白浜麻衣 三部作 第1話 ― 小さな盾は、誰よりも強い ― 『夕焼けの園庭、消えない約束 ― 西宮スマイル・ライン』
白浜麻衣。
和歌山が育てた、童顔で小柄な若きヒロイン。だが、その小さな身体のどこに、これほどの覚悟が宿っているのか。子どもを慈しみ、幼稚園教諭を本気で目指す彼女は、泣き声に誰より早く気づき、怯える小さな手を誰より強く握る。ふだんは柔らかい。声も、目線も、立ち居振る舞いも優しい。だが――子どもを利用し、傷つけ、踏みにじろうとする者の前で、その優しさは静かな怒りへと変わる。
舞台は兵庫。
西宮、姫路、明石。人の温もりが残る街で、卑劣な黒鷹は子どもたちを盾にする。だが、そのたびに立ちはだかる一つの影がある。小柄な体躯を張り、逃げず、怯まず、ただ守るために前へ出る女――白浜麻衣。
童顔だから甘く見る。
優しいから弱いと思う。
その油断が、最後には命取りになる。
これは、銃でもなく怒号でもなく、ただ“守りたい”という一念を武器に戦うヒロインの物語である。
白浜麻衣三部作。
――小さな盾は、誰よりも強い。
兵庫県西宮市。
山の手の落ち着きと海沿いの開放感が、無理なく同居する街だ。文教地区の品の良さ、甲子園の熱気、夙川沿いのやわらかな空気。人が住む街としての温度が高い。特に住宅地に入れば、夕方の公園には子どもの声が自然に溶け込み、どこか“守られている”空気がある。
だからこそ、黒鷹のやり口は悪質だった。
地域の親子ふれあいイベント。
移動遊具車、着ぐるみショー、工作体験、ミニ縁日。
子どもたちが笑い、親たちが安心して立ち話をする、その隙間に違法物資を紛れ込ませる。しかも、いざとなれば園庭の混雑を盾にして搬出するつもりだった。
「最低やな……」
彩香が低く吐き捨てる。
玲奈は無言で会場全体を見ていた。
人の流れ、導線、遊具車の位置、出口の数。全部が頭に入っている。
「騒ぎは最小限で。子ども優先」
短く言う。
「麻衣、お前が前に出ろ」
「……はい」
白浜麻衣は小さく頷いた。
童顔で、小柄で、柔らかい顔立ち。
祭りの補助スタッフのエプロンを着れば、どこにでもいる優しそうなお姉さんにしか見えない。だが、玲奈は知っている。この女は、子どもが絡むと変わる。
麻衣は園庭に入るなり、自然に溶け込んだ。
しゃがんで子どもと目線を合わせる。
泣きそうな子には先回りして声をかける。
走り回る子には危なくないように進路をずらす。
誰にも不自然に見えない。だが、確実に全体をコントロールしている。
「お姉ちゃん、これできへん」
工作コーナーで男の子が困った顔をする。
「どれどれ」
麻衣はその横に座り、紙を持つ手をやさしく添える。
「ここ、ちょっとだけ折るんよ。そう、それでええ」
子どもはすぐに笑った。
その顔を見て、麻衣も少しだけ笑う。
そういう顔をする時の彼女は、もう半分、先生だった。
(こんな場所を使うなんて……)
胸の奥に、静かな怒りが沈んでいた。
黒鷹の下っ端が、遊具車の裏で荷を受け渡すタイミングをうかがっている。親子の流れが途切れる一瞬を待っている。だがその一瞬を作らせないのが、今回の麻衣の役割だった。
任務は順調だった。
少なくとも、余計な存在が来なければ。
「こんにちはー!本日は西宮の親子イベントを紹介しまーす!」
場違いに明るい声が響いた瞬間、麻衣はほんの少しだけ天を仰ぎたくなった。
CS放送のロケ班。
マイク。カメラ。スタッフ。
そして、その中心にいたのは――赤嶺美月。
ハーフツインテールを揺らし、いつも通り無駄に元気な顔で現場を見回していた美月は、ふと麻衣を見つけるなり、ぱっと顔を輝かせた。
「まいやん、何してん?」
「……仕事」
「うわ、楽しそうやん!このイベント、ウチも混ざってええ!?」
完全に空気を読んでいない。
いや、読んでいても気にしない種類の人間だった。
「美月ちゃん、勝手に混ざったらあかんよぉ」
スタッフが弱々しく止めるが、もう遅い。
美月は子どもの輪の中に入り込み、
「よっしゃー!みんな元気あるかー!お姉さんと一緒に遊ぶでー!」
と、妙にテンションの高い進行を始めてしまった。
一瞬で園庭の視線がそちらへ集まる。
「……最悪」
彩香の声がインカム越しに低く漏れる。
だが麻衣は、眉一つ動かさなかった。
(使える)
一瞬で切り替える。
美月は騒がしい。
空気を持っていく。
そして、子どもはああいう明るい熱に弱い。
「美月ちゃん」
麻衣はやわらかく呼んだ。
「ん?」
「せっかくやし、向こうでミニ体操みたいなんしてくれへん?」
「ええやん!任しとき!」
単純だった。
美月はすぐに乗る。
「ほらほらー!みんな、こっち集合や!広いとこでやるでー!」
子どもたちがわっと動く。
視線も流れる。
親もそちらへついていく。
その一瞬で、麻衣は遊具車の裏へ回った。
荷を動かそうとしていた男と目が合う。
男は、邪魔なスタッフ程度に思ったのだろう。軽く肩で押しのけようとした。
「どいて」
低い声。
だが、麻衣は退かなかった。
「ここ、子どもおるから」
男が苛立つ。
「関係ない。どけ」
その瞬間、近くで風船を持っていた小さな女の子が転びそうになる。
男の足が、その子の進路にあった。
麻衣の顔から、柔らかさが消えた。
「……今、何しようとしたん?」
声は静かだった。
だが、底が冷えていた。
童顔の小柄な女。
そう見くびっていた男は、その目を見て一瞬だけ止まった。
その隙に、麻衣は身体を入れる。
子どもを背中にかばう。
まるで、小さな盾のように。
「子どもに近づかんといて」
後ろでは、美月の声が飛んでいる。
「いっちにー!さんしー!元気ええなー!」
園庭は妙な盛り上がりを見せていた。
ロケ班もそれを撮っている。
完全に予定外。
だが、その騒ぎが逆に黒鷹の視線を散らし、双子が別ルートへ回り込む時間を作っていた。
「確保」
澄香の声。
「搬出経路、切れた」
澪香が続く。
男は逃げようとした。
だが麻衣は退かない。
小さい身体で、真正面から立ちはだかる。
怖くないわけがない。
相手は大人の男で、こちらは非力な女に見える。
それでも――退けば、後ろの子どもたちが危ない。
(先生になるんやったら)
麻衣は胸の奥で、何度も同じ言葉を繰り返した。
(こういう時に、前に立てなあかん)
男の腕が動く。
麻衣は一歩も引かない。
その時、彩香とあかりが横から一気に入った。
短い制圧。
音は最小限。
親たちはまだ、美月の妙に気合いの入った体操に気を取られている。
任務は終わった。
騒ぎは残らない。
園庭には、夕焼けの色だけが静かに落ちていく。
ロケを終えた美月が汗をぬぐいながら近づいてきた。
「まいやん、ウチめっちゃ役立ったんちゃう?」
「……うん、まあ」
麻衣は少しだけ笑った。
実際、役には立っていた。
かなり騒がしく、かなり危なっかしい形で。
任務後、人気のない園舎の裏で、彩香が麻衣を見る。
「無茶しよるな」
責める声ではなかった。
「でも、ああいう時に前へ出れるんは強いわ」
玲奈はその横で短く言った。
「向いている」
それだけだった。
麻衣は小さく頭を下げた。
その視線の先では、さっきの女の子が母親に手を引かれて笑っていた。
夕焼けの園庭には、何事もなかったように、子どもたちの声が残っていた。
その声を守るためなら。
白浜麻衣は、絶対に退かない。
小さな盾は、誰よりも強かった。




