白浜麻衣 三部作 第2話 ― 小さな盾は、誰よりも強い ―第2話 『雨の商店街、ちいさな防波堤 ― 姫路レイン・ガード』
白浜麻衣。
和歌山が育てた、童顔で小柄な若きヒロイン。だが、その小さな身体のどこに、これほどの覚悟が宿っているのか。子どもを慈しみ、幼稚園教諭を本気で目指す彼女は、泣き声に誰より早く気づき、怯える小さな手を誰より強く握る。ふだんは柔らかい。声も、目線も、立ち居振る舞いも優しい。だが――子どもを利用し、傷つけ、踏みにじろうとする者の前で、その優しさは静かな怒りへと変わる。
舞台は兵庫。
西宮、姫路、明石。人の温もりが残る街で、卑劣な黒鷹は子どもたちを盾にする。だが、そのたびに立ちはだかる一つの影がある。小柄な体躯を張り、逃げず、怯まず、ただ守るために前へ出る女――白浜麻衣。
童顔だから甘く見る。
優しいから弱いと思う。
その油断が、最後には命取りになる。
これは、銃でもなく怒号でもなく、ただ“守りたい”という一念を武器に戦うヒロインの物語である。
白浜麻衣三部作。
――小さな盾は、誰よりも強い。
姫路市網干区。
播磨灘に面したこの町には、城下町の華やかさとは別の時間が流れている。古い港町の気配、格子戸の残る町並み、潮の匂いを含んだ風。派手ではない。だが、地に足がついている。人の暮らしが静かに積み重なってきた場所だけが持つ、落ち着いた温度がある。祭りと港と商店街。そんな言葉が似合う町だった。
その日、空は朝から鈍かった。
雨は細く、だが途切れずに降り続いていた。
アーケードのある商店街では、地域の子ども向け体験教室が開かれていた。
折り紙、色塗り、簡単な工作。地元の店主たちが協力し、子どもたちの笑い声を少しでも増やそうという、ささやかで温かい催しだった。
黒鷹は、そういう場所を狙う。
搬入される工作資材の箱に偽装して、危険物と通信機材を運び込み、混雑の中で受け渡す。
しかも、いざとなれば子どもを盾にして逃げる算段まで立てていた。
「ほんま、趣味悪いわ」
彩香がインカム越しに低く吐き捨てた。
「騒ぎは最小限。子ども優先」
玲奈の声は短い。
「麻衣、お前が前へ出ろ」
「はい」
白浜麻衣は、小さく頷いた。
童顔で、小柄で、ぱっと見は頼りなくさえ映る。
だが、子どもが絡む現場では話が違った。彼女のやわらかさは、ただの愛嬌ではない。場を落ち着かせ、人を安心させ、恐怖を和らげる力だ。そしてその優しさは、守るべきものが明確になった瞬間、鋼のような芯を持つ。
エプロン姿の麻衣は、商店街の空気に自然と溶け込んでいた。
しゃがんで子どもと目線を合わせる。
はさみの持ち方を直す。
濡れた靴を気にしている子の足元をさりげなく拭く。
「せんせい、これ見て」
小さな男の子が不格好な紙の舟を差し出す。
「ええやん。ちゃんと舟になっとる」
麻衣は笑って、舟の先を指で整えてやる。
「雨の日やからな、舟は強いほうがええんよ」
その言葉に、子どもは誇らしそうに胸を張った。
その横で、黒鷹の下っ端が搬入口のタイミングを見ていた。
雨で人の足は鈍い。
アーケードの中には人が集まる。
子どもがいれば、大人は動きづらい。
卑劣だが、理にはかなっている。
麻衣は視線だけでその動きを追いながら、何事もない顔で子どもたちの列を整えていた。
任務は順調だった。
少なくとも、余計なものが入り込まなければ。
「こんにちはー!神戸放送でーす!」
場違いな明るさが、雨の商店街に差し込んだ。
長い黒髪。長身。上品な立ち居振る舞い。
三好さつきが、スタッフとカメラを引き連れてアーケードの奥から現れた。今日は“播磨の港町・網干のぬくもり”といった題の情報番組ロケらしい。
そして、その視線が、まっすぐ麻衣を捉える。
「え、美咲ちゃん……じゃない、麻衣ちゃん!?何してるん!?」
惜しい上に雑だった。
「仕事です」
麻衣は穏やかに返す。
「えっ、こういうのもやってるんや!?」
「まあ、ちょっと」
「すごいなあ。子どもたちにめっちゃ好かれてるやん」
マイクが向く。
カメラも寄る。
視線が集まる。
最悪のタイミングだった。
だが麻衣は、さつきを軽くいなした。
「今、忙しいから。またあとで」
声はやわらかいが、もう十分だった。
それ以上近づかせない線引きが、そこにあった。
さつきも空気は読める女だ。
「あ、ごめんごめん。ほな後でちょっとだけ!」と一歩引く。
その一瞬の隙を、黒鷹は見逃さなかった。
搬入箱が動く。
商店街の端、体験教室の子どもたちの列の横をすり抜け、雨宿り客に紛れて荷が流れる。
「来る」
澄香の声。
だが、その直後――商店街の照明が一部だけ落ちた。
小さな悲鳴。
暗くなった一角に、子どもたちの不安が走る。
黒鷹は混乱を起こし、その間に抜ける気だった。
一人の男が、逃げ道を作るために、子どもの列へ強引に踏み込んだ。
泣き出した女の子の肩を乱暴に押しやる。
その瞬間だった。
麻衣の顔から、やわらかさが消えた。
「……やめて」
静かな声だった。
だが、雨音の中でもよく響いた。
男が苛立ったように振り向く。
「どけ」
「どかへん」
短い返答。
童顔で、小柄な女。
普通なら脅せば退くと思うだろう。
だが麻衣は、一歩も引かなかった。
後ろには子どもたちがいる。
その列を、彼女は両腕を広げるようにして庇った。
その瞬間、体は小さいのに、妙に大きく見えた。
「子どもに近づかんといて」
目が違っていた。
普段の優しい麻衣の目ではない。
静かに怒っている人間の目だった。
男が前へ出る。
威圧する。
押し切るつもりだ。
だが麻衣は、濡れた床で足を滑らせることもなく、その場に根を張るように立っていた。
小さな男の子が彼女の服の裾を掴む。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫やで」
振り返らずに言う。
声だけが、やわらかく戻る。
その落差が、むしろ凄みだった。
「走らんでええ。みんな、後ろにおって」
子どもたちは、その声に従った。
泣いていた子も、麻衣の背中を見て立ち止まる。
それが、彼女の強さだった。
彩香が横から飛び込み、あかりが迂回路を塞ぐ。
双子が荷の受け渡し先を切り、玲奈が全体を閉じる。
だが中心にいたのは、間違いなく麻衣だった。
子どもを盾に使おうとした卑劣なやり口を、彼女は自分の身体で止めた。
短い制圧が終わる頃には、雨は少しだけ弱まっていた。
照明が戻る。
商店街の人々は、何が起きたのかを正確には知らない。
さつきだけが、少し離れたところから麻衣を見ていた。
マイクを持ったまま、珍しく言葉を失っている。
やがて、ぽつりと呟く。
「……かっこええやん」
麻衣はそれを聞かなかったふりをして、しゃがんだ。
さっき泣きかけていた女の子の目線まで、ゆっくり下りる。
「怖かったな」
女の子がこくりと頷く。
「もう大丈夫。約束する」
その言い方は、まるで先生だった。
任務後、人気のない軒下で、彩香が短く言った。
「よう退かんかったな」
責める響きはなかった。
玲奈はその横で、さらに短く言う。
「強いな」
麻衣は照れたように少しだけ笑った。
雨の商店街には、また日常が戻っていた。
子どもたちの工作教室は続き、店先にはどろ焼の匂いが漂い、人々はいつものように歩いていく。
その何でもない風景を守るためなら。
白浜麻衣は、何度でも前へ出る。
小さな防波堤は、雨の中でも揺れなかった。




