海上空港非常線 第16話 止まらない歩道、追いつく脚 ― ムービング・ウォーク・チェイス
海上空港の制限区域内には、妙に長い通路がある。
搭乗ゲートへ続く動く歩道。エスカレーター。ラウンジ入口。スタッフ専用扉。旅客はただ流れているだけに見えるが、裏側から見れば、それは精密な“人間の搬送ライン”だった。
黒鷹は、そこを使った。
運び屋は走らない。
騒がない。
ただ、動く歩道に乗り、旅客の流れに紛れ、ラウンジ奥の協力者へ小型記録媒体を渡す。空港では、走る者より“急いでいるように見えない者”の方が止めにくい。
当初、玲奈は迫田澪香を投入するつもりだった。
だが同時進行中の潜入任務が難航し、澪香は戻れない。
仮設拠点の空気が一瞬だけ重くなる。
彩香が言う。
「澪香なしでやりますか」
玲奈は即答しない。
モニターに映る通路、動く歩道、旅客の流れを見ていた。
そして、短く言った。
「結月を出す」
代打の切り札。
大西結月。
讃岐出身の元女子競輪選手。
常時出る選手ではない。だが、試合を決める一場面だけなら、この女は強い。
結月は静かに頷いた。
「歩道なら、脚より流れですね」
その一言で、玲奈はもう任せた。
運び屋は、予定通り現れた。
普通の出張客に見える。
片手に小さなバッグ。
歩幅は一定。
視線は前。
不自然なほど自然だった。
澄香が地上側の導線へ入る。
「見えた。黒のジャケット」
本来なら澪香と組む場面。
だが今日は違う。
澄香の相方は、結月だった。
「了解」
結月は走らない。
動く歩道の横を、一定の速度で歩く。
速くも遅くもない。
ただ、無駄がない。
旅客の歩幅。
歩道の速度。
エスカレーター前の詰まり。
ラウンジ入口で必ず落ちる流れ。
すべてを読む。
「今、追えば届きますよ!」
あかりが焦る。
動きが怪しい。
今にも飛び出しそうだった。
彩香が即座に止める。
「動くな、アホ。お前が走ったら全部散る」
「でも!」
「結月さんのライン潰す気か!」
あかりは止まる。
だが、体が前へ出かけている。
その瞬間、澄香が横に入った。
「あかりちゃん、ここ押さえて」
「え?」
「そこの家族連れが流れたら、結月さんの前が空く」
「……あ、はい!」
あかりはようやく役目を理解する。
走るのではなく、止める。
珍しく、そこで踏みとどまった。
結月は、まだ運び屋を見ていないように見えた。
だが全部見ていた。
(次で詰まる)
動く歩道の終点。
その先のラウンジ入口。
旅客が一瞬だけ横へ膨らむ場所。
運び屋はそこで速度を落とす。
必ず。
結月は先回りした。
走っていない。
なのに、先にいる。
運び屋が目を見開く。
「なんで……」
結月は静かに答えた。
「脚じゃないです。流れです」
その背後に、美咲。
右に澄香。
左に彩香。
あかりは後方の旅客の流れを塞いでいる。
逃げ道はない。
「終わりや」
彩香の声。
短い制圧だった。
押収された記録媒体には、空港ラウンジを利用する黒鷹協力者のリストが入っていた。
危なかった。
渡っていれば、次の任務は何倍も厄介になっていた。
仮設拠点へ戻ると、彩香が結月を見る。
「結月さん、ほんま代打で出てきて試合決める人やな」
結月は表情を変えない。
「見えた場所に行っただけです」
あかりが少し悔しそうに言う。
「私も走りたかったです」
彩香が即答する。
「お前は走る前に考えろ」
澄香が笑う。
「今日は止まれたから、ええんちゃう?」
あかりは少し照れる。
玲奈は、最後に結月へ短く言った。
「一振りで決めたな」
結月は小さく頷く。
「代打ですから」
海上空港の長い通路では、今日も動く歩道が止まらず流れている。
誰も気づかない。
その流れの中で、代打の切り札がまた一つ、試合を決めた。




