第11話 最終実地開始
深い森の入り口に、総勢九十六名の受験生が集結していた。
王立総合実務院・統一資格試験、最終日。第四科目『最終実地(配点三十)』が行われるハイゼル実地試験林は、数日続いた雨がようやく上がり、むせ返るような緑の匂いと濃密な湿気を吐き出していた。
「これより、受験生を各試験区画へと配置する!」
試験主任アデル・クロフォードの号令が飛ぶ。
ここから先、教官は一切の手出しができない。公平性を期すため、グレンをはじめとする各校の所属教官は試験区域内への立ち入りを厳しく禁じられており、森の外周に設置された観測所での待機を命じられていた。
グレンは整列する生徒たちを遠目に見守りながら、一度だけ外周の保守小屋の方へ視線を向けた。
昨日、彼が申請した手動鍵や独立式の密閉魔晶電池といった「非魔法の予備品」は、確かにこの試験場に運び込まれている。だが、規定によりそれらの大半は本部や外周小屋に分散保管されており、森の中を歩く受験生たちに完全な形で配置・共有されているわけではない。
備えはある。だが、現場の人間がそれにすぐアクセスできるとは限らないのだ。
「東区画合同群、計十八名とする」
試験官の声に従い、生徒たちが続々と集まってくる。
最も地形が険しく、暗い谷底である東区画を担当することになったのは、見知った顔ぶれだった。
カルド分校の第一期生であるリーゼ、フィオナ、マリエル、ノエル、バルトの五人。
セドリック・ローヴェンをはじめとする、中央校のエリート生徒六名。
そして、別ルートから合流してきた他校の生徒七名。
合計、十八名。
中央校の列には、合同課題でノエルへ報告形式を求め、落とし穴にも落ちたトマがいる。後衛術師のイリナは装甲の留め具を一人ずつ確かめていた。他校の七名では、黒髪のヤンが搬送具を肩へ掛けている。
五人だけではない。全十八名が、一つの集団として谷底へ入る。
「行くぞ。日没までに規定数のダミーを回収して、外周へ抜けなければならない」
セドリックが前衛に立ち、腕の魔導記録板に広域地図を展開して歩き出す。彼ら中央校の六人は、身体強化から通信網の同期まで、息の合った完璧な魔法の連携を見せていた。他校の七名も、セドリックの有能さに引っ張られるようにして彼らの指示に素直に従っている。
リーゼたち五人は、その集団の中程から後方にかけて位置取っていた。
「ノエル、環境音の記録は止めないで。バルトは滑車とロープの確認を」
「分かってる。いつでも出せるように結び目を前にしてある」
「よし。フィオナとマリエルも、自分の足元の安全確保を最優先にして」
リーゼは胸ポケットの『三項目カード(生存・人数・退路)』の感触を確かめながら、小声で指示を出す。梁を模した砂袋が落ちた時の恐怖は忘れていない。カードを触った後には、必ず頭上と足元を自分の目で見た。
先生はもう、いない。自分たちの欠点を補えるのは、自分たちの手順だけだった。
十八名は、靴底へ絡む泥に歩幅を奪われながら谷へ下りた。トマが滑る石を後列へ伝え、イリナが補助術の弱い他校生へ歩調を合わせる。ヤンは未使用の搬送具が枝へ掛からないよう、列の内側へ寄せた。カルドの五人は列を乱さない代わりに、何度も距離を空けた。
標準装備には、手動小灯二基と交換用の密閉魔晶電池が入っていた。フィオナは点検票へ署名する前に、一基の裏蓋を開け、電池から開閉器、灯りへ続く線を指でなぞった。
最深部の開けた場所で、高出力の試験用中継核が青白く脈打っていた。背後の崖には旧坑道と暗渠が黒い口を開けている。ノエルは坑口を見たが、列はもう動き始めていた。
「中継核の通信範囲に入った。遭難者ダミーの広域走査を始める」
セドリックが指示を出し、中央校生たちが一斉に魔導具を起動する。
高濃度の外在魔力を利用し、彼らの探索魔法は何の障害もなく谷底へ広がっていった。リーゼたちもそれに後れを取るまいと、手元の装備を固め直す。
時刻は、間もなく午後四時を回ろうとしていた。
*
同じ頃。
試験林の外周に設けられた教官用の観測所で、グレンは腕を組みながら大型の魔導地図盤を見つめていた。
黒い盤面の上には、九十六名の受験生たちが発する魔力波長を拾い、光点として即時表示されている。北、西、南。各区画の光点は、それぞれ順調に移動を続けていた。
だが、グレンの鋭い眼光は、盤面の右側――『東区画』を示す領域に釘付けになっていた。
「……おい、盤面の調整はどうなっている。表示がおかしいぞ」
グレンの声に、観測所の担当官が怪訝な顔で振り向く。
「おかしい? いえ、正常に稼働していますが」
「よく見ろ。東区画の光点だけだ」
グレンが指差した先。
東区画の谷底に集まっている『十八個の光点』。リーゼたちや中央校生を示すその光が、まるで水面に落ちた波紋のように、チカチカと不規則な明滅を繰り返していた。
それだけではない。明滅するたびに光点の輪郭がぼやけ、本来一つであるはずの位置座標が「二重」にブレて表示され始めているのだ。
「あ、あれ……本当だ。観測の乱れでしょうか。昨日も少し通信に雑音が混じっていましたが……」
「位相がズレている。空間の整合度が落ちている証拠だ」
グレンの声が一段と低くなった。
魔力密度の低下だけでなく、同期可能な魔力波長の割合(整合度C)が急激に乱れ始めている。これは観測器の偽像だ。探知魔法や通信といった、空間の魔力位相に依存する「現代の当たり前」が、根底から崩れ去ろうとしている前兆だった。
「すぐに東区画の生徒に通信を繋げ。状況を確認しろ」
「は、はい! ええと、東区画第十二班、応答願います! そちらの魔力環境に異常は……」
担当官が通信用の魔導具に声を張り上げる。
しかし、返ってきたのは昨日と同じ、いや、それ以上に激しい「砂を噛むような雑音」だけだった。
地下深くから、確実に「それ」は近づきつつあった。




