ep13
エリオの呪いは強大な古い魔力を抱えており、その魔力を借りたい国があるのだという。承諾すればエリオの身柄は正式に国の預かりとなり、今のように一人で隠れ住むよりは安全になるはずだ、とナヴァは告げた。
ただし呪い自体は消せないため、人との接触は最小限になる。
ナヴァの話し合いの内容は、そういったものだった。
「せめて、たまには話し相手くらいにはなってもらえるんだろうな、ナヴァ卿」
彼の淡々とした言い分を一通り聞き、エリオは皮肉気に言った。
「いくらでも。あなたの知る古い魔法にも、興味がある……」
その返答に、エリオが少し安堵したのがフォルカーにも分かった。
「それはいいな。ここは静かで落ち着くところだが、話し相手に事欠くのが難点なんだ」
己の姿に惑わされない者はエリオにとって貴重な相手なのだろうが、こんなささやかなことで安堵する姿にフォルカーの心が痛む。
「だがそれでは……エリオの呪いはどうなる!」
「フォルカー」
二人の会話を遮るように声を張り上げたフォルカーを、エリオはたしなめるように呼ぶ。
だがフォルカーは黙らなかった。
「エリオはここで呪いを解くための研究をしていた! 呪いの魔力が目的なら、彼の呪いを解かせるつもりはないんだろう!?」
国の目的が呪いの魔力なのだとしたら、万が一いずれ呪いを解く手段が見つかったとしても、そんなことは許されないだろう。それくらいのことはフォルカーにも分かる。
「フォルカー、もういいんだ」
「呪いで死ぬこともない彼を、ただ閉じ込めておくというのか……?」
怒りと哀しみでフォルカーの声が震える。
あまりにも酷いと思う。
誰もエリオを助けようとはしてくれない。もはや、エリオ自身でさえも。
「ヴァレーリオ翁、『エリオ』とは……?」
ナヴァが控えめに尋ねた。
「彼の想い人の誰かではなく、私の今の名だ。ヴァレーリオの名は捨てたつもりでいたからね。彼──フォルカーは、本来の想い人を私に重ねて見てしまった、単なる呪いの被害者だ」
「違う! 俺はエリオを──」
昨晩の拒絶を思い出し、フォルカーが言葉に詰まる。
「……面倒な仕事だと思ってた。けど、来た意味はある」
淡々としたナヴァの声に、初めて微かな哀しみや同情の色が見えた。
「翁の苦しみを理解できているとは、言えない。でも、いつまでもここに一人でいるべきではない……と思う」
人に姿を見られないように、迷いの森のその奥に。誰も自分を見てくれないが、本当の姿を見られるのも怖い、哀れな魔法使いが、ただ一人いた。
「私も、好き好んでここにいたわけではないけどね。中ではここが一番ましだったというだけで」
長い間姿を隠して生きてきた魔法使いの声には、深い諦念があった。
「私は抵抗しないで君たちについて行く。その代わり、フォルカーの拘束を解かせてくれ」
「わかった……。でも、また彼が抵抗したら、今度は昏倒させる」
「そういうことらしいから、もう暴れないでくれよフォルカー。せめて別れの挨拶くらいはさせて欲しいものだね」
エリオがそう言いながら、フォルカーの拘束を解く。フォルカーは己の無力さに涙が滲み、視界が歪んだ。エリオの顔もはっきりと見えない。
「何だいおかしいじゃないか、どうして君が泣くんだ」
エリオが、笑いながらフォルカーの顔を覗き込む。その声はひどく優しい。
「フォルカー……私はこの呪いが原因で人に泣かれることは何度もあったけれど、いつもいい気分ではなかったよ」
「エリオ、俺は、だが……!」
「でも今は、君を泣かせた罪悪感の中に、少しだけ喜びを感じてしまうんだ」
エリオは笑いながらそう言うと、笑顔のまま一粒の涙を零した。
「私のための涙をありがとう」
そう述べるエリオの涙こそ、目の前の男のためのものだった。
その時、エリオの身体から静かな光が放たれる。
「……まさか」
ナヴァが驚いたように立ち上がる。
床に眠っていたランベルトが青く光り、その体は輝く粒子になる。元は小さな竜だった粒子がエリオを包み込むと、彼の輪郭を覆い隠した。
──永き呪いは解かれた!
どこからか、老いた声が響いた。耳にではない。ただ、響いた、とその場にいた全員が感じる声だ。
光が静かに消えたとき、そこにはフォルカーの見たことのない青年がいた。
彼の顔は、亡き王子ヴァレンテのものではない。不思議と似た面影はあるが、硬質なヴァレンテの美しさより柔らかな顔立ちで、小さな愛らしいほくろがある。
「お前が……エリオなのか……?」
フォルカーは青年の頬に手をあて、親指でほくろをなぞる。
エリオははっとしてその手をとった。
「君、私の姿が見えているのか……!?」
「分からないが……お前の姿がヴァレンテ様のものではなくなっている。顔に小さなほくろがある」
長い長い呪いが、いま解けた。
全身の力が抜けたようにくずおれかけるエリオを、フォルカーが支える。
「本当に……本当に呪いが消えたのか」
絶えず余裕のある様子だったナヴァが、深いため息をつく。
「古の呪いは消えた。……任務中止」
「それでは、もうエリオを連れて行かないのか」
フォルカーは腕の中のエリオを庇うようにして、ナヴァに訊ねた。
「……今のヴァレーリオ翁は、魔力も寿命も人並。わざわざ国が求める価値は、ない」
「ありがとう、ナヴァ卿……!」
ナヴァは首を振ると、もう用はないと言わんばかりに椅子から立ち上がった。食堂の扉を音を立てて開くと、待機していた兵士たちに向けて声を張る。
「任務は終了! 対象者がこの世から消えた。すぐ城に戻り、報告」
その背中に、エリオが声をかけた。
「ナヴァ卿」
「翁、何か?」
「いずれ君に会いに行ってもいいかな。私の姿に惑わされない相手と久しぶりに話ができて、本当に嬉しかったんだ」
「いつでも」
ナヴァは短く答えると、食堂を出て行った。
残された二人は、静かになった食堂で長く息を吐いた。
「そうだ、呪いが解けたのは何故なんだ? ランベルトがやったのか?」
フォルカーの疑問に、エリオが少し考えるそぶりを見せる。
「呪いが解けた理由は分かるけど、ランベルトは……。あの子は私が魔力で作った使い魔だとばかり思っていたけど、呪いをかけた妖精が姿を変えていたのかも知れない」
「あんな呪いをかけた犯人が近くにいたのか!?」
「きっと、私がいつまでも呪いを解けずにいるから驚いて見守っていたんだろう。呪いを解く方法はずっと前に教えてくれていたのに」
エリオが悔やむような、それでもなお安堵したような表情になる。
「呪いを解く方法はあったのか。さっきようやくそれが成功したということか?」
「それは、私が君を……君のことを」
言いかけたエリオが、フォルカーの顔を見つめ、それから言い直した。
「成功したよ。君に会えて良かった」
いつの間にか夜は明けていた。




