帰ってきた分室、終わらない非常線 ― リターン・トゥ・ベース
海上空港の連絡橋を渡った車列は、大阪府内へ戻ってきた。
先頭は岡本玲奈の乗用車。
その後ろに、伊吹真白が運転するカンガルーマークの大型トラック。
さらに河合美音の大型自動二輪、大西結月の自転車を積んだ車両、そしてヒロインたちを乗せた私鉄系タクシー会社のくたびれた車両が続く。
海上空港非常線は終わった。
だが、黒鷹との戦いは終わっていない。
NSTは、本来の拠点である大阪府内のヒロ室西日本分室へ帰ってきた。
久しぶりの分室は、海上空港の臨時詰所とは違っていた。
窓がある。
外の光が入る。
人の気配がある。
あかりが入口で大きく伸びをした。
「やっぱり分室は落ち着きますね!」
麻衣も微笑む。
「空港の詰所は、ほんまに何もなかったですもんね」
美咲は静かに頷く。
「でも、あそこにも少し愛着がありました」
彩香は荷物を見ながら言った。
「感傷に浸る前に荷下ろしや。真白、頼むわ」
運転席から降りた伊吹真白は、いつもの控えめな笑顔で頷いた。
「はい。まず重い箱から降ろします。端末類は最後です。机は奥へ。資料箱は二階へお願いします」
そこからは早かった。
真白は現役トラックドライバーだった。
荷物の積み方、下ろす順番、動線の作り方、すべてに無駄がない。
「その箱は横にしないでください」
「椅子は先に入れると邪魔になります」
「美音さん、その機材は壁側へお願いします」
「結月さん、その箱は軽いので上に積めます」
彩香が感心する。
「ほんま、物流のプロやな」
真白は少し照れた。
「仕事ですから」
一時間ほどで、海上空港から持ち帰った荷物は分室へ収まった。
臨時詰所の匂いが少しだけ消え、いつもの西日本分室の空気が戻ってくる。
玲奈が全員を集めた。
「海上空港任務、ご苦労やった」
短い言葉だった。
だが、全員の表情が締まる。
「県警本部から正式に感謝の言葉を預かってる。NSTは本当によくやっている、とのことや」
あかりが少し嬉しそうにする。
麻衣も美咲も、迫田ツインズも表情を和らげる。
だが、玲奈の声はそこで少し低くなった。
「ただし、期待が大きくなれば、それだけ危険な任務も増える」
全員が黙った。
「私は、みんなを無駄に危険へ晒すつもりはない。安全第一や。任務は成功させる。けど、全員で帰ってくる。それが最優先や」
玲奈は、部外協力者の真白も含めて全員を見た。
「私が全力で守る。だから、お前らも自分と仲間を守れ」
彩香が静かに頷く。
「了解です」
全員の返事が重なった。
それは、海上空港で鍛えられた者たちの返事だった。
続いて彩香が立ち上がる。
「ほな、現場キャップから一つ」
嫌な予感がした。
あかりが小声で言う。
「美月さんの話ですね」
彩香は即答した。
「せや」
全員が苦笑する。
「今後はまた兵庫県内での隠密任務が中心になる。せやから、くれぐれも余計な人間にバレるな」
そこで彩香は眉間に皺を寄せた。
「特に赤嶺美月。あのアホツインテールには絶対バレるな。あいつは任務の邪魔をするために生まれてきたような女や」
その瞬間だった。
ガラッ。
分室の扉が開いた。
「邪魔するで〜!」
明るい声。
小柄な体。
元気なツインテール。
赤嶺美月だった。
隣には、まどか。
両手には、例の豚まんの紙袋。
彩香の顔が固まる。
「邪魔するんやったら帰って〜!」
美月は一瞬止まった。
「ほな帰るわ〜」
本当に一歩下がる。
あかりが慌てる。
「えっ、帰るんですか?」
美月はすぐ戻ってきた。
「帰らへんわ!」
彩香が指差す。
「帰る言うたやろ!」
「言うただけや!」
「言うたら帰れ!」
「言葉の綾や!」
「綾で入ってくんな!」
「分室の空気吸いに来ただけや!」
「空気税取るぞ!」
「何税やねん!」
まどかが紙袋を持ったまま、冷静に言う。
「二人とも入口で渋滞作らんといて」
美月は室内を見回した。
「おお〜、皆さんお揃いで。美音さん、あおいさん、結月さん、それに真白までおるやん。楽しそうやな。何してるん?」
彩香は即答する。
「あんたには関係ない」
美月は頬を膨らませる。
「関係ないはないやろ。ウチも西日本の仲間やん」
「仲間やけど、任務には混ぜへん」
「なんでや!」
「あんたが喋るからや!」
「喋るのは人間の基本機能や!」
「あんたの場合は騒音機能や!」
「ひどっ! 彩香、心が狭いわ!」
「うちは心が狭いんやない。警戒範囲が広いんや」
「うまいこと言った顔すな!」
あかりが間に入ろうとする。
「まあまあ、美月さんも彩香さんも……」
彩香が睨む。
「あかり、お前は黙っとけ。ややこしくなる」
「なんで私まで怒られるんですか!」
美月が乗る。
「そうやそうや! あかりは悪くない!」
彩香がさらに怒る。
「お前が一番悪い!」
「ウチ、まだ豚まん持ってきただけやん!」
「持ってくる前から悪い!」
「存在罪やん!」
美咲が小さく呟く。
「……すごい罪名ですね」
麻衣は苦笑している。
真白は状況を理解しきれず、荷物の横で静かに立っていた。
まどかが紙袋を机に置く。
「それより、豚まん食べよ」
その一言で空気が変わった。
全員の視線が紙袋へ向く。
彩香と美月だけがまだ睨み合っている。
「先に謝れ」
「彩香が謝れ」
「なんでや」
「怖い顔したからや」
「元からや!」
「自覚あるんや!」
その横で、まどかが袋を開けた。
ふわりと湯気が立つ。
麻衣が目を輝かせる。
「美味しそう」
美咲も静かに言う。
「いい匂いです」
あおい、結月、美音、真白、迫田ツインズも手を伸ばす。
あかりは真っ先に一つ取った。
「いただきます!」
「美味しい〜!」
麻衣も頷く。
「ほんま美味しいです」
美咲も表情を少し緩める。
「これは、元気が出ますね」
真白は小さく笑う。
「関西に戻ってきた感じがします」
玲奈も紙コップの茶を片手に、静かに一つ受け取った。
彩香と美月は、まだ低レベルな喧嘩をしていた。
「ツインテール片方だけ結び直したろか」
「そんな嫌がらせある?」
「左右非対称にしたる」
「オシャレになるかもしれへんやん」
「ならん。事故や」
「彩香の眉間の皺の方が事故や」
「何やと?」
その間に、豚まんはどんどん減っていく。
数分後。
彩香がようやく机を見る。
空だった。
「……あれ?」
全員が静かになる。
彩香がゆっくり言う。
「うちの分は?」
視線が一斉に、あかりへ向く。
あかりの手には半分残った豚まん。
口元にも、明らかに食べた痕跡。
あかりは固まる。
「えっと……」
彩香の笑顔が怖い。
「あかり」
「はい」
「後で話がある」
「すみません! でも美味しくて!」
「美味しいから食うたんやろが!」
美月が笑う。
「彩香、豚まん一個で怒りすぎやで」
彩香が振り返る。
「元はと言えば、お前が来たからや!」
「差し入れ持ってきた善人に何言うてんねん!」
「善人は任務中に乱入せぇへん!」
「任務やったん?」
彩香が固まる。
美月がにやりとする。
「ほら、やっぱり何かしてたんや」
彩香は咳払いした。
「してへん」
「今、任務中言うた」
「言うてへん」
「言うた」
「空耳や」
「便利な耳やな!」
そのやり取りに、分室中が笑いに包まれた。
玲奈は黙って見ていた。
海上空港での戦いは重かった。
県警本部との対立。
黒鷹の凶悪化。
仲間の負傷。
玲奈自身への襲撃。
それでも、彼女たちはここにいる。
騒がしく、若く、明るく、腹を立て、笑い、豚まんを奪い合っている。
玲奈の鉄仮面が、ほんの少しだけ崩れた。
口元が、わずかに緩む。
彩香が気づく。
「玲奈さん、今笑いました?」
玲奈はすぐに無表情へ戻る。
「笑ってへん」
美月が指差す。
「いや、笑ってたで!」
玲奈は静かに言った。
「うるさい」
だが、その声は少しだけ柔らかかった。
リコールされた元県知事は、まだ闇の中で蠢いている。
その私兵、黒鷹一味もまた、兵庫県内に影を落とし続けている。
西日本特別諜報班NSTの任務は、これからも冷徹で、厳しく、危険なものとなるだろう。
だが、彼女たちは戻ってきた。
海上空港で鍛えられた判断力。
仲間を守る覚悟。
そして、どんな暗闇にも消えない若さと明るさ。
闇が深くなる時、非常線は再び引かれる。
人知れず、音もなく、しかし確かに。
兵庫の街を、黒鷹の魔の手から守るために。
西日本特別諜報班NST。
影の特命は、ここから再び始まる。




