国家による偽装単位
春奈が政府手配の超豪華セーフハウスでふかふかのベッドに埋もれ、異世界のおじさんたちにマヨネーズの作り方を伝授していたその頃——。
永田町・首相官邸の地下深くに位置する危機管理センターでは、日本の未来を左右する極秘の「特命安全保障会議」が開かれていた。
長円形の会議卓を囲むのは、東条総理大臣をはじめ、外務大臣、防衛大臣、内閣官房長官、警察庁長官、そして『コード:ハルナ』の第一発見者である神崎所長。
室内を埋め尽くしているのは、胃が痛くなるような沈黙と重圧だった。
「……では、神崎所長。報告を」
東条総理が低く静かな声で促すと、神崎は起立し、大型モニターに映し出された一枚の写真を指し示した。
「はい。対象者……春奈様との直接接触に成功し、無事、政府直轄の『絶対防衛セーフハウス』への移送を完了いたしました。彼女が所有していた追加の【神薬】10本も、厳重な二重金庫にて保管管理されております」
「手柄だな、神崎。だが……」
防衛大臣の黒川が、肘をついて眉間を揉みほぐしながら割り込んだ。
「……最大の懸念事項である『入手ルート』についての報告が、私の耳を疑わせるような内容なのだが?」
「はっ……」
神崎所長はごくりと唾を飲み込み、手元の資料をめくった。
「対象者は……市販のスマートフォンにインストールされた未知の通信アプリケーション【異世界ザッピング】を介し、異世界の国家機関(グランベル王国王宮厨房)とリアルタイムで時空間接続を行っております」
「「「……」」」
閣僚たちの間に、何とも言えない凄まじい沈黙が広がった。
「……神崎くん」
外務大臣が引きつった笑顔で口を開く。
「君は徹夜の連続で、少し頭が疲れているのではないか? スマートフォンで異世界と……?」
「冗談でも正気でもありません! しかし、これが動かぬ真実なのです!」
神崎は必死の形相でリモコンを操作した。
モニターに映し出されたのは、302号室で佐藤研究員が隠しカメラ……ではなく、春奈の許可を得て撮影したスマホ画面の録画データだった。
画面の中では、異世界の巨漢料理人たちが正座し、山盛りの卵と油を前に「ハルナ様ぁぁぁ!」と叫びながら石畳に頭を叩きつけている。
「な……なん……だこれは……!?」
防衛大臣が立ち上がり、警察庁長官が目を見開く。
「現在、我が国の先端物理学チームがこの映像と電波ログの解析を進めておりますが……結論から申し上げますと、映像の偽造・合成の可能性は0%。彼女のスマートフォン端末は、現代科学では解明不可能な『局所的時空間の歪み』を生成し、異世界と相互干渉を行っています」
東条総理が静かに目を閉じ、深く深く息を吐き出した。
「……つまり。彼女は単なる研究者でも協力者でもない。『異世界と現代地球を唯一繋ぐ、世界の特異点』そのものだということか」
「御意にございます。彼女の機嫌一つで、現代科学を超越した魔法、超技術、神薬が日本へもたらされます。逆を言えば……彼女が他国に奪われる、あるいは害されるようなことがあれば、我が国のみならず人類全体の計り知れない損失となります」
「アメリカのCIAや、他国の情報機関の動きは?」
官房長官の問いに、警察庁長官が硬い声で答えた。
「今のところ、彼女のアパート周辺での異常な動きは察知されておりません。彼女の存在自体が『白すぎる一般人』であったこと、そして迅速に極密セーフハウスへ移送したことが奏功しています。……しかし、時間の問題でしょう。清涼飲料水として送られてきたあの1本が本物だと海外が察知した瞬間、あらゆる暗殺部隊や諜報員が日本へ雪崩れ込んで来ます」
「……良し。防衛省、警察庁、公安調査庁は連携し、セーフハウス周辺の警備体制を『国家最高レベル(レベル5)』に引き上げなさい。彼女の平穏を脅かす者は、いかなる組織であろうと容赦無く排除する」
東条総理の力強い命令に、全員が「ハッ!」と息を揃えて応答した。
しかし——そこで神崎所長が、少し気まずそうに手を挙げた。
「あの……総理。もう一つ、極めて深刻な問題がございまして」
「なんだ? 海外からの脅威か?」
「いえ……彼女の通う大学の履修問題です」
「……大学?」
神崎はモニターの表示を、春奈の大学履修状況へと切り替えた。
「春奈様は都内の私立・明成大学文学部2年生です。今回の極密保護に伴い、セーフハウスからの外出が一切不可能となりました。しかし、今期履修している講義の8割が『対面出席必須』となっております。このままでは出席日数不足により『留年』、最悪の場合は規則に基づく『除籍処分』となります」
「バカな!」防衛大臣が思わず声を上げた。「彼女をキャンパスに通わせるなど論外だ! 狙撃や拉致のリスクをどうする!」
「かと言って」官房長官が眉をひそめる。「急に無条件で単位を与えたり、理由もなく全休学扱いにすれば、学内やSNSで『あいつは何か不祥事でも起こしたのか』『裏口か』と噂が立つ。そこから海外の諜報機関に存在を特定されるトリガーになりかねん」
文部科学大臣が腕を組み、現実的な制度に引き引き寄せながら口を開いた。
「文科省の規定と大学側の特例制度を組み合わせて、自然な形で処理するしかありませんね。安易な『全単位S評価』などは逆に怪しまれます」
「どういう手続きになる?」東条総理が尋ねる。
「まず、大学の理事長・学長・学部長の最小限のトップのみを官邸に呼び出し、特定秘密保持誓約を締結させます。その上で、彼女を『政府の超法規的・国際学術プロジェクトへの長期専従研究員』として正式に指定します」
文部科学大臣は手元の資料を指し示した。
「手続きとしては以下の通りです」
【文部科学省・明成大学による現実的特例処置】
「特例リモート履修」の適用
大学の正規制度である「病気・特例事由による遠隔講義適用申請」を裏で受理させ、全講義をセーフハウスからのオンライン受講・オンデマンド視聴に切り替える。
出席データの公的補正
講義システムへのログインログをもって「出席」とみなし、サーバー側で出欠データを直接保護・管理する。
課題代行・研究成果換算システム
レポートや試験は免除せず、形式上はオンラインで提出させる。ただし、内容の審査や添削補助には文科省派遣の専門官(代行チーム)がつき、不自然にならない範囲で「適切な合格点(A〜B評価中心)」を維持して処理する。
学内へのカバーストーリー(偽装理由)
ゼミや友人に対しては「政府系の海外オンラインインターンシップに抜擢され、自室で終日プロジェクトに参加している」という公式な説明を通達し、不審感を消す。
「……なるほど。無条件の全免除ではなく、あくまで『制度の枠組みの中で完璧に書類と実績を作り込む』わけだな」
官房長官が頷く。
「ええ。これならば大学のデータベースを監査されても、形式上は『真面目にオンラインで講義を受け、レポートを出して単位を取っている学生』にしか見えません。海外の監視の目も欺けます」
東条総理は深く頷いた。
「よし、ただちに明成大学のトップを密かに呼び出し、その手筈を進めなさい。彼女の手を煩わせず、かつ外部に一切の不審感を与えないよう、完璧に裏方を回すのだ」
「はっ!」
首相官邸地下の危機管理センターで「制度の枠組みを使った現実的な特例処置」の方針が決まった直後のこと——。
深夜23時を回った都内。
明成大学の理事長・大河内(70歳)の自宅前に、静かに一関の黒塗りの国産高級セーフティカーが滑り込んできた。
インターホンが鳴り、恐る恐る玄関のドアを開けた大河内を出迎えたのは、スーツを着崩さず、一切の感情を排した眼光を放つ私服の警察庁・公安幹部たちだった。
「明成大学理事長、大河内様ですね。……内閣官房より、緊急の同行要請が出ております。直ちにお越しください」
「は、はい……? 内閣官房……? 一体何事ですかな、こんな夜分遅くに……!」
「車内にて説明いたします。スマートフォンを含むすべての電子機器は、こちらの電波遮断ポーチにお預けください」
同じ頃、明成大学の学長と、春奈が所属する文学部長の自宅にも同様の私服捜査官が訪れていた。3人は何が起きたのか全く理解できないまま、警護車両に挟まれた黒塗りのハイヤーへ乗せられ、夜の首都高速を滑るように駆け抜けていった。
(……我が大学で何か重大な不祥事でも起きたのか? 国際的な論文捏造? 留学生の犯罪か……!?)
胃を締め付けられるような恐怖と混乱のまま、ハイヤーが連れ込まれたのは、一般の入り口とは異なる地下暗号ルートを通った先——首相官邸の地下深くにある極密応接室だった。
カチャリ、と重厚な防音ドアが開く。
室内に通された大河内理事長たちは、目の前に並ぶ顔ぶれを見た瞬間、血の気が完全に引いてその場に凍りついた。
長円形のテーブルの奥に座っていたのは、テレビのニュースで毎日目にする東条総理大臣、文部科学大臣、警察庁長官、そして内閣官房長官であった。
「夜分遅くに急な呼び出しをしてしまい、申し訳ない。明成大学の皆さん」
東条総理が、ドスの効いた重厚な声で静かに切り出した。
「ひっ……! と、東条総理……!? あ、あの、我々は一体何のお話で……!?」
ガタガタと膝を震わせる理事長に対し、文部科学大臣が無言で分厚い書類一式をテーブルの上へ滑らせた。
「事前の説明は一切省略させていただきます。まず、こちらの『国家最高機密保持誓約書』ならびに『特定秘密保護法に基づく承諾書』にお持ちの印鑑、あるいは署名をお願いいたします」
「誓約書……!? 内容も分からずにサインなど……!」
学長が怯えたように声を上げるが、警察庁長官が険しい眼光で一睨みした。
「拒否権はございません。本日ここで目にするもの、耳にするものはすべて、漏洩した瞬間に国家公務員法・特定秘密保護法違反により即座に拘束対象となる国家最重要機密です。……サインを」
部屋を支配する圧倒的な国家権力の圧に屈し、3人は震える手でペンを取り、誓約書に署名捺印した。
書類を回収した文部科学大臣は、そこで初めて1枚の顔写真を提示した。
画面に映し出されたのは、ジャージ姿でポテトチップスを食べているような、ごく普通の女子学生——春奈の顔写真だった。
「……彼女は、貴校の文学部2年生・春奈さんですね?」
「は、はい……間違いなく我が大学の学生ですが……彼女が何か事件でも……!?」
「逆です」
東条総理が腕を組み、真剣そのものの鋭い眼光で理事長を見つめた。
「彼女は今、我が国の命運……いや、人類の未来そのものを握る『超国家級・極密研究プロジェクト』の最高責任者として、政府直轄の最高機密セーフハウスにて活動していただいている」
「……は!?」
理事長たちは耳を疑った。普通の文系女子大生が「人類の未来を握る最高責任者」……? 頭がどうにかなりそうな説明だ。だが、目の前にいるのは日本国のトップたちである。冗談を言っている雰囲気など微塵もない。
「そのため、彼女は今後キャンパスへ登校すること、ならびに外出することが一切不可能です」
神崎所長が一歩前に出で、具体的な要請事項を記した資料を開いた。
「そこで貴校には、文部科学省の超法規的特例措置に基づき、彼女の学籍と単位に関する『完全裏方サポート』を命じます」
「サ、サポート……ですか?」
「左様です。全講義のオンライン受講化、出欠ログの公的補正、そして文科省派遣チームによる課題・レポートの合格処理……これらを大学の既存の特例制度(病気・国際プロジェクト専従特例)の枠組みを使い、一切の不審感を与えずに完璧に処理しなさい」
「全科目……完璧に処理……!?」
学長が青ざめた。
「そ、そんなことをすれば、他の学生や教授陣から『なぜ彼女だけ特別扱いなのか』と疑問の声が上がります! 大学の規律が……!」
「規律と、日本の存亡……どちらが重いか分からんわけではなかろう?」
東条総理が低く圧のある声で静かに言い放った。
「彼女が『単位が取れなくて困る』『大学をやめる』と言い出した瞬間、我が国が受ける損失は国家予算など比ではないのだ。教授陣には『政府の国際オンラインインターンシップに抜擢されたため、特別措置を適用する』と公式通達を出し、余計な追及をさせないよう内部で口止めしなさい」
「は、はいぃぃっ……!!」
大河内理事長は畳みかけるような圧迫感に耐えかね、何度も深く頭を下げた。
「承知いたしました! 今すぐ全学的な特例システムを構築し、文科省のご指示通りに処理いたします! 外部には絶対に漏らしません!!」
「よろしく頼むよ。——では、送らせよう」
東条総理が短く告げると、再び私服捜査官たちが静かに現れ、魂の抜けたような理事長たちを恭しく車へと誘導していったのだった。
こうして、深夜の密室会談によって大学トップの完全な協力(と口止め)が取り付けられ、翌日には春奈のポータルサイトが「完璧に偽装された特例オンライン仕様」へと書き換えられることとなった。
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければブクマ登録と評価お願いします!




