第23話 グレンの遠話器も沈黙する
王都セレスト、王立総合実務院カルド分校の王都連絡所。
仮任用者の報告を受ける教官室で、グレン・ハルバートは遠話器の受話器を置いた。
「北門、不通。給水局、不通。……治癒院、測量地、物流倉庫、すべて応答なし」
部屋の魔導灯が明滅を繰り返し、遠話器からは砂を噛むような雑音が漏れている。外部同期網を使う長距離回線だけが応答を失っていた。個別故障か、周辺一帯の異常か、まだ判断できない。
最初に北門への不通音を聞いた瞬間、グレンは懐から、鐘の音より六秒進んでいる自分の携帯ばね時計を取り出し、秒針を読んでいた。手元の紙にはすでに『生時刻・十一時四十三分〇四秒』とある。その後に試した四か所の発信結果は、その時刻の下へ順に書き足してあった。
グレンは壁に掛けられた連絡所の時計を見上げた。
時刻は十一時四十一分を少し回ったところだ。今朝、中央広場から戻った直後に測ったところ、連絡所の壁時計は『一分二十四秒遅れ』ていた。
彼は王都の市街図を机の上に広げた。
北門、給水局、治癒院、測量地、南倉庫。五人が配属されている五つの現場に、赤いインクで印をつける。
もし、この瞬断が王都の別の場所でも同時に起きているのなら。
東区画と同じ規模の停止が、今また彼らの職場で起きているとしたら。
「……」
グレンは地図の上に置いた手を強く握りしめた。
自分が行けば、一番被害を抑え、彼らを助けられる場所はどこだ。北門で人流が圧縮されているのか。給水局で管が破裂しかけているのか。
だが、赤い印は五方向に散らばっている。
事象の規模も、誰の現場で一番危険な事故が起きているのかも、今のグレンには全く判断する術がなかった。五方向のどれか一つへ走ったところで、到着する頃にはすべてが終わっているだろう。
「行くつもりですか」
背後から声がした。分校長のヘレナが、腕を組んで教官室の入り口に立っていた。
「連絡所の講習室でも、同期式の換気設備が止まりました。待機中の研修生を中庭へ出し、再起動前の確認をしているところです。あなたにも誘導を手伝ってもらいます」
「……」
「それに。もし今あなたが出たら、遠話網が復旧した時に、あの五人からの報告は誰が受けるんです?」
講習室では、換気停止を知らせる手鐘がもう一度鳴った。
「……分かっている」
グレンは地図から手を離し、椅子に座り直した。
教師として、教え子の危機に駆けつけたいという衝動。それを抑え込み、彼は机上の『未送信遠話記録』の用紙を引き寄せた。
彼は携帯時計を基準に、『発信時刻』『不通時間』『送れなかった内容』『返答なし』を書き込んだ。紙の隅には、遅れている連絡所壁時計の値も併記する。
送れなかった指示は、送信済みの欄へ移さない。グレンは空欄のまま線を引いた。
魔導灯の明滅は短時間で収まったが、遠話網が同期を取り戻したのは数十分後だった。
直後、教官室に王都からの伝令報告が次々と届き始めた。
「ハルバート教官。北門のダリオ門番長から、事故の速報です」
ヘレナが書類を一枚、グレンの机に置く。
そこには、半開きの状態での門の停止と、リーゼによる臨時閉鎖措置の顛末が書かれていた。
門番日誌に記載された公式な事故発生時刻は『十一時四十一分』。
だが、グレンの視線は、その速報の余白部分に小さく書き添えられていた一文に釘付けになった。
『停止初認・携帯十一時四十三分二秒。非常停止発令・十一時四十三分四十九秒。判断遅延四十七秒。差は朝と同じ』
リーゼが残した、公式記録とは異なる携帯時計の時刻。
息をつく間もなく、給水局の圧力・流量記録紙の速報写しが遠話網で送られてきた。
フィオナが対応した、西系統管路の過圧と限定給水の報告。
こちらの記録紙にある公式時刻は『十一時四十四分』。北門の事故とは三分もずれている。
しかし、その余白にもまた、フィオナの拙い字でこう記されていた。
『同期盤異常初認・携帯十一時四十三分〇秒。手動対応開始・十一時四十三分三十四秒。判断遅延三十四秒』
グレンの目が細められた。
北門の十一時四十一分と、給水局の十一時四十四分。公式の壁時計だけを見れば、これは別々の時間に起きた単独の個別故障に過ぎない。
だが、二枚の余白には『十一時四十三分二秒』と『十一時四十三分〇秒』が残っている。公式時計では三分離れた事故が、携帯時計では二秒しか離れていない。
グレンは同時発生を強く疑ったが、すぐには結論を出さなかった。現場ごとの正確な時計誤差の証明が揃わなければ、ただの希望的観測に過ぎないからだ。
*
その頃。
王都セレストの行政区画にある、王立魔力環境局の執務室。
二十三年前の欠測記録を調べていた研究官セラ・オルテの机にも、北門と給水局の『魔導設備復帰遅延』に関する短い抄録が届いていた。
「……王都の北端と西端で、わずか三分差での設備異常」
セラは二つの抄録を並べ、眉間を指で揉んだ。
彼女はこれを、すぐに「巨大な魔潮の低下が原因だ」などとは結びつけなかった。
東区画の事故や、二十三年前の欠測線との類似は気になる。だが、抄録だけで同一事象と決めることはできない。
彼女は新しい書類を引き寄せ、事務的な筆致でペンを走らせた。
『北門および給水局西系統における設備復帰遅延について。同一性未確認。手書き一次記録の保全、および原本保管番号を付した認証写しの提出を要求する』
セラは要求書へ印を押し、二件の原票を廃棄せず保全するよう付記した。
*
再び、カルド分校王都連絡所の教官室。
グレンは机の上に、北門と給水局の二枚の紙を並べていた。
公式記録は『十一時四十一分』と『十一時四十四分』。
だが、どちらの余白にも『十一時四十三分』という数字がある。
そしてグレンの傍らにある、発信できなかった未送信記録の紙。そこにも、彼自身が書き込んだ携帯生時刻『十一時四十三分〇四秒』が残されている。
グレンは黒芯の鉛筆を手に取り、三つの紙面にある『四十三分』の文字の横に、それぞれ小さな丸を書き込んだ。
三つの点が、一つに結びつこうとしている。
王都の別の執務室では、セラも抄録の時刻の横へ小さな丸を書いた。
二人の紙はまだ、同じ机へ載っていない。




