アルディア王国
区切り悪くて長くなっちゃいました。
穏やかな日差しが斜めに差し込む、翌日の昼過ぎのことであった。
外界から完全に遮断され、最新のセキュリティ設備によって厳重に守られた政府極秘のセーフハウスの一室。
春奈は、贅沢なほど大きなキングサイズベッドのふかふかとしたマットレスの上にだらしなく寝そべり、片手にジャンクな塩味が癖になるポテトチップスの袋を抱えながら、もう片方の手で手慣れた様子でスマートフォンをぼんやりと眺めていた。
その華奢な右手の小指には、昨日という日に異世界の存在から特別に与えられた、鈍い光沢を放つ不思議な銀色の収納リングがしっくりと収まっている。
「これ、本当に便利すぎるんだけど……」
ポテトチップスを食べ終わり、油で汚れた指先をパパッと払うと、彼女は残された空の袋を小指の指輪へとそっと近づけて瞬時に収納してみせた。
「部屋の中にわざわざゴミ箱を置かなくてもいいなんて、最高じゃない……」
指輪の万能ぶりに感心しながらも、彼女はサイドテーブルの上に置かれた新しいポテトチップスの袋を引き寄せ、また一枚口へと放り込んでパリリと音を立てて噛み砕く。
「時空を超える技術だかなんだか知らないけれど、文明ってこうやって進歩していくんだなぁ……」
その姿は、周囲の緊張感ある空間とは完全に切り離された、どこからどう見ても救いようのないダメ人間そのものであった。
そんな怠惰な時間を貪っていた春奈であったが、ふと思い出したかのように、指先に付着した塩分を気にしつつスマートフォンを器用に操作し始めた。
画面に表示されているのは、『異世界ザッピング』と名付けられた、異様な雰囲気を醸し出す謎のアプリケーションである。
その特殊なアプリの画面上には、昨日まで彼女が好奇心から熱心に観賞していた【CH.04 グランベル王国・王宮調理場】という平和的なチャンネル以外にも、どうやら無数のチャンネルが存在しているようであった。
「そういえば、昨日までは料理のチャンネルに夢中になっていて、他のところなんて全然見ていなかったな」
春奈は特に深い意図もなく、ただの暇つぶしといった風情で、画面の上に滑らせた指先で軽くスワイプを行ってみた。
画面上には【CH.01 ???】という、詳細が一切不明なチャンネル名が簡素に表示される。
「ん? ここはまだ準備中か何かかな?」
首を傾げながら、彼女はさらに画面を横へとスワイプさせた。
今度は【CH.02 ???】という、先ほどと同様にタイトルが秘匿された項目が映し出される。
気を取り直して、再び指先で滑らかにスワイプ。
【CH.03 ???】という、やはり何も読み取れない表示が画面を通過していく。
「……何か鍵でもかかっているのかな?」
そして彼女は、特に期待も膨らませないまま、何の気なしに次に現れたチャンネルの項目を画面上で軽くタップしたのだった。
【CH.07 アルディア王国・王都防衛戦】
「…………え?」
スマートフォンの高精細な画面に突如として映し出された凄惨な光景を目にした瞬間、春奈の身体の動きがピタリと凍りついた。
そこに映し出されていたのは、昨日まで彼女がポテトチップスを片手に呑気に観賞していた、穏やかで平和な異世界の風景とは根本からかけ離れた、恐ろしい凄惨な光景であった。
視界を遮るように聳え立つ、極めて堅牢で巨大な石造りの城壁。
そのはるか向こう側に広がる大地には、地の果てまで埋め尽くすかのような凄まじい数の兵士たちが蠢いている。
黒煙が空を覆い尽くすように勢いよく立ち上り、遠くの地平線からは耳を刺すような地鳴りのような轟音がたえ間なく響き渡っていた。
城壁の上に配置された兵士たちは、死に物狂いの様相で必死に弓の弦を引き絞り、あるいは危険な光を放つ魔法を外に向けて放ち続けており、一方で荒れ果てた城門の周囲には、全身に血を浴びて倒れた痛々しい負傷兵たちが次々と搬送されていた。
そして何よりも異様であり、見る者を恐怖させるのに十分だったのは――。
広大な城壁の向こう側一面に見渡す限り広がっている、絶望的なまでに巨大な敵の軍勢の姿であった。
「…………これって、戦争……?」
春奈の顔から、つい数秒前まで浮かんでいた気の抜けた呑気な表情が、一瞬にして完全に消え去っていた。
端末の画面下部には、まるでニュース番組の字幕のように、現在の状況を示す詳細な情報が刻一刻とリアルタイムで表示されていたのだった。
【アルディア王国】
【周辺諸国との絶望的な戦争状態】
【王都、敵大軍による包囲開始から十二日経過】
【敵軍推定総兵力――約八万】
「八万……って、桁が違いすぎじゃない……?」
春奈は指先にポテトチップスを挟んだまま、あまりの衝撃に身動きひとつ取れずに完全に固まってしまった。
スマートフォンの小さな画面の向こう側では、アルディア王国軍の指揮官と思われる全身に傷を負った人物が、声を枯らしながら必死に叫んでいる。
「魔導兵団は直ちに第三城壁の防衛線へ向かえ! 何としてでも敵の恐ろしい攻城兵器を優先的に破壊するのだ!」
「不可能です、指揮官殿! 敵側が展開している巨大魔導砲の威力が強すぎて、これ以上近づくことすらできません!」
「ならば躊躇うな、騎士団をすぐさま防衛の救援へ回せ!」
「騎士団はすでに西門の防衛ラインで完全に手一杯であり、これ以上の増援などどこにも残っていません!」
飛び交う狂気を含んだ怒号。
絶望に満ちた苦悶の悲鳴。
戦場全体を支配する完全なる混乱。
そして――。
ドォォォン!!
画面全体が大きく激しくグラグラと揺れた。
敵陣営の巨大な攻城兵器から解き放たれた恐ろしい質量の何かが、王都の分厚い城壁へと直接激突したのだ。
歴史を感じさせる重厚な石壁の一部が脆くも崩れ去り、大量の土砂と瓦礫とともに空中へ散っていった。
「うわぁ……」
春奈はあまりの臨場感と恐怖に、思わず手にしていたスマートフォンを両手でギュッと強く握りしめていた。
さっきまで心の中で呑気に抱いていた「異世界って本当に面白いところだな」という気楽で軽率な気持ちは、この凄惨な現実を前にして、もう跡形もなく完全に吹き飛んでしまっていた。
「……これ、よくわからないけれど、相当ヤバい事態なんじゃないの?」
画面の端の小さな領域には、現実の厳しさを突きつけるかのように更なる詳細なデータが表示されていた。
【アルディア王国】
【全推定人口:約三百万人】
【王都守備兵力:約一万二千】
【期待できる援軍の有無――なし】
【王国内の食料備蓄――残り約三週間分】
春奈は言葉を完全に失ったまま、しばらくの間じっと固まって画面の恐ろしい凄惨な光景を見つめ続けた。
そして。
「……これ、もしこのまま誰も何もしないで放っておいたら、間違いなく負けて全滅しちゃうよね?」
もちろん、物理的な壁を隔てたスマートフォンの画面の向こう側から、彼女の呟きに対する返事が返ってくるはずもない。
だが、特別な直感によって、春奈にはその凄まじい事態の意味がはっきりと理解できていた。
これは、昨日経験したマヨネーズを作って皆で喜んでいたような微笑ましい騒動とは、根本的にスケールも深刻さも違うのだ。
今、画面の向こう側で確実に誰かが深刻に困っている。
しかもそれは一個人の問題ではなく、国という巨大な存在そのものが滅亡の危機に瀕しているのだ。
「…………」
春奈は顎に手を当て、少しだけ真剣な表情を浮かべて考えを巡らせた。
そして、手元にあるスマートフォンを今一度しっかりと持ち直す。
「よし、とりあえず神崎さんに連絡して教えてあげよう」
◇◇◇
それからわずか数分後のこと。
同じ政府極秘セーフハウス内の会議室。
「――は?」
神崎所長の地声を打つような驚愕の声が、静まり返っていた会議室の中に大きく響き渡った。
「国家規模の……侵攻、ですか……?」
「うん、そうなの」
春奈は高価な革張りソファにゆったりと腰掛けながら、慣れた手つきでスマートフォンを操作している。
「暇だったから新しいチャンネルを探して見つけたんだけど、なんかどこかの王国が本格的な戦争をしていて大変そうなの」
「…………」
神崎のすぐ隣に立っていた佐藤研究員も、思いも寄らない言葉の重みに言葉を失って完全に固まってしまった。
「戦争……とおっしゃいましたか……?」
「うん。なんか八万人くらいいるすごく大きな軍隊に攻め込まれていて、王都という一番大切な街が完全に包囲されちゃってるみたいなんだよね」
「…………」
会議室の中に、息が詰まるような重苦しい沈黙が落ちた。
神崎は震える手でゆっくりと自身の眼鏡を外し、疲れたように目元を押さえた。
「春奈様」
「はい、なんでしょう?」
「その……現在映し出されているという映像を、もう一度我々にも見せていただくことは可能でしょうか」
「いいですよ、すぐに見せますね」
春奈が端末の画面を素早く操作する。
プロジェクターを通じて壁面に、再び先ほどのアビリティ映像が鮮明に映し出された。
半壊して今にも崩れ落ちそうな巨大な城壁。
絶望的な表情で疲れ果てている兵士たち。
地平線の彼方にどこまでも整然と並ぶ無数の敵軍の陣形。
それらの光景を目の当たりにした神崎の表情から、昨日まで見せていた好奇心旺盛な研究者としての興奮が跡形もなく消え去っていった。
代わりに彼の顔に浮かび上がったのは、この国の安全保障を担う政府国家機関の最高責任者としての、非常に険しく冷徹な表情であった。
「……これは、想像以上に……」
「これって、私たちで助けてあげられますか?」
春奈が純粋な瞳で尋ねた。
神崎は重苦しい面持ちのまま、一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに答えを出すことができなかった。
「……悲しいかな、我々現代の日本政府には、異世界という未知の領域に対して直接的な軍事力を展開して介入するような能力は存在いたしません」
「そっか、やっぱり無理なんだ」
「ですが」
神崎は強い意思を込めてゆっくりと顔を上げた。
「軍隊を送れずとも、彼らを間接的に助けるためのあらゆる方法を模索して知恵を絞ることは十分に可能です」
「ほんと? 何か方法があるの?」
「はい、間違いありません」
その神崎の一言を皮切りに、事態は国家の威信をかけた恐ろしいほどのスピードで急速に動き始めることとなったのだった。
◇◇◇
それからわずか二時間後のことである。
政府機関が設置されている地下深くの施設。
普段であれば国家の最重要極秘事項のみを扱う、限られた特権を持つごく一部の人間しか足を踏み入れることが許されない最重要特別会議室に、普段では考えられないほどの多種多様な異常な人数が集められていた。
国際情勢や戦略を分析する国際政治の専門家たち。
古今東西のあらゆる戦術と歴史に精通した軍事史の研究者たち。
膨大な物資の流れを管理する兵站のプロフェッショナルたち。
国家の財政や市場の変動を予測する経済学者たち。
現地の地形や気候を分析するための地理学者たち。
天候の変化を予測する気象学者たち。
戦場での疫病や衛生状態を懸念する感染症と衛生環境の専門家たち。
そして極めつけには、現地のファンタジー世界に特有とされる魔法現象や固有の文化体系を日夜研究している怪しげな者たちまでが一堂に会している。
室内の中央に設置された巨大なホワイトボードには、黒いマーカーで力強く大きくこう書かれていた。
【アルディア王国・対侵攻支援国家戦略】
そのあまりにも現実離れした文字を凝視しながら、ある政府関係者の一人が重い溜め息とともに激しく頭を抱えた。
「……異世界の聞いたこともない国家を救うための軍事作戦会議なんて、今朝までの段階で一体誰が想像できたというんだ」
「まったく同感です、私も未だに夢を見ているのではないかと疑いたくなります」
「そもそも論として、我々は救うべき相手国の詳細な地図すら完全には把握できていない状態なんですよ」
「それに加えて、現代兵器の常識が通用しない『魔法』という名の未知の超自然兵器まで平然と存在しているのです」
「相互の通信手段すら完全に不明」
「言語や文化の壁もあまりに大きい」
「お互いが運用している兵器体系も根本から異なっている」
次から次へと絶望的な問題点や課題が会議室の中で挙げられていく。
すると、室内でじっと耳を傾けていた軍事史の第一人者である専門家が立ち上がり、ホワイトボードの前へ歩み出ると、大きな文字で明確に書き記した。
【勝利条件そのものを根本から定義し変える】
「え?」
その言葉を聞き、場にいた全員が一斉に彼の方へと視角を向けた。
「我々が今この場で必死になって模索すべきなのは、『日本の自衛隊や軍隊をいかにして異世界の戦場へ送り込むか』などという実現不可能な手段ではありません」
「では、一体何を検討すべきだと?」
「アルディア王国自身が秘めている力を活用し、彼ら自身の力でこの凄惨な戦争に勝利してもらうための戦略的支援の方法です」
不平不満が飛び交っていた会議室全体が、一瞬にして水を打ったように静まり返った。
軍事史の専門家は自信に満ちた口調で淡々と解説を続ける。
「我々は異世界に直接的な軍隊を送り込むことはできない。ならば、現在彼らが自前で保有している限定的な戦力を極限まで引き出し、効率的に運用させる手助けを行えば良いのです」
「……具体的には、まず何から着手すべきなのですか?」
「第一に、我々を圧倒する勢いを見せる敵軍の本当の侵略目的を徹底的に徹底調査することです」
ホワイトボードの余白に、次々と鋭い分析の文字が並べられていく。
【敵は何故これほどの規模でアルディア王国を侵攻しているのか】
【領土の拡張が目的なのか?】
【豊富な地下資源の強奪なのか?】
【王族の血統や人質が目的なのか?】
【宗教的な対立による聖戦なのか?】
【希少な魔力資源の独占なのか?】
【あるいは単純な野心による征服欲なのか?】
「歴史上のあらゆる戦争には、必ず何らかの明確な理由や目的が存在します」
専門家は一切の感情を交えず、冷徹な口調で言葉を重ねた。
「敵が何を求めて戦っているのかという根本的な理由が分からなければ、こちらが突くべき勝機や勝ち筋も永遠に見えてはきません」
間髪を入れず、別の領域の専門家が静かに手を挙げた。
「そして敵の目的に続いて次に把握すべき不可欠な要素は――間違いなく『地理と物流』です」
「地理……ですか?」
「そうです。敵軍八万という圧巻の数字だけに惑わされて恐れてはいけない。八万人という膨大な人間を戦場で維持し続けるためには、毎日途方もない量の食料、清潔な水、消耗する武器、膨大な数の馬、それらを運ぶ荷馬車が絶対に必要不可欠となるのです」
ホワイトボードの上に、新たな鋭い考察の文字が力強く書かれていく。
【敵軍は八万人という膨大な兵力を、一体どうやって補給し養っているのか?】
「つまり、言いたいことは……」
「どれほど強大に見える敵軍であっても、補給線という致命的な弱点が存在している可能性が極めて高いということです」
長時間の討論で疲弊していた会議室全体の空気が、一気に建設的な熱を帯びて変わり始めた。
さらに奥に座っていた別の専門家が、手元の分厚い資料をめくりながら発言する。
「そして防衛側であるアルディア王国側には、未知の『魔法』という強力な要素が存在している」
「魔法……ですね……」
「ここを我々の科学的知見を交えて徹底的に分析し調べるべきでしょう」
「直接的な攻撃魔法の威力を測るのですか?」
「いいえ、単なる攻撃魔法だけにとどまりません。通信、治癒、物資の輸送、広範囲の偵察、あるいは気象操作……もし彼らの魔法体系が我々の想定以上に万能な応用力を持っているのだとしたら、これまで我々が築いてきた現代戦争の常識そのものが根底から覆ることになります」
議論の移り変わりを静かに見守っていた神崎が、ここで口を挟むように発言した。
「つまり――我々が今なすべきことは」
「はい、その通りです」
専門家は深く深く頷いて見せた。
「我々は今すぐ、現代的な兵法と科学的アプローチを融合させた『異世界版の戦争学』を構築し研究する必要があります」
そして会議室の最も深い最奥部。
巨大な高精細スクリーンには、今なお戦火に包まれ危機に瀕しているアルディア王国の王都の全景が映し出されていた。
そこに集まった誰もが、自らの知識を振り絞るべく真剣で重苦しい表情で画面を見つめている。
そんな中。
この国家規模の過熱した大会議の最大のきっかけを作った張本人である少女は――。
「……あのー、ちょっといいですかー?」
白熱していた会議の熱気を切り裂くように、春奈がちょこんと控えめに右手を挙げた。
「どうしました、春奈様!?」
一斉に室内にいた全員が一斉に彼女の方へと振り返った。
「私、あの画面の向こうにいる国の人たちに、スマホを通じて直接話しかけることができますよ?」
「…………」
その場にいた数十人のエリートたちが、示し合わせたかのように完全な沈黙に包まれた。
神崎の瞳が、衝撃のあまりカッと大きく見開かれる。
「……そ、そうでした……!」
「私のこのスマホ、どうやら向こうの世界の空間と直接繋がっているみたいなんですよね」
春奈は何でもない日常の会話でもするかのように、あっけらかんと言い放ったのだった。
「だったら、難しいことをここで悩むより、向こうの偉い王様とか軍隊のすごい人たちに直接聞いてみればいいんじゃないですか?」
「…………」
息をのむような数秒間の静寂。
そして次の瞬間――。
「「「それだぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」
地鳴りのような叫び声が上がり、頑丈な会議室全体が物理的に激しく揺れた。
「我々はいったい何を現場から離れて難しく考えていたんだ!」
「直接やり取りできるなら、正確な現地リアルタイム情報が直接手に入るじゃないか!」
「敵軍の正確な編成や規模も、直接質問して聞き出せる!」
「向こうの複雑な政治状況も!」
「詳細な地理情報も!」
「解明されていない魔法体系の真実も!」
「全部、当事者である本人たちに直接尋ねれば一発で解決する!」
停滞していた会議の議論が一気に猛烈なスピードで加速し始めた。
真っ白だったホワイトボードのスペースが、書き込まれる文字で怒涛の勢いで埋め尽くされていく。
【王国の最高権力者である国王への直接接触】
【現場を指揮する軍司令官へのダイレクトな接触】
【リアルタイムな敵軍情報の収集】
【王都周辺の詳細な地形データの構築】
【異世界の魔法体系の構造解明】
【城内の正確な食料事情の把握】
【周辺にある同盟国の動向】
【王国内部の複雑な政治体制】
熱狂する室内の中で、神崎は静かに春奈の前へと歩み寄った。
「春奈様」
「はい、神崎さん?」
「我々から、一生のお願いがございます」
「なぁに?」
「今すぐ、その異世界と繋がっているCH.07へ回線を接続していただけますでしょうか?」
「いいですよ、おやすい御用です」
「そして――」
神崎は国家の命運を賭けるように、春奈に対して深々と、これ以上ないほど頭を下げたのだった。
「可能であれば、向こうの王国の全責任を負っている責任者の方と、直接お話をしていただくことはできないでしょうか」
「んー……」
春奈は人差し指を唇に当て、少しだけ困ったように考えを巡らせた。
そして、手元にある小さなスマートフォンをもう一度見つめる。
「うん、分かった。やってみるね」
「ありがとうございます! 心より感謝申し上げます!」
「でもね」
春奈は念を押すように、可愛らしく右の人差し指をスッと立ててみせた。
「私、難しい戦争のルールとか戦略のことなんて、全然よく分かってないですよ?」
「……ええ、それに関しましては十二分に承知しております」
「あと、自分自身が痛い思いや怖い思いをするようなことだけは絶対にしたくないです」
「もちろんでございます、春奈様の安全は我々が命に代えても保障いたします」
「それとね」
春奈はどこか照れくさそうに、少しだけ優しく微笑んだ。
「せっかくこうして不思議な縁で異世界と繋がったんだから、もし私に助けられることがあるなら、困っている人たちを助けてあげたいじゃないですか」
戦場の緊張感が漂っていた会議室にいた全員が、その温かい言葉を聞いて静まり返った。
神崎は感極まった様子で、一度だけ深く力強く頷いてみせた。
「……しかと、承りました」
そして。
春奈が慣れた手つきでスマートフォンの画面をしっかりと操作する。
【CH.07 アルディア王国・王都防衛戦】
一瞬の静寂の後、スマートフォンの画面が切り替わる。
再び、激しい戦火と硝煙に包まれた絶望的な王都の光景が画面全体に映し出された。
だが――。
今回の接続は、昨日までのようにただ画面を遠くから眺めるだけの観賞ではない。
日本側には、この異世界の未曾有の戦争をあらゆる角度から分析するために緊急招集された数十名におよぶ各分野のトップ専門家たちが控えている。
そしてアルディア王国側には――。
日本という、彼らにとっては想像すらつかない未知の超高度な現代文明国家へと直接繋がる、奇跡的な「異世界通信」のラインが開通しているのだ。
「……よし、準備完了」
春奈はスマートフォンの画面上に表示されたマイクのアイコンをタップし、オンへと切り替えた。
『もしもしー? 誰か聞こえますかー?』
その奇跡的な瞬間。
スマートフォンの画面の向こう側。
王都の最前線に位置する防衛司令部の一室で、疲弊しきって絶望に打ちひしがれていた王国軍の最高司令官が、不意に空間から響いた声に驚愕してハッと顔を上げた。
『私の声、ちゃんと聞こえてますかー?』
「…………だ、誰だ!? いったいどこから話しかけている!?」
春奈の放った、緊張感の欠けたあまりにも何気ないその一言から。
絶望の淵に立たされていたアルディア王国の運命を根底から劇的に変えることになる、日本政府の総力を挙げた史上初となる「異世界国家支援戦略作戦」が、ついに静かにその幕を開けたのであった。
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