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第3話 優しい人



 オフィーリアはしばらく彼の様子を観察していたが、どうにも様子がおかしいことに気付く。

 まず目を合わせようとしない。必死に視界に入ろうとしても顔を逸らされてしまう。どうしてと尋ねれば怖がらせたくないと返ってきた。

 獣人は凶暴な生き物だと聞いていたが、これではまるで紳士だ。


 しかしまだ安心するわけにはいかない。

 世の中嘘偽りだらけだ。油断させておいてガブリという可能性もある。いや、ガブリでいいと言っているのだからわざわざ油断を待つ必要もないのだが。


 オフィーリアは少し考えてから獣人の隣に移動し、しなだれかかった。油断したふりだ。しかし彼は指一本触れてこようとはしなかった。それどころか緊張で身体が固くなる始末。

 なんていじらしいのだろう。

 思わず笑ってしまう。



「……何を笑っている」


「ふふ、素直にお答えしてもよろしいのですか?」


「いや、いい。どうせ碌なことじゃないだろう」


「まあ、意地悪な方。ですが、そういうことでしたら口をつぐみましょう」



 オフィーリアは豊満な彼の腕を掴み、ぐいぐいと自身の身体を押し付けた。

 半分は悪戯心。もう半分は毛並の誘惑だ。


 羽毛のような柔らかさと絹のような滑らかさ。普段から最高級布団を使って眠っているが、それすら足元に及ばぬくらい素晴らしい手触りをここぞとばかりに堪能する。

 長い間収監されていたはずなのに、不思議とお日様の香りがした。



「この毛並、すべすべのもっふもふでございますね」


「あ、ああ。先程風呂に入ったばかりなのでな。気に入ったのなら好きにするといい」


「お風呂、入れるのですね。ここ」


「数十年風呂に入っていない気分だったんだ。少し看守を脅せば風呂だけなら、と許可を貰った」


「こちら、抱きしめても?」


「……汚すなよ」



 にゅっと下から伸びてきた尻尾を掴み、条件反射で顔を埋める。

 なんて心地よい。眠ってしまいそうだ。

 ささくれ立った心に潤いが満ちる。地獄に仏とはまさにこのこと。もう一生ここに引きこもっていたい。

 尻尾を抱きしめたまま背後の壁にもたれかかるオフィーリア。しかし、ふと気付いて顔を上げる。



「今、何と言いました?」


「え? 風呂に入ったぞ、と」


「嫌ですわ。夜のお誘いならばまた今度にしてくださいまし、ダーリン」


「違ッ! ――……君、俺をからかって遊んでいるだろう」



 へにょりと耳が垂れ下がる。

 オフィーリアは満面の笑みで少しだけ、と答えた。



「こんなにも愛らしい方に出会ったのは初めてで、つい悪戯心が」


「愛らしい? 君の眼球には何が詰まっているんだ? 幻覚作用のある薬か? 医者にかかることを強く勧めるぞ」


「あら。人間に触れられるのがお嫌にも関わらず、このような場所へ投獄された小娘を憐れんで、自ら尻尾を差し出してくださる方を愛らしいと呼んでは駄目なら、なんと言い表せばよろしいのでしょう? 健気?」


「……違う。勝手に解釈するな」



 言葉とは裏腹に強張る身体。態度に出てしまうなんて随分と可愛らしい。嘘をつきなれていない素直な性格に笑みがこぼれてしまう。

 恨めしそうな金の瞳に睨まれたが怖くはなかった。


 オフィーリアが尻尾に触れている時、かすかに震えていたのを知っている。我慢と緊張からくる揺れだろう。――可哀想な人。短時間接しただけでも分かる。彼は人間を襲えない。こうして牢に繋がれているのは獣人だったから。

 たったそれだけで、彼は自由を奪われた。


 人間が憎いだろう。おぞましいだろう。しかしそれらすべてを押し殺し、少しの慰めになればと哀れな女に尻尾を差し出してくれた。

 世界が巻き戻るたびに裏切られ続けているオフィーリアにとって、彼の不器用な優しさはとても好ましく映った。



「お礼に、今度ブラッシングをさせてくださいまし」


「必要ない。それよりも先程からなんなんだ君は。この国の人間ではないのか? どうして俺を怖がらない。この国は獣人を畏怖しているはずだ」



 何か裏があるのかと、獣人の目が鋭く伸びる。

 オフィーリアは居住まいを正して首を横に振った。



「まさか。とんでもございません。人を見た目で判断することへの愚かさを、身をもって体験し続けているだけですわ。……本当、情けない」



 お伽噺から抜け出てきた王子様。それがアイルト王太子の第一印象だった。

 キラキラと輝く金の髪に真摯な青い瞳。オフィーリアと呼ぶ声は甘く、その眼差しは陽だまりのように温かい。とても、美しい人だと思った。


 幼くして王太子の婚約者となったオフィーリアは、彼を守り支えるため様々な努力を積み重ねてきた。

 勉学はもちろん、社交界での振る舞い方、ダンスやピアノといった教養まで。完璧な淑女とあだなされるほどに己を鍛え抜いた。


 それだけではない。

 リングット公爵家には王家を守護する役割がある。


 何事も手を抜かないが信条のオフィーリアだ。常人を遥かに凌ぐ身体能力をもって生まれてきたとしても、その才に胡坐をかくつもりは毛頭なかった。

 いつ何時、何が起こっても対処できるように。

 王太子を守るため鍛錬に鍛錬を重ね、いつしか軍神と呼ばれる父すら凌ぐ強さを手に入れた。



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