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魔法が止まっても授業は終わらない ~五十二歳の辺境教官、落ちこぼれ五人に「全員で帰る手順」を教える~  作者: 他力本願寺


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第22話 十一時四十三分・南物流倉庫

巨大な荷役ゴーレムの駆動音が唐突に途絶え、南物流組合の第三倉庫に重苦しい静寂が落ちた。


 バルトは反射的に携帯時計を開いた。


「十一時四十三分九秒!」


 読み上げたが、荷札へ書くより先に頭上の木箱が動いた。


 音は消えても『重さ』は消えない。


 天井のレールに吊り下げられていた数百キロの木箱が、ゴーレムの急停止によって行き場を失い、巨大な振り子のように空中で激しく揺れ始めた。機械式ブレーキは作動し、滑車自体は固定されている。しかし、ワイヤーの先で慣性を持った吊り荷は、大きく弧を描いて周囲の荷棚を脅かしていた。


「ゴーレムが止まったぞ! 全員、棚から離れろ!」


 帳簿兼荷役主任のネラ・ドムが、よく通る声で警告を飛ばす。


 ネラは荷札を一枚見れば保管棚と出荷順を答え、昇降機の軋みだけで整備箇所を当てた。バルトは指示された箱を追うだけで精一杯だった。


 ネラが退避を命じたその時だった。


「あっ、おい! どこへ行く!」


 バルトが焦った声を上げた。


 揺れる吊り荷の真下、まさに危険区域である南三番通路へ向かって、若い交代要員の作業員が歩き出していたのだ。


「俺の当番、南三番の棚出しですよね? バルトさんから伝票を……」


「馬鹿野郎、下がるんだ!!」


 バルトが手を伸ばすより早く、ネラが疾風のように駆け抜け、若者の襟首を乱暴に掴んで後ろへ引き倒した。


 直後、彼が歩こうとしていた空間を吊り荷が風を切って通り過ぎた。あと一歩遅ければ、若者は木箱と荷棚の間で潰されていた。


「お前、今どこへ行くと言った」


 ネラが若者を睨みつける。若者は顔を青ざめさせながら答えた。


「バルトさんから、南三番の出荷準備だと伝票を渡されて……」


「南三番の出荷は午後だ。今は南二番の整理中だろうが!」


「っ……!」


 バルトの巨体がビクンと跳ねた。


 ネラが氷のような視線を彼に向ける。バルトは言い訳をしなかった。自分が何をしたのか、誰よりも理解していたからだ。


「……すみません、主任。俺のミスです」


 バルトは太い指で自分の顔を覆った。


「南二と南三。文字の形が似ていて、よく読めないまま……読んだふりをして、アイツに間違った指示を出しました。俺のせいです」


 字を読むのが遅い。その欠点を隠し、分かったふりをして適当に処理した結果が、これだ。


 東区画では欠点を隠さないと決めた。それでも、年下の作業員の前で『読めない』と言う一言を、バルトはまた飲み込んでいた。


「……文字が読めないなら、最初からそう言え。見栄で人を殺す気か」


「申し訳、ありません」


「反省は後だ。あれを止めろ」


 ネラが天井を指差した。


 魔導ランプは消えたまま、吊り荷は大きく揺れ続けている。このままでは南二番の荷棚へ激突し、周囲の棚まで倒しかねない。


 バルトの腕に力が入る。だが、吊り荷へは近づかなかった。訓練用の丸太とは重さも速さも違う。受け止めれば腕ごと持っていかれる。


「……俺は字が遅い。だから、全員に分かるようにする」


 バルトは開いたままの携帯時計を片手に、白墨の欠片を拾った。


 彼は床に置かれた無地の木箱に、大きな印を描き始めた。


「いいか! これからは白墨の『丸』が動かす荷だ! 『一本線』は床へ固定! 縄の『二重結び』は絶対に触るな! そして泥の『手形』は、重いから必ず二人で持て!」


 バルトは秒針と、床に引かれた白い立入境界線を交互に見た。


「往復は十一秒! 右へ戻るまで五秒半ある! 吊り荷が白線より外へ振れる間は、誰も入るな。三往復続けて白線の内側へ収まるまで待て!」


 時計は戻りの時を測る。危険かどうかは、吊り荷と白線の位置で見る。


「聞いたね、あんたたち!」


 ネラが声を張り上げた。彼女はバルトの記号を「新人の個人的な工夫」で終わらせなかった。


「白墨の丸は動かす! 一本線は固定! 二重結びは触るな! 手形は二人! 今すぐ全員で復唱しろ!!」


「「「丸は動かす! 一本線は固定! 二重結びは触るな! 手形は二人!」」」


 倉庫の作業員たちの復唱が、梁の間に響いた。


 ネラは次に、大きく揺れ続ける吊り荷とその軌道上の荷棚を素早く見比べた。


「このままじゃ南二番の棚に当たる。在庫と人を天秤にかけるよ」


 ネラは即断した。


「硝子を割る。人を入れるな」


 その指示の意味を、バルトは理解した。揺れを受ける箱を、人が軌道へ入らずに置く。


 バルトは、厚い木枠と藁詰めで梱包された南海諸島産の高級硝子器の箱へ縄を回し、二本の床滑り棒へ載せた。作業員二人が安全線の外から長鉤で押し、バルトは秒針を読む。


「右へ戻る! あと三、二、一――今だ!」


 吊り荷が反対側へ振れた五秒半に、三人は長鉤と縄だけで箱を軌道へ滑り込ませた。誰も白線を越えていない。縄を手放し、全員が退避する。


 大きく振れた吊り荷が、配置された高級硝子器の木箱に激突した。


 厚い木枠が潰れ、藁詰めが押し固められる。続いて中の硝子器が、ガッシャァァァンッ、と派手な音を立てて砕けた。木枠と緩衝材が変形することで、吊り荷の勢いは大きく殺された。


 バルトは秒針を読み、ネラは白線を見る。一往復、二往復、三往復。吊り荷の端は三度続けて白線の内側へ収まった。高価な商品と引き換えに、人が立てる範囲が戻る。


「……よし。揺れは収まった」


 ネラが短く宣言する。


 魔導ランプ自体は、停止から十四秒ほどで再点灯していた。


 後でネラが集めた復帰票では、第三倉庫だけでなく、南物流組合の第一から第五棟までの荷役ゴーレムが同じ十四秒前後に停止していた。最も離れた棟の間は約百八十メートルある。


 それでも、ネラは自動運転のスイッチを入れなかった。


「昇降機、およびワイヤーの安全点検を行う。完了するまで手動停止を維持しろ」


 ネラは復旧表示に触れず、ワイヤーを一本ずつ見上げた。点検には三分三十一秒を要し、午前便が三台遅れた。


 事態が落ち着き、ネラは荷札の束に書き込みを始めた。


『主任ネラ・ドムの判断により、安全確保のため高級硝子器一箱を意図的に破損』


『見習いバルト・エッガー、伝票の南二・南三を誤読し、作業員を危険区域へ誘導した誤指示一件』


 ネラは二件を別の欄へ記し、責任者名も分けた。


 バルトはうなだれ、自分の不甲斐なさを噛み締めていた。


 その時。


 先ほどバルトの誤指示で危険区域に入りかけ、ネラに引き戻された若い交代要員が、水樽を一人で運ぼうとしている別の新人作業員の腕を掴んだ。


「おい、待て。一人で持つな」


「えっ?」


 若者は、水樽に泥でつけられた手形のマークを指差して言った。


「『手形は二人だ』。さっき決まっただろ。俺が反対側を持つ」


 バルトは目を見張った。


 感謝の言葉はない。若者はもう一度、『手形は二人だ』と別の作業員へ伝えた。


 事態が収まると、バルトは最初に読み上げた時刻を荷札へ移した。


『荷役停止初認:携帯十一時四十三分九秒。退避開始:同九秒。駆動表示復帰:十一時四十三分二十三秒。手動点検終了・安全確認:十一時四十六分五十四秒。伝票誤読一件』


 ネラは聞き取った時刻と照らし、横へ確認印を押した。


 若者がその荷札の下へ、汚れた手で新しい手形をポンと押して去っていく。

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