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16/21

のらりくらり

「ところで、東條総理」


「はい、何でしょうか大統領」


「最近、日本国内の医療分野において、非常に興味深く先進的な研究が進められているという噂を耳に挟んだのですが」


その言葉が発せられた瞬間、画面の向こう側にある日本側の危機管理センター内の空気が、目に見えないレベルで僅かに張り詰めたのをハミルトンは見逃さなかった。


だが、東條総理の長年鍛え上げられたポーカーフェイスは一切崩れない。


「医療分野、でございますか?」


「ええ、そうです」


ハミルトンはどこまでも自然で親しみやすい笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「再生医療や革新的な新薬開発などの領域において、日本は世界的に見ても非常に優れた研究基盤と技術力を有していますからね」


「我が国の技術に対してそのような高い評価をいただき、大変ありがたいお言葉です」


「我々アメリカとしても、日米間でさらなる高度な医療技術協力を包括的に進められればと考えている所存です」


「それは我が国にとっても、非常にありがたく力強いお申し出でございます」


東條は即座に淀みなく回答した。


しかし、答えたのはそこまでであり、それ以上の余計な情報には一切触れなかった。


ハミルトンが大統領として鍛え上げた鋭い眉をほんの僅かに動かす。


「特にここ最近、日本国内の研究機関や政府関与のプロジェクトで、何か目新しい画期的な動きなどはございませんか?」


東條は、あたかも本気で思い出そうとしているかのように、少しだけ思案するような仕草を見せてみせた。


「目新しい動き、と仰いますと?」


「例えば、日本政府が直接的に深く関与しているような、極めて大規模な国家レベルの医療研究プロジェクトなどについてです」


「大規模な国家医療研究、ですか……」


東條は柔和で穏やかな笑顔を浮かべた。


「日本国内では日々、無数の大学や民間企業、研究機関において多様な先端研究が行われておりますので、その中から特定のたった一つの案件を即座に挙げるというのはなかなか難しいところでございますね」


「なるほど、おっしゃる通りだ」


ハミルトンは納得したように頷いた。


だが、この程度のかわしで引き下がるつもりは毛頭なかった。


「では表現を変えましょう。最近行われている研究活動に関して、何か政府が特別に最優先事項として指定したような国家プロジェクトなどは存在しませんか?」


「国家最優先プロジェクト、ですか」


東條は少し困惑したかのような表情を巧みに作り出してみせる。


「当然ながら、国家の未来に関わる重要な研究テーマは常に複数存在しております」


「例えば、具体的にはどのような分野でしょうか?」


「iPS細胞などを活用した再生医療、難病に対する画期的な創薬、未知の感染症に対処するための総合対策、あるいは最先端の医療機器開発など……」


東條は、教科書に載っているような一般的かつ無難な研究分野を次々とよどみなく挙げていく。


「いずれの分野につきましても、我が国民の生命と健康を直接守るための極めて重大な研究事業ばかりでございます」


「……なるほど、よく分かりました」


ハミルトンの青い瞳が、僅かに細められた。


「では総理、最近になって急激に予算や人員を投入し、研究体制を極秘裏に強化したとされる特定の案件についてはご存知でしょうか?」


「急激に体制を強化した案件、ですか?」


「ええ、そうです」


「うーむ……」


東條は腕を組み、本格的に考え込むような素振りを描いてみせた。


そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


「昨今の地球規模での感染症対策や、国家における医療安全保障の急激な重要性の高まりを鑑みれば、複数の重要分野において研究体制の強化や予算の増額が行われること自体は、行政の取り組みとして特に珍しいことではございません」


「……左様ですか」


「むしろ、こうした国家主導による研究体制の強化につきましては、アメリカ合衆国においても同様の取り組みが行われているのではないでしょうか?」


その見事すぎる意表を突いた問い返しに、ハミルトン大統領は一瞬だけ言葉を失い、静寂が室内に落ちた。


完璧な切り返しであった。


「確かに、総理のおっしゃる通りです我が国でも同様です」


ハミルトンは破顔一笑し、大らかな笑顔を作った。


しかし、その親しげな笑顔の裏側では、ハミルトンの優秀な頭脳が猛烈なスピードでフル回転していた。


――間違いなく、この男は重大な何かを隠している。


だが、同時に確信した。


――しかし、まだこちらの手札や確証の程度までは完全に見抜かれていない。


一方、画面の向こう側の日本側の地下危機管理センター内でも、同様に高度な情報分析がリアルタイムで行われていた。


「総理、今のハミルトン大統領の質問……かなり核心に踏み込んだ具体的なニュアンスが含まれていましたね」


官房長官が、画面に映らないよう声を潜めて囁く。


東條総理は、視線をしっかりとハミルトン大統領の画面に固定したまま、微かに唇を動かした。


「ええ、その通りです」


「やはりアメリカ側は、我が方の『ポーション』に関して何らかの重大な情報を掴んでいると見て間違いないでしょうか?」


「おそらく、何らかの異常な動きやキーワードを察知しているのでしょう」


「それでも……」


東條は声のトーンを変えずに静かに言葉を続ける。


「彼らは最後の最後まで、『ポーション』という決定的な核心の言葉を口にしてきませんでした」


「はい、確かに言いませんでした」


「つまり、向こうもまだ確定的な証拠や現物を押さえておらず、こちらを試している段階に過ぎないということです」


それこそが、この極限の外交戦において最も重要なポイントであった。


アメリカ側は何かを知っている。しかし、すべてを知っているわけではない。


日本側は探られていることを知っている。しかし、相手がどこまで真相に迫っているのかまでは分からない。


両国はまるで、濃霧が立ち込める深い森の中で、互いに相手の足音と気配を探り合っているかのような、極めて高度な心理戦を展開していたのである。


そして、ハミルトン大統領が次の一手を指し示した。


「東條総理」


「はい、大統領」


「実は我が国としては、日本との間における医療技術協力を、これまで以上に一段上のレベルへと引き上げることを真剣に検討しております」


「それは我が国にとっても、大変素晴らしいご提案でございますね」


「もし仮に、日本国内において人類の歴史を変えるような非常に有望な研究成果が得られているのであれば、ぜひとも同盟国である我が国との間で密接な情報共有をお願いしたいと考えております」


「研究成果の共有、でございますか」


「ええ」


ハミルトンはどこまでも柔らかく、包み込むような親しげな口調で畳み掛ける。


「数多くの人命を救う絶大な可能性を秘めた新技術であるならば、揺るぎない同盟国同士で分かち合い、協力体制を構築することこそが国際社会にとっても極めて有意義なはずです」


その瞬間、東條総理の脳裏には、厳重に保管されているあの透明な小瓶の鮮明な映像が浮かび上がった。


神秘的な緑色の光を放つ液体。


たった一本の小瓶で、本来であれば現代医学をもってしても治療に数ヶ月を要するような重症の傷を、瞬く間に完全に治癒させてしまう絶大な効能。


そして、その存在が公になれば、世界中の医療産業や国際情勢のパワーバランスそのものを根底から覆してしまうという恐ろしいまでの影響力。


だが、東條総理の熟練した表情には、一切の動揺や変化が現れなかった。


「同盟国としての温かいお言葉、大変ありがたく頂戴いたします」


「……」


「ただ、どのような研究成果であれ、まずは人間に対する安全性や有効性、副作用の有無などを時間をかけて十分に確認した上でなければ、外交的な枠組みでの適切な情報共有を行う段階には至らないかと存じます」


「なるほど、慎重な手続きが必要ということですね」


「ええ、まだ研究の初期段階にある基礎的な案件につきまして、政府として確定的な事柄を軽々しく申し上げ上げることは誠に困難でございますので」


「研究段階、ですか……」


ハミルトンは、その東條の言葉の重みを噛みしめるように、静かに復唱した。


「ええ、その通りです」


東條は最後まで一切隙を見せず、穏やかな笑顔を崩さなかった。


「現在、我が国の専門機関において、極めて慎重かつ綿密に検証作業を進めている最中でございます」


――それは、決して完全な虚偽の報告ではなかった。


しかし同時に、真実のすべてを語っているわけでもなかった。


この絶妙な「嘘をつかずに真実を隠す」曖昧さこそが、今回日本政府が提示した基本的な対米外交戦術の核であった。


「左様ですか、よく分かりました」


ハミルトン大統領は納得したように頷いた。


指先ひとつ動かさず、それ以上深追いして質問を重ねることはせず、引き下がった。


「では、今後の日米間における具体的かつ詳細な医療協力のあり方につきましては、改めて両国の専門家や実務者同士で協議の場を設けることにいたしましょう」


「ええ、ぜひともよろしくお願い申し上げます」


「本日は急な呼び出しにもかかわらず、大変有意義で建設的な会談ができましたことに感謝いたします」


「私どもにとりましても、大変貴重な意見交換の機会となりました」


やがて、画面上の通信シグナルが切断され、首脳会談は無事に終了した。


巨大なモニターからハミルトン大統領やアメリカ側の閣僚たちの姿が消え去る。


静寂。


あまりにも濃密な沈黙が、地下危機管理センターの室内を数秒間支配した。


やがて、緊張の糸が切れたかのように、官房長官が深く長い息を吐き出した。


「……なんとか第一関門を乗り切りましたね」


「ああ、ひとまずは」


東條総理は椅子の背もたれにゆっくりと身体を預け、疲労を滲ませた。


「ですが、向こうのアメリカ側は間違いなく、何らかの決定的な端緒を掴んでいますよ」


「やはり、そうだよな…」


「ただし」


東條はテーブルの上に整然と並べられた極秘資料へと静かに視線を落とした。


「我が国が具体的にどのような効能を持つ『現物』を所有しているのかという核心部分までは、まだ彼らも把握できていない」


「では総理、今後も引き続きこの基本方針を維持していくおつもりですか?」


「ああ、変更はなしだ」


東條は即座に強い口調で答えた。


「向こうから問いただされたら答える。ただし、あくまで『まだ効果や安全性が確定していない発展途上の研究成果』として扱い続けること」


「詳細なデータの開示を求められた場合は?」


「『現在、国内の厳重な体制下で安全性評価を行っている最中である』と突っぱねる」


「万が一、現物の提出や共有を外交ルートで強く要求された場合は?」


「『国家の研究機関の厳重な管理下にあるため、安全上の観点からいかなる外交的共有にも応じることはできない』と言い切る」


「具体的な治療効果や効能について問い詰められた場合は?」


「『現段階ではごく限定的な動物実験や臨床試験の結果しか得られておらず、確たるデータは存在しない』と回答する」


官房長官は深く納得したように頷いた。


「かなり粘り強い泥縄式の外交交渉になりますね」


「当然の務めだ」


東條総理は静かですが、揺るぎない確信を込めて答えた。


「この『ポーション』という存在が持つ意味と価値は、国家の興亡に直結するほどあまりにも重大すぎる」


選りすぐりの精鋭が集まる部屋の中で、その鋭い眼光に一瞬だけ強い緊張感を宿らせた。


「アメリカが我が国にとって最も重要な同盟国であるからこそ、我々は一層の慎重さと強い意志を持って臨まなければならない」


その言葉の重みに、室内にいた高官の誰もが反論の言葉を持たなかった。


◇ ◇ ◇


――ほぼ同時刻のこと。


ワシントンD.C.に位置するホワイトハウスの執務室。


日本の東條総理との緊張感あふれる首脳会談を終えたハミルトン大統領は、深い沈黙を守ったまま革張りの椅子にじっと座り込んでいた。


目の前のモニターには、先ほど行われたばかりの会談の映像と音声をAIが即座に解析した詳細なデータが表示されている。


「……大統領、今回の会談での相手の対応をどう分析されますか?」


グラント補佐官が静かに尋ねた。


ハミルトンはすぐには答えず、モニターに表示された東條総理の表情の変化を示すグラフを凝視していた。


やがて、重々しい口調で言い放つ。


「日本側は、間違いなく我々に対して重大な何かを意図的に隠している」


それは、長年の政治勘に裏打ちされた断定的な声であった。


CIAのマッケンジー長官もまた、分析データを示しながら頷く。


「私も大統領の分析に全面的に同意いたします」


「だが、彼らが具体的に何をどこまで隠しているのかについての確証は?」


「残念ながら、まだ完璧な裏付けまでは取れておりません」


「しかし、我々が『ポーション』という言葉を直接出さずに医療研究について質問を投げかけた瞬間、東條総理の微細な表情や呼吸のタイミングに明確な変化が生じました」


グラント補佐官が、専門的な視点から精緻な分析を付け加える。


「ただし、東條総理自身は最後まで徹底して具体的な研究名や物質名を一切口にせず、見事なまでに回答を回避しきりました」


「……実に巧妙で隙のない食えない男だな」


ハミルトンは感心したように小さく呟いた。


「極めて慎重に、一言一語のニュアンスまで計算し尽くして言葉を選んでいた」


「日本側もまた、我々アメリカが何らかの裏情報や噂を探ろうとしていることには確実に感づいたはずです」


「だろうな、百戦錬磨の東條のことだ、当然察しているだろう」


ハミルトンは大統領の椅子からゆっくりと立ち上がった。


そして、壁面に大きく映し出された日本列島の鮮明な衛星写真を見つめた。


「しかし、向こうもまだ完全には確信を持っていないはずだ」


「何についてでございますか?」


「我々アメリカ側が、すでに『ポーション』という極秘の固有名称そのものまで掴んでいるという事実をだ」


その鋭い指摘に対して、CIAのマッケンジー長官が深く納得したように頷いた。


「まさに大統領のおっしゃる通りです。そこが我が方の最大のアドバンテージです」


「ならば、現時点で焦って直接的な圧力をかけ、正面からぶつかり合うような愚を犯すべきではない」


ハミルトンは強い意志を込めて言った。


「ここで我々が強硬な態度に出て日本側の警戒心を強めさせてしまえば、彼らは情報をさらに地下深くへと秘匿し、アクセスが今以上に困難になるだけだ」


「では大統領、今後はどのような方針で進められるおつもりでしょうか?」


数秒間の重苦しい沈黙が室内に流れた。


そして、ハミルトン大統領は静かに、しかし決定的な方針を告げた。


「あえて、待つのだ」


「……待つ、とおっしゃいますと?」


「そうだ」


「しかし大統領、十分な時間を放置してしまえば、日本側が研究体制を完璧に整え、情報を完全に国家機密として遮断してしまう危険性も――」


「だからこそ、焦って動いてはならないと言っているのだ」


ハミルトンは振り返り、集まった側近たちの顔を一人ひとり見つめ直した。


「理由はどうあれ、日本は我が国にとってかけがえのない太平洋の最重要同盟国なのだ」


その言葉には、先ほどまでの冷徹な情報戦の表情とは少し異なる、大国を率いる指導者としての深い響きが含まれていた。


「ならば、敵対国家に対するような粗暴な外交的圧力を妄りに加える必要などどこにも存在しない」


「……」


「我々に真に必要なのは、日本側が自らの判断で、自発的に我々に対して口を開かざるを得ないような状況と環境を戦略的に作り出すことだ」


グラント補佐官が深く理解したように頷いた。


「表向きは全面的な外交・経済協力を強化する姿勢を見せつつ、時間をかけて自然な形で情報を引き出していく……ということでしょうか」


「その通りだ」


ハミルトンは大容量スクリーンに映る日本列島の灯りを見つめ直した。


「もし日本が本当に、世界の医療構造を根底から塗り替えるような魔法のような技術を隠し持っているのだとすれば、遅かれ早かれ必ず何らかの形で外部の世界へその影響が漏れ出てくるはずだ」


「国際医療市場での異常な動き、学会への論文提出、不可解な臨床データの存在、あるいは製薬企業の株式の不自然な変動……」


「そうだ、どれほど厳重に隠そうとも、本物の技術であれば完全に隠し通し続けることなど不可能なのだからな」


ハミルトン大統領は静かに、しかし確信に満ちた笑みを浮かべて頷いた。


「だからこそ我々は慌てることなく、その決定的な瞬間が訪れるのを静かに待つのだ」

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