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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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黒い証書は恋を喰う 第7話 金は血より冷たい

日本協和商事は、まだ笑っていた。


倒産寸前の会社だけが持つ、あの薄気味悪い笑い方だった。

全国の一等地に構えた支店では、今日も磨き上げられたガラスケースの中で金の延べ棒が照明を受け、応接室では高配当の実績が誇らしげに語られている。ネット広告は止まらず、若年層向けの投資セミナーも平然と続き、大学生たちは「堅い資産形成」だの「現物連動型の安心」だのという言葉を、未来への知恵のように受け取っていた。


だが内側では、数字が音を立てて崩れ始めていた。

解約希望者への支払いは遅れ、配当は新しい金で回され、帳簿は夜ごとに塗り替えられる。神戸支店の若手営業は顔色を失い、コールセンターでは「担当者が不在です」という台本だけがなめらかに回る。会社はまだ立っている。だがそれは、崩れる前の建物が一瞬だけ異様に静かになるのと同じことだった。


その嵐の目に立っているのが、田宮宗一郎だった。


会長兼CEO。金融ベンチャーの寵児。高級外車を何台も乗り回し、港に専用クルーザーを浮かべ、記者には「市場の変動は成長企業の証明ですよ」と笑ってみせる。日協商事の顔、時代の成功者、そして老人の老後資金を食って肥えた男。

その笑顔には、一滴の罪悪感もなかった。


「会社は潰れる時に顔色が変わる」

田宮は会長室の窓から神戸の空を見下ろしながら言う。

「うちはまだ、化粧が利いてる」


対面に立つ水野亮介は、黙っていた。

窓の外には港がある。夜景は綺麗で、金の匂いと血の匂いを見事に隠してくれる街だった。


亮介は知っている。

この男は会社を守ろうとしているのではない。会社を使い切る気でいる。日協商事はもう田宮にとって、最後まで吸い上げるための財布でしかない。老人の預金も、支店の数字も、部下の人生も、全部同じ帳面の上にある。


「兵庫の分は?」

亮介が低く問う。

「もう回してある」

田宮は机の上の封筒に視線を落とす。

「黒鷹にも、元知事側にも。騒ぎが大きくなるほど、向こうは金を欲しがる。面白い時代だよ。老人の老後資金が、兵庫の混乱を支えるんだから」


亮介は顔色を変えなかった。変えたところで意味がない。

田宮に拾われた日から、自分はこの男の犬だ。商品先物会社にいた頃、客の預り金で勝手に大豆相場へ張り、巨額の穴を開けた。普通ならあの時点で人生は終わっていた。だが田宮は手を回し、帳尻を合わせ、亮介を“助けた”。助けたのではない。弱みを握ったのだ。以後、亮介は田宮に頭が上がらない。


父親の借金。

二度の離婚。

前々妻への慰謝料。

前妻との間に生まれた障害の重い子どもの治療費。

それに加えて、自分のだらしない女癖とギャンブル。

金はいくらあっても足りない。

だから亮介はここにいる。


だが最近、その計算に小さな狂いが生じていた。

岡本玲奈。兵庫県警警部補。戦隊ヒロインプロジェクト出向。男慣れしていないくせに、妙にまっすぐで、たまにこちらの皮膚まで剥がしそうな目をする女。最初は案件だった。美人で、金があって、落としやすい。そう思った。だが今は、その“落としやすさ”がむしろ喉に刺さる。


「例の女はどうした」

田宮が何気なく言う。

亮介の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。

「順調です」

「金は取れたんだろう?」

「はい」

「なら次だ。もっと深いところまで行け。警察だろうが何だろうが、惚れた女ほどよく絞れる。お前はそういうのが上手い」


亮介は返事をしなかった。

田宮はそれを逆らえない沈黙だと受け取って、満足げに笑った。


その頃、大阪府内のヒロ室西日本分室では、別の空気が流れていた。

赤嶺美月と彩香がまたくだらない口喧嘩を始め、迫田ツインズが横から煽り、あかりは誰かの差し入れを勝手につまみ、美咲が無言で後始末をしている。玲奈なら普段は一言で黙らせる。だが今日は、机に頬杖をついたまま、その騒ぎを少しだけ眺めていた。


「玲奈さん、最近なんか丸なりました?」

彩香がふと真顔で言う。

「何よそれ」

「いや、前やったら今ごろ美月は二回は締め上げられてます」

「誰が締め上げられるんや」

「心当たりあるんですか」

「うるさいわ」


いつもと変わらない、馬鹿みたいなやり取りだった。

なのに玲奈は、それを止める気になれなかった。

むしろ少しだけ、救われるような気がした。亮介のことを考えている時の自分は、任務の顔からずいぶん遠いところへ行ってしまう。それが怖いくせに、そのぬるさが心地よくもある。


スマートフォンが震える。

亮介からの短いメッセージだった。


今夜、少しだけ会えますか。

話したいことがあります。


玲奈は無意識に表情を和らげ、それから慌てて画面を伏せた。

だが彩香には見えていた。いや、正確には“空気”で分かった。


「……男か」

「何でもないわ」

「何でもない顔ちゃう」

「彩香」

「はいはい」


そこで追及を止めるあたりが彩香の勘の良さだった。

玲奈は窓の外へ視線を逃がす。大阪の曇った空は、神戸の港ほど綺麗ではない。だが、仕事に戻るにはちょうどいい鈍さだった。


一方、亮介は会長室を出たあと、誰もいない廊下で足を止めていた。

手のひらに汗が滲んでいる。

玲奈から取った金のことではない。今さらそんな罪悪感に新鮮さはない。問題は、田宮が玲奈を“案件”としてしか見ていないことを聞かされて、自分の胸の奥に本物の不快感が生まれたことだった。


遅すぎる。

そんなことは分かっている。

自分は今まで何人もの老人を泣かせ、何人もの女を騙してきた。玲奈だけが特別である理由などない。

それでも、玲奈の名前があの男の口から出た瞬間、亮介は初めて、会社の金の臭いではないものを嗅いだ。

血だ。

この会社が吸っているのは、金だけじゃない。


玲奈はまだ知らない。

亮介が愛を語るたび、その背後で兵庫の闇に金が流れていることを。

亮介もまた、まだ認めていない。

自分が田宮の犬である以上、玲奈を守る側には立てないことを。


夜が来る。

神戸の灯りがともる。

恋はまだ甘く、会社はもう腐っている。

金は人を生かす。

だが時に、血より冷たく人を切る。


その刃の先に、岡本玲奈の名前が置かれ始めていた。

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