海上空港非常線 第72話 止まった貨物機、動き出す影 ― カーゴ・クライシス
海上空港の貨物地区は、旅客ターミナルとは別の顔を持っている。
そこには笑顔も土産袋もない。
あるのはコンテナ、牽引車、フォークリフト、危険物ラベル、積載指示、無線の短い声だけだった。
その夜、一機の貨物機が止まった。
理由は単純ではない。
危険物輸送システムに異常。
リチウム電池、医療用薬品、精密機器用ガス、可燃性資材。
本来なら厳密に分類され、絶対に隣接させてはいけない貨物が、システム上では安全な組み合わせに書き換えられていた。
事故に見せかけた爆破。
黒鷹の仕業だった。
県警本部からの要請は強かった。
「NSTに初動を任せたい」
「貨物エリア内部で即応できるのはNSTだけだ」
玲奈は報告書を見て、即座に言った。
「あかり、麻衣、美咲は外す」
詰所の空気が止まった。
あかりが真っ先に声を上げる。
「なんでですか。私、行けます」
麻衣も前に出た。
普段は控えめな彼女が、今日は引かなかった。
「玲奈さん。私も行かせてください」
玲奈は見ない。
「今回はあかん」
「守る立場なのに、守られるのは嫌です」
麻衣の声は震えていなかった。
小柄で童顔の彼女が、真正面から玲奈を見ていた。
美咲も静かに続ける。
「貨物導線なら、私も役に立てます」
玲奈は短く答えた。
「爆発リスクがある。三人は二十歳未満や。現場には入れへん」
あかりの顔が歪む。
「年齢で決めるんですか」
「今回はそうや」
彩香が間に入った。
「玲奈さんの判断は分かる。危険物やし、爆発リスクもある」
そこで言葉を切る。
「でも、三人はもう何度も現場を越えてます。あかりは前線で戦える。麻衣は現場を見られる。美咲は導線を読める。行かせてやりたい気持ちはあります」
玲奈は彩香を見た。
「だからこそや」
低い声だった。
「危険な現場に慣れさせすぎた」
それ以上、誰も言えなかった。
今回、前へ出るのは河合美音と大西結月。
美音は設備、物流、危険物コード、車両導線を読む。
結月は広大な貨物ヤードを自転車で切る。
二人とも二十歳以上。
そして、玲奈が任せるだけの実力を持っていた。
美音は貨物管理端末を見て、すぐに異常を掴んだ。
「この危険物コード、意図的に分類がずらされています」
彩香が問う。
「爆発するんですか」
「このまま積めば、貨物機の中で反応事故を起こす可能性があります。事故に見せかけた爆破です」
美音の声に揺れはなかった。
「貨物コンテナ三基、位置を変えます。結月さん、第二ヤードへ」
「了解」
結月が走った。
貨物地区の夜は広い。
大型車両が動き、作業灯が白く光り、コンテナの影が深い。
自転車の機動力が生きる場所だった。
美音は端末越しに指示を飛ばす。
「黄色ではありません。青い識別票の方です」
「見えました」
「第三保管区画へ。絶対に隣接させないでください」
結月は現場作業員へ即座に伝え、車両導線を切る。
大型車両では間に合わない。徒歩では遅い。
結月の脚だけが、時間を縮めていく。
一方、美音は改ざん箇所を次々に潰していた。
「黒鷹の目的は貨物機ではありません」
玲奈が聞く。
「何や」
「貨物機爆破による空港閉鎖です。貨物機一機を失わせるより、空港全体を止める方が目的です」
玲奈の目が細くなる。
「止めろ」
「止めます」
美音は言い切った。
最後のコンテナが積み込みルートへ押し出される。
黒鷹の工作員が、作業員に紛れていた。
危険物同士を隣接させる最後の一手だった。
県警本部から無線が入る。
「NSTで止めてください」
玲奈は冷たく返す。
「現場判断はこちらでします」
だが、美音はもう動いていた。
「結月さん、積み込み車両の前へ」
「入ります」
結月が車両導線へ滑り込む。
自転車を横にして進路を切る。
「そのコンテナは積めません」
工作員が逃げようとする。
しかし退路には彩香。
「終わりや」
短い制圧。
同時に美音が積み込み許可を無効化する。
貨物機は止まったまま。
爆発は起きない。
危険物は正規位置へ戻される。
任務は完璧だった。
あまりに完璧すぎた。
県警本部からは称賛が来た。
「NSTの初動で大事故を防いだ」
「河合美音の解析力は突出している」
「今後も同種任務への協力を期待する」
しかし、詰所に勝利の空気はなかった。
あかりが俯いたまま言う。
「私たち、信用されてないんですか」
麻衣は静かだった。
しかし、その静けさが重い。
「危ないから外す、というのは分かります。でも……私は守る側にいたいです」
美咲も短く言った。
「役に立てたと思います」
玲奈は黙っている。
彩香が息を吐く。
「玲奈さん。今回の判断は間違ってないと思います」
そして、三人を見る。
「でも、納得せぇと言うには、あの子らはもう現場を知りすぎてます」
玲奈はようやく口を開いた。
「分かってる」
それだけだった。
詰所は重かった。
もともと無機質な部屋だった。
窓は小さく、机は事務用。椅子も硬い。壁には必要最低限の資料しかない。
そこに沈黙が落ちると、空気まで冷たくなった。
美音と結月は完璧な仕事をした。
貨物機爆破は防がれた。
黒鷹の計画は潰された。
それでも、NSTの中に初めて軽い亀裂が入った。
玲奈はメンバーを守ろうとしている。
三人は守られるだけではいたくない。
彩香は玲奈の判断を理解しながら、三人の悔しさも理解している。
誰も間違っていない。
だからこそ、苦い。
玲奈は貨物地区の映像を見つめていた。
止まっていた貨物機は、やがて安全確認を終えて再び動き出す。
玲奈が小さく呟いた。
「勝つたびに、危なくなる」
その声に、誰も返さなかった。
任務は成功した。
だが、成功の代償として、NSTの非常線は内側にも引かれることになった。




