海上空港非常線 第60話 非常線の向こう側 ― ラスト・ロイヤルガード
三宮の夜は、雨上がりのように光っていた。
ホテルのガラス張りのエントランスに、港町の灯りが滲んでいる。車寄せには黒塗りの車両が滑り込み、制服のホテルスタッフが静かに頭を下げる。一般客はそれを、少し格式ある賓客の到着としか見ていない。
だが、NSTは知っていた。
ここが最後の戦場だった。
レオン・クロスを乗せた車列は、空港島から港町を抜け、ようやく三宮の宿泊先へ到着した。空港内、連絡橋、港湾道路、市街地。黒鷹は何度も牙を剥いた。偽スタッフ、妨害車両、通信装置、狙線。すべてを潰してきた。
それでも、玲奈の顔は緩まない。
「ここで来る」
短い声だった。
彩香が頷く。
「最後の襲撃ですね」
玲奈は全員へ告げた。
「一般客には気づかせるな」
一拍。
「一般人は、誰一人怪我させるな」
その言葉で、空気が締まった。
ホテル内は華やかだった。ロビーには観光客、ビジネスマン、海外客。レストランへ向かう夫婦、チェックイン待ちの家族、ラウンジで談笑する客。ここで銃声や悲鳴が上がれば、任務は半分失敗だった。
迫田ツインズはVIP導線へ。
麻衣は子ども連れを自然に遠ざける。
美咲はホテルスタッフに扮し、裏口とサービス通路を監視。
美音は設備系統を見る。
あおいは外周と高所導線。
結月はホテル裏手の車両導線へ。
里緒と梓はホテル警備と警察連携。
あかりは前線即応。
彩香は現場指揮。
玲奈は全体を締める。
そして、またしてもいた。
「えっ、レオンここ泊まるん!? うそやん、三宮まで来て正解やん!」
明るいツインテール。
赤嶺美月だった。
野次馬に紛れている。
しかも微妙な有名人なので、周囲の野次馬がそちらにも反応し始めた。
「あれ、美月ちゃん?」
「戦隊ヒロインの?」
「写真いいですか?」
美月は普通に応じる。
「ええで! でもレオン見たいから手短にな!」
彩香の眉間が深く沈んだ。
「あのアホツインテール……今日という今日は……」
玲奈が低く制した。
「今は使え。怒るのは後や」
その瞬間、黒鷹が動いた。
偽ホテルスタッフがサービス通路から入り、別の男がラウンジ側で客の流れを乱す。さらに、清掃カートに紛れた装置がエレベーター前へ押し出される。
梓の声が飛ぶ。
「三方向。正面は陽動。清掃カートが本命です」
美音が即座に読む。
「カートの重量が不自然。清掃用品ではありません」
彩香が低く言う。
「あかり、まだや」
あかりは歯を食いしばった。
「はい」
美咲がホテルスタッフの顔でカートの前に立つ。
「こちらは通れません」
偽スタッフが押し切ろうとする。
その時、ラウンジ側で男が大声を上げた。野次馬が揺れる。美月の周囲もざわつく。
「何や何や? レオン来たん!?」
美月が余計に首を伸ばし、群衆の重心が崩れた。
麻衣が動く。
「お子さん連れの方、こちらへ。押されます、ゆっくりで大丈夫です」
小さな体で、子どもたちの前に立つ。
迫田ツインズがレオンの導線を一拍ずらす。
澄香が英語で護衛チームに言う。
“Delay five seconds.”
澪香がホテルスタッフの笑顔で報道と野次馬の視線を外す。
“Please keep this way clear.”
その五秒で、彩香が踏み込んだ。
「終わりや」
黒鷹の男が刃物を抜いた。
ロビーの光が、金属に反射する。
あかりが動く。
「行きます!」
今度は彩香も止めなかった。
あかりは一直線に走った。低く沈み、男の腕の内側へ入る。相手の振り下ろしを外へ流し、手首を掴む。力任せではない。速さと踏み込みで制する。
「ここから先は行かせません!」
別の男が横から襲いかかる。
彩香が割って入った。
播州の烈火。
一歩で距離を詰め、男の襟元を掴み、壁際へ叩きつけるように押さえ込む。
「ホテルのロビーで暴れんなや」
声は低い。怒りは鋭い。
あかりは一人を床に落とさず制圧した。一般客に恐怖を見せないためだ。腕を固め、体勢を崩し、膝で逃走方向を潰す。
彩香はもう一人を押さえながら叫ぶ。
「美咲、カート!」
美咲が清掃カートの蓋を開ける。
中には小型の妨害装置。エレベーター制御を乱し、レオンを予定外の階で止める仕掛けだった。
美音が解除手順を指示する。
「右下の端子。赤ではなく白です」
美咲が静かに外す。
「解除しました」
梓が告げる。
「外周逃走役、裏口へ移動」
結月が待っていた。
自転車を横に置き、退路を塞ぐ。
「ここまでです」
逃げる男は、結月の前で止まるしかなかった。
外ではあおいが高所から最後の監視を続けている。
「上階、異常なし。屋外導線、閉じました」
里緒が警察側へ静かに繋ぐ。
「一般客には通常トラブルとして案内。警備員は増やしすぎないでください」
ロビーは大きく荒れなかった。
一般客は、少し警備員が動いた程度にしか見ていない。
黒鷹の最後の襲撃は、完全に潰された。
レオン・クロスは、護衛チームに守られながらエレベーター前で足を止めた。
目を丸くしている。
通訳を介して、彼は彩香に尋ねた。
「君たちは一体、何者なんだ?」
彩香は一瞬だけ玲奈を見た。
玲奈は何も言わない。
彩香は短く答えた。
「ただの空港スタッフです」
それだけだった。
そしてNSTの面々は、何事もなかったように散っていく。
ホテルスタッフ、警備員、案内係、一般客に紛れ、颯爽とその場を去る。
レオンはしばらくその背中を見ていた。
そして、小さく日本語で呟いた。
「……ありがとう」
任務は完了した。
海上空港の仮設詰所へ戻る頃には、夜は深くなっていた。
全員、疲れていた。
だが、護衛対象は無事。一般客も無傷。国際問題も起きなかった。
玲奈が短く言う。
「全員、ようやった」
それだけで、十分だった。
あかりは少し照れながら笑う。
「今日はちゃんと役に立てましたか?」
彩香が腕を組む。
「最後の制圧は見事やった。前線アタッカーとしては、ほんまに優秀や」
あかりの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
しかし、彩香の表情がすぐに曇った。
「それはそれとして……」
全員が察した。
彩香は低く唸る。
「あのアホツインテール、もう我慢ならん」
あかりが恐る恐る聞く。
「今日は何したるんですか?」
彩香は拳を握った。
「三宮センター街のど真ん中で、レオン・クロス来日記念の警備反省文を百メートル巻物にして音読させたる」
「百メートルですか?」
「せや。しかも英語字幕付きや」
「美月さん、途中で観光客に手振りそうですね」
「ほな、ツインテールに“野次馬立入禁止”の札ぶら下げたる」
「あ、それは目立ちますね」
「目立たせたらアカンねん!」
「じゃあ意味ないですね」
「知るかボケェ!」
玲奈の鉄仮面が、ほんのわずかに揺れた。
口元が静かに緩む。
詰所に小さな笑いが落ちた。
大型特別任務は終わった。
空港から三宮へ。
滑走路からホテルロビーへ。
黒鷹の牙は、すべて折られた。
誰にも知られず。
誰も傷つけず。
世界的アーティストを守り抜いて。
海上空港非常線。
その向こう側で、NSTはまた一つ、神戸の夜を守った。




