海上空港非常線 第77話 見えない非常線 ― インビジブル・ガード
黒鷹は、ついに標的を変えた。
空港施設ではない。
貨物でもない。
警護対象でもない。
岡本玲奈。
海上空港に詰めるNSTの中枢。
冷静な判断で何度も黒鷹の工作を潰してきた、静かなる美貌のボス。
玲奈を消せば、NSTは揺らぐ。
黒鷹はそう読んだ。
最初に異変に気づいたのは、迫田澪香だった。
「玲奈さん、最近おかしい」
澪香は詰所の隅で、澄香と彩香にだけ話した。
「帰る時だけ、周囲を見る回数が増えてる。駅のホームでも立ち位置を変えてる。いつもの玲奈さんなら、無駄な動きはしない」
澄香も頷いた。
「私もそう思ってた」
彩香はしばらく黙ったあと、低く言った。
「私もや」
玲奈は何も言わない。
表情にも出さない。
普段通り、冷静で、無駄がなく、誰にも隙を見せない。
だが、完璧すぎた。
それが逆に怪しかった。
迫田ツインズは、玲奈の帰宅時にこっそり尾行することにした。
もちろん玲奈に気づかれないように。
そして、見た。
空港島を出た後、玲奈の背後につく黒い車。
駅構内で距離を保つ男。
コンビニ前で立ち止まる不自然な二人組。
マンション近くで、同じ時間に停まっている車両。
危険は一度ではなかった。
何度も、何度も、玲奈に迫っていた。
そして玲奈は、それを全部ひとりで処理していた。
道を変え、歩幅を変え、視線を外し、尾行を切る。
誰にも知らせず、誰にも頼らず。
澄香は悔しそうに言った。
「玲奈さん、全部ひとりで抱えています」
澪香も静かに続けた。
「このままだと、いつか隙を突かれます」
彩香の目に火が入った。
「玲奈さんを守る」
その言葉に迷いはなかった。
その夜、NSTの非公式会議が開かれた。
あかり、麻衣、美咲。
美音、結月、あおい。
迫田ツインズ。
そして空港警察の里緒、梓。
彩香は全員を見た。
「玲奈さんが狙われてる。本人は言わへん。たぶん言う気もない」
あかりが身を乗り出す。
「じゃあ守りましょう」
麻衣も即答した。
「当然です」
美咲は静かに頷く。
「放っておけません」
美音は短く言った。
「導線を組みます」
結月も言う。
「移動中は任せてください」
あおいは端末を開く。
「上から見ます」
里緒は穏やかな顔のまま、目だけを鋭くした。
「空港警察も協力します」
梓も淡々と続ける。
「玲奈さんに気づかれない護衛計画を作ります」
全員の意見は一致した。
コード名は、インビジブル・ガード。
玲奈に気づかれず、玲奈を守る。
見えない非常線だった。
翌夜。
玲奈はいつも通り勤務を終え、ひとりで空港島を出た。
彼女は気づいていない。
いや、正確には少し気づいていたかもしれない。
だが、周囲に張られた味方の線までは読めなかった。
澪香と澄香は人混みに紛れ、玲奈の後方を追う。
美咲は駅構内の案内板近くに立つ。
麻衣は改札付近で一般客の流れを見る。
美音は外周の車両導線を監視。
結月は自転車で逃走路を押さえる。
あおいは高所から俯瞰する。
里緒と梓は空港警察側の監視網を動かす。
そして前線には、彩香とあかり。
黒鷹は駅前の薄暗い通路で動いた。
二人組の男が玲奈の進路を塞ぎ、別の一人が背後へ回る。
誘拐か、襲撃か。
どちらにせよ、もう猶予はなかった。
最初に飛び出したのは、あかりだった。
「行きます!」
四日市の突貫娘。
低い姿勢で一直線に突っ込む。
男が玲奈へ伸ばした腕を、あかりが肩で弾いた。
そのまま体を入れ、腕を取り、壁際へ押し込む。
「玲奈さんには触らせません!」
もう一人が横から来る。
そこへ彩香が入った。
播州の烈火。
踏み込み一歩。
襟元を掴み、相手の勢いを逆に使って叩きつけるように崩す。
「うちのボスに何しとんねん」
声は低い。
怒りは鋭い。
黒鷹はさらに増える。
通路奥から二人。
外の車から一人。
里緒が前へ出た。
温厚そうで、柔らかい空港警察官。
だが、実は武闘派だった。
「ここから先は通しません」
男が強引に抜けようとする。
里緒は一歩下がるように見せて、相手の腕を内側へ巻き込む。体勢を崩し、壁際へ封じる。
あかりが驚く。
「里緒さん、強っ!」
里緒は微笑む。
「警察官ですから」
美音が逃走車両を読み、結月が自転車で先回りする。
あおいが上から逃げ道を潰す。
迫田ツインズは一般客の流れを逸らし、麻衣と美咲が巻き込まれそうな人を安全圏へ誘導する。
梓は監視映像で残りの工作員を拾う。
全員が動いていた。
玲奈は、その中心に立っていた。
自分が守られている。
その事実に気づいた時、玲奈の表情がほんのわずかに揺れた。
最後の工作員が玲奈へ向かって走る。
玲奈も身構える。
だが、その前にあかりと彩香が並んで入った。
あかりが低く突っ込み、相手の足を止める。
彩香がその腕を取り、完全に制圧する。
「終わりや」
黒鷹の襲撃は失敗した。
玲奈は無傷。
一般客も巻き込まれなかった。
任務完了。
だが、詰所に戻った玲奈は珍しく怒っていた。
「誰が護衛しろ言うた」
彩香は即答した。
「言われてません」
玲奈の目が細くなる。
「なら何や」
「勝手にやりました」
あかりがまっすぐ言う。
「だって玲奈さん、大事ですし」
麻衣も静かに言った。
「いつも守ってもらってますから」
美咲も頷く。
「今度は、私たちの番です」
迫田ツインズも同じ顔で微笑む。
美音は淡々と。
「必要な措置でした」
結月も続ける。
「守れる時に守る。それだけです」
あおいは静かに言った。
「玲奈さんが倒れたら、空から見ても穴が大きすぎます」
里緒は柔らかく笑う。
「空港警察としても、放っておけません」
梓は無表情で言った。
「合理的判断です」
玲奈は言葉を失った。
孤立しがちだった。
県警本部との対立も、黒鷹の標的になったことも、全部ひとりで背負うつもりだった。
だが、目の前のメンバーは違った。
熱いハートを持つ仕事人たち。
若く、危なっかしく、それでも確かに強くなった仲間たち。
彩香が静かに言う。
「玲奈さん」
「何や」
「たまには守られてください」
長い沈黙。
玲奈は窓の外を見た。
そして、小さく言った。
「……慣れてへん」
詰所に、ほんの少しだけ笑いが落ちた。
玲奈は全員を見た。
「ありがとう」
短い言葉だった。
だが、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。
黒鷹は玲奈を狙った。
だが、玲奈には見えない非常線があった。
それは空港を守る線ではない。
岡本玲奈というひとりの上司を、仲間全員で守るために引かれた、熱く美しい非常線だった。




