ep2
ほとんど手探りの状態で先に進んで行くうち、突如として霧が薄れ、森がひらけた。
急に堂々巡りから解放されたフォルカーは目を疑う。すぐ近くを散々歩き回っていたはずだ。霧が出ていたとは言え、こんな場所があることにまるで気付かずにいたのはおかしい。
これも魔法使いの仕業ではないかと辺りを窺ったが、相変わらず獣以上の大きさの生き物の気配はない。
周囲の様子を窺うと、この場所もあくまで森の中の空間であるということが分かった。目を凝らすと霧の向こうに明かりが見えた。小さいが石造りの塔があるようだ。
あそこで一晩の宿を借りられるかも知れないと胸をなで下ろしかけたが、これがもしや魔法使いの住処ではという考えがフォルカーに過ぎる。
しかし徐々に日は落ち、薄ら寒さも増している。温かい明かりがあることに気付きながら、霧の中で野宿をするのもばからしい。もし野盗であったのならそれこそ退治をしてしまってもよいだろう。
そもそも、魔法使いなど退治してもかまわないと思って森へ入ったのではなかったか。
フォルカーはしばらく考えたが、諦めて頭を振った。
――ええい、ままよ。
そうして、彼は塔へと足を向けた。
◆
近付いてみると、塔は古めかしい割に扉の周囲は案外手入れがされており、大して朽ちてもいなかった。日頃から人が生活をしているのだろう。
どうやら野盗の集団や怖ろしいものが住んでいる塔のようには思えず、フォルカーは少しだけ肩の力を抜く。
「失礼する! 一夜の宿をお借り出来ないだろうか!」
扉のノッカーを叩いて、声を張った。
「森に迷い、霧が出てきて往生している! さぞご迷惑だろうが――」
「……旅の人かい?」
扉越しに声がした。それは噂されていた女や老人のものではなく、落ち着いた青年の澄んだ声だ。
「あ、ああ、そうだ。日が暮れてしまって……」
何故か声に聞き覚えがあるようで気を取られていると、扉がゆっくりと開いた。塔の中から、フォルカーより少し小柄な体つきの人影が姿を現す。
相手の顔を見てフォルカーは息を飲んだ。
「どうしたんだい、旅の人」
青年が、フォルカーを見上げて尋ねる。細身の身体には、質のよさそうな衣服を身につけている。こんな森の中で暮らしているにしてはいささか奇妙なことだが、フォルカーが驚いたのはそのせいではなかった。
青年の顔が、数年前に病に倒れた王子とうり二つだったからだ。
「あ……いや、そんなはずは……」
「旅の人、さては私が誰かに見えておいでだね。気にすることはないよ。皆『そう』さ」
フォルカーのよく知る王子の顔と声で、青年が目を細めて笑う。混乱でフォルカーの鼓動は急速に早まる。
だが王子なはずはない。彼は数年前に儚くなっているし、今この目の前にいる青年は亡くなった時の王子と同じ年格好だ。むしろ王子本人だったとしたら、外見にもう少し変化があるだろう。
どうにか冷静にそこまで考え、フォルカーは深呼吸をした。
「し、失礼。知り合いによく似ていたもので」
「声も姿形もだろう?」
青年の言う通りだった。
服装こそ王子のものではないが、背格好、髪の色、目の色、まるでそのままだ。似ている、という言葉では足りない。
フォルカーはおそるおそる青年の耳を見た。
外耳の形状は人によって異なるという。そこにあったのは、かつて見慣れた王子の耳の形をしていた。
彼が王子のはずはない。だがこれは、ここにいるのは、誰だ?
ぐらりと世界が歪む。フォルカーは己の手足が冷たくなるのを感じた。
血の気が下がり足下をふらつかせると、王子そのものに見える青年がフォルカーの腕を掴んで支えた。
「気分が悪そうだね」
「あなたは……彼は……亡くなったはずだ……」
「ああ、君に見えておいでなのは死んだ人間か。さぞ驚いたことだろうが、心配しなくていい。私は死人ではないし、その人でもないよ」
確かに青年の言う通りなのだろう。フォルカーを支えるその手には、生きた人らしい温かさと確かな力がある。
「だが、どうして、その……」
「ひとまず中へお入り。外は冷えてきたろう」
青年が腕を引いた。つられるようにフォルカーの歩は進み、塔の中へ入る。
「ここに住む人は私一人だが、食べ物とベッドくらいは用意出来るさ」
人。
彼はそう言うが、本当に人なのだろうか。
見た目だけなら確かに人に見える。夭折した王子は清廉で美しい人だった。その王子と同じ外見のこの青年も、無論美しい。
「ああ、運が悪かったね旅の人。どうやらタチの悪い霧が出ている」
青年は外の様子を見て言うと、扉を閉めた。
「霧が晴れるまではここにいても構わない。ただしここの霧は気まぐれだから、いつになるか分からないけどね」
人を惑わす魔法使いにしては、先程から彼の言っていることは(時折理解出来ないことはあるが)、会話の成立するようなものばかりだ。
それすらも策の一つなのかも知れないが、フォルカーはその不釣り合いさを奇妙に感じていた。
「……お前が、この森の魔法使いなのか」
森の魔法使いは人を惑わせるという話だった。噂や予想とは少し違っていたが、少なくともフォルカーは青年の容姿のせいで大いに心惑わされている。
「今はどういう噂になっているかは知らないけど、おそらく私のことだね」
青年――魔法使いが苦笑した。その笑い方まで王子に似ていて、フォルカーは言いようもない懐かしさを感じる。
「ではその外見も、俺を惑わすためにやっているのか。だとしたら大したものだ。どうやって俺のことを知ったかは分からないが、本当に、頭がどうにかなりそうだ」
フォルカーは半ば無意識に、持っていた剣の束に助けを求めるように手をかけた。
王子と同じ顔の相手を切れるかどうか、自信はない。だが騎士になって王子から授かったこの剣は、今のフォルカーにとって数少ない拠り所となる物だった。
「おいおい、その物騒なものを使うのは止めて欲しいね」
魔法使いが呆れたように首を振る。
「別に私は、君に悪さをするつもりはないさ。たとえ君が何を見ても、それは私の意志ではないんだ旅の人」
そう言って、王子の顔で微笑む。王子ではないと分かっていても、フォルカーの胸は苦しくなる。
「だがこうやって、お前は今までも人を惑わせてきたのだろう」
「……いいや。人が勝手に惑わされるんだ」
王子と同じ色の魔法使いの瞳に、一瞬翳りが宿る。
「私は――私を目にする人は、そこにこの世でいちばん愛する人の姿を見るんだ。そういう存在なんだよ、私は」
その言葉に、ようやくフォルカーは噂の意味を知った。
そして自分にとって、失った王子こそがこの世で最も美しいと思う存在だったということも。




