破られた平穏
「総介っ、どうしたのっ?」
優が室内に入ってきた。しかし、扉の前で硬直して動きを止めた。
「優っ、見るんじゃないっ」
「きゃあああああっ!」
天井からぶら下がっている女に驚いたのか、血まみれで物言わぬ骸と化した子供たちをまともに見てしまったのか、優は喉が割けんばかりに絶叫した。
「けああぁああっ!」
女が天井を蹴って総介に飛び掛かってきた。
「うっ⁉」
総介は反射的に引鉄を絞った。狙いを外さずにずっと構えていたのが幸いした。今度の弾丸は、見事に女に命中した。肩の付け根辺りに弾丸が食い込み、鮮血が飛び散った。
女の体が回転して、胸から床に落ちた。ゴッと鈍い音がした。
「総介、これは? 子供たちは?」
優はすぐにでも子どもたちの安否を確認したかった。しかし、想像もしなかった光景を突きつけられ、体が麻痺してしまった。膝が痙攣したように震えて一歩も動けない。
「くあっ!」
倒れていた女が、間隙を突いて総介に突進してきた。
「馬鹿なっ⁉」
強靭な肉体を誇るアダムとは言え、まともに銃弾を浴びたのだ。すぐに反撃に移るなど不可能のはずだ。
想定外の行動を取られ、総介の反応が遅れた。
女の動きに一貫性はなく、ただ無茶苦茶に四肢を振り回し攻撃してきた。しかし、常人離れした腕力に予想のつかない動きは、恐怖を植え付けるのに充分だった。
なんとか防御したが、一撃が重い。姿勢を崩されたところを覆い被ってきた。
「総介っ!」
総介が倒れ、二人が重なり合った時点で、女の動きが止まった。
「が…が…かはっ」
女の口から血が飛び散り、総介はまともに浴びてしまった。
総介が倒れながら抜いたナイフを、女の喉に突き立てたのだ。覆い被さった勢いと自分の体重が加算されて、ナイフは女の喉を串刺しにし、延髄から切っ先が飛び出していた。
「いつまでも乗っかってんじゃねえ」
総介は乱暴に女を退けた。
「みんなっ!」
脅威がなくなり我に返った優が、横たわっている子供たちに駆け寄った。しかし、優に助けを求めたり泣きつく子供は一人もいない。
「春樹っ、由美っ! うそっうそっ! なんでっ!どうしてっ!」
一人一人を覗き込む優の肘を掴み、総介は強引に立たせた。
「全員死んでる。諦めろ」
「いやっ、いやあっ」
優は駄々っ子のように抗う。その頬を張った。電源を切られたロボットのように、優から抵抗する力が抜けた。
「あと何体入り込んでるかわからない。気をしっかり持て。おまえも殺されるぞ」
「………………」
優は俯いたままだ。
総介からすれば、優だってまだ子供と言える年齢だ。酷なことを言っているのは承知している。しかし、ここで行動を鈍らせてしまったら、比喩でも冗談でもなく死んでしまうのだ。
だから、続けた。
「俺は新庄さんの様子を見てくる。動けるなら一緒に来い」
優は返事こそしなかったが、微かに頷いた。
「よし。奴らどこに潜んでいるかわからない。俺から離れるなよ」
通路に出て、あの残酷な光景が遮られてから、総介は質問した。
「子供はあれで全員か? 他の部屋には?」
優は激しく首を振った。
「わからない。あんなに血だらけじゃ……。でも、みんなあの部屋で寝ることになってるから……」
弱々しい、崩れ落ちそうな声だ。
子供たちはもう絶望的と考えた方がいいだろう。あとは新庄だが、今の騒ぎにも無反応であることを考えるとこちらも期待は薄い。内心そう思っても、口には出さなかった。
「……ねえ、総介」
「なんだ?」
「アダムは、あんなふうに人を襲うの? 総介が助けてくれなかったら、私もああなってたの?」
「いや、アダムが必要としているのは、飽くまで人の血だ。殺戮が目的ではない。あそこまで見境なく襲い掛かるなんて、聞いたことがない」
「じゃあなんで? なんで子供たちを」
「わからない。俺だってなんでもかんでも知ってるわけじやない。階段を降りるぞ。まだ潜んでいる奴がいるかも知れない。声を立てるな」
総介が階段を一段降りた時、そのタイミングに合わせるように、すぐ横にあるトイレから微かな物音が聞こえた。
ちぎれんばかりの勢いで振り返り、トイレの扉を凝視した。
優はもう泣き出しそうだ。
彼女に手を付きだして、待てと合図した。無言の意図が伝わり、優は口を手で押さてたまま頷いた。
今日だけで何度目だろう。壁際に背をつけて、中の気配を伺った。特に変わった様子はないようだが、物音がしたのは確かだった。
いきなり飛び掛かられても焦らないように、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
敵がどれだけ素早かろうが、壁が防御となって、真正面からしか仕掛けてこられない。大丈夫だ。
覚悟を決めた総介は、扉を開けると同時に銃を構えた。
中は無人だった。力を込めていた腹から力を抜く。それから、無人であるはずがないと思い直した。今は神経が張り詰めていて五感が鋭くなっている。かすかな音だったが聞き間違えではないと断言できる
「灯りを点けろ」
総介の音声に反応して照明が点いた。
「………………」
一番奥の個室だけ、扉が閉まっている。
「ナメてるのか?」
総介は呟くと奥の個室の前に立ち、扉越しに銃口を突きつけた。先程の強襲が脳裏をかすめる。このまま扉ごと撃ち抜いてやろうかと指に力を込めた。
「うっ、うぅ……」
中からくぐもった声が漏れてきた。必死に我慢しても抑えきれずに出てしまった、そんな感じの声だ。その声に含まれた恐怖を感じ取り、総介は指の力を抜いた。
「……俺は今晩だけ世話になっている者だ。襲ったりしないから出てこい」
「ううっ……」
はっきり聞こえた声は子供のものだった。
総介は扉から覗き込んでいる優を呼んだ。
「優。中にいるのは子供だ。おまえが呼び掛けてくれ」
息を呑んで駆け込んだ優は、早口に捲し立てた。
「優よっ。誰かいるのっ? 出てきてっ」
壊れんばかりの勢いで扉が開かれ、中から飛び出してきたのはまだ五~六歳の少年だった。
「優お姉ちゃんっ!」
「隆っ」
隆と呼ばれた少年は、優に飛びつき泣きじゃくった。優の腹部に顔面を埋めているので、泣き声が飛び散らないのは都合がよかった。
「優……」
総介が急かすと、優は「わかってる。もうちょっとだけ……」と隆の後頭部を撫でた。
泣き声がしゃっくりに変わったのを見計らって、優は隆の肩両を掴んでやさしく引き剥がした。
「ずっとここに隠れてたの?」
隆はしゃっくりを繰り返しながら頷いた。
「僕、おしっこをしてトイレから出ようとしたんだ。そしたら、知らない女の人が昇ってくるから……なんだか怖い人だなって思ったから、またトイレに入って隠れてたらすごい声がして……」
隆は偶然に助けられて、死から逃れることができたのだ。ほんのちょっとでもタイミングがずれていたら、彼も他の子達と同様、今頃は骸となっていたはずだ。
「ねえ、みんなはどうなったの?」
隆が口にしたのは当然の質問だったが、優は黙りこくってしまった。あんな惨状を年端もいかない少年に伝える術など持っていない。
「隆。おまえが見たのは女だけか? 他には誰もいなかったか?」
総介は助け舟を出したわけでない。現状を把握しなければ、迂闊に行動できないと判断したからだ。
隆は困ったように、総介と優の顔を交互に見た。
「大丈夫。このおじさんが守ってくれるから、正直に話して」
「……女の人だけだった。他には見てないよ。ねえ、みんなは?」
「ここから離れた方がよさそうだ。新庄さんと合流してから出よう。優、身を隠せそうな場所はあるか?」
「……それなら、自警団が事務局にしているところがいいと思う。元々は警察署で、そのまま利用してるの」
「よし……音を立てるなよ」
総介が指示を出しながら扉を開けると、正面に異様に眼をぎらつかせた男が立っていた。優の背筋が氷を詰められたように凍った。
「総介っ」
二人に気を取られていた総介は、完全に隙を突かれた。飛び掛かってくる男の攻撃を食い止めるのが精一杯で、あっという間に壁に追い込まれてしまった。
「総介っ」
「構うなっ! 新庄さんのところへ行けっ! もし彼がやられてたら、二人で警察署へ逃げるんだっ」
「いやっ! あなたを置いて逃げるなんてっ」
「馬鹿っ! 行くんだ! 隆を守れっ」
総介の言葉に、優は隆を見下ろした。襲われている総介から目が離せないでいて、膝がガクガクと震えている。守らなくてはならない存在が、優に決断させた。
「行くよ。走って」
優のデニムを必死に掴んでいる隆を抱きかかえると、優は一気に駆け出した。
「きああっ!」
男は優を逃がすまいと振り返ったため、総介への攻撃が緩まった。そのわずかな一点を見逃す総介ではない。ナイフを抜いて男の喉を切り裂こうと刃を滑らせた。
総介の動きに気づいた男は、体を捻って避けようとした。しかし、総介の動作は素早かった。狙っていた喉こそ逃してしまったが、まっすぐに軌跡を描いた刃は男の片目を鮮やかに裁断した。
「かあああぁあぁぁあっ!」
奇妙な悲鳴を発して、男は手で傷ついた眼を覆った。
「おまえの相手は俺だ。よそ見してんじゃねえ」
青ざめて向き合った男を見ている優に、総介は怒鳴った。
「止まるなっ! 走るんだっ。優!」
質量を持った言葉に弾かれ、優と隆は階下に向かった。
二人の姿が見えなくなるのを確認し、総介は男に蹴って奥に押し込んだ。そして、回り込んで扉を背に立った。
「女子供じゃ物足らないだろう。俺がきっちり相手してやるよ」
一触即発の空気に纏われ、二人は狭い空間の中で睨みあった。




