海上空港非常線 第39話 消えたペットケージ、吠えない小型犬 ― アニマル・カーゴコード
海上空港には、人間だけが集まるわけではない。
連休の朝。
出発ロビーの端にあるペット同伴受付には、小さなケージが並んでいた。犬、猫、時には小鳥。旅客の荷物とは違う。そこには命が入っている。
だから、扱いは慎重になる。
黒鷹は、その“慎重さ”を利用した。
最初は、ただの取り違えに見えた。
小型犬が入ったペットケージが、一時的に所在不明になった。航空会社スタッフは慌て、飼い主の母親は青ざめ、幼い男の子は泣きそうな顔で「うちの子、どこ?」と繰り返している。
真砂里緒がすぐに前へ出た。
「大丈夫です。確認します。ケージの色と特徴を、もう一度教えてください」
声は柔らかい。
だが、警察官としての芯がある。
その横で、白浜麻衣は男の子の前にしゃがんだ。
「ワンちゃん、絶対見つけるからな。ちょっとだけ待っててな」
男の子は小さく頷く。
その手は震えていた。
麻衣は、ケージの方を見た。
そこに一つだけ残っている小型犬用のケージ。
だが、中の犬が吠えない。
本来なら、知らない場所で不安になり、飼い主と離れれば声を上げてもおかしくない。
なのに、妙に静かだった。
「……変です」
麻衣が低く言う。
「怖がってる静かさと違う」
河合美音は、すでに搬送ログを開いていた。
「タグ番号は合っています。受付時刻も合っています」
彩香が言う。
「ほな、ただの取り違えやないんですか」
美音は首を横に振る。
「重さが合いません」
「犬が動いたからでは?」
「違います。誤差が一定です」
美音の声は冷たいほど正確だった。
「ケージが途中で入れ替えられています」
黒鷹の狙いは、ペットケージだった。
生き物が入っているケージは、通常の手荷物のように乱暴に開けられない。
スタッフも気を遣う。
確認にも時間がかかる。
その“優しさ”の隙に、小型通信端末を搬送ルートへ流す。
貨物地区のセキュリティ情報を抜くための装置だった。
玲奈は短く命じた。
「麻衣は家族と犬。里緒は現場を荒らすな。美音はケージを読め」
三人が動く。
麻衣は男の子に寄り添い、里緒は航空会社スタッフと空港警察の間に入り、混乱を抑える。
美音は搬送ルートを追う。
台車の車輪跡。
持ち上げたスタッフの姿勢。
ログの秒単位のズレ。
ケージの重量差。
「本物のケージは、まだ空港内です」
美音が言った。
「貨物連絡口までは出ていません。保温待機室の手前で入れ替えられています」
麻衣の顔色が変わる。
「犬は?」
美音は一瞬だけ黙った。
「吠えない理由も、たぶん分かりました。眠らされかけています」
麻衣の目が冷えた。
「急がなあかん」
保温待機室。
空調の効いた小さな部屋。
ペットケージを一時的に置くための場所だった。
美咲が先に扉の前へ入る。
迫田ツインズが左右の導線を塞ぐ。
里緒は空港警察官として、通路を自然に規制する。
「こちら、確認作業中です。少しだけ迂回をお願いします」
騒がせない。
焦らせない。
それが里緒の仕事だった。
美音は偽装ケージを見つけた。
「これです。本物より重い」
偽スタッフが外周連絡口へ運び出そうとしている。
彩香が低く言う。
「止めるで」
偽スタッフが逃げようとした瞬間、あかりが飛び込む。
「確保です!」
偽装ケージの底から、小型通信端末が見つかった。
同じ頃、麻衣は保温待機室の奥で本物のケージを見つけていた。
中の小型犬は、ぐったりしている。
だが、生きている。
麻衣はケージ越しに、そっと声をかけた。
「もう大丈夫やよ。怖かったな」
小型犬が、かすかに鳴いた。
その小さな声を聞いて、麻衣はようやく息を吐いた。
犬は飼い主の男の子のもとへ戻された。
男の子はケージに抱きつき、泣きながら名前を呼ぶ。
母親も何度も頭を下げた。
里緒は責めなかった。
「今回は、お子さんもワンちゃんも悪くありません。怖かったと思いますが、もう大丈夫です」
麻衣は犬の様子を見ながら、静かに言う。
「よう頑張ったね」
男の子は麻衣を見上げる。
「ありがとう……」
麻衣は笑った。
「どういたしまして」
任務後、美音は偽装ケージを見て呟く。
「ケージも、重さも、嘘をつきません」
彩香は低く言う。
「ほんま、汚い手を使いよる」
玲奈は三人を見た。
「麻衣が守って、里緒が整えて、美音が読んだ。ええ連携や」
麻衣は小さく頷いた。
「人間も動物も、怖い思いさせたらあきません」
海上空港は、今日も何事もなかったように動いている。
旅客は飛び、荷物は運ばれ、ペットケージもまた静かに搬送される。
誰も知らない。
その一つの小さなケージが、空港の安全を揺るがす罠に使われかけたことを。




