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西日本特別諜報班 NST 影の特命  作者: スパイク


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黒い証書は恋を喰う 第4話  カステラは甘く、朝礼は黒い 

大阪府内にあるヒロ室西日本分室は、その日も任務前とは思えないゆるさに包まれていた。


机の上には雑多な資料、壁際には簡易の折りたたみ椅子、隅には誰のものか分からないペットボトル。そこに詰めているのは、岡本玲奈、彩香、迫田ツインズ、麻衣、あかり、美咲。空気の芯には常に緊張があるはずの場所だが、この日は妙に甘い匂いがした。


原因は、分室のドアを景気よく開けて入ってきた赤嶺美月である。


「ただいまや! みんな聞いてえな、神戸まで大学生向けの投資セミナー行ってきてん!」


両手で大事そうに抱えているのは、妙に立派な紙箱だった。箱の表には達筆で「元祖長崎カステラ」とある。


「なんやそれ」

彩香が眉をひそめる。

「神戸の元町で買うてきた元祖長崎カステラやで」

「なんで神戸やのに長崎カステラやねん」

「知らんがな。うまそうやったから買うたんや。ほら、みんなで食べようや〜」


美月は上機嫌そのものだった。よほどその投資セミナーとやらが面白かったのだろう。箱を開けると、きつね色のきれいな焼き目がついたカステラが現れる。あかりが即座に「うわぁ、美味しそう!」と身を乗り出し、麻衣は「お茶あった方が良くない?」と台所スペースを探し、美咲は黙って紙皿を並べ始める。迫田ツインズは顔を見合わせて、揃って「なんか知らんけど平和やねえ」と笑った。


玲奈はその様子を少し離れた席から眺めていた。腕を組み、表情はいつもの通り冷静だが、目の奥にはかすかな揺れがある。


「で?」

玲奈が静かに聞く。

「その投資セミナーとやらは、何を教えられたの」


美月は待ってましたとばかりに、カステラを切り分けながら語り始めた。


「日協商事いう会社の、水野亮介さんって人が講師やってん。めっちゃ分かりやすかったで。預金だけやと将来危ないとか、守りの資産形成がどうとか。なんかイケメンで優しそうやったし、ウチちょっと惚れてまうわ」


その名前が出た瞬間、玲奈の指先がわずかに止まる。だが美月はもちろん気づかない。彩香も、迫田ツインズも、まだその違和感には届いていない。


「またしょーもない男に感心しとるんか」

彩香が吐き捨てるように言う。

「しょーもないて何やねん。講師としても有能やったし、スーツもビシッとしてて爽やかやったんや」

「お前は顔で見とるだけやろ」

「そっちこそ、投資いうだけで拒否反応出しとるやんけ」


くだらない火花が散り始める。玲奈は止めようと思えば止められた。だが、なぜか今日は止める気になれなかった。亮介の名前が思いがけない形でこの部屋に持ち込まれ、そのこと自体に心がざわついていたのかもしれない。


彩香がカステラを手に取りながら鼻で笑う。

「お前のそのしょーもないツインテールも将来に備えておけや」

「何がしょーもないや。ツインテール保険があったら加入するわ、このボケぇ」

「誰が引き受けるねん、そんなしょうもない保険」

「ウチのツインテールに万が一のことがあったら補償は最大1億円や!」


迫田ツインズが腹を抱えて笑い、麻衣が「補償額凄い…」と困ったように言う。美咲は無言で茶を注ぎ足している。玲奈はそのやり取りを横目で見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。自分でも気づかないほど小さな変化だったが、麻衣だけはちらりとそれを見ていた。


その一方で、あかりは完全に自由だった。


「長崎カステラ美味しい〜」

そう言って、自分の分を食べ終えたあと、彩香の分までいつの間にか手を伸ばしている。


「あ」

麻衣が小さく声を上げた時には遅かった。

彩香の皿は空だった。


沈黙が落ちる。


あかりは口いっぱいにカステラを詰めたまま、「え?」という顔をする。彩香は笑っていない。むしろ、妙に穏やかな声で言った。


「あかり」

「……はい」

「後で話がある」



同じ頃。神戸市内の日協商事神戸支店では、まるで別の種類の空気が支配していた。


朝礼。


だがそれは、普通の会社がやるような気の抜けた朝の点呼ではない。殺気と根性論と数字だけを信仰する、異様な儀式だった。


営業マンたちが濃紺のスーツ姿で一列に並ぶ。顔色の悪い若手、目だけ爛々とした中堅、借金と歩合で首の回らなくなった男たち。彼らは支店長の号令で、士気高揚のための妙な体操を始める。腕を大きく振り上げ、腰を落とし、声を張る。


「何が何でも売上ノルマ達成!」

「客が見つかったら粘って粘って粘って粘り倒せ!」

「断られてからが勝負!」

「迷った客には未来の不安を見せろ!」

「今日も数字! 明日も数字! 売れぬ奴から消えていけ!」


怒号の中心に立っているのは、水野亮介だった。


昨夜、玲奈の前で見せていた穏やかな微笑みはそこにはない。冷え切った目、張りつめた口元、部下の弱さを嗅ぎ分ける肉食獣のような視線。その顔は、恋人の顔ではなく、組織の牙そのものだった。


若い営業マンが前に引き出される。成績不振。二週間連続ノルマ未達。男は言い訳をしかけるが、亮介は最後まで聞かない。ゆっくり歩み寄り、ネクタイを掴み、そのまま壁へ叩きつけた。


鈍い音がした。


「努力が足りんのやない」

亮介の声は低く、よく通った。

「覚悟が足りんのや」

男は青ざめ、何も言えない。

「客に情けかけるな。年寄りの不安は、こっちの売上や。今日も取れんかったら、お前に居場所はない」


その場の空気が一気に凍る。誰も目を逸らせない。亮介は男の襟元を放し、何事もなかったように資料をめくる。そこには大学生向け投資セミナーの開催報告、ネット広告経由の新規リード数、そして次のターゲット候補が並んでいた。


神戸の洒落た会場で、学生たちに未来を語った男。

玲奈の前で、将来の不安に寄り添うように話した男。

その同じ口が今、数字のために人を追い込んでいる。


亮介は一枚の資料の上で指を止めた。個人情報メモ。そこに記された名は、岡本玲奈。亮介は一瞬だけそれを見つめ、口元にごく薄い、企みとも苦みともつかない笑みを浮かべる。


分室では、まだカステラの甘い匂いが残っている。

だがその裏で、黒い朝礼はもう始まっていた。


恋は静かに深まり、罠はもっと静かに閉じていく。

岡本玲奈が心を許し始めた男は、朝の光の下で、別の顔をしていた。


甘いもののあとには、決まって苦いものが来る。

この日のカステラも、例外ではなかった。

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