ep10
深夜なかなか寝付けずにいたフォルカーは、ベッドの中で幾度も寝返りを打っていた。
自分はこれで本当にエリオと別れることになってもよいというのだろうか。何かもっと伝えるべきことがあるような気がする。そうでなくとも、これほど世話になった魔法使いに対し、ただ礼の言葉を述べただけで立ち去るというのは居心地が悪い。
考えはまとまらないが、明日になったらもう一度だけエリオと話をしてみよう。
そう思い、フォルカーが目を閉じる。その少し後、部屋の戸がゆっくりと軋む音がした。
旅で得た危機感は衰えていなかったようで、反射的に剣のありかを思い出して静かに手を伸ばす。旅の途中でたちの悪い宿に泊まってしまった際などには似たようなこともあったが、この塔で過ごしている間そんな緊張感はすっかり縁のないものだったと思い知る。
「──そんなに警戒することはないよ、フォルカー」
侵入者は、やはりと言うべきか塔の主であるエリオだった。小さな灯りを手にしているので、寝間着に近いシャツ姿であることも分かる。この時間にこの身なりだ。彼もこれから眠るところか、それとも眠れなかったか、おそらくどちらかだろう。
「深夜に驚かせたのはすまないが、まずはその剣を手から離してくれないか。私には君を害する気持ちはないからね。とは言え──」
寝込みを襲われた君にしてみれば充分私に害されたと感じるかも知れないけど、と笑みを含んで続ける。
「驚いたな……魔法使いというのはそこまで分かるものなのか」
フォルカーはそう言いながら、剣から手を離して起き上がった。毛布の下で身構えてはいたがもとより反射的な行動で、エリオ自身を恐れていたわけではない。
「こんな時間に何の用だ? 俺も、お前とは少し話がしたいとは思っていたが……」
「ねえ、君」
魔法使いは灯りをベッドサイドに置くと、フォルカーに並ぶようにベッドに腰を下ろした。
「なんだ」
エリオの薄着の体温を、隣に微かに感じる。やはりここを出るのが名残惜しいと思ってしまう。フォルカーはそのことに気をとられていたせいで、エリオの言葉への反応が少し遅れた。
「私を抱く気はないかい」
「……だ」
何を言われているのか咄嗟には分からず、フォルカーは呆然とした。
こいつは、一体何を言っているんだ?
「うん、訊き方を変えよう」
反応の薄いフォルカーに、エリオがにじり寄る。
「どうせ今夜限りなんだ、最後に一度くらい良い思いをしようとは考えないのかい? 折角私は君の愛する王子と同じ姿をしているんだろう。一晩だけなら、この身体を好きにしてもいい。私が許すよ」
そう言ってエリオは、己のシャツのボタンを上からゆっくりと外し始めた。
「王子様と思って抱きたいと言うなら私がそのように振る舞ってもいいし、単に王子様と同じ顔の相手を抱くだけだと思ってもいい。黙っていろと言うなら最中には一言も──」
「ま、待て、待て待て!」
フォルカーは慌ててエリオの手を押さえて掴む。
ようやく頭の働き出したフォルカーは、出会ったばかりの頃の彼に主君との関係を揶揄されたことを思い出していた。あの時はだいぶ激高してしまったが、今のフォルカーは怒りよりも疑問が湧いていた。
あの時こちらは一度は腹を立てはしたが、以降のエリオは特別それをことさら煽るような物言いはしていなかったはずだ。それを何故わざわざ今になって貶めるような真似をする?
「お前……もしかして俺をわざと怒らせようとしているのか」
フォルカーの訊ねた声は、言葉に反してまるで怒りなど浮かんでいない困惑の色を帯びていた。
「……もしそうだとしたら、その計画は失敗だね」
エリオは小さく肩をすくめた。
「だったら何故こんなことをする? 俺のヴァレンテ様への忠誠心を弄んで追い出そうというのなら、もう必要ないだろう。そんなことをしなくても明日になれば出て行くんだ」
口にすると胸に苦いものが広がる。明日になれば会えなくなるだろうというのにわざわざ怒らせるようなことを言うなんて、万が一こちらが真に受けてしまったらどうするつもりだったのか。
「何故って馬鹿なことを聞くね。私が君に抱かれたいからだとは思わないのか?」
「そんなことは……」
否定しかけたフォルカーは口ごもる。
「……まさかそうなのか?」
愚直なまでに素直な返答に、エリオが小さく笑った。
「私が君の身体目当てだ、と言ったらどうする?」
「やはり冗談か! いい加減、人をからかうのは止めろ」
「全くの嘘じゃないよ。君が、王子様に似た私の身体目当てだったらそれが一番良かったんだけど」
君に期待するようなことじゃなかったね、と言ってエリオは、力の抜けたフォルカーの手を静かにほどく。
「身体とか抱くとか……その、俺がどう返答するかはともかくだ、そういったことはヴァレンテ様のことなど持ち出さず、直接言ったらどうなんだ」
「そうだね……君の大切な王子様には、本当に悪いことをしたよ。王子様のことを持ち出すのが、君は一番嫌がるだろうと思ったから」
「ああ、確かにそうだな」
「もし真に受けて王子の代わりとして私を抱くなら、私は君のことを諦められる。そうでなくても、君が怒って二度と私に会いたくないと思ってくれるならそれでもよかったんだ」
「どういうことだ?」
今度はフォルカーの表情が渋いものになる。
「俺がお前をヴァレンテ様の代わりにするような男か確かめたかったというのなら、それはまあいいだろう。だが俺がお前に会いたがるのが迷惑なら、何故そう言わない。正直言ってお前とは別れ難いが、お前の嫌がることをしたいとは思わん。何故、自分を悪者にするような真似をした?」
「それはね、フォルカー。私が身勝手な男だからだよ」
エリオは静かに微笑んだ。




