海上空港非常線 第81話 飛び立つ者たち ― グッドバイ・エアポート
県警本部から正式通達が届いたのは、黒鷹の大規模テロを阻止して数日後だった。
「海上空港特別警戒任務、終了」
短い文面だった。
だが、その一行で、長く続いた海上空港での戦いが終わった。
海上空港の臨時詰所は、相変わらず殺風景だった。
窓はない。
壁は白い。
机は安い。
椅子は硬い。
空調の音だけが、無駄に大きい。
あかりが部屋を見回して、ぽつりと言った。
「窓すらない何もない場所でしたけど……いざ離れるとなると寂しいものですね」
麻衣が頷く。
「最初は、ここで何日も過ごすなんて思いませんでした」
美咲は壁際に立ち、静かに言う。
「でも、気がついたら毎日ここにいました」
迫田澄香は机の傷を指でなぞった。
「この机、何度も作戦図を広げましたね」
澪香も同じ顔で微笑む。
「最初は臨時詰所だったのに、いつの間にか私たちの場所になっていました」
彩香は照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「まあ、ろくな場所やなかったけどな。けど……悪くはなかった」
玲奈は何も言わなかった。
ただ、部屋の隅から隅までを静かに見ていた。
ここで何度も決断した。
ここで何度も怒った。
ここで何度も誰かを止めた。
そして、ここで何度も仲間を送り出した。
午後、引っ越しが始まった。
空港搬入口へ滑り込んできたのは、カンガルーマークの大型トラックだった。
運転席から降りてきたのは、伊吹真白。
小柄で色白。
一見すると病弱そうな美少女。
だが、現役トラックドライバーとして鍛えられた動きは無駄がない。
「お疲れさまです。積み込み、始めます」
そこからは早かった。
資料箱。
端末。
折りたたみ机。
ホワイトボード。
非常用バッグ。
雑多な備品。
真白が淡々と指示を出す。
「重い箱は奥です」
「それは横にしないでください」
「端末類は最後に固定します」
「その椅子、先に積むと無駄が出ます」
彩香が感心する。
「さすが本職やな」
真白は小さく笑う。
「積み方を間違えると、走った時に荷崩れしますから」
あっという間だった。
詰所は空になった。
ガランとした部屋。
最初に来た日のような、ただの無機質な空間。
あかりが最後に振り返る。
「ありがとうございました」
麻衣も小さく頭を下げる。
「ここで、強くなれました」
美咲は静かに言った。
「忘れません」
迫田澄香。
「何度も人の流れを読みました」
迫田澪香。
「何度も、危険の気配を拾いました」
彩香は短く言う。
「世話になったな」
玲奈は最後に一歩だけ部屋へ残り、何もない壁を見た。
「任務終了」
それが、玲奈なりの別れだった。
夕方、空港警察の里緒と梓が見送りに来た。
里緒は柔らかく笑う。
「本当に帰るんですね」
彩香が返す。
「また事件が起きたら来ますわ」
「それは困ります」
短い笑いが起きる。
梓は無表情で紙袋を差し出した。
「餞別です」
中には、淡路島の玉ねぎ。
かなり多い。
あかりが目を丸くする。
「多くないですか?」
梓は真顔だった。
「美味しいです。甘いです。日持ちします」
麻衣が丁寧に受け取る。
「ありがとうございます」
美咲が小さく笑う。
「しばらく玉ねぎ料理ですね」
別れは派手ではなかった。
だが、確かに温かかった。
そして出発の時が来る。
先頭は、玲奈の乗用車。
無駄のない黒い車体が、夕陽を受けて静かに光る。
その後ろに、伊吹真白のカンガルーマークの大型トラック。
荷台には、海上空港で戦った日々の荷物が詰め込まれている。
さらに、美音の大型自動二輪。
低いエンジン音が、空港道路に重く響く。
結月は自転車で連絡橋手前まで並走する。
細い車輪が、夕暮れのアスファルトを切る。
そして、ヒロインたちを乗せた私鉄系タクシー会社の車両が続く。
相変わらずボロい。
座席は少しくたびれ、ドアの閉まる音も軽くない。
彩香が後部座席でぼやく。
「最後の最後までボロタクシーかいな」
あかりが笑う。
「でも、なんか海上空港編らしいですね」
「どこがや」
麻衣は玉ねぎの袋を抱えている。
美咲は窓の外を見ている。
迫田ツインズは並んで静かに座っている。
車列が動き出した。
空港連絡橋へ入る。
海が広がる。
夕陽が水面を赤く染める。
遠くで飛行機が離陸する。
玲奈の車。
真白のトラック。
美音の大型二輪。
結月の自転車。
ボロい私鉄系タクシー。
それぞれ形は違う。
だが、同じ方向へ進んでいた。
まるで古い刑事ドラマのエンディングのように、車列は海の上を渡っていく。
誰も大きな声を出さない。
それでも、全員が分かっていた。
海上空港での任務は終わった。
だが、戦いは終わっていない。
リコールされた元県知事。
その私兵である黒鷹一味。
逃げた残党は、再び兵庫県内で動き出す。
海上空港非常線は、ここで幕を下ろす。
玲奈はバックミラー越しに、遠ざかる空港を見た。
「帰るで」
彩香が頷く。
「はい」
大阪府内のヒロ室西日本分室へ。
そして次の戦場へ。
海上空港で鍛えられたNSTは、もう以前のNSTではない。
飛び立つ者たちは、空港を後にした。
その背中に、次の非常線を背負って。




