海上空港非常線 第71話 静かな拒否、折れない非常線 ― ポリス・ネゴシエーション
県警本部の会議室は、空港の詰所より静かだった。
静かすぎる部屋だった。
白い壁。長い机。磨かれた床。
現場の油の匂いも、無線の雑音も、飛行機のエンジン音もない。
だが、玲奈は知っていた。
こういう部屋で決まることが、一番現場を危険にする。
県警本部は、海上空港に詰めるNSTを高く評価していた。
密輸。爆弾。要人警護。空港施設への侵入。
表に出せない事件を、NSTは何度も水面下で潰してきた。
だから、本部は次を求めた。
黒鷹の資金ルートへの直接接触。
武装工作員が潜む可能性の高い拠点への先行潜入。
空港外の組織犯罪拠点に対する内偵。
県警幹部は言った。
「NSTなら可能です」
玲奈は表情を変えなかった。
「可能なことと、やらせてええことは違います」
空気が冷えた。
幹部は続ける。
空港警察も県警本部もNSTを評価している。現場対応力、潜入能力、機動力、判断力。既存の部隊では入れない場所に入れる。だからこそ、より踏み込んだ任務を任せたい。
玲奈は静かに聞いていた。
美しい顔に、感情は出ない。
だが、目だけは冷たかった。
「うちのメンバーは優秀です」
玲奈は言った。
「彩香も、麻衣も、美咲も、あかりも、迫田ツインズも。サポートの美音、あおい、結月もようやっています」
そこで一度、言葉を切る。
「だからといって、便利な駒ではありません」
県警幹部の眉が動く。
玲奈は続けた。
「女子大生も多い。戦闘訓練を受けていても、常設部隊の警察官ではありません。武装組織の拠点へ先に入れる任務は受けません」
「しかし黒鷹は待ってくれません」
「だから警察本隊が前に出るべきです」
玲奈の声は低い。
怒鳴らない。
責めない。
ただ、退かない。
「NSTは空港と周辺の即応、潜入、誘導、保護で力を出します。ですが、死亡リスクの高い制圧任務を学生メンバーに押しつけることは認めません」
幹部は硬い声で言った。
「県警の要請を拒むということですか」
玲奈は即答した。
「拒みます」
一言だった。
会議室の空気が止まった。
玲奈は続ける。
「危険度評価を任務ごとに出してください。撤退権限は現場の私が持つ。未成年、学生メンバーの投入には私の承認を必須にする。武装制圧は警察本隊が前に出る」
「それでは機動性が落ちます」
「命より機動性を優先するつもりはありません」
幹部は黙った。
玲奈も黙った。
話し合いは平行線だった。
県警は成果を求める。
玲奈は安全を求める。
どちらも正義を名乗れる。
だから厄介だった。
だが玲奈には、譲れない線がある。
「私は、あの子らを使い捨てにはしません」
静かな声だった。
だが、その言葉だけは鋼だった。
会議は結論を出さないまま終わった。
本部の廊下へ出ると、玲奈はいつもの無表情に戻っていた。
誰も見ていなければ、少しだけ疲れた顔をしたかもしれない。
だが、玲奈はそれをしない。
海上空港の詰所へ戻ると、彩香が待っていた。
「玲奈さん」
「何や」
「本部と揉めたんですか」
玲奈は短く答えた。
「揉めた」
彩香はそれ以上すぐには聞かなかった。
二人の間には、言葉にしなくても通じるものがあった。
玲奈は窓の外を見る。
滑走路の灯りが遠くに見える。
「お前らは優秀や」
「はい」
「せやから、便利に使われる」
彩香は黙る。
玲奈は少しだけ横目で見た。
「私は、それを許さん」
短い言葉だった。
だが、彩香には十分だった。
玲奈が普段、感情を見せないことを知っている。
褒め言葉も少ない。
心配しているそぶりも見せない。
それでも、誰よりもメンバーを見ている。
危険な任務に送り出す時も、撤退の線を必ず残す。
あかりを叱る彩香を止めないが、限界は見ている。
麻衣の成長を見逃さず、美咲の静かな能力を拾い、迫田ツインズの危うい万能さも把握している。
玲奈は、冷たいボスではない。
冷たく見えるほど、守る線を引いているだけだった。
彩香は小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
玲奈はすぐに言った。
「礼はいらん」
「はい」
「任務で返せ」
彩香は少しだけ笑った。
「分かってます」
玲奈はそれ以上、何も言わなかった。
今回の敵は、黒鷹ではなかった。
味方の中にある、成果を求める圧力。
優秀な者ほど危険へ押し出される現実。
その前に、玲奈は静かに立った。
静かなる美貌のボス。
彼女が引いた非常線は、空港を守るためではない。
仲間を守るための線だった。




