海上空港非常線 第74話 黒い寄付金、白い搭乗券 ― チャリティ・シャドウ
海上空港のイベントホールには、白い募金箱が並んでいた。
災害支援チャリティ。
被災地へ送る義援金、支援物資、協賛企業からの寄付。
会場には親子連れ、企業関係者、空港利用客、ボランティアの大学生たちが集まっている。
表向きは、善意の場所だった。
だが、黒鷹はそこへ手を伸ばした。
寄付金の一部を海外口座へ流し、同時に協賛企業関係者の搭乗券情報を抜き取る。
金と移動情報。
善意を隠れ蓑にした、資金洗浄と情報収集だった。
資料を見た麻衣の顔が変わった。
普段は穏やかで、小柄で、優しい。
だがその目だけが冷えていた。
「こういうん、いっちゃん嫌いやわ……」
紀州弁が低く落ちた。
「人の善意踏みにじるんだけは、ほんま許せやん」
隣の美咲も静かだった。
奈良公園の鹿のように従順で大人しい女。
声を荒げることなど滅多にない。
だが、寄付金記録を見つめる目は、いつもより鋭かった。
「こんなん、あかんやん……。人助けのお金に手ぇ出すやなんて、最低やわ」
奈良弁の穏やかさの奥に、静かな怒りがあった。
玲奈は二人を見て、短く言った。
「潜れ。ただし、一人で突っ走るな」
彩香も続ける。
「怒るんは分かる。でも証拠を取る。必ず報告しろ」
二人は頷いた。
麻衣と美咲は、大学生ボランティアスタッフとしてイベント会場へ入った。
白いスタッフベスト。
名札。
募金箱の管理表。
来場者誘導。
麻衣は受付で笑顔を崩さない。
「こちらで受付お願いします」
「募金は無理のない範囲で大丈夫です」
「支援物資は種類ごとに分けますね」
美咲は物資仕分けコーナーで淡々と動く。
「毛布はこちらです」
「食品は賞味期限を確認します」
「箱には番号を振ってください」
最初は臨時ボランティアと思われていた二人だが、すぐに周囲の空気が変わった。
麻衣は迷っている学生ボランティアへ的確に声をかける。
「募金箱は二人一組で見てください。ひとりに任せたらあかんです」
美咲は記録用紙を整えながら、静かに指示する。
「こっちの欄、先に書いといた方が後で楽やと思います」
派手さはない。
だが、現場が整っていく。
主催者の担当者は本気で感心した。
「お二人、本当に学生さんですか? 進行がかなり助かっています」
麻衣は笑う。
「お役に立ててよかったです」
美咲も小さく頭を下げる。
「できることをしてるだけです」
だが、二人の目は任務を追っていた。
最初に違和感を拾ったのは麻衣だった。
募金箱の番号と回収表の数字が、わずかに合わない。
大きな差ではない。
だが、何度も同じ企業協賛ブース周辺でズレが出ている。
「彩香さん、寄付額の記録が微妙に違います」
美咲も同じ頃、搭乗券管理側で異常を見つけていた。
「協賛企業の関係者だけ、搭乗便の控えが余計にコピーされています」
梓が裏で照合する。
「二つの情報がつながります。寄付金の送金記録と搭乗券情報が同じ外部端末へ流れています」
玲奈の声が落ちる。
「黒鷹やな」
黒鷹の工作員は、イベント終了後に寄付金データを持ち出すつもりだった。
会場が片付けで混乱する時間。
善意の余韻に、誰も不正を疑わない瞬間。
麻衣の拳が小さく握られる。
「こんなん絶対許さん」
美咲も静かに言う。
「うちも、許されへんと思います」
クライマックスは、イベント終了間際だった。
黒鷹の男が、回収済み募金箱の管理端末を持ち出そうとする。
別の女が搭乗券情報を入れた白い封筒を持って、協賛企業ブースの裏へ抜ける。
麻衣は走らない。
一度、彩香へ報告する。
「対象二名。片方は募金端末、片方は搭乗券封筒です」
彩香の声。
「よう見た。まだ行くな。美咲、裏導線は?」
「塞げます」
玲奈が短く言う。
「証拠ごと取れ」
麻衣は頷く。
「はい」
男が通路を抜けようとする。
その前に、麻衣が立った。
小柄な体。
柔らかな笑顔。
だが、目は笑っていない。
「その端末、確認させてもらいます」
男が強引に抜けようとする。
麻衣は半歩横へ滑った。
紀州の舞姫。
軽いステップ。
踏み込み、かわし、回り込み、相手の力を外へ流す。
男の腕が空を切る。
麻衣はその手首を取り、流れるように体勢を崩した。
派手ではない。
だが、美しい制圧だった。
美咲は裏側で、封筒を持った女の前に立っていた。
「そっちは通れへんと思います」
静かな奈良弁。
女が別方向へ逃げようとすると、すでに里緒が空港警察として待っていた。
「確認にご協力ください」
迫田ツインズが来場者を自然に外へ流し、あかりが最後の逃走役を押さえる。
「確保です!」
寄付金データ、搭乗券情報、外部送金先。
証拠はすべて押収された。
任務完了。
任務後、主催者側は麻衣と美咲に何度も頭を下げた。
「お二人がいなければ、運営が回りませんでした。本当に助かりました」
それが表の感謝だった。
裏では、玲奈が短く言った。
「ようやった」
彩香も二人を見る。
「怒りに任せて突っ走らんかった。報告して、証拠ごと取った。今日は文句なしや」
麻衣はまだ表情が硬かった。
「でも、こんなん絶対許さんです」
美咲も頷く。
「うちもです。人助けの気持ちを利用するんは、あかんと思います」
彩香は少しだけ柔らかく言った。
「優しい奴ほど、怒らせたら怖いな」
二人は黙っていた。
その沈黙は、以前よりずっと頼もしかった。
一方、玲奈は県警本部との通話に戻っていた。
本部はまた言う。
「今回もNSTは成果を出した。より危険度の高い資金ルート追跡にも投入できるはずだ」
玲奈の声は冷たかった。
「成果を出したから危険な任務へ回す、という話にはなりません」
「だが黒鷹の資金線を追うには、NSTの潜入力が必要だ」
「必要でも、限度があります」
沈黙。
対立は、さらに深まっていた。
玲奈は受話器を置き、窓のない詰所の壁を見る。
守りたい。
使わせたくない。
だが、任務は待ってくれない。
外では、海上空港のアナウンスが流れている。
チャリティイベントは成功したことになっている。
誰も知らない。
その善意の裏で、黒い金が流れかけていたことを。
そして、それを止めたのが、優しい二人の静かな怒りだったことを。




