第9話 一番遅い班
第三科目『混成協働課題』は、受験生たちの連携力とストレス耐性を測るための悪意に満ちた試験だった。
フィールドは起伏の激しい人工林。その中に配置された複数の「遭難者ダミー」と「模擬魔獣」を掻き分けながら、指定された荷物を目的地まで運搬するというもの。
しかし、最大の障害は地形でも魔獣でもない。思想も能力も全く異なる見ず知らずの他者と、即席のチームを組まされることだった。
「リーゼ班長、索敵は完了しています。魔力探知に反応はありません。これ以上時間をかけると、他班に後れを取りますよ」
先頭を歩くセドリック・ローヴェンが、振り返りもせずに言った。
彼の視界には、常に上空の魔導具から送られてくる広域探知記録が投影されている。彼ら中央校の生徒にとって、探知反応が「ゼロ」であれば、そこは安全な道なのだ。
「……待って。まだ荷物の固定が終わっていないわ。バルト、ロープの結索確認は?」
「結び目三つ、主線よし。いつでも引ける」
「よし。ノエル、右側面の安全幅は?」
リーゼの問いかけに、斜面にしゃがみ込んでいたノエルが顔を上げた。
彼は魔導具を持っていない。地面の土を指でなぞり、折れた枝の断面を調べ、風の匂いを嗅いでいる。
「……異常なし」
「遅い!」
セドリックの背後についていたトマが、たまらず声を荒げた。
「魔力探知で安全だって言ってるだろ! 点呼だの、手縛りのロープだの、一々立ち止まってるから俺たち第十二班は最後尾なんだぞ! 班長のアンタも、少しはタイムを気にしろよ!」
あからさまな苛立ちをぶつけられ、リーゼは唇を噛み締めた。
彼らの言う通り、成績はタイムと直結する。魔法の恩恵をフル活用すれば、もっと速く進めるのは事実だ。だが、魔法が止まった時の手順を体に叩き込まれている彼女は、「止まる」「数える」という基本動作をどうしても省けなかった。
その板挟みが、混成班の足取りを決定的に重くしていた。
気まずい空気の中、部隊は鬱蒼とした森の中を進む。
ノエルは最後尾を歩きながら、周囲の環境音に耳を澄ませていた。
(……おかしい)
魔力探知は相変わらず「クリア」を示しているらしい。前衛の中央校生たちは警戒を緩め、足早に歩いている。
だが、ノエルの耳には、ある違和感がこびりついていた。
風の音。葉擦れの音。そして、鳥の鳴き声。
(何かが、いる……?)
前方の茂みの奥。魔力を持たない「何か」が物理的に潜んでいる気配。
言わなければ。ノエルは喉元まで出かかった言葉を、しかし飲み込んでしまった。
『確信がないから、間違っていたら怒られる』
彼の悪い癖だった。魔力探知という絶対的な「正解」が出ている中で、自分の勘のような不確かな情報を提示して、もし間違っていたらどうなるか。さっきのように、また中央校生から「進行を遅らせるな」と罵倒されるに違いない。
ノエルが黙り込んだまま、部隊は茂みの横を通り過ぎようとした。
その瞬間。
「うわっ!」
突然、偽装されていた落とし穴が開き、先頭を歩いていたトマの足元が崩れた。そこには、魔力遮断布に包まれた『偽装負傷者』が隠されていたのだ。
魔法の探知をすり抜けるための、古典的だが悪辣な試験の仕掛け。
『負傷者発見遅延。およびトラップ発動による被害拡大。減点』
採点装置の音声が響き、セドリックが舌打ちをした。
落とし穴から這い上がってきたトマは、泥を払うより先に最後尾のノエルを見た。
「斥候、何か兆候は見ていたのか」
「……少しだけ」
「なら報告してくれ。こちらは探知結果を安全と判断した。君の情報がなければ比較できない」
ノエルは萎縮し、目を伏せた。リーゼも、彼の沈黙をかばうことはできなかった。
チームの空気は最悪のまま、彼らはさらに森の奥、東区画の入り口へと差し掛かった。
(……このままじゃ、ダメだ)
ノエルは手元の紙の紙挟みを強く握りしめた。
間違えたくない。役立たずと思われたくない。だから黙る。その結果が、さっきの減点だ。
グレン教官の言葉が脳裏に蘇る。
『確信がない推測を黙るか、逆に事実のように断定して言うか。どちらも斥候としては失格だ』
『必ず、観察した事実、推測、確信度を分けて報告しろ』
ノエルは歩みを止め、大きく息を吸い込んだ。
そして、前を歩くリーゼとセドリックの背中に向かって、はっきりとした声で叫んだ。
「止まってください!」
苛立ちを隠せない中央校生が振り返る。
「またかよ! 探知はクリアだって――」
「探知はクリアでも、環境が異常です!」
ノエルは言い返し、手元の紙挟みを開いた。
そこには、彼がこの森に入ってからずっと書き留めていた「正の字」の羅列があった。
「事実。鳥の声が半分です。試験開始直後、西側の林縁を歩きながら五分ずつ三区間で数えました。その中央値と比べています」
ノエルは、正の字を重ねた紙を開いた。
「推測。前方に、魔力探知に映らない何かがいます」
「地形差や時間差は?」とセドリックが訊く。
「あります。だから、確信は六割です」
言い切った。
断定はしない。だが、沈黙もしない。自分の足で稼いだ比較記録と、そこから導き出される確信度を提示した。
一瞬の静寂。
中央校生が鼻で笑いかけた時、セドリックがスッと右手を挙げた。
それは、先日セドリックがリーゼに共有した『警戒・迎撃陣形へ移行』の手信号だった。
「セドリック?」
「確信六割の報告に、僕たちの減点リスクを張る価値はある」
セドリックの言葉と同時に、リーゼがバルトとフィオナに指示を飛ばす。トマが手信号を後列へ復唱し、陣形が組まれた。
その直後だった。
前方の木々の上が大きく揺れ、魔力を完全に遮断する塗料を塗られた『模擬魔獣(複数体)』が、頭上から奇襲を掛けてきたのだ。
「上よ!」
リーゼの指示でバルトが丸太の盾を天に掲げ、フィオナが的確な着火術で魔獣の視覚を奪う。そこへセドリックと中央校の前衛が魔法刃を叩き込み、一瞬で魔獣の群れを無力化した。
奇襲を完全に読み切った完璧な迎撃だった。
魔獣の奥には、高得点の課題品が隠されていた。
「……見事な観測だった、斥候」
剣を収めながら、セドリックがノエルに短く言った。
他の中央校生たちも、今度は何も文句を言わなかった。彼らは魔法探知の死角を、紙の観測記録が補ったことを認めざるを得なかったのだ。
最終的に、第十二班は遭難者を全員回収し、中位の成績でゴールを切った。
トップには遠く及ばない。だが、誰も失格にはならなかった。
ノエルは汗を拭いながら、自分の紙挟みのページを見つめた。
そこには、乱れた文字でこう記されていた。
『西区画同時刻比で鳥声約半分。地形・天候差あり/確信六割』
その夜、第三科目の正式結果が張り出された。第十二班は中位。五人は全員が最低点を超え、三科目合計は四十八点から五十二点に収まった。
最終実地でも十二点を取らなければ、六十点へ届かない。余裕はない。それでも五人とも、最後の試験を受ける場所には残った。
ノエルは掲示板の前で、泥の乾いた紙挟みを閉じた。




