海上空港非常線 第51話 笑う注文票、消えたトランク ― レストラン・シャドウコード
海上空港のレストラン街は、いつも少し気が緩んでいる。
保安検査前の緊張も、搭乗口の焦りも、ここでは少しだけ薄まる。
コーヒーの匂い、焼きたてパンの香り、カレーの湯気、スーツケースを足元に置いた旅客たちのざわめき。
黒鷹は、そういう場所を狙った。
今回の仕掛けは、レストランの注文票とトレーだった。
料理を運ぶ。
番号札を置く。
空いた皿を下げる。
客の荷物が足元に並ぶ。
その自然な流れに紛れて、小型記録媒体入りのトランクを“誤配”に見せかけて海外投資家へ渡す。
黒鷹の裏資金の暗号鍵。国外へ出れば、追跡は一気に難しくなる。
玲奈は短く命じた。
「レストランを止めるな。客に気づかせるな」
前線に出たのは、あかりだった。
ウエイトレス姿のあかりは、妙に似合っていた。
明るく、人懐っこく、声が通る。
「いらっしゃいませー! ご注文お決まりですか?」
ただし、少し危なっかしい。
アイスコーヒーとホットコーヒーを逆に置きかけ、サンドイッチの皿を二枚まとめて運ぼうとして彩香にインカムで怒られる。
「一枚ずつ運べ!」
「はい!」
「返事だけはええな、お前は!」
それでも客には好評だった。
あかりの明るさは、レストランの空気に馴染む。
そこへ、災厄が来た。
赤嶺美月。
大きなスポーツバッグを抱え、明るいツインテールを揺らし、不満を顔中に貼りつけて入ってきた。
「神戸まで遠いねん……。ウチん家から伊丹やったらすぐやのに、なんで神戸からLCCやねん……けちのんめ……」
急遽、新橋のヒロ室へ呼ばれたものの、経理の鬼・谷口佳乃に「神戸からLCCで行き」と言われたらしい。
「伊丹でええやん。なんで神戸やねん。しかもLCCて。戦隊ヒロインプロジェクト、どんだけケチやねん……」
その瞬間、美月があかりを見つけた。
「あっ! おー、あかりぃ~!」
彩香の顔が固まる。
「あかん……見つかった」
美月は一直線に来る。
「何してん? ウエイトレス姿、似合ってるやん! またあれやろ? 秘密の任務やろ? ウチには教えてくれへんしなぁ~」
あかりは困ったように笑う。
「えへへ……いえ、えっと、お客様、ご注文は……」
「注文? そやな、サンドイッチとアイスコーヒー。いやその前に聞いてぇなぁ。けちのんがなぁ、ウチに神戸から行け言うねん。伊丹ちゃうで? 神戸やで? 河内から神戸、遠いねん」
「あ、そ、それは大変ですね……」
あかりは人が良い。
しかも相手は先輩ヒロイン。
ぞんざいには扱えない。
彩香がインカムで怒鳴る。
「あかり、あのツインテールは無視せぇ!」
「でも先輩で……」
「客として処理せぇ!」
美月は止まらない。
「しかもLCCやで。荷物の重さまで気にせなあかんねん。ウチ、戦隊ヒロインやのに荷物7キロ制限と戦ってるんやで? おかしいやろ?」
「た、確かに……」
「分かるやろ、あかりぃ。ウチ、空港来る前からもう疲れてんねん」
彩香は頭を抱えた。
「話聞くなぁ!」
その隙だった。
黒鷹の工作員が動いた。
注文票を差し替え、料理トレーの下に小型タグを貼り、黒いトランクを別テーブルへ移す。
受け取り役の海外投資家風の男が、席を立つ。
美音の声が飛ぶ。
「対象トランク、移動しました」
玲奈が低く言う。
「彩香」
彩香が叫ぶ。
「あかり! 任務や!」
その声で、あかりの顔が変わった。
「……行きます!」
美月がまだ喋っている。
「え、ちょ、サンドイッチは?」
「あ、すみません! 後で!」
「後でて何やねん!」
あかりはウエイトレス姿のまま走った。
椅子の間を抜ける。
トレーを持った店員をかわす。
テーブルの角に手をつき、軽く身を浮かせる。
その身体能力は、普段のドジさからは想像できないほど鋭かった。
工作員がトランクを持って通路へ逃げる。
あかりは低い姿勢で追う。
男が振り返り、腕を振る。
あかりは一歩沈み、懐へ入った。
肩で相手の体勢を崩し、手首を取る。
「止まってください!」
男は力任せに振り払おうとする。
だが、あかりは離れない。
足を踏み替え、相手の重心を外へ流す。
トランクを奪おうとした別の取り巻きには、素早く回り込んで体を入れる。
ウエイトレスの制服がひらりと揺れる。
だが動きは完全に前線アタッカーだった。
「これ以上、行かせません!」
最後はテーブル横の狭い通路で、男の腕を固め、トランクを床に落とさせずに押さえた。
彩香と空港警察が封鎖する。
「確保です!」
任務完了。
トランクからは、黒鷹の裏資金移動に使う暗号鍵入り記録媒体が見つかった。
任務後。
あかりは彩香の前で小さくなっていた。
「すみません……美月さんの話、聞いちゃって……」
彩香は腕を組む。
「ツインテールは相手にするな」
「でも、すごく困ってたので……」
「あいつは常に何かに文句言うとるだけや!」
「でも先輩ですし……」
「そこがあかりのええとこでもあり、悪いとこでもある」
彩香はため息をついた。
「任務中は切り替えろ。けど……最後はようやった」
あかりが顔を上げる。
「ほんまですか?」
玲奈も短く言う。
「名誉挽回や」
あかりの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
しかし彩香の怒りは、美月へ向いていた。
「それにしても、あのアホツインテール……」
あかりが恐る恐る聞く。
「今日は何したるんですか?」
彩香は少し考えた。
「神戸空港の滑走路の端で、延々“LCC最安値比較表”読ませたろか」
「それ、罰になるんですか?」
「なるやろ! 伊丹、神戸、関空、全部の運賃表を朝から晩まで音読や!」
「美月さん、途中で『これ安いやん!』って喜びそうです」
「……ほな、手荷物7キロ制限の計量台にツインテールだけ乗せたる」
「ツインテールだけ測るんですか?」
「せや。超過料金取ったる」
「髪で超過料金は取れないと思います」
「知るかボケェ! あいつの騒がしさは確実に重量オーバーや!」
玲奈の鉄仮面が、ほんの少し崩れた。
その頃、機内の美月はサンドイッチの包みを開けていた。
「ほんま神戸遠いわぁ……けちのんめ……でもレストランのサンドイッチ美味かったな」
あかりに絡んだことは、もうほとんど忘れていた。
海上空港のレストランには、またコーヒーの匂いが戻った。
誰も知らない。
一人のウエイトレス姿の突貫娘が、黒鷹の裏資金ルートを止めたことを。




