海上空港非常線 第43話 蒼き計算都市へ走る影 ― ユヅキ・ハイパーリンク
海上空港から神戸の先端研究エリアへ伸びる道は、未来へ続く血管だった。
海に浮かぶ空港島。
連絡橋。
整然とした人工島の街並み。
医療、大学、研究機関、企業の施設が並ぶその一帯は、神戸が誇る知の集積地だった。硝子とコンクリートの建物群の奥には、日本が世界に誇る巨大な計算能力を持つ研究拠点がある。国家の頭脳。科学技術の心臓。そこへ向かう導線を、黒鷹は狙っていた。
情報は一本だった。
空港経由で持ち込まれた小型記録媒体が、空港内での押収を逃れ、外へ出る可能性がある。
行き先は、計算研究拠点周辺。
玲奈は地図を見て、すぐに言った。
「車では間に合わん」
彩香が顔を上げる。
「ほな、誰を?」
玲奈は迷わない。
「結月や」
大西結月。
元女子競輪選手。
今はスポーツインストラクター兼戦隊ヒロイン。NSTの正規メンバーではない。だが、玲奈が“ここぞ”で呼ぶスーパーサブだった。
呼ばれた時にだけ現れる。
そして、試合を決める。
結月は到着すると、短く言った。
「走れます」
それだけで十分だった。
黒鷹は巧妙だった。
空港島から出る車両を囮にし、途中で媒体だけを別の人間へ渡す。車は信号と交通量に詰まる。警察車両を出せば目立つ。徒歩では到底追いつかない。
だが、自転車なら違う。
結月は軽量の任務用自転車にまたがった。
夜風が吹く。
海からの湿った風。
道路の継ぎ目。
橋の勾配。
信号の間隔。
車の流れ。
すべてを脚で読む。
梓が道路監視映像から逃走ルートを割り出す。
「対象は本線ではなく側道へ逃げます。三つ目の交差点で詰まる」
美音が端末反応を拾う。
「記録媒体はまだ移動中。車内ではありません。持ち歩いています」
里緒が警察側と連携する。
「一般車両は止めず、流れだけ調整します」
あおいが上から言う。
「研究エリア手前、歩行者導線が薄い。受け渡しはそこです」
玲奈は低く命じた。
「結月、切れ」
「了解」
結月は走り出した。
速い。
だが、ただ速いだけではない。
車を追わない。
車の先を読む。
信号で止まる流れを読み、歩道橋の影を読み、側道の抜けを読む。ペダルを踏むたび、空港島の灯りが後ろへ流れていく。
彩香がモニターを見て呟く。
「これ、結月さんやなかったら無理やろ……」
梓も珍しく即答した。
「通常手段では阻止不能です」
美音が静かに言う。
「徒歩、車両、どちらも間に合いません」
まるで、大げさな結論のようだった。
だが現場では、それが事実だった。
今夜、この線を閉じられる脚は一つしかなかった。
結月の脚だけだった。
黒鷹の運び役は、研究エリア手前で協力者と接触しようとしていた。
周囲には整然とした建物群。夜でも静かな明かりが残る。未来都市のような景色の中で、男は小型ケースを取り出す。
その時、風を切る音がした。
結月が、自転車を横に滑らせるように止めた。
「そこまでです」
男が驚く。
「なんでここに……」
結月は息を乱していなかった。
「車より早い道がありました」
協力者が逃げようとする。
だが、後ろから彩香たちの封鎖が入る。
里緒が警察側の線を閉じ、梓が逃走先を塞ぎ、美音が端末反応を確定させる。
最後は結月が小型ケースを押さえた。
「ここは、未来へつながる道です」
静かな声だった。
「あなたたちの逃げ道じゃありません」
任務完了。
記録媒体には、計算研究拠点周辺の認証導線へ干渉するための情報が入っていた。もし渡っていれば、次の作戦は空港だけでは済まなかった。
詰所に戻ると、彩香は素直に頭を下げた。
「結月さん、ありがとうございました。今日はほんま、結月さんの健脚がなかったら終わってました」
あかりも目を輝かせる。
「自転車で日本の頭脳を守ったんですね!」
彩香が頷く。
「大げさやけど、今日はほんまにそうや」
結月は静かに首を振った。
「私は、呼ばれた時に走れるようにしているだけです」
玲奈が言う。
「代打が、試合を決めたな」
結月は少しだけ笑った。
「出番が少ないからこそ、一回で決めます」
海上空港の夜風は、まだ人工島を吹き抜けていた。
誰も知らない。
その夜、日本の未来へ続く道を、一人のスーパーサブが自転車で守ったことを。
大西結月。
走る場所を間違えない女。
その健脚がなければ、非常線は間に合わなかった。




