ep4
「人間が訪れるのは煩わしいが、脅威ではないんだよ。誰のどんな目的であっても、取るに足らない些細なことさ」
もちろん空腹の足しにもなりはしないよ、とエリオは付け足す。
「些細な相手に寝床を貸してくれるとは、随分親切なんだな」
フォルカーは拾い直した剣を腰に下げる。いつも通りの身に馴染んだ重みだ。
「雨の日に蝶が一匹が家に迷い込んで来たとして、わざわざ追い出す理由も殺す理由もないよ」
「それはよかった。蝶も感謝するだろう」
これはフォルカーの本心だったが、エリオは小さく眉をひそめた。
「──では今度はこちらから質問させてもらおう。……君がここに来たのは何が目的だ?」
そう問うエリオの顔からは、笑みが消えていた。
「それは前にも言ったが、森を抜けようとして迷ってしまって──」
「言い方を変えようか。どうしてわざわざこの森に入った? この森や霧のことは、近くの町で忠告を受けただろう」
「いや……」
「そうか。私が知らない間に、あの町の人間は旅人に何の忠告もせずに送り出すほど冷淡になってしまったようだね」
明らかに皮肉だ。だがそうまで言われると、根が悪人ではないフォルカーは、忠告をくれた店主に申し訳がないような気分になってきてしまう。
「忠告は……あった。だが、俺が真に受けずに森を抜けようとしただけだ」
「旅の途中だというのに、地元の人間の忠告も無視して? 君は随分と愚かな人間なんだな」
「ああ、そうだとも!」
フォルカーは元々言葉が立つほうではない。明らかに下手な返事しか出来なくなっている客人に、エリオはため息をついた。
「たとえ君がどれほど愚かだとしても、この森に入ってすぐにおかしいことは分かっただろう。普通の人間はその時点で引き返そうとするものだよ」
あの堂々巡りを思い出し、フォルカーは反論できず顔を上げる。
「この森に入る人間は愚かだが、そのまま引き返さなかった人間はそれ以上に無謀か、私に用がある者だ。君はどちらだ?」
エリオが見透かすような目線を向ける。卓上の竜もこちらを見ている。
諦めたフォルカーはため息をついて答える。
「……両方だ」
「両方とは、愚かで無謀ということか」
「そこではない! いやそれも事実ではあるな……愚かで無謀だし、用があった。酒が入ってやけになって、森の魔法使いを退治してやろうと思ったんだ。これが無謀の方だ」
「どうせ迷い込んだ人を食うとかの噂を聞いたんだろう。退治して名でも上げるつもりだったかな。もう一つは?」
「用の方は……《世界で一番美しい魔法使い》を一目見てやるつもりだった」
「ああ、それは近年よく言われている噂だな。随分と夢のあることを言い出した奴がいたものだ」
エリオが可笑しげに目を細める。
「思ったより俗な理由だったな。噂に騙された気分はどうだ?」
その言葉に、フォルカーは首を横に振った。
「噂は本当だった。俺にとって今もなお最も美しいと思えるのは、亡くなったヴァレンテ様だ。彼の姿をしている魔法使いなら、確かに噂通りと言える」
「ふうん。君には私の姿が、そのヴァレンテという男に見えているんだな」
エリオがいかにも初めて知ったように頷いたことで、フォルカーは目を丸くする。
「自分で分からないのか」
「相手にそう見えているだけさ。婚約者の少女だったり、亡くした夫だったり、誰もが勝手なことを言う」
「だが、昨日手が触れた時も見た目と変わりなかったぞ」
「相手にそう思わせるのがおそろしいところでね。厄介なものだよ。女の身体と思って私に触れる奴もいる」
「本当のお前は男なのか?」
フォルカーが言うと、エリオはしまったといった顔をした。彼にとっては余計なことを話してしまったらしい。
「どうせ私の本当の姿など君には見えないんだ。どうでもいいじゃないか。それより、久しぶりに愛するヴァレンテ様に会った感想はどうだい」
そう言って、フォルカーに顔を突き出す。
「さあ、君のヴァレンテ様はどんな顔をしてる?」
「とても……美しいお顔をされていた。容姿もだが、たたずまいが清廉で美しい。あの方が宝石のような目で俺を見ると、この方のためなら命も惜しくないと思えた」
自分の顔を見ながら自分ではない相手を臆面もなく賞賛する男に、エリオが呆れたように首を振った。
「大層惚れていたんだね」
「そういうものじゃない。命をかけてお仕えするに相応しい主だったから、俺は忠誠を誓っていたんだ」
「……ふうん」
気が付くと、エリオはニヤニヤと品のない笑みを浮かべていた。
「――それじゃあ、君はヴァレンテ様とやらを一度も抱きはしなかったということか」
何を言われたのか、一瞬フォルカーには理解が出来なかった。魔法使いの口にした言葉は、彼にとってそれほどまでに意識の中にないことだった。
頭の中で意味が結ばれると、フォルカーの顔が怒りで朱に染まる。
「……貴様!」
急に立ち上がったせいで、椅子がガタンと音を立てた。エリオの膝の上の竜が音に驚いて目を開く。
「お前は俺だけではなくヴァレンテ様をも侮辱したぞ!」
「そんなに怒ることじゃないだろう。内心で想うだけなら責められる物じゃない」
「俺の忠誠を下卑た欲と一緒にするな!」
「欲のある思慕が必ずしも下卑ているとは思わないけどね……君がそう思っていたならそれでもいいさ」
エリオが面倒そうに立ち上がると、膝の上の小竜はするりと床へ降りた。
「……まあいい。これからしばらく研究室に籠もるから、邪魔をしないでくれ。私は君が来る前と同じように過ごさせてもらうが、君がまだここに滞在したいというのなら客人として扱おう」
言われて、フォルカーは自分がここに厄介になる身であったことを思い出す。
「無論、君が出て行きたくなったら霧など構わずいつでも出ていけばいい。のたれ死んでも良いならね」
言い残して、エリオは地下への階段を降りていく。
小さな竜がひょこひょこと主人についていくと、後には立ち上がったままのフォルカーが取り残される。
「……くそっ」
塔の主を怒鳴りつけた手前出て行きたいのは山々だが、あの妙な霧がある限りここを出てもまた同じことになるのだろう。
こうしてフォルカーの、塔での滞在の日々が始まった。




