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フライハイト  作者: 雪方麻耶
9/21

略奪者

 優は隆の手を握って足早に進んだ。隆は痛いくらいに優の手を握り返している。

 新庄の私室は、建物の奥に位置している。普段はなにも感じず暮らしている建物が、いやに広く寒々しく感じた。


「優お姉ちゃん。怖いよ……」


 握り返す手の強さとは逆に、隆の声は弱々しかった。消え入りそうなくらい細い。


「大丈夫。すぐに総介が、あのおじさんが追いつくから」


 不思議なもので、自分より弱い存在がそばにいると意識に芯が通る。さっきは恐怖で萎え、パニックに陥りそうになった。しかし今は、なにがなんでも隆を守らなくてはならないという使命感に突き動かされている。どちらも同じ自分の心だとは信じられない気持ちだ。

 雲の流れに月の光が遮られては脅え、鴉の甲高い鳴き声に竦んだ。それでも足を止めることはせずに、新庄の私室に急いだ。

 やっと新庄の私室に着いた。扉には特に変化はなく、いつも通り閉じられていた。優は自分の鼓動があまりに速いので、寿命が縮まるのではないかとすら思った。

 先程の総介を真似て、手で待つように隆に合図を送った。

 隆がピタリと立ち止まる。


「……お父さん、大変なんです。お父さん……お父さん?」


 中から反応はなかった。新庄は子供たちが眠った後も私室で雑務の整理をすることが多い。もう寝ているとは思えなかった。それに、さっきの壮絶な叫び声が聞こえなかったのだろうか。

 優の心臓がきゅっと掴まれた。つい今しがたまで感じていたじわじわとなぶるような怖気ではなく、高い場所から背中を押され落下する戦慄が目を眩ませた。

 それでも、理性を総動員させて大声で喚く愚行は避けることができた。


「お父さん。入ります」 


 ドアノブを捻り、罠を解除するように慎重に扉を開けた。


「っ!」


 飛び込んできたのは、膝を床につけ、首を掴まれ強引に顔を上げさせられている新庄だった。

その足元には海斗が倒れている。


「に…げなさ、い。逃げろ……」


 血走った目で優に訴える新庄の声には、消滅を連想させる響きが込められていた。


「総介ェェェェッ!」


 遠のきかける意識をかろうじて維持して、優が叫んだ名は数時間前に出会ったばかりの男の名だった。




 警察署は希望の家から七百メートル程離れており、この街のほぼ中央に位置している。白とグレーを基調とした庁舎は、荒れ果てた街中でもひときわ存在感があり、汚れきっていはいるが、正面入口に掲げられた『本諸警察署』の立体文字は健在だった。

 現在は主に自警団の事務所として利用されているが、広いスペースを持て余してはもったいないので、自警団に所属している者は基本的に庁舎を自宅としている。その他にも、コミュニティセンターとしての一面も持ち合わせており、街人の交流の場としての役割も担っている。

 庁舎内の一室で、戸川は腕組みをして座っていた。

 昔の様に24時間体制ではないので、ほとんどの者は自宅として利用している部屋に戻っている。そんな時間であるにも関わらず、事務所の椅子にへばりついているのは、一人で考え事をしていたからだった。

 頭に浮かんでいるのは、孤児院前で会った百武という男のことだった。

 二日前にこの街に着いたと言ってた。亜希が行方不明になったのは三日前だ。タイミング的には微妙なところだが、行方不明者が続出するようになったのは春頃からだから、それほど強く疑っているわけではない。

 気になるのは、彼が身にまとっていたニオイだった。膜を張って近づく者を一定内に入り込ませない緊張感。常に攻撃に備えているさり気ない姿勢。極端に気の弱い者に見られる特徴だが、彼のは違う気がした。仄かな殺気を発しており、出会う者すべてを敵に回してしまう危うさを孕んだものだった。

 明日には街を出ていくと言っていたし、それほど考え込む必要もないか。

 そう思い、そろそろ帰るかと腰を浮かしかけた時、団員が一人入ってきた。なにやら引き締まった表情をしている。ただ事ではないと直感が走った。


「どうした?」

「希望の家の隣に住んでいる者が来ています。なにか非常事態が発生しているらしいと……」

「なんだと?」


 戸川の脳裏を過ぎったのは、たった今、考え込む必要もないと結論付けた百武が優や新庄に危害を加えている場面だった。


「すぐに出るぞ。何人かかき集めろ」


 戸川は、椅子が軋むほどの勢いで立ち上がった。




 総介の気は張り詰めたままだった。ナイフを手にして構えている。普通に考えれば有利に立っているのは自分の方だ。しかし、相手がアダムというだけで、その有利性の確かさが揺らぐ。


「なぜ子供たちを殺した?」


 これから戦う、いや殺し合う相手に話し掛けるなど普段ならしなかったが、この時は訊いた。

 アダムの行為としては極めて異例だったこともあるが、もしかしたら声を出すことで恐怖を薄らげたいという心理が働いたのかも知れない。

 数秒待ったが、総介を凝視している男はなにも言わなかった。


「……だんまりかよ。俺みたいなむさいおっさんとは口もききたくないってかっ⁉」


 言い終わらないうちから、総介は躍り出た。しかし、男はそれを見切っていた。

 総介が突っ込んでくるタイミングに合わせて、斜め横に踏み込んだ。突き出すナイフを紙一重でかわし、がら空きになった腹部に拳をめり込ませた。


「げええっ⁉」


 胃が迫り上がる程の衝撃を受けて、総介の体はくの字に折れ曲がった。アダムの攻撃は、下手をすれば一撃が致命傷になる。

 もんどり打って吐瀉物に塗れる。男は残忍に総介の襟首を掴んで強引に持ち上げ、首に腕を絡めてきた。


「うっ、ぐぅっ」


 締め付ける腕は、気管と頸動脈を容赦なく圧迫する。いくら歯を食いしばったところで、抵抗できるものではなかった。

 足をバタつかせ体を捻り脱出を試みるも、まるで万力でがっしり固定されてしまったようにびくともしない。やはり、アダムの腕力は圧倒的だった。

 頭に霞がかかっていく。完全に落ちる前に、総介はM9を取り出した。

 敵がぴったり密着しているうえ体の自由を奪われた状態では、狙いをつけることなどできなかった。それでも、指先にはありったけの殺気を込めた。


「こ、のっ」


 無理な体制のまま、当てずっぽうに背後に一発撃ち込んだ。自分の耳元で撃ったため、銃声が脳天を突き抜け、耳が音を拾わなくなる。

 続けざまに撃とうとしたが、手首を掴まれ力任せに向きを変えられてしまった。さらに捻られてしまい、痛みのあまり銃を離しそうになってしまう。


「うがあああっ!」


 総介は逆上したのではないかと思わせる咆哮と共に、銃を乱発した。先程の至近距離での発砲のせいで、激しい銃声も総介には耳栓をしたようにくぐもって聞こえた。

 男の力はますます強まり、手首が捩じ切られてしまうほどの激痛が走った。それでも引鉄を引き続け、四発目の銃声が響いた時、男の力が突然弱まった。徐々に力が抜けていったのではなく、マリオネットが糸を切られて地べたに崩れ落ちるように、一瞬で力が消えうせた。

 総介はすかさず腕の縛めからすり抜け、銃口を男の頭部に向けた。

 息が荒く、胸が大きく上下した。貪るように酸素を取り入れ、最後に大きく息を吐いてようやく落ち着いた。


「貴重な弾丸を無駄に使わせやがって……狙ってやったぜ」


 一見、自暴自棄に思えた乱射だったが、総介には目論見があった。トイレという狭い空間で壁を狙えば、穿たなかった弾丸は跳弾となる。その一発が見事に男に命中したのだ。

 自分に飛んでくる可能性は否定しきれなかったが、捩じられながらも微妙に手首を曲げ、角度を調整して撃ったので勝算はあった。


「お、ま、え…」


 弾丸は延髄の脇から侵入し、内部まで食い込んだようだ。アダムと言えども致命傷だ。


「なんだ……喋れるんじゃねえか」


 総介は意外な思いだった。この街に着いてからアダムからは叫び声しか聞いていない。


「この街から……出ていけ。命は助け……てやる」


 絶命寸前の者から脅迫めいたことを言われて、また意外に思った。総介に対して条件を出すということは、この襲撃には意味があるということだ。


「……おまえらの目的はなんなんだ? なんだってこんな孤児院が襲われなきゃならない?」

「歪だよ……」

「ひずみ?」

「ああ。人間が…倫理を無視して我々を製造した時から、歪が生じてたんだ。当たり、前だ。あらゆることを可能…にしてきた人間と言えども、ただの生物なんだ。生物が自分たちに都合のいい生物を生み出そうなんてなぁ……」

「もってまわった言い方してんじゃねえっ! 具体的に言えっ!」


 絶対的に優位に立っているにも関わらず、男は総介を憐れむ目で見ている。そのことがひどく癇に障った。


「すぐにわかる……おまえが…飽くまで…我々と戦うというのならな……」


 支える力を失った頭部が崩れ落ち、ゴッと硬い音を立てて床に沈んだ。男の命が燃え尽きた。

 総介に警告を発したのは、消える直前に大きく揺らめく炎の輝きだったのか。


「なんだってんだ……」


 敗北感にも似た、苦い感覚が広がっていく。

 男が完全に事切れたのを確認して、総介は構えを解いた。マガジンを確認すると、残弾数は三発になっていた。舌打ちをしながら、M9をガンホルダーに収めた。


「総介ェェェェッ!」


 階下から優の叫び声が聞こえた。緩みかけた緊張感が、再び一気に引き締まった。

 新庄がやられたのか? 海斗はどうした?

 瞬時に湧き上がった疑問を道連れに、総介は突き破らんばかりの勢いでトイレから出て、階段を駆け下りた。


 二階のトイレから新庄の私室までたどり着くのに三十秒と掛からなかった。途中に敵が隠れ潜んでいるかも知れないので、四方に神経を張り巡らせての全力疾走だった。


「優っ」


 総介が飛び込むと、まず目に飛び込んできたのは、つま先だけが床に着いている新庄だった。呼吸がままならず顔面が紅潮している。

 扉近くに立っていた優は、逆に蒼白だ。こっちこそ支えが必要だと思うくらい膝が震えており、立っているのがやっとという感じだ。


「その人を離せ」


 総介は、M9を両手でしっかりと構えた。こいつらとは、もうはじめから殺すつもりで対峙しなければならない。

 床に横たわっている海斗はピクリとも動かなかった。安否を確認したかったが、迂闊に近づくことはできない。

 新庄の首をがっちり掴んでいる男は、総介の言葉を無視して睨みつけてきた。まるで眼光で室内の空気を炙っているようだ。確かに生じている熱が直撃する。

 ……どうする?

 新庄が捕らわれている以上、無闇に飛び込むのは浅はかだ。アダムの握力なら、瞬時に喉笛を握り潰すことも可能なのだ。


「余計なことに首を突っ込んだな」

「なんだと?」


 アダムの方から話し掛けられて、総介はまたもや戸惑った。この街のアダムは、これまで会ってきた人造人間とは一線を画しているので、会話が成り立つ方に違和感を覚える。


「どういう意味だ?」

「………………」


 アダムが口を開きかけた時、玄関から数人で構成される集団が入り込んできた。


「新庄さん、無事かっ?」


 あの声は戸川だ。総介はアダムから目を逸らさずに叫んだ。


「こっちだっ!」

「戸川さんっ、こっち、こっちぃっ」


 優も呪縛が解けたように必死に声を張り上げた。


「ぐう……」


 不利な状況になったことを悟ったアダムは、新庄を掴んだまま、だっと駆け出し窓に突っ込んだ。ガラスが割れる音が、張り詰めた空気を粉々に砕く。


「お父さんっ!」


 優が床から足裏を引き剥がすように駆け出した。しかし、間に合うわけはなかった。

 アダムは瞬く間に加速し、施設から離れていった。とても一人の人間を引きずっている者の速さとは思えない。

 そして、外に待機していた車に乗り込むと、運転手は耳障りな音を立ててハンドルを切り、その場から離脱した。自動運転が当たり前になってから、自らハンドルを握る人間は一部の好事家しかいなくなった。あれほどのハンドル捌きを見せた運転手も、延命に延命を重ねたアダムか。


「どいてろっ」


 総介は乱暴に優の肩を押し、銃を構えた。しかし、すぐに撃つのは諦めた。遠すぎてかすりもしない距離だ。弾丸の浪費は避けたかった。

 ドヤドヤと駆けつけた戸川たちが、室内の荒れ様に息を呑んだ。二階にはさらに凄惨な光景が待っている。隠しておくわけにもいかないので、後で説明しなくてはならない。事の大きさに、総介の気は重たくなった。


「う……」

「海斗さんっ」


 海斗の呻き声を聞き、呆然と外を眺めていた優が慌てて介抱した。


「うっ、痛……」


 海斗から苦痛に滲んだ声が漏れた。側頭部に手を当てる。優がその手の上に自分の手を重ねると、海斗はその手を握った。


「新庄さんは……?」 


 出血はしているが、命に別状はなさそうだ。だが、彼が気を失っている間に新庄が連れ去られたことを教えたら、さぞかしショックを受けるに違いない。


「こりゃあ……いったいどうなってんだ?」


 戸川は、なにが起こったのか誰に訊けばいいのか視線をさまよわせ、最終的には総介の双眸に落ち着いた。しかし、なにがどうなったらアダムの強襲など受けるのか。知りたいのは総介の方だった。

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