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アコ様の秘密のメモ帳  作者: エシナ
ACT2 - Its free will, can not be bound.
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2 - ラメントの魔術師兄妹

 アルス・ノーヴァ王城、行政棟内にある一室。

 小~中規模の会議に利用されることが多く、中央に横長の円卓だけが設置された簡素な室内には、現在、神妙な空気が蔓延していた。

 円卓に座するのは、いずれもこの国の中枢を担うと言っても過言では無い十五名。

 錚々たる顔ぶれである。


 そのうちの一人、女王オルガの夫であり王国の宰相をも務める傑物、ナザールが、重々しく口を開いた。


「では、その気配の主については……取り逃がしたと?」

「取り逃がしたというよりは……気配自体が、途中で消失したのです。ですから現在その気配の主が国内に居るのかどうかの確証すら持てないというのが現状です。面目もありませんわ」

「なかなか難しい状況のようじゃのう」


 ナザールの言葉に答えたのは、魔術師サリア。

 難しい表情でため息を吐き出したのが、王国の法を一手に担う司法棟、その中心に立ち国を導く老君ギュスターである。


 アルス・ノーヴァ王国の中枢たる面々を招集する権限を持つのは、この場に座する十五名と、女王のみ。

 その中で今回の召集を掛け、神妙な雰囲気を作り上げる報告を上げたのは、女王オルガの勅命により任を賜る王国客員魔術師、エリアスとサリアの二名だった。

 国内に害意を持ち込もうとする者があれば反応を示す、感知結界。

 その番人である魔術師の二名が先日、結界に違和感を認め……そして、違和感を発した存在を追跡している途中で見失った、と。

 報告の内容は、そのようなものであった。

 これまでは結界に反応あらばすぐさま対応し、きな臭い気配を悉く未然に()ってきた二人である。

 二人の優秀さはこの場の誰もが知るところであったし、それが気配を見失ったなど、由々しき事態ではあるのだが。

 今回感知した気配というのが、敵意と断定することが出来ない“違和感”であったことが、状況を何とも難しいものにしていた。

 何か事が起こるとは断じられないが、警戒は強めなければならない。

 これは、そのことを啓発するための招集なのだ。


「……まあ、どちらにせよ。合同演習で音楽家の存在を明かしたことで、擾乱(じょうらん)の種は既に各所に撒かれているか。各地の警備巡回の回数を増やし、城下や城内についても、その水準を引き上げよう」


 憂慮のため息を吐きながらそう纏めたのは、栄えある王国騎士隊と王国親衛隊を纏め上げる総隊長、アルノルト。

 彼が円卓の面々を見回せば、全員が各々の仕草で合意を示した。


「では、演奏の技術を持つ者と王族の守護に関しては、親衛隊が持ち回りで担当を。各地屯所への通達は、騎士隊が。行政各署とコンスタンスの方でも、何か気になる情報があればすぐに報告しなさい」


 ナザールが指示を出せば、すぐさま各々から了解の返事が返ってくる。

 全員が次にやるべき事を見出し、確認し合い、此度の招集は解散となった。


 そうして、警戒態勢が強化されるものの、何か事が起こる訳でも無く。

 騎士隊とも連携しつつ、エリアスとサリア両名で再度違和感の気配を追うが、正体を掴むことも出来ないまま。二週間の時が過ぎていった。




 * * *




“出来れば、この人に会ってみたい”


 楽器のスケッチを見てジークさんにそう伝えてから、四日後。

 手紙とスケッチの送り主に会うため、わたしは行政棟の一室で待機していた。

 演奏を伴わない面会の時に何度か使ったことのある、来客対応用の部屋だ。

 日程の調整に手間取ったようなので、無理を言ってしまったのかなぁ……なんて思いつつ、わたしはシュリの陰に隠れて出来る限り気配を消す。

 何故なら、同じ室内にサリアさんが居るからである。

 隙あらばこちらを視姦しようとしてくる奴の視線から逃れるためには、誰かを盾にするほか無い。

 シュリの近くに居るのもどことなく落ち着かないのだけれど、サリアさんの方が物理的にも精神的にも被害が大きいので、背に腹は代えられないという訳だ。

 シュリは半ば呆れた表情を浮かべつつも、彼を貫通してわたしに突き刺さろうとするサリアさんの視線に、非常に居心地悪そうなご様子である。


 ちなみに待機中の室内にはシュリとサリアさんだけでなく、ジークさんとエリアスさんも居たりする。

 扉の前、通路側にも騎士さん二名が見張りに立っていて、いつにない警戒態勢のようだった。

 これまでもジークさんと親衛隊一名は必ず付いてくれていたのだけれど、何と今回は国の最高戦闘能力保持者(多分)が三名も。正直、一体何事かと思う。

 それだけ、警戒しなければならない何かが起きているということなのだろうか。それとも、これから会う人物が、警戒しなければならない対象なのか……

 わたしには、判断がつかない。


「アコさん、そろそろこちらへお座りください」

「うっ……は、はい……」


 ジークさんの宣告に、わたしは身体を緊張させた。無論、視線避けが無くなることに対してである。

 盾にしていたシュリの背中から、そろりと様子を窺ってみると……部屋の隅に立ち、シュリへ向けて敵意の視線を叩き付けていたサリアさんが、にこりと表情を和らげてわたしを見た。

 何も知らなければ、それは女神様の微笑みなのだろうけれど。奴の実態を知る身としては、恐怖しか感じることが出来ない。

 かと言って、いつまでもこうしている訳にもいくまい。

 わたしは極力視線を合わせないよう尽力しながら、ジークさんの示すソファへと移動した。

 三人ほどが掛けられる、座り心地の良いソファの右側に腰を降ろす。

 わたしの左側にはジークさんが座り、ソファを挟んで右の背後には、シュリが立ったまま控えた。

 サリアさんとエリアスさんは、部屋の隅。わたし達が座るソファ側の壁際にエリアスさんが、お客様用のソファ側の壁際にサリアさんが立っている。

 何だか物々しい、まるでわたしを護るかのような布陣だ。

 いや、実際、護って貰っているのだろうけれど。

 庶民根性甚だしい身としては、ジークさんに度々お小言を頂こうとも、未だに慣れない。


 それにしても、楽器を持つなんて。一体どんな人が来るのだろうか。

 と、思考を来客者へと向け始めた頃、部屋の外側から扉が数度、叩かれた。


「はい」


 ジークさんが言葉で応対する。

 扉が開かれ、彼の部下である文官さんが入室してきた。


「お客様がいらっしゃいました。お通ししても?」

「ええ、入室して頂いてください」


 ジークさんが指示すると、文官さんが胸に片手を当てて低頭し、了承の意を示す。

 少しだけ開かれたままになっている扉の外側へと文官さんが視線を遣ると、両開きの扉が、外側へ向けてゆっくりと開かれていった。

 来客者の姿が露になり、わたしは僅かばかり緊張する。


 コツン、コツンと優雅な足音を響かせて、彼らは入室してきた。

 彼ら。

 そう、来客者は二人連れだった。

 貴族のような優雅な装いの青年と、ゴシックな黒い洋服を着た少女。青年はジークさんと同じくらいの年頃に見えるけれど、少女の方は、わたしの感覚で言えば、まだ小学校の高学年くらいだろうか。

 そんな年若い人達が現れたことにも少し驚いたが、何より目を引いたのは、彼らの外見だ。

 銀髪に、真紅の瞳。

 一瞬で判る、魔術師の身体的特徴。

 それを、二人ともが備えていた。

 魔術師って希少な存在じゃなかったのか! と、内心驚きを隠せないわたしだったけれど、隣のジークさんを含め、他の人達に驚いた様子は無い。

 多分事前に情報を得ていたんだろうと思い至り、腑に落ちた。

 だからこそ、客員魔術師二人を引っ張り出してまで警戒しているんだ。


「お目に掛かれて光栄です、音楽家殿」


 入口から少し進んだ位置で足を止めた彼ら。

 青年がそう言って、優雅に一礼してみせる。


「私は、ノワールと申します。こちらは、我が妹のアーテル。お見知り置きを」


 ノワールと名乗った青年は、右手を胸の辺りに添えたまま、柔和な笑みを浮かべた。妹さんの方は、緊張しているのか頬を薄桃色に染めて、ぺこりと頭を下げる。

 その様子はどうにも警戒心を薄れさせる……というか、魔術師イコール美形という世界の摂理でもあるのだろうか。エリアスさんとサリアさんも大概だが、二人ともやたらと顔の造形が整っている。

 ノワールさんは動く度に長めの前髪がさらりと目元を掠める様が神々しいし、妹さんも、耳の後ろでゆるく結んだおさげ髪も相まって、所作の可愛らしさが凶悪だ。

 ……と、二人の容姿に圧倒されている場合では無かった。

 私はソファから腰を上げる。

 私に合わせて、ジークさんも立ち上がった。


「音楽家のアコと申します。宜しくお願いします」

「第一行政室長のジークベルトです」


 わたしがぺこりと頭を下げると、ジークさんも名乗りを上げて、彼らにソファへ座るよう勧める。

 低いテーブルを挟んだ正面のソファに二人が腰を降ろしてから、わたし達も改めて腰を降ろした。

 座るなり、少し大げさに感じる身振り手振りをしながら、ノワールさんが話を切り出す。


「音楽家殿がこのような可愛らしい方だったとは、驚きですよ」

「あはは……それはどうも」

「ところで、ノワール殿は国内にお住まいに?」

「いえ、貴国の西にある、ラメントという小国に。ご覧の通り我々は魔術師の血を引いていますが、国には仕えていない、些々たるいち国民です」


 ラメントは、アルス・ノーヴァの西側、グラッセン王国の南端を挟んでふたつ隣にある小国。

 面積はアルス・ノーヴァの十分の一にも満たないほどで、農業を主産業としたのどかな国柄なのだという。

 ノワールさん達は田舎でのんびりと暮らしていたが、ひと月ほど前のある日、音楽家の噂を耳にした。

 そのことで、家に古くから保管されていたあるものの存在を思い出し、音楽家ならそれが何なのか知っているのではないか、と、遠路はるばるこの国へやって来たらしい。


 ノワールさんがそのような事情を説明する中、わたしは、ついつい何度も彼の足許へと視線を向けてしまう。

 彼の足許には革張りのケースが置かれていた。

 ひと目で判る。

 それは、角型の楽器ケースだ。

 多きさ的に、ぱっと見はどちらかまだ判断が付かないけれど、あれに入っているとしたら……


「ふふ。音楽家殿は、これによほどの興味を抱いて頂いているようですね」


 思わず思考にふけりかけたところで、ノワールさんが小さく笑った。

 彼らとの会話そっちのけでケースに見入っていたことに気付き、わたしは、申し訳なさと羞恥で縮こまる。

 ノワールさんは、ケースの取っ手を掴んで持ち上げ、テーブルの上に置いた。


「お判りかとは思いますが、見て頂きたいものはこちらです」


 わたしは思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 緊張からか、どくどくと自分の心臓の音が煩く感じる。

 そうして、逸る気持ちを抑えつつそっと手を伸ばしかけ……たところで、後ろから伸びてきた腕がわたしの行動を制してきた。

 ノワールさん達が入室してきてからずっと無言でわたしの背後に控えていた、シュリの腕だ。


「悪いが、一応な。……エリアス」


 シュリが背後へ目配せすると、コツコツと靴音が近付いてくる。

 テーブルを挟んでシュリの反対側へと近付いてきたのは、エリアスさんだ。彼はノワールさん達を一瞥だけして、テーブルの傍へ跪き、ケースの上にそっと右手を翳す。

 しばらくそのまま停滞していた右手は、空気を撫でるように一度だけ動かされ、それとほぼ同時にエリアスさんは立ち上がった。


「開けても問題ないよ」


 一言だけ言って、彼はわたし達の背後の壁際へと戻っていく。

 ケースに何か魔術的な仕掛けが無いか調べた、ということか。

 何という念の入れよう……


「教えを乞いに来ているのですから、そう警戒せずとも何も致しませんよ」


 ノワールさんは苦笑を零しながらそう言ったけれど、特別不快に感じてはいないようだった。

 わたしはほっとして、「で、では失礼致します」と言いながら改めてケースへと手を伸ばす。

 金具を外して、そっと蓋を開くと……

 そこには、スケッチに描かれていたものと同じ形状の楽器が収められていた。

 中央付近が窪んだ「8」の字のような形状の胴体。胴体表面にある二つのf字孔に、左下にある顎置き。

 胴体の上部にすらりと伸びる指板。張られた四本の弦。

 慎重にそれに触れて持ち上げ、頭上に掲げて大きさや厚みを確かめる。

 ニスが塗られて赤茶色に艶めく楽器は、胴体の長さが四十センチ以上あった。

 これは……


「……ヴィオラ」


 ぽつりと、わたしはその楽器の名前を零した。

 楽器を一旦ケースへ戻して、念のため弓も手に取って確かめる。

 比較対象の現物が無いので、見分ける自信はあまり無いのだけれど……スティックの太さ、長さ、フロッグの大きさも、バイオリンのものより少し大きいようである。

 わたしは弓もケースに戻し、ノワールさんの目をまっすぐに見て、言った。


「これは、ヴィオラという楽器です」

「ヴィオラ、ですか」


 彼はその名前を噛みしめるように呟く。

 見下ろしたヴィオラの胴体をそっと撫でる彼の目は、眇めるように細められ、情動を読み取ることは出来ない。

 そんなノワールさんに、ジークさんが訊ねた。


「失礼ですが、どのような経緯でその楽器が貴方の家に?」

「……経緯、は、恥ずかしながらよく判らないのですが……恐王の時代からずっと私の家系で保管されていたと聞いています。恐らく、破壊の難を逃れて秘匿されていたのでしょう。尤も、残されているのはこの……楽器だけで、使い方も何も判らない状態なのですが」


 自嘲気味にそう答えたノワールさんの表情が、痛ましげな陰りを見せる。

 けれどもそれはほんの一瞬で、彼は視線を上げると、ジークさんとわたしをしっかりと見据えた。


「無理は承知で、ひとつ、音楽家殿にお願いがあります」


 ノワールさんは真摯な表情と視線でわたし達を射抜く。

 わたしは緊張から居住まいを直し、ジークさんは小さく頷くことで続きを促した。



「私に、この楽器の……ヴィオラの使い方を、教えては頂けませんか?」




 * * *




 自分の執務室に戻ったわたしは、部屋の中央に仁王立ちして腕を組み、うんうんと唸る。

 ノワールさん達との面会は、あの後すぐに終了した。

 流石に、他国の方においそれとわたしの一存で教える訳にもいかず、かと言って、ジークさん達にも思うところがあったのか、すぐに断ることもせず。

 それについてはすぐに回答することは出来ないからと伝え、判断するまでの間、彼らには城内の客間へ滞在して貰うことになったのである。

 今はジークさんとエリアスさんでノワールさん達を客間まで案内していて、わたしはシュリの護衛付きで執務室へと戻ってきたところだ。

 サリアさんは、シュリとエリアスさんと二・三言葉を交わした後に、颯爽と何処かへ行ってしまった。絡まれないわたしとしては精神衛生上良いことなのだけれど、彼女はここのところずっと忙しそうにしている。

 ……と、それはともかくだ。


 もし、ノワールさんにヴィオラを教えるという話になった場合。

 わたしが教えられるかどうかというと、答えはYESだ。

 とはいえ、教えられるのは本当に基礎の基礎。楽譜の読み方、構え、音の出し方、指運びから、せいぜい簡単な練習曲くらいまでである。

 ピアノ専攻のわたしがなぜ弦楽器も触れるのかというと、友人の指導によるところが大きい。


 わたしには、タエちゃんという友人がいる。

 この世界に来るきっかけとなったバス事故の時も一緒に乗っていた、同級生の中でも付き合いの深い友人のひとりだ。

 ヴィオラの渋いところがたまらんと豪語するタエちゃんは、弦楽器の中でも専らヴィオラを愛奏していた。

 腕前も、その偏愛ぶりに見合うほど。

 そんな友人が居れば、デュエットしようぜ! とか、楽器交換してみようぜ! とか、そんな話になるのも自然というもので。

 特にタエちゃんは、わたしがヴィオラを弾いているのが面白いなどと言って、熱心に教えてくれたのである。

 小ささが際立つとか何とか、理由はクソ喰らえだったけれど……

 そんな訳で、素人が練習曲を弾ける程度には仕上がった。


 しかし、その素人技術を他者へ教えるとなると、どうなのだろう。

 楽譜に対する記憶力には自信があるから、一度弾いたものやタエちゃんが弾いていたものなら書き出すことも出来るけれど、ピアノと違って教える方に自信は無い。

 それに、最終判断は上の方々だ。

 わたしが悩んでも仕方が無い。

 無いのだけれど……楽器という現物があるからには、上手く教えられればデュエットがいよいよ現実のものとなる。更にピアノが複製できれば王女様達も交えた合奏などというものも……!

 それは素晴らしい!

 わたしの欲求がまたひとつ満たされるではないか!

 検討中と言うにも程遠い段階だから、まだあまり期待を膨らませない方が傷は浅く澄むだろうけれど……

 合奏するとしたら、あれとこれとそれと……

 …………

 ……

 ……うへへへ……




「何を一人で笑ってんだ……」

「へあっ!?」


 思考に耽っていたら、何者かに頭を鷲掴みにされた。

 思わず奇声を上げたわたしは、幸せな思考を阻害した犯人を正面に見る。

 まぁ確認するまでもなく、こんな事をする奴はひとりしか居ないけどな!


「だから乙女の頭部を鷲掴みにするなとあれほど!」

「まだ二回しか言われて無いと思うけどな。つか、お前こそ人を放置して薄ら笑い浮かべてんなよ。不気味だぞ?」

「何という言いぐさ! わたしの心はたいへん傷付きました! えーい、とにかく離せええぇ!」


 頭を掴むシュリの腕を両手で掴み、引き剥がそうと力を込める。と、頭が割れるんじゃないかとすら思った前回と違い、今回はすんなり手を離してくれた。

 その代わり、呆れたような視線とため息を投げられる。

 そういえば執務室まで送ってもらったのをすっかり忘れてたわ……

 どうやらわたしはシュリの存在を放置したまま、腕を組んでうんうんと唸りながら室内をうろうろし始め、挙句の果てにはにへにへと笑っていたらしい。

 客観視するとたいへん不気味である。

 幸せな妄想に取りつかれていたとはいえ……今度からは気を付けよう。


「えっと、今日はこのままシュリが護衛なの?」

「いや、この後グレンと交代だ。その前に、お前の意思を確認しなきゃならなかった訳だが……さっきの不気味な笑いを見るに、確認するまでもないみたいだな」

「失敬な! ……確認って、ヴィオラのこと?」

「ああ」


 佇まいを真面目なものに直したシュリと向かい合う。

 確かに、不純な動機ではあるけれど、わたしの意思は固まっていた。


「……勝手を言わせて貰えるなら、出来れば教えてあげたい」

「そうか」

「あっ、でもね。わたしはピアノ専攻だから、ちゃんとは教えてあげられないんだ。それでも、折角知りたいって言ってくれてるんだし、教えられるところまでは、って」


 察してはくれているようだけれど、わたしは自分の口からきちんと伝える。

 言うほど簡単じゃないことは、判っているつもりだ。

 人を惑わすとされ排斥された、音楽と音楽家。

 かつて騒乱の中心にあった音楽は、世間に未だ忌避すべきものというイメージを根付かせている。

 けれど、本質を知ったオルガ女王を始めとするこの国の皆は受け入れてくれて、だからこそ慎重に広めようとしてくれているのだ。

 悪いイメージを持つ人の中には、音楽家が再び現れたことを知って、排斥する動きを見せる人も居るかも知れないから、と。

 そう言って皆が守ってくれて、お陰様で、わたしはまだ悪意に晒されたことが無い。

 だからこそ国の方針には従うべきだと思うし、あまりわがままを言うべきでは無いとも思う。

 けれど、この線だけは譲れないというものが、わたしにもあるのだ。


「だって、音楽は……自由に触れて、楽しんで、うみ出して、口ずさんで、奏でるもの……だからね」


 にへらと笑って、持論を述べる。

 持論……と言うよりは、おばあちゃんがよく言っていたその言葉をこうして人前で口に出すことで、意思を引き継いだつもりでいるだけなのかも知れないけれど。


「……そうか」


 シュリは先ほどと同じ言葉を返してきて、僅かに目許を綻ばせた。

 とりあえず、これでわたしの意思に関しては確証を得てくれた……と思うのですけど、何故頭を撫でられてるんですかね、わたしは。

 よしよしと、子供を褒める時のように。

 何だかこんなこと、前にも何度かあったなぁ。

 こうして頭を撫でられると、どうしても感傷的に……と、感傷に浸る前に、シュリの手がわたしの頭頂部を離れて前髪に触れてきた。

 わたしの前髪はいつもピンか何かで留めてあって、確か今日は……


「使ってくれてるんだな」


 さっきよりも優しげな表情を浮かべたシュリが、ぽつりとそう言った。

 彼の指が掠めたのは、合同演習の……わたしの誕生日に、シュリから貰った髪留め。小さめのダッカールのような形状のそれは、一見シンプルだけれども銀色の本体に細かな模様が入っていて、綺麗でとても気に入っている。

 何より、掘られている模様が“ヘ音記号”に似ているところが高ポイントだ。

 わたしは常々、世間に出回る音楽記号関係のアクセサリーは何故音符やト音記号のものが殆どなのかと疑問に思っている。

 もっとヘ音記号さんも平等に扱うべきだ……と、今はそんなことを考えている場合ではなく。


「しっ……シュリだって、わたしがあげたターバン使ってるじゃない」

「あぁ。お前が俺のことを考えながら選んでくれたからな」

「……! そ、その話題は掘り起こさないで頂きたい」

「お前が掘り起こしたんだろ? それに、俺も同じで、お前のことを考えながら選んだよ」

「そっ……それはどうも、アリガトウゴザイマス……」


 からかい混じりの笑みを濃くしたシュリの指が、前髪に何度も触れて、目許を掠め、頬に落ちてくる。

 正体不明の警鐘がわたしの中で激しく響いた。


「あっ、あの……シュリ……?」


 ふいに笑みを消したシュリを、わたしは不安げに見上げる。

 触れていたのは指先だけだったのに、シュリの右手は、いつの間にかわたしの頬を包むように添えられていた。

 どっ、どど、どうしよう。何だか不穏な雰囲気だ。

 ムーンウォークで高速後退して逃げた方が良いだろうか。ムーンウォーク出来ないけど……!!


 コンコンコン、と。

 執務室の扉をノックする音が聞こえたのは、そんな時だった。


「はい、どうぞ!!」


 天の助けとばかりに、わたしは一も二も無く返事を返す。

 ついでにスパッとシュリから離れて扉の方へ向かうと、行程の半ばほどで扉が開かれた。

 見慣れた黒鳶色の髪の騎士が入室してくる。そういえば交代だと言っていたっけ。助かった……!


「失礼します。シュリ隊長、護衛の交代にっ……!!??」


 入室してきたグレン青年は、わたしの背後を見るなりびくりと全身をそびやかした。

 何事かと振り返ると、相手を視線で射殺さんばかりの凶悪な面構えになったシュリ隊長が、凶悪なオーラ的な何かまでをも漂わせながらグレン青年を見ているではないか。

 わたしまでつられて青くなり、冷や汗が滲んでくる。

 グレン青年は、ずりずりと、思わずといった風に後退しようとするけれど……逃がすものか!

 あんたわたしの護衛でしょうが! 今こそその時! 護衛対象を置いて敵前逃亡とは何事か!!

 逃げようとするグレン青年の腕をがっしりと掴んで逃亡を阻止しつつ、わたしは目で訴え掛ける。

 無理無理。死ぬから。あれから守るの俺には無理だから! と、グレン青年も負けじと訴え掛けてきた。

 おま、それでも国が誇る親衛隊員かっ!!

 お願いだから諦めないで!!


 と、互いに命を掛けたやり取りをしていると、ふいに背後からの殺気めいた気配が止んだ。

 代わりにため息が聞こえ、シュリがわたし達の方へ近付いてくる。


「悪ぃな、グレン。後は頼んだ」

「はっ、はい……!」


 表情は不機嫌そのものだったけれど、シュリはグレン青年に後を任せると、執務室を後にした。

 その足音が小さくなり、完全に聞こえなくなってから、わたし達はゆっくりと息を吐き出す。



「アコさん……勘弁してくださいよ……」


 ……それはこっちの台詞ですが。

 緊張から解放されたわたしは、ふらつく足取りで執務机に近付いて突っ伏しながら、心の中でそう返すのが精いっぱいだった。

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