なんが腹立つわ」


玲奈は短く返す。


「使える混乱は使え」


その混乱の中、美咲の観察力が光った。


普通の観光客は、美月の騒ぎを見る。

旅館スタッフは、人だかりを整理する。

外国人客は写真を撮る。


だが、一人だけ違う。


風鈴と建設会社関係者の鞄だけを見ている男。


美咲は静かに無線へ告げる。


「対象、見えました」


玲奈が言う。


「追え。客を驚かせるな」


「はい」


美咲は仲居として自然に動く。


「お客様、こちらは関係者通路でございます」


男が立ち止まる。


「少し迷っただけだ」


美咲は柔らかく頭を下げる。


「それでしたら、外湯めぐりの道をご案内いたします」


声は静か。

だが、進路は完全に塞いでいた。


男が強引に抜けようとする。


その瞬間、風鈴が鳴った。


チリン。


普通の音ではない。

美咲は即座に判断する。


「その風鈴、外してください」


旅館スタッフへ指示するふりをしながら、仕込まれた音響素子を押さえる。


同時に、別の工作員が小型端末を持って逃げた。


設計図データ。


彩香が無線で叫ぶ。


「美咲、右や!」


美咲は走らない。


浴衣客を驚かせず、旅館の廊下を静かに抜ける。

足音を立てない。

視線を集めない。

ただ、確実に距離を詰める。


地味だが速い。


裏庭の石畳で、美咲は逃走経路を塞いだ。


「それ、返してください」


男が横へ逃げようとした瞬間、彩香が現れる。


「終わりや」


短い制圧。

風鈴に仕込まれた音響素子は回収され、盗まれかけた設計図データも確保された。


任務完了。


美月は最後まで何も気づかない。


「いやー、城崎最高やな! 湯巡り、あと二つ行こ!」


友人たちと浴衣姿で楽しそうに去っていく。


分室へ戻った後、彩香は怒りを爆発させた。


「あのアホツインテール、ほんまエエ加減にせえよ!」


あかりは笑いを堪えきれない。


「でも、結果的には美月さんのおかげで任務成功しましたよね?」


「それが一番腹立つんや!」


「役に立ったならいいじゃないですか」


「知らんうちに役立つな! ちゃんと邪魔なら邪魔らしく邪魔しろ!」


あかりは吹き出した。


「邪魔らしく邪魔って何ですか!」


麻衣も肩を震わせ、美咲も珍しく口元を押さえている。迫田ツインズまで同じタイミングで笑いを堪えていた。


彩香は止まらない。


「あのアホツインテール、外湯七湯の湯上がり札を全部首からぶら下げさせて、城崎駅前で一日中“どの風鈴が一番アホっぽく鳴るか選手権”やらせたる!」


あかりは完全に笑っていた。


「それ、美月さん楽しみそうですけど!」


「ほな、下駄でカランコロン鳴らしながら一晩中、風鈴に謝罪文読み上げさせたる!」


「風鈴に謝る意味ありますか?」


彩香は真顔で叫んだ。


「知るかボケェ!」


分室が爆笑に包まれた。


あかりは腹を抱え、麻衣も笑い、美咲は控えめに肩を震わせていた。


その様子を見ていた玲奈は、窓の外を見るふりをした。


だが、口元はわずかに緩んでいた。


城崎の風鈴は、今日も涼やかに鳴る。

その音の裏で、黒鷹の影は静かに断たれた。


そして奈良公園の鹿のように大人しい春日美咲は、誰にも気づかれぬまま、また一つ任務を成し遂げた。

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