第12話 魔法が止まる
その瞬間、世界から一切の『補助輪』が外れ落ちた。
東区画の最深部。深い谷底の旧坑道の上に架かる、幅の広い魔導橋を渡っていた時のことだ。
谷全体を青白く照らし出し、低く唸っていた高出力の中継核が、まるで心臓の鼓動が乱れたようにチカッ、チカッと激しく脈動し――次の瞬間、プツリと完全に沈黙した。
同時に、受験生たちの視界を覆っていた魔導地図の光が弾け飛び、耳元の通信器から一切の音が消え去った。
「なっ……!?」
先頭を歩いていたセドリックが、呻き声を上げて片膝を突いた。
彼が纏っていた魔導装甲の駆動補助が急停止したのだ。それだけではない。魔力による『身体強化』で険しい地形を踏み破っていた中央校生や他校生たちは、突然体を支える見えない糸を断ち切られたようにバランスを崩し、次々と硬い橋の床材へ激しく転倒した。
「痛っ! なんだ、いきなり強化が切れて……!」
「地図が消えたぞ! おい、誰か照明を出せ!」
「ダメです、外気からの魔力同調が全くできません。術式が崩れます!」
深い谷底は完全な暗闇と混乱に包まれた。
それが、後に《局地空白》と記録される二十七分の始まりだった。
正確には、魔力そのものが消えたのではない。外の魔力と術式が噛み合わなくなったのだ。体内に残した僅かな魔力なら燃やせる。だが、水筒の水だけで火事を消そうとするほど量は限られていた。
「本部に連絡を取れ! 予備の通信器があるだろう!」
転倒した他校の生徒が怒鳴る。中央校生の一人が慌てて腰のポーチから別系統の予備通信器を取り出し、魔力スイッチを叩いた。
だが、何度叩いても赤い警告光が点滅するだけだった。
「繋がりません! 予備も死んでます!」
「そんな馬鹿な! 主通信とは別の機器のはずだぞ!」
機器は別でも、時刻合わせと位相制御は同じ外部同期網を使っていた。セドリックは二台を見比べると、すぐ予備をしまった。
「同じ基盤だ。叩いても戻らない」
「セ、セドリック……!」
暗闇の中、リーゼは震える声で前衛の影を呼んだ。
彼女自身は日常的に魔力補助を使いこなせていなかったため、急停止による転倒は免れていた。しかし、想定外の事態に頭の中の選択肢が爆発し、呼吸が浅くなっていた。
「セドリック、班長! 指示を! どうすればいい!?」
恐怖に駆られたリーゼは、反射的に最も優秀な『権威』であるセドリックへと指揮権を投げ返そうとした。
だが、暗闇の中でゆっくりと立ち上がったセドリックは、魔導装甲の重いパーツをガチャリと外し、床へ投げ捨てながらはっきりと告げた。
「僕では無理だ、リーゼ」
「え……?」
「身体強化も探知も死んだ。外部同期を前提とした僕の非常時手順は、今の環境では一切適合しない。だが、君たちの外部同期を使わない手順なら、この暗闇でも機能するはずだ」
セドリックの声は震えなかった。彼は橋の中央から一歩退き、リーゼが全員を見渡せる場所を空けた。
「君が指揮を執れ。僕らは君の指示に従う」
リーゼは息を止め、胸元の紙片を握った。
「……分かったわ」
リーゼは両手で自分の頬を強く叩き、腹の底から声を張り上げた。
「全員、その場から動くな! 惰性で動けば落ちるぞ! まずは点呼だ、怪我の状況を声で報告しろ!」
『止まる』『数える』。
グレンの教えが、冷たい夜気に響き渡る。
中央校生たちもセドリックの決断に従い、一人ずつ声を上げた。マリエルとバルトが手探りで倒れた者たちに触れ、状態を確認していく。
「全員で十八名、生存確認!」
「ですが、橋の上で転倒して、骨折の疑いが二名、歩行困難が三名! 他校のヤンは右脚を動かせません!」
マリエルの報告に、リーゼは唇を噛んだ。
「フィオナ! 光源は確保できない!?」
「今やってる! 訓練で開けた型と同じよ。外の同期線を抜いて、密閉電池から開閉器と灯りへ直接繋げば……!」
カチッ、という物理的なスイッチ音と共に、フィオナの手元で淡いオレンジ色の小灯が点灯した。外部の魔力に依存しない、機械的な直結回路による灯り。その光が、不安に怯える十八名の顔を微かに照らし出す。
「よし。重傷者を橋から降ろすわ。バルト、担架の準備を」
リーゼは懐の『三項目カード』を握りしめ、生存・人数・退路の確保に思考を集中させた。歩けない五人をどう安全な場所へ移すか。その人手と道具の割り振りに意識の九割を割いていた。
だからこそ、彼女は足元の微かな変化に気づけなかった。
「……待ってください」
最後尾にいたノエルが、耳を澄ませて声を上げた。
「事実。橋の下で、予備ロックが二度空打ちしました。中継核が止まって、橋の姿勢補正も落ちています。右の斜面から水が出てる。転倒して、全員の重さが右へ寄った」
ノエルの声は震えていたが、あの日のように黙り込むことはなかった。
「推測。長雨で緩んだ橋脚側の斜面が、片寄った荷重ごと滑ります。確信、七割!」
「なっ……!」
リーゼの脳裏に、梁を模した砂袋が落ちた時の音と、自分でカードに書き足した『上方、二次崩落』の文字が閃いた。
三項目だけに固執し、第四の危険を見落とすところだった。
「バルト、担架は後回し! 怪我人を背負え! 全員、橋から降りて坑道側の岩場へ走れ!!」
リーゼの絶叫。セドリックやバルトが負傷者を抱え上げ、全員が橋から岩場へと飛び移る。
直後、ズルリと重い音が響き、彼らが先ほどまで立っていた魔導橋の片側の地盤が、泥流と共に谷底へと崩落していった。橋脚がねじれ、巨大な桁が斜めに傾いて止まる。
「……間一髪、だったな」
セドリックが息を吐き出す。
岩場に逃れた十八名は、土煙の中で咳き込みながら、ノエルとリーゼの判断に救われたことを悟った。
だが、安堵する暇はなかった。
ゴリッ……ゴリ、ゴリゴリゴリッ……。
地盤が崩れたことで露出した、旧坑道のさらに奥深く。
そこから、硬い岩盤を何か巨大な顎が噛み砕きながら、真っ直ぐにこちらへ這い上がってくるような、不気味な振動が響き始めた。
局地空白の暗闇の中、真の脅威が口を開けようとしていた。




