第36話 光を強くすれば寄ってくる
追い払うために強くした光へ、鉱殻喰いは真っ直ぐに近づいた。
調査八日目の夕刻。旧観測坑道のさらに北側に位置する、北試験採石場。
採石場は前夜のうちに封鎖され、高出力標識の本稼働電源も切られていた。住民側の退避線、地盤の安全確認、試験機器の搬入に半日以上を要したため、段階照射試験の開始はこの時刻までずれ込んだ。
無人のすり鉢状の岩場に、環境局の研究官セラ・オルテと、都市設備局の主任魔術師トビアス・クレインの姿があった。
彼らの視線の先、採石場の底の土を押し上げて姿を現したのは、犬ほどの大きさの小型の《鉱殻喰い》だった。甲殻はまだ白く、群れからはぐれて迷い出た若い個体だと思われる。
「事前の計画通り、不整合光の段階照射試験を開始する」
三十八歳のトビアスが、手元の制御盤を操作しながら宣言した。
彼が用意したのは、表層の害獣駆除で確かな実績を持つ魔導発振器だった。生物が嫌がる波長の魔力(不整合光)を照射し、対象を傷つけることなく安全に遠ざける。
トビアスは設備局の誇る最新機器を持ち出しても、決して慢心はしていなかった。いきなり最大出力で焼き払うような乱暴な真似はせず、事前に定めた規程に従い、最低出力から一段ずつ上げて反応を見るという、極めて合理的な段階試験を提案していた。
「出力、第一段階。照射開始」
発振器から、目に見えない不快な魔力の波が採石場の底へ放たれた。
土を掘り返していた小型の鉱殻喰いが、ビクッと体を震わせ、ピタリと動きを止める。ここまでは、表層の害獣に対する既往記録の許容範囲に収まっていた。
「個体の停止を確認しました」
「よし。では、第二段階へ引き上げる。より強い不快刺激を与え、採石場の外、北の森林側へ向けて後退させる」
トビアスが制御盤のレバーを押し上げた。
発振器の出力が上がり、局地的な魔力密度(M値)の波が強まる。
だが、次の瞬間。
「……え?」
記録を取っていた書記が、間の抜けた声を漏らした。
鉱殻喰いは、強い光から逃げて後退するどころか、クルリと進行方向を百八十度変え、発振器が設置されている観測地点へ向かって、凄まじい速度で突進を始めたのだ。
「馬鹿な、出力上昇が誘引に転じた!?」
トビアスは叫んだ。
高出力の魔法は、彼らにとって不快な光であると同時に、極上の『餌の匂い』でもあった。不快刺激の波長よりも、魔力勾配(餌の濃さ)の魅力が上回った閾値。
トビアスは己の立てた仮説が間違っていたことを秒で悟り、自らの手で即座にレバーを最低段へ叩き落とした。
「照射停止! 退避しろ!」
機械のせいにしたり、意地になって出力を最大まで上げたりはしない。彼は失敗原因を機器ではなく自分たちの仮説へ戻し、被害を最小限に抑えるための最善の行動を取った。
セラもまた、手元の記録板から目を上げ、明瞭な声で宣言した。
「第三段階以降への移行を放棄。本試験を中止します。全員、直ちに安全圏へ退避してください!」
だが、発振器の光が消えても、一度強烈な餌の匂いを嗅ぎつけた個体の突進は止まらない。
すり鉢状の底から、観測機材の置かれた高台へと、甲殻の怪物が斜面を駆け上がってくる。
「下がってください、オルテ研究官!」
セラの前に飛び出したのは、統一試験で東区画の死地を潜り抜けた護衛の若者、セドリックだった。
彼は最新の魔導補助が施された重装の長杖を構え、魔力を練り上げる。そのまま前へ踏み込めば、斜面を登りきろうとしている小型の個体を上から叩き潰せる距離とタイミングだった。
しかし、セドリックの目は怪物の動きだけでなく、足元の岩肌を捉えていた。
採石場の縁に、かすかな『亀裂』が走っている。地下を掘り進んできた個体の影響で、目に見えない地盤の空洞化が進んでいたのだ。
セドリックは長杖の出力を切り、踏み込もうとした足を強引に引き戻した。
「ダメだ、足場が保たない! 機材を捨てて下がれ!」
彼は攻撃の誘惑を断ち切り、セラとトビアスの腕を引いて後方へ跳んだ。
直後、彼らが立っていた採石場の縁が、轟音と共に崩落した。
同時に、斜面を登りきった鉱殻喰いが、残された高価な魔導発振器に食らいつき、そのまま崩れゆく土砂ごと地中深くへと潜り込んでいった。
土埃が舞い散る中、セドリックはセラたちを庇うように立ち塞がったまま、荒い息を吐いた。
討伐の機会を逃したのではない。最新の武器を持ち、武力に長けた若者であっても、足元の脆弱性を見極めて「中止・退避」の判断ができる。セドリックは、引くべき時に引ける有能なプロの護衛として機能していた。
「……怪我人はいないな」
崩落が収まり、トビアスが土埃を払って立ち上がった。
「私の命は守られました。セドリック、見事な判断です」
「恐縮です、研究官」
セラは冷静に周囲の状況と、魔導計器の数値を確認した。
発振器一基が丸呑みされたことで、採石場の局地M値はさらに大きく低下している。数時間経てば周囲の魔力が流入して環境は戻るだろうが、失った高価な機材と、地盤が緩んでしまったこの採石場の当面の閉鎖という『コスト』は、確実な代償として彼らにのしかかった。
「……申し訳ない、オルテ研究官」
トビアスが苦渋の表情で頭を下げた。
「私の見通しが甘かった。表層の害獣避けの手法は、深層の飢えた喰魔種には通用しない。高出力の魔法は、奴らを遠ざけるどころか、引き寄せる最悪の呼び鈴になってしまう」
「謝罪は不要です、クレイン主任。私たちは今日、非常に価値のある記録を得ました」
セラは綴じ板の『段階出力記録』と『個体の進路変化』のグラフをトビアスに見せた。
「第一段階の最低出力では、個体は停止しました。しかし第二段階へ上げた瞬間に、不快刺激よりも餌への執着が勝った。つまり、今回の条件では、これ以上の強い魔力光(点)で追い払う案は支持できないという有力な反証が得られたのです」
「……ああ。だとしたら」
トビアスは優秀な設備技術者としての思考を、秒で再構築した。
「高出力の『点』がダメなら、低出力の『線』を引く。一番弱い出力の発振器を起点とし、そこから一定の間隔で、徐々に魔力濃度が上がるように弱い餌を線状に並べるんだ」
「餌の勾配を作るのですね」
「そうだ。町から離れるほど餌の濃度を高くしてやれば、奴らは強い魔法を使わなくても、自分から任意の方向へ歩いていく誘導路が作れるはずだ」
それは、力でねじ伏せる大魔法から、相手の生態を利用した環境制御への鮮やかな切り替えだった。
「その誘導案、環境局として支持します」
セラは迷いなく頷き、調査報告書の次の一行へペンを走らせた。
「強い光を消す。次は、弱い餌で道を作ります」
夕闇に包まれる採石場で、魔術師と研究官は失ったものを数えるのをやめ、翌日の共同設計へと即座に思考を移行させていた。




