第13話 帰るための仕事
轟音と共に、彼らが先ほどまで立っていた魔導橋の片側が完全に崩落した。
もうもうと立ち込める土煙の中、旧坑道側の岩場へ間一髪で逃れた十八名の受験生たちは、激しい咳き込みと荒い呼吸を繰り返していた。
「な、なんだよこれ……試験はどうなるんだ!?」
他校の生徒の一人が、頭を抱えて叫んだ。
外部同期が死んだ谷。暗闇を照らしているのは、フィオナが自動制御の回路を物理的に引きちぎり、密閉魔晶電池と直結させた手動の小灯だけだ。
「そうだ、課題品! 橋の途中に落とした!」
「戻れるわけないだろ!」
「でも、点数が――」
フィオナの小灯が、崩れた正規退路を照らした。魔導橋の桁は斜めに落ち、反対岸の外周門まで届いていない。門そのものも、橋脚に引かれて枠がずれていた。鍵の有無を確かめる以前の状態だった。
試験のルールに守られた場所は、暗く冷たい遭難現場へ変わっていた。
「……セドリック、班長」
リーゼは、岩場の壁に背を預けて座り込んでいるセドリックを見下ろした。
彼は沈黙していた。彼の中央校式非常時手順は、外部の同期網が生きていることを前提としている。外部同期を使えない今、彼が身につけてきた高度な指揮技能は、文字通り機能不全に陥っていた。
「試験続行を主張する者もいるわ。どうするの」
「……」
セドリックはゆっくりと立ち上がると、腰のポーチに手を伸ばした。
そこから取り出したのは、彼がこの夕刻までに驚異的なペースで回収してきた高得点の『課題品』の数々だった。これさえ持ち帰れば、彼の首席合格は揺るぎないものになるはずだった。
だがセドリックは、ためらうことなくその束を泥の中へ放り投げた。
「なっ……セドリック! 何をしてるんだ、それはお前の首席の――」
「首席の座など、死体になれば意味がない」
チームメイトの悲鳴を冷たく遮り、セドリックはリーゼに向き直った。
「試験の続行は不可能だ。点数も課題品も、ただの重りでしかない。僕の魔法戦術はもう使えない。だから、君が指揮を執れ、リーゼ・ヴァルト」
泥の中で課題品が青白い残光を返した。セドリックは振り返らず、リーゼへ一歩場所を譲った。
リーゼは足元に捨てられた課題品を一瞥し、そして強く頷いた。
「分かったわ」
彼女は十八名全員を見渡し、よく響く声で宣言した。
「全員、持っている課題品を今すぐ捨てろ! 重い荷物もだ! 私たちの目的は今この瞬間から『試験の合格』ではなく、『東区画からの生還』へ変更する!」
誰もすぐには動かなかった。リーゼは自分の課題袋を開き、中身を泥へ落とした。セドリックの班員が続き、やがて十八人分の金属片が、鈍い音を立てて足元へ積もった。
「マリエル! 負傷者の状態は!」
「重傷(骨折疑い・出血)が二名! 歩行困難が三名!」
岩場の隅で、マリエルは血を流す他校生の脚に触れながら叫んだ。
外との同調は切れている。それでも内在魔力を絞れば、一人分の痛みを薄め、表面の傷を僅かに閉じることはできる。だが二人へ使えば力は尽き、残る三人を見る時間も失う。
右脚を抱えたヤンが『痛みだけでも』と息を詰めた。マリエルの手に、薄い治癒光が滲んだ。何かしてあげたい。見捨てたと思われたくない。
また一人へ張りつこうとする手を、マリエルは膝の上で止めた。グレンの言葉が頭に残っていた。
――自分が何を治せないかを判断しろ。
「……私の力では、この二人の傷は完全には治せません!」
マリエルは、己の無力さを大声で宣言した。
治癒を待っていた生徒たちの顔に絶望が走る。だがマリエルは止まらなかった。
「痛みを薄めることはできます。でも二人へ使えば、私の力が尽きる。今は治癒術を一人へ使い切りません。固定と搬送を先にします!」
マリエルは顔を上げた。
「トマ、ヤンの脚へ添え木を! イリナはもう一人の固定と保温! 私は歩ける三人の出血を先に見ます!」
トマが添え木を押さえ、イリナが自分の外套を脱いだ。マリエルはその間に歩行困難者の出血を確かめ、搬送の順を紙へ書いた。
「こっちも手伝え! 即席の担架を作るぞ!」
バルトが太いロープと、落ちていた木の枝を組み合わせながら怒鳴った。
以前の彼なら、己の学力の低さへの引け目から、一人で二人分の人間を背負って運ぼうとしていただろう。だが彼は、自分の腕力だけでは限界があることを知っていた。
「俺は力はあるが、全部は抱えきれねえ! だからお前ら、こっちの端を持て! ロープの『赤い印』の場所を握るんだ!」
文字の指示ではなく、物理的な印と実演による教示。
魔法が使えず立ち尽くしていたエリートたちも、バルトの単純明快な指示に釣られるようにして、泥だらけになって担架を担ぎ上げた。
担架の四隅へ、中央校生と他校生の手が一つずつ掛かった。
*
その頃。
試験林の外周観測所を飛び出したグレンは、激しい雨上がりの風を切り裂きながら、東区画へと繋がる魔導橋の入り口に立っていた。
「くそっ……!」
グレンは腰のベルトから『手動鍵』を引き抜き、巨大な鉄の扉の鍵穴にねじ込んだ。
ガチャリと機械錠のピンは弾けた。本来なら、停電時でもこれで現地解錠できるはずの冗長設計だ。だが、グレンがいくら体重をかけて押しても、扉は一ミリたりとも開かなかった。
「駄目です、ハルバート教官! 橋の魔導駆動と予備制御が完全に同期を失い、さらに旧坑道側の地盤変位で、橋の桁自体が噛み合ってしまっています!」
「斜面からの直路も崩落で塞がっています! ここから東区画へは入れません!」
後から駆けつけた実務院の設備担当者たちが、悲痛な声で報告する。
グレンは血の滲むような思いで鉄の扉を睨みつけた。
鍵は働いた。だが、地盤の変位で桁と門枠が噛み合っている。現場を知る教官であるグレンにも、そこから先へ入る道はなかった。
彼は舌打ちをし、扉から手を離した。
「……無茶な突入は二次被害を生むだけだ。俺は行かない」
グレンは扉から手を離し、設備担当者たちへ向き直った。
「外周に手動の救護所を立ち上げろ! 伝令線を敷き、他の区画の被害状況を集約する! あいつらは、必ず自分たちの足でここまで出てくる。それまでは、外の守りを固めろ!」
グレンからの指示は、東区画の谷底には届かない。
彼ら五人は、先生のいない本当の孤独の中で、生き残る手段を再現しなければならなかった。
*
東区画、谷底の岩場。
フィオナの小灯を頼りに、十八名が負傷者を囲むようにして隊形を組み終えた時だった。
ゴリッ。ゴリゴリゴリッ……!
旧坑道の奥から響いていた、岩盤を噛み砕くような異音が、はっきりと岩場のすぐそばまで迫っていた。
ノエルが息を呑み、紙の紙挟みを握りしめる。
「来ます……っ!」
暗闇の中から、凄まじい土臭さと共に『それ』は這い出してきた。
全長四メートルはある多脚の巨体。厚い岩石のような外殻に覆われ、視覚や聴覚の器官は退化している。だが、その背中にある巨大な『蓄魔嚢』だけが、青白い魔力光を放って不気味に脈動していた。
誰かが後に《鉱殻喰い》と呼ぶ生物。
その触角が、十八名の背後で沈黙している中継核と、中央校生の魔導具の間を探るように蠢いた。




