海上空港非常線 第45話 双影、港都を裂く――空港と三宮を結ぶ黒鷹ライン
神戸の夜は、海から冷える。
海上空港の滑走路灯は、闇に沈む海の上で白く瞬き、三宮の街は濡れたアスファルトにネオンを滲ませていた。二つの光は離れているようで、どこかで一本の線につながっている。
その線を、黒鷹が使っていた。
岡本玲奈は、NSTの小さな作戦室で報告書を閉じた。
「空港貨物と三宮市街地。表向きは保守部品輸送。実態は情報搬送ライン」
声は低く、冷たい。
目の前に立つのは、迫田澄香と迫田澪香。宮崎県都城市出身の一卵性双生児。瓜二つの顔、同じ背筋、同じ静けさ。だが目の奥だけが微かに違う。
澄香は市街地向き。人混みの中で消えるのが上手い。
澪香は施設向き。監視カメラと動線の隙間を読むのが速い。
玲奈は二人を見た。
「今回は三人だけで動く。派手な応援はない。失敗すれば、線は消える」
澄香が頷く。
「三宮側、私が入ります」
澪香も静かに言った。
「空港側は私が」
玲奈は短く答えた。
「開始」
それだけだった。
翌朝、澪香は海上空港の貨物エリアにいた。
臨時業務スタッフの制服。名札は偽名。髪型も眼鏡も、普段とは少し違う。彼女は誰にも見られていないように見せながら、すべてを見ていた。
搬入口。
監視カメラ。
作業員の癖。
タグの色。
貨物番号の不自然な欠番。
午後二時十三分。
澪香は不審な貨物タグを見つけた。
通常の保守部品扱い。だがタグの端に、肉眼では気づきにくい小さな刻みがある。三宮側へ送る合図だった。
同じ頃、澄香は三宮の雑居ビルにいた。
配送会社の受付補助。少し伏し目がちな笑顔。目立たない美人。だが、相手の手元を見る角度だけは鋭い。
男が伝票を置いた。
偽名。
空欄の癖。
数字の並び。
澄香は何気なく受け取り、裏面の薄い圧痕を読んだ。
空港側の貨物番号と一致する。
彼女は小型通信機に触れた。
「澪香、伝票番号、七桁目が欠けてる」
空港の澪香は、段ボールを台車に載せながら答える。
「こちらも同じ。線は生きてる」
三宮の澄香は、窓の外を見た。街は昼でもどこか暗い。
「黒鷹、思ったより近いね」
「近いほど、切りやすい」
澪香の声は冷えていた。
玲奈は作戦室で二人の通信を聞いていた。
無駄な指示は出さない。双子は自分で動ける。玲奈の役目は、最後の刃を下ろすタイミングを見極めることだった。
黒鷹の計画は、単純で、だからこそ厄介だった。
空港の貨物に紛れ込ませた小型データチップを、保守部品として三宮へ流す。三宮で別の現金輸送ルートへ乗せ替え、さらに西へ消す。人間を多く使わず、普通の流れに混ぜる。派手さはない。だが、成功すれば追えない。
玲奈は呟いた。
「港都の血管に混ざる気か」
その日の夜、作戦は動いた。
澄香は三宮の高架下へ向かった。雨上がりの路面に、赤い看板の光が揺れていた。尾行が二人。気配は荒い。黒鷹の末端だった。
澄香はわざと速度を落とし、センター街裏の狭い路地へ入る。人の多い通りから、少しずつ音が消える。
通信が入る。
「澄香、二人ついた」
空港の澪香だ。
「分かってる。そっちは?」
「貨物棟に実行犯一人。搬出まで七分」
澄香は微笑んだ。
「なら、こっちは五分で片づける」
尾行者が距離を詰める。
「おい、姉ちゃん」
澄香は振り向いた。
瓜二つの顔に見惚れたのか、男の反応が一瞬遅れた。
その一瞬で十分だった。
澄香は傘の柄で男の手首を弾き、もう一人の膝裏を蹴る。水たまりに身体が落ち、鈍い音がした。
「女一人だと思った?」
声は静かだった。
同じ頃、海上空港の貨物棟。
澪香は閉じ込められていた。
黒鷹の実行犯が、搬出口のシャッターを下ろし、作業灯だけが白く点滅している。台車の上には、問題の貨物。
男は笑った。
「空港の中なら安全だと思ったか」
澪香は首を少し傾げた。
「逆。空港の中だから、逃げ道が少ない」
彼女は照明スイッチの位置を把握していた。非常用扉の鍵の形も見ていた。監視カメラの死角も、男が立っている場所も。
照明が一瞬落ちた。
次に灯った時、男は床に膝をついていた。澪香はその背後に立ち、貨物を足元に引き寄せている。
「海の上なら消えられると思った? 甘いわ」
玲奈は作戦室で、二つの現場の音を聞いていた。
三宮側、制圧。
空港側、貨物確保。
だが、まだ終わりではない。
玲奈は短く告げる。
「澄香、連絡役を三宮北側へ誘導。澪香、貨物番号を流して。相手の本線を引き出す」
双子は同時に答えた。
「了解」
黒鷹の連絡役は、三宮の地下通路へ逃げ込んだ。
澄香は追わない。
逃げ道を選ばせる。
地下へ降りた男の前に、既に情報が流れていた。空港側の搬出失敗。三宮側の回収不能。焦った男は、隠し端末で上へ連絡を入れる。
その通信を、玲奈が待っていた。
発信元が浮かぶ。
三宮の雑居ビル五階。配送会社ではない。隣の空き事務所。黒鷹の仮設中継点。
玲奈は立ち上がった。
「見えた」
声に温度はなかった。
この回で、玲奈は現場に出ない。
銃も抜かない。
ただ、影の奥にいる敵の輪郭を、双子の動きで浮かび上がらせる。
澄香が地下通路の出口で連絡役を止める。
「もう終わりです」
男は息を荒げる。
「お前ら、何者だ」
澄香は答えない。
同時刻、空港では澪香が貨物を開けた。
保守部品の中に埋め込まれたチップ。黒鷹の次の輸送計画が入っている。
澪香はそれを玲奈へ送る。
「データ、確認」
玲奈は画面を見た。
「十分」
数分後、三宮の中継点は静かに潰された。
派手な逮捕劇はない。
怒号もない。
黒鷹のラインは、音もなく切断された。
夜明け前。
三宮の街に、人の気配が戻り始める。
海上空港では、始発便の準備が始まっていた。
澄香は三宮の歩道橋から、東の空を見た。
澪香は空港のガラス越しに、滑走路の灯を見た。
二人は合流しない。
通信だけが繋がる。
「澄香、終わったね」
「澪香、そっちも?」
「終わった」
少しだけ沈黙。
玲奈の声が入る。
「迫田ツインズ、任務完了。撤収」
澄香は微かに笑った。
「玲奈さん、今回は静かでしたね」
玲奈は答える。
「静かな仕事ほど、傷が深い」
澪香が言う。
「黒鷹も、そう思ってるでしょうね」
玲奈は通信を切る前に、短く言った。
「次もある」
それだけだった。
神戸の朝が来る。
港都は何も知らない顔で動き出す。
空港には旅人が戻り、三宮には人波が戻る。
だが、その下を流れていた黒い線は、確かに一本、断たれた。
迫田ツインズは、街に溶ける。
瓜二つの影は、別々の方向へ歩き出す。
澄香は三宮の雑踏へ。
澪香は空港の職員通路へ。
叫ばない。
誇らない。
振り返らない。
二つの影が港都を裂き、黒鷹の血管を冷たく断った。




