見えない継投、崩れない試合 ― 明石ブルペン・コード
明石市。
海が近い。空が広い。駅前は賑わっているのに、少し住宅街へ入れば空気はやわらかくなる。魚の町としての活気があり、玉子焼の湯気があり、海峡の向こうには淡路島が見える。派手に騒ぐ街ではない。暮らしの輪郭がきちんと見える街だ。子どもの声が日常に自然に混ざる。子育てしやすい街――そう言われるのも分かる、温度のある土地だった。
その明石で、黒鷹は“継投型”のラインを作っていた。
一つ潰しても次が動く。
一箇所を押さえても、もう一箇所で受け渡しが進む。
小さな拠点をいくつも持ち、潮の満ち引きみたいに自然なリズムで物資を回す。派手さはない。だが、止まりにくい。まるで往年の阪急ブレーブスの継投策そのものだった。先発が崩れず、中継ぎが乱さず、最後は抑えが静かに締める。観客が気づいた時には、もう試合は終わっている。そういう勝ち方だった。
「嫌らしいわ」
彩香が低く言う。
「せやけど、崩れへんわけやない」
玲奈は短く返した。
「ツインズでいく」
その一言で、全員の視線が揃う。
迫田澄香。
迫田澪香。
瓜二つの双子。
似ている、ではない。
同じだ。
横顔、目線、立ち方、歩幅。よく見れば違うのだろうが、よく見ようとした時にはもう遅い。相手にそう思わせるだけで、この二人は半分勝っている。
「今回は継投や」
玲奈が言う。
「一人が作り、一人が締める。途中で役割を入れ替える」
「了解」
澄香が答える。
「任せて」
澪香が続く。
この二人は、同時に動く時も強い。だが、本当に厄介なのは、交互に役割を変えながら継続的に相手を崩していく時だった。どちらが“起点”で、どちらが“終点”なのか。そこが曖昧になると、相手は判断を誤る。
明石の港寄りの倉庫街。
トラックの音、海から吹く風、遠くの船の汽笛。全部が穏やかで、全部が紛らわしい。
澄香は、先に入った。
目立たない色の上着。
地元の業者に混ざっても違和感のない立ち姿。
だが、その頭の中では全体のラインがすでに組み上がっている。
(第一拠点は囮)
(第二が本命、でも締めは第三や)
見えすぎるものは怪しい。
澄香は最初からそれを疑う。
丸メガネの強打堅守のベネズエラ人二塁手のマルカーノのような女だった。
派手な本塁打ではなく、攻守の全部に静かに顔を出して試合を支える。気づいた時には、打って、守って、つないでいる。そんな種類の“完成度”があった。
一方、澪香は少し離れた場所で待つ。
まだ動かない。
まだ見せない。
必要な瞬間だけ前に出る。
その速さと正確さは、抑え投手のそれに近かった。
任務は順調だった。
麻衣が住宅地側の人の流れをやわらかく逸らし、美咲が影のように第二拠点の裏を押さえ、あかりが外周で妙に落ち着かない顔をしながらも指定位置にいる。美音は物流のタイムスタンプを読み、あおいが上から全体を見ている。
完璧だった。
余計なものが入らなければ。
「こんにちはー!明石の魅力をお届けしまーす!」
場違いな明るさが入った。
神戸放送の情報番組。
三好さつき。
彩香が小さく舌打ちする。
「来たか……」
さつきは港の方から軽やかに歩いてきて、双子を見つけるなり顔を輝かせた。
「あっ、迫田さんたち!」
悪い予感しかしない。
「澄香ちゃん、今日は何してるん?」
そう言ってマイクを向けた相手は――澪香だった。
「……仕事です」
澪香が、澄香みたいな顔で答える。
「なるほどー。じゃあ澪香ちゃんは?」
次にさつきが向けた相手は――澄香。
「……仕事です」
澄香が、澪香みたいな顔で答える。
まったく違和感がない。
スタッフも気づいていない。
さつき本人も、微妙に混乱しながら、そのまま進行している。
「えーっと、つまり……お二人とも仕事なんですね!」
「はい」
二人同時。
あかりが少し離れた場所で肩を震わせる。
「何それ……」
彩香は呆れていた。
「ホンマに分からん……」
だが、その混乱は、現場にとっては悪くなかった。さつきのマイクとカメラが入ったことで、人の視線が一方向へ寄る。黒鷹の受け渡し役も、わずかにそちらへ意識を取られる。
「今や」
玲奈が落とす。
澄香が動いた。
第一拠点に見せかけて、第二の接続を切る。
相手が“そちら”を気にした瞬間、澪香が第三へ回る。
「南、締める」
「了解」
役割が入れ替わる。
今度は澪香が前に出て、澄香が後ろで全体を繋ぐ。
黒鷹は判断を誤る。
さっきまで主導権を握っていた側が、いつの間にか追う側に回らされている。
見えない継投。
崩れない試合。
一つ目が切れる。
二つ目が遅れる。
三つ目が止まる。
最後、港側の細い導線を抜けようとした役が、ほんの一瞬だけ視線を迷わせた。
その時にはもう、澪香が前にいた。
速い。
無駄がない。
剛速球クローザーが最後の一球を投げ込むような締めだった。
制圧。
任務完了。
騒ぎは最小限。
港町は何も知らないまま、またいつもの夕方へ戻っていく。
さつきだけが、首をかしげていた。
「……あれ? さっき、私、逆に聞いてた?」
「どうでしょう」
澄香が言う。
「どっちでもいいです」
澪香が続ける。
さつきは笑うしかなかった。
「ほんま、迫田さんたち分からへんわ……」
任務後。
岸壁の少し離れた場所で、彩香が深く息を吐いた。
「迫田ツインズはホンマに見分けがつかん」
半ば呆れ、半ば感心している。
玲奈が短く言う。
「それが強みや」
まさにその通りだった。
似ていることが武器ではない。
見分けがつかないまま役割を入れ替え、相手の判断を遅らせる。
それを当然みたいにやってのけるから、強い。
明石の風はやわらかかった。
子どもを乗せた自転車が通り、遠くで船がゆっくり動き、夕焼けの色が少しずつ海に落ちていく。
その中で、誰にも気づかれない勝利だけが静かに残っていた。
迫田ツインズ。
二人で一つではない。
一人でも強い。
だが、二人が入れ替わりながら動いた時、相手はもう試合を見失う。
それは、勝ち続けた名チームの継投のように、静かで、美しく、そして容赦がなかった。




