第26話 封鎖された搬送路
新人御者ユートは、交差点の道札より先に馬の耳を見た。
南倉庫から治癒院別棟へは中央大通りが最短で、北門沿いの石畳は九分余計にかかる迂回路だった。
同日十三時十分。魔導灯も遠話網も復旧している。それでも、中央大通りへ鼻先を向けた馬は両耳を伏せた。
「……やっぱり動いてない」
人と荷車と水樽車が、狭い通りで噛み合っている。先頭の通行札を読むと、打刻から三十分以上経っていた。
ユートは御者台から降り、列の先まで走った。魔導信号柱は青く復旧している。だが午前の門停止で流入順が崩れ、四方向の御者が互いに先行札を掲げたまま譲らない。信号が動いても、荷車の車輪は一寸も進んでいなかった。
戻る途中、治癒院の搬出票が風に鳴った。水滴、布、走る車輪。字を全部読めなくても、待ち続けてよい荷でないことは分かる。
「ユート、このまま待つのか」
荷台の先輩職員が声を上げた。
「北の石畳を回ります。いつもより九分かかる。でも、ここは三十分動いてない」
最短路は開いている。通れるとは限らない。
ユートは馬首を返し、石畳の迂回路へ入った。
北の石畳は中央大通りより狭く、荷車同士がすれ違える場所も限られている。曲がり角の先から薪車が現れた時、双方の馬が鼻先を突き合わせた。
「そっちが下がれ!」
薪車の御者が怒鳴る。ユートの後ろには坂、相手の後ろには待避用の空き地があった。言葉で押し合うより先に、ユートは御者台へ立ち、北門で覚えた『停止』と『右へ寄れ』の手信号を送った。
薪車の御者本人には合図が通じなかった。助手が意味を読み、御者の肩を叩く。相手が空き地へ寄った隙に、医療便は速度を落として通り抜けた。
「門番の真似が、ここでも通じるとはな」
「俺の合図じゃありません。借りたんです」
荷台が大きく揺れ、水樽が横へ滑る。先輩職員が一人で抱え直そうとした。
「待ってください。手形は二人です!」
樽の泥印を見て、もう一人が反対側へ回る。二人で底を持ち、二重結びを解かずに固定し直した。誰が印を考えたのか、ユートは知らない。知らなくても荷は落ちなかった。
ユートは携帯時計を開き、停車一分十二秒と搬出票の裏へ書いた。急ぐ荷ほど、遅れた時間を消すなとネラに言われている。
北門へ近づくと、群衆は左右へ分けられ、中央に救護車線が一本通っていた。午前の混乱でリーゼが塞ぎ、ダリオが直した動線だ。
「医療便、通すぞ!」
門番の手信号が前方から後方へ渡る。
中央の救護車線へ、一般の荷車が一本だけ鼻先を出していた。門番が怒鳴る前に、後続の御者たちが同じ停止合図を送り、荷車を押し戻した。午前に一度失敗した動線が、今は別の運び手たちによって保たれている。
仮救護所の脇で、足首を板に固定された荷運び人と付き添いが待っていた。搬送票には、エダが描いた毛布と二つの手の印がある。
「治癒院まで乗せてくれ。呼吸と出血は安定、歩行不可だ」
ユートは文字欄を先輩へ読ませ、絵印で毛布と二人介助を確認した。水樽を片側へ寄せ、三人で負傷者を荷台へ上げる。
「水を遅らせてまで乗せるのか」
付き添いが不安そうに訊いた。
「同じ治癒院へ行きます。積み替えに二分。中央で別便を待つより短い」
先輩職員が判断し、搬送票へ同乗時刻を記した。ユート一人の善意ではなく、医療便の追加搬送として記録を残す。
石畳の遠回りは九分を要した。だが中央大通りの列は、彼らが北門を抜ける時も動いていなかった。
治癒院の裏口へ着くと、マリエルと助手たちが搬送票を見て動いた。二人が負傷者を下ろし、別の二人が水樽へ回る。
「清潔水十樽、封印破れなし。清潔布三十束」
助手が数え、マリエルが受領時刻を書いた。待たせていた浅い傷の洗浄札が、三枚だけ前へ移される。すべての遅れが消えたわけではない。
「足首は事故直後から腫れています。今日は仮固定と冷却で一晩観察、最終処置は明朝に判断します」
助手の説明を聞き、ユートは九分と三十分を頭の中で並べた。早かったとは言い切れない。悪かったとも決めきれない。馬の汗と、患者が一晩抱える痛みだけは残る。
荷下ろしを終えたユートは、手綱の横の搬送票を外してマリエルへ渡した。
「この絵と、樽の手形。誰が決めたんです」
「今日だけで三回は変わっています。必要になった人が、次の人へ足したんだと思います」
一人の発明者の名は返ってこなかった。
ユートは空の搬送票を一枚もらい、次の便の荷台へ結んだ。馬の耳を確かめ、北門で覚えた停止の手信号を一度振ってから走り去る。
その背後で、マリエルは最初の水樽に残った大きな手形へ自分の掌を重ねた。
指の幅も、掌の大きさも見覚えがある。
「……バルトの手だ」
彼が倉庫で何を失敗したのかは知らない。それでも、手順だけは先に届いていた。




